• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:豊富秀吉以前の天下は統一されていないのか?)

豊臣秀吉以前の天下統一とは?

このQ&Aのポイント
  • 戦国時代の前には平氏政権・鎌倉幕府・室町幕府などが日本を支配していましたが、豊臣秀吉が史上初めて天下統一を成し遂げました。
  • しかし、それ以前の政権は天下統一ができていなかったため、幕府を開くことができました。
  • 鎌倉幕府などは一定の勢力を持っていましたが、天下統一とは言い難い状況であり、豊臣秀吉が初めて本格的な統一を達成しました。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.3

戦国末期までは荘園制の名残が残っており、其の地域は他の支配を拒否していました。 「加茂川の流れと賽の目と山法師は意のままにならぬ」と白河法皇の言葉が残っている通りに、当時から寺社の勢力を抑える事は出来ませんでした。 そして武家も独立勢力となり武家の事は武家で決めると幕府を樹立しました。 つまり大きく分けて、日本には公家・武家・寺社の勢力が入り乱れていたのです。 そしてその荘園支配に一番最初に乗り出したのが今川義元です。 つまり戦国期になって初めて、実力者が力で支配する形が登場したのです。 それを信長が「天下布武」で完成させて、寺社勢力も抑え、それを秀吉が全国に徹底したのです。 刀狩がその象徴で、あらゆる勢力も武力を持つ事を禁じたので、武力を所有できるのは武家だけと、これで決まりました。 これにて天下一統が成りました。

tapa
質問者

お礼

なるほど。寺社の支配圏について、というのは考えが及びませんでした。 そして他の流れも分かりやすかったです。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (13)

回答No.4

もちろんしてました 日本で最初に天下統一をなしたのは大和朝廷です その後源頼朝が征夷大将軍になり これも全国統一です しかし統一体制が崩れたのが「応仁の乱」です それまでひとつの勢力に統一されていた日本は応仁の乱で完全に崩れます その後 新たな秩序を求めて天下統一に乗り出したのが信長と秀吉と家康です ですから 秩序崩壊後の「天下統一」をはじめて成し遂げ 近代史の礎を気づいた最初の人物は豊臣秀吉といえるでしょう

tapa
質問者

お礼

うーむ……。 大和朝廷が天下統一をしていたとなると、なぜ「豊臣秀吉は初めて天下統一をした」と言われるようになったのでしょう。 しかも質問文にも描きましたが、鎌倉幕府は、当時東北で事実上独立していた奥州藤原氏も倒していますし、分割された天下の再統一ということでしたら、鎌倉幕府もやってのけています。 もっとも、当時は戦国時代ほどバラバラな世の中ではありませんでしたので、同列に語ることは出来ないのかもしれませんが……。 まあともかく、ご回答ありがとうございました。

noname#189913
noname#189913
回答No.2

そもそもどこまでの場所を天下というか、ということでしょうね。 蝦夷(今の北海道)にも人はいましたが、含まれていませんね。 日本という国の概念は、大和朝廷以前からあったようですが、その範囲は曖昧ですし。 やはり天下統一と言ったもん勝ちみたいなところでしょうか。 その時その時の、一番勢力が強いところが他の勢力を従わせればそれでひとつの勢力ということになるのでは ないのではないのでしょうか。 天下という言葉は、信長が天下布武といったのが最初という説もあるみたいですし。

tapa
質問者

お礼

>天下という言葉は、信長が天下布武といったのが最初という説もあるみたいですし。 これは初耳です。 ご回答ありがとうございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

なんとなく島国で日本という領域をそれぞれの時代で同じように認識していた。 という意味では、世界的に言えば日本の天下統一というのは、非常に特異な定義です。 同じ法律や税制の元で統一的に統治が行われる。 というのを天下統一と定義すると、西洋史では「国民国家の成立」というのが類似の概念になり、ドイツ・イタリアなどは19世紀後半(明治維新の頃)となります。 一度同盟に加わったら離脱禁止!という意味で国民国家を考えれば、南北戦争でアメリカの南部が別の国家になれなかったのも、国民国家の成立とも言えます。 秀吉によって各大名が石高制や武家官位でランキングされ、秤量(税制度)において京枡が統一的に使われたという意味では、秀吉によって天下統一されたとも言えます。 天下統一(≒全国的な統一的な統治)というのは、世界史的に見ても古代や近代において例外的に成立していることであって、古代と近代の間には個人的なつながりを基礎にした中世社会が存在します。 イギリスの国王が同時にフランスにおけるノルマンディー公爵である。 というのが、何ら違和感なく存在したのが中世です。 日本の中世も、暦が日本の東西で違ったり、関東で貫高制(後北条家)がありつつ関西で石高制が生まれているというようなそれぞれでバラバラというのがOKなのです。 鎌倉時代で言えば、将軍の部下である御家人ではない非御家人がたくさんおり、非御家人であるという理由で鎌倉幕府が非御家人を攻撃する・・・というのは無かった。 御家人もいれば、非御家人もいてOKというのが鎌倉時代。

tapa
質問者

お礼

西洋風の考え方に基づくと、明治以降が天下統一になるとは、驚きです。 それに、いろいろなものがバラバラで良いという中世の人の思考も、私ではなかなか理解が及びません。 やっぱり時代が違うと、人の思考も違って理解するのが難しいです。 まあともかく、ご回答ありがとうございました。 >秤量(税制度)において京枡が統一的に使われた とのことで、天下統一の定義について、納得がいきました。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう