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喧嘩両成敗の元になったエピソードは?

嫡男に稼得を譲るとか次男より嫡男が優先するというようなことは、 家康が江戸城に立ち寄ったとき、孫の兄:竹千代と弟:忠長のうち、 自分のそばへ来るように竹千代に言い、続いて忠長が自分にも言われたと思い、 竹千代の後に続いたところ、家康が嫡男を尊ぶ振る舞いをしたことによって、 優先順位の模範になったことは知っていますが、 家康が喧嘩両成敗の模範になったエピソードはどんなものでしょうか? 家康が決めたというか社会模範になった題材があまりメディアに見つかりません。 ご存じの方、よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.2

これは、平安末期から台頭した関東武士層の経験的慣習が土台にあります。 当時、多くの土地騒動が頻繁にあり、その抗争と和解の過程で生まれてきたものです。 形としては、鎌倉幕府の御成敗式目が最初でしょう。 エピソードのもとは多く、執権北条泰時です。

tax_sos
質問者

お礼

ありがとうございました。 ある忠臣蔵の作品で、喧嘩両成敗は「東照権現様からの習わし」というような 一説があり、どんなエピソードか気になったものです。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

http://ci.nii.ac.jp/els/110006607300.pdf?id=ART0008575097&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1392305627&cp= 室町幕府にその祖法があり、戦国・織豊期に広まった。 というのが通説らしい。 なので 家康が絡むことはない 上記の論文は、武田氏における内容を論じている

参考URL:
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006607300/
tax_sos
質問者

お礼

ありがとうございました。 信玄公が元ですか。 ある忠臣蔵の作品で、喧嘩両成敗は「東照権現様からの習わし」というような 一説があり、どんなエピソードか気になったものです。 家康がらみで何か別のエピソードがあるのでしょうか?

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