• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:幕末から明治維新の時代をどのようにお考えですか?)

幕末から明治維新の時代をどのようにお考えですか?

eroero1919の回答

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.2

シンプルに「わけわからん」ですね。 まず政治関係がややこしくて訳が分かりません。蛤御門の変あたりは、薩長が戦っています。長州藩は、誰が主導権を握るかで藩の方針が180度変わります。しかも、二転三転するのは珍しくない。しかもその間藩主は敬親で変わりません。そうせい公は何をどうしたかったのかがまるで分からない。だけど、そうせい公のバランス感覚は絶妙という他はありません。そうせい公といわれた割に暗愚の主君ではなかったようです。 島津藩は高崎崩れを起こすくらいの激しい内部抗争(もっとも島津家の内部抗争は戦国時代から続く伝統行事でもありますけれども)をしておきながら、最後の藩主忠義はその高崎崩れで激しい藩主争いをした久光の子なのに、藩政の主導権は斉彬派の西郷隆盛が握っていました。高崎崩れは血で血を洗うような激しい抗争だったのに、藩主の座さえもらえれば藩政の主導権を旧斉彬派に握られていて久光公はそれで良かったのか。訳が分かりません。 山内容堂公は、単なる酒乱。そうせい公が馬鹿殿に見えて暗愚ではなかったのと対照的に、容堂公は豪快そうに見えるけどアホですぜ。「酔えば倒幕、覚めれば佐幕」と、結局酔っぱらって思いつきで行動してたようにしか思えまへん。武市瑞山は志士ってことになってるけど、こんなんただのテロリストやん。気に食わない奴を片っ端から斬って回った人だがや。だから最後にゃ岡田以蔵に裏切られるんだよ。 幕末のことを外国人に話しておそらく最も理解不能だろうと思われるのが、「旧幕府側で、殺されたり切腹させれられたお殿様は一人もいない」ということです。新政府側のスケープゴートにされた会津藩も、結局家老が腹を切ったことで松平容保公に対してはお咎めなし。本人は無理だったけど、息子さんは華族(貴族)に列せられます。千葉あたりの小藩のお殿様は「俺ァ脱藩しても幕府のために戦う!」となんと藩主自らが脱藩して徹底抗戦を選びますが、結局このお殿様も旧領民の嘆願により切腹はなし。 それよりなにより、にっくき(?)徳川家の最後の将軍であった慶喜公そのものが明治時代も生き延びて天寿を全うしています。 明治維新は「革命」っていう扱いのときもあるけど、フランス革命なんてルイ16世とマリー・アントワネットに始まりロベスピエールに至るまで断頭台の嵐だったのに。フランス革命に限らず、だいたい革命ってロシア革命もそうだけど旧権力者はスケープゴートにされて処刑されるのです。でも明治維新の場合はスケープゴートにされたのは会津藩で、しかも藩主はスケープゴートにされていません。わけわからん。 というか、明治「維新」のはずなのに天皇制復活で王政「復古」なんだから、新しいのか、古いのか。 というか、それをいったら明治の元勲つまり幕末の志士たちの多くが元々は「攘夷派」だったはずなのに、いつの間にやらみーんな「開国派」になっていて、しかも近代国家建設に見事なまでに順応しています。そのうえ思想的には真逆に「変節」しているはずなのに、誰もそれに葛藤した形跡がない・笑。ちなみにこれは私は日本人の「強さ」だと思っていて、後に第二次大戦後にも鬼畜米英から突然親米国家への「変節」を何の葛藤もなくやり遂げています。 変節は新政府側ばかりではありません。佐幕のために最後まで戦ったと多くの人が思ってる新撰組の鬼の副長土方歳三の世間でよく知られたあの最後の写真。そう、彼はざんばら髪に洋装なのです。ブーツですよ、ブーツ。まだ和服や髷がほとんどだった時代で、率先して外国のファッションを身に着けている。ちょっと、アンタ武士になりたかったんじゃないの?しかもバリバリの剣士に思われていますけど、鳥羽伏見の戦いでやっぱ刀じゃ鉄砲に勝てないと分かるとみるみるうちに鉄砲を使う洋式軍隊の戦術を会得。鳥羽伏見の戦いのたった半年後の宇都宮城攻防戦では洋式の新政府軍を撃退しています。函館戦争時、歳三さんの野戦指揮官としての能力は、間違いなく日本一でしたよ。しかもその函館の反明治政府の独立国は選挙で代表を選ぶ明治政府より近代的な民主主義国家でした。ん?アンタたち元江戸幕府の集まりじゃなかったの?旧政権の集まりが、新政権より民主主義な組織になるって、訳が分かりません。 そして大政奉還からたった5年後には江戸で汽車が開通します。そう、たった5年前まではバリバリの江戸時代。時代は文明開化へと舵を切ります。そんな政治、文化、思想、すべてが劇的に変わる革命がほとんど血を見ることなく(粛清の嵐は吹かなかったし、江戸城も無血開城。市街地が戦場になったのは会津若松と函館くらいです)終わり、日本は急速に近代化への道を歩むのです。 そう、幕末とは、全国を巻き込んだ壮大な「お祭り」だったのです。ええじゃないか、ええじゃないか。突然全国でええじゃないか踊りが大ブームになったのも、幕末維新が「お祭り騒ぎ」だったことの証左ではなかったかなと思います。

noname#205122
質問者

お礼

 ご丁寧なご回答ありがとうございました。やはり「わけわからん」ですか?、そうですよね。しかし、そうはいいながらも、なんとなく分かるような気がしているのです。(未熟者ですが)  そのように思う心の正体を知りたいのです。  ご回答の内容は、今後勉強していく上参考になると思います。考えてみます。

関連するQ&A

  • 江戸時代の幕末~明治維新ごろ

    江戸時代の幕末~明治維新ごろ に活躍した人物を教えてください!><

  • 幕末~明治維新を外人に説明するには?

    こんにちは。幕末~明治維新を大まかに外人に英語にして説明する際に、どういったニュアンスで翻訳すべきかで悩んでいます。 -幕末~明治維新の簡単な説明- ・日本は長らく国王の任命する連邦政府が運営していたが、連邦政府の弱体化に伴い国王派の勢力が増してきた。 ・徳川幕府率いる旧連邦政府軍と国王派の新政府軍による戦いの後、連邦政府は崩壊し、国王派が勝利した。この革命を明治維新といい、日本は明治時代という王国時代へと突入した。 日本語にするとなんだか変ですが・・・ 英訳する前の日本語としてもっと良い言い回しはありませんでしょうか?

  • 幕末・明治維新のイメージ

    幕末・明治維新とはどんなイメージがありますか? また、日本にとってこの時代の持つ意味とはなんだと思いますか?

  • 明治維新前後の時代

    明治維新という出来事があったから「明治時代」と言うようになったのか(もしそれなら明治維新中は江戸時代にならないですか) 幕府を倒したその瞬間から「明治」という時代を言うようになったのか 混乱しています

  • 江戸時代と明治維新時代

    すみませんですけど、昨日の質問がいい加減です。 江戸時代と明治維新時代の区別が、例えば、江戸時代の将軍さまが社会の最高権力者、明治維新時代社会の最高権力者が天皇さまです。それから、まだ何か重要な区別ありますか? どうも

  • 明治維新

    明治維新後は、薩長の天下でしたが、 この天下は、いつ頃まで続いたのでしょうか? 私が読んだ本では、明治35年でも、まだ、 薩長が力を持っていた、、、とありましたが、、。 となると、大正時代、そして、昭和の初期でも、まだまだ、 薩長の天下だったのでしょうか?

  • 江戸時代、幕末と明治維新の変わる苗字を国民の全員が

    江戸時代、幕末と明治維新の変わる苗字を国民の全員が持つときに当時の人たちは自分たちの出身藩が分かる名字を嫌ったのは自分の出身地が他人にバレるのが嫌だった可能性が高いということですがなぜ出身地の藩がバレると都合が悪かったのでしょうか?何か出生地がバレるとデメリットがあったのですか?

  • 明治維新

    幕末から明治維新に活躍した人物について調べたいと思っています。 大久保利通か板垣退助のことが詳しく書かれている本がありましたらご紹介ください。できればネットよりも本がいいです。

  • 幕末~明治維新時期の大名家

    江戸開府以来、大・大名だった加賀・前田家や仙台・伊達家は幕末から明治維新の時期に全くと言って良いほど、その動向や活動を聞くことがありません。 特に伊達家は本家ではなく宇和島の伊達家が幕末に活躍しています。 本来、大名家の中でも大規模な両家が幕末期に何の影響力を果たさなかった(発揮しなかった)理由みたいなものはあるのでしょうか?

  • 生死を分けたもの(幕末・維新)

    小説などを読んでいますと、幕末・維新期(ペリー来航から西南戦争までとします。)には、数多くの、しかも有能な人物が、登場し、活躍しています。 その中には、見解は異なるかも知れませんが、生きていれば、明治政府の中で、活躍したであろう、あるいはもっと活躍して欲しかったにもかかわらず、道半ばで、志を奪われた有能な人物が多くいます。例えば、刑死をした(吉田松陰、江藤新平、島義勇など……)、暗殺された(井伊直弼、坂本龍馬、中岡慎太郎、大村益次郎など……)、戦死をした(西郷隆盛、久坂玄瑞、河井継之助など……)人物です。 一方で、上手く立ち回って???、生き延びた人物も多くいます。例えば、敗軍の将であったにもかかわらず生き残った(徳川慶喜、松平容保、榎本武揚など……)や幕府方であったにもかかわらず生き残った(勝海舟、福沢諭吉など……)、明治政府の中で活躍した(岩倉具視、木戸孝允、大隈重信、板垣退助、大久保利通、伊藤博文、山県有朋、井上馨、西郷従道など……)人物です。 まだまだ、沢山あげられると思いますが、歴史の知識に乏しいので、思い浮かびません。 ふと、疑問に思ったのは、幕末・維新という動乱の時代、「この人物たちの生死を分けたものは一体何だったのだろうか???」という疑問です。もちろん「運」もあったと思いますが、「運が良かった」だけではないように思いました。 もちろん、人物ごとに、立場や性格など、多様すぎるほどに多様だったと思いますので、ひとくくりにして、「こうだ、ああだ」ということにはならないと思いますので、断片的なものでも構いません……いくつかのご回答が得られれば、自分なりに集約して方向が見いだせるかも……とも期待していますし、今後「幕末・維新」に関する小説を読むのに役立つのではないかと姑息なことも考えて、質問させていただいた次第です。特定の人物に注目したものや2人の人物を比較したもの(例えば大隈重信と江藤新平など)でも構いません。歴史に詳しい方、関心を持たれている方のご意見を伺いたいと思い、投稿させていただきました。 「ご意見・お考えを伺いたい」という趣旨ですので、BAは選ばないで締め切ります。それでもよろしければ、忌憚のないご意見・お考えをお寄せいただければ幸いです。