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なぜ音楽や小説は時代に残るのに、漫画は残らない?
乱暴な質問で申し訳ないのですが、音楽は小説は作品によって何十年も残るものもあると思いますが、なぜ漫画はそうでないことが多いのでしょうか? たとえば現在のティーンエイジャーで70’sのロックが好きだとか、80’sのアイドル歌謡曲が好きだという人がいます。 また小説も、例えば100年以上も前の明治の文豪の作品が今も名著として読まれています。 それに比較すると漫画は、今の若者が昔の作品を読む、ということが少ないように思えます。先日も「手塚治虫を知らない若者が増えた」というニュース記事がありましたし、なんとなく音楽/小説と違って、漫画というのは時代に残らないような? その理由を簡単に考えたのですが、「技術の向上」が関係しているのかなと思いました。 例えば60年代の漫画と現在の漫画を比べたら、画力も表現力も雲泥の差です。また、コンピュータで絵を描く人が増えたため、ミスの少ない、全体的に均質な美しい絵になってます。なのでアナログの絵は若者にとっては「古臭くて見ていられない」ということとになるのかな?と思いました。 しかし音楽については、ギターやドラムという組み合わせに変化はありません。また小説は活字というツール自体が変化しません。つまり技術の進化が漫画より少ないです。だからいつまでも残る?と漠然と思いました。 以上は私見にすぎないのですが、皆さんは音楽/小説と、漫画の時代性についてどのようにお考えでしょうか? お気軽にご意見頂けましたら幸いです。
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- tosiro
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2つの理由を考えました。 ひとつめ。漫画は、使い捨ての文化だからです。 私個人としては、素晴らしい漫画はいつまでも読まれて欲しいと 思います。でも出版社がそう扱っていない。 小説は文庫本で昔の作品を買えます。でも漫画は買えません。 ふたつめ。漫画はいまだ文化として衰退していないからです。 小説やロック音楽、これらはジャンルとしては 全盛期を過ぎたのです。だから昔の作品が好まれるのです。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
個人的見解で申し訳ないですが、漫画は間違い無く人類と共に永劫に伝えられる存在だと思います。 全てが残る訳ではないでしょうが・・・。 手塚治虫を「知らない」若者が増えたと言う事ですが、太宰や芥川を「知る」若者が増えたのでしょうか? それこそ作品によってではないですか? 現在の読者人口は減る事は在るかもしれませんが、消える事は在り得ないでしょう。 それはかつての文学雑誌の興亡に見ることが出来るでしょう。 漫画は飽くまで一メディアです。 メディアで何を表現するかが大事であって、メディアそのものは増減はあっても消滅は中々ないでしょう。 まぁ、かつての紙芝居が漫画に取って代わられた様に漫画の地位を脅かすものが在れば、その座を渡すでしょうが。
>また小説も、例えば100年以上も前の明治の文豪の作品が今も名著として読まれています。 >それに比較すると漫画は、今の若者が昔の作品を読む、ということが少ないように思えます。先日も「手塚治虫を知らない若者が増えた」というニュース記事がありましたし、なんとなく音楽/小説と違って、漫画というのは時代に残らないような? そんなことはないと思います。明治の文豪の作品が「名著」とされたように、手塚治虫の作品群も「名著」であることは疑いを挟めない事実です。ただ、そのような印象があるのは、明治の文豪の作品群が学校で教科書に採用されたりして非常にポピュラーになっていて、どこの地方の図書館でも、あるいはネットでも簡単に読めるということがあって知名度が落ちないからです。明治の文学作品がすべてポピュラーになっているかといえばそうではないでしょうが、漫画であれば、少なくとも手塚作品はいずれ全国の図書館に置かれるようになると思います。 ただ、過去の漫画作品すべてがそうなるとは思いません。厳しい選択の手が入って、忘れられるものも多いでしょう。 >例えば60年代の漫画と現在の漫画を比べたら、画力も表現力も雲泥の差です。 そういったことは否定できないと思いますが、そういった技術の変転、向上は他の芸術すべて、文学においても見られます。過去の古典作品はそういったものを越えていいものはいいということで残っているのです。西欧のクラシック音楽も今に残る作品以外にも膨大な作品、作家が忘れ去られています。文学も、マンガもそうなると思います。
- mshr1962
- ベストアンサー率39% (7417/18945)
漫画はかなり前からあったとはいえ、今の日本の漫画文化はせいぜい100年程の歴史です。 つまり音楽や小説に比べればまだまだ若い文化です。 子供向けの古いのだと「のらくろ(1931年)」「冒険ダン吉(1933年)」「タンクタンクロー(1936年)」辺りでしょうか? また、1955年の「悪書追放運動」なんかも漫画文化の発展を妨げた出来事ですね。 自分としてはR指定のような年齢制限かけるなら、小説やドラマにも必要なものは多い気がするけど なぜ対象が漫画と映画だけなのかが不思議です。 まあ、子供のころから漫画やアニメに慣れ親しんだ世代が多くなり、 昔の絶版本が電子書籍の形であっても復刻が増えてきています。 時代に残る漫画というのも、これから増えるのだと思いますよ。
- 安房 与太郎(@bilda)
- ベストアンサー率27% (228/822)
` 不滅の条件 ~ プルースト or ジョイス ~ . 音楽を聴覚、美術を視覚とすると、文学は知覚に属します。 文学は、もとは口承で、文字や活字によって、久しく君臨しました。 一に独白、二に対話、三に韻文、四に散文だったのです。 . かつて、ベートーヴェンの後継者を自認する二人の作曲家がいました。 古典派のブラームスは“絶対芸術”を保守し、ロマン派のワグナーは オペラを歌劇から楽劇に拡大し、のちの“総合芸術”映画が継承します。 . 二十世紀に言語学が“記号論”をとなえ、多くの研究者を集めました。 かたやグラフィック・デザインの業界で“視覚言語 Visual Language” という概念が提唱されましたが、定着しませんでした。 . 漫画やアニメは、複雑な技法を用いた“総合芸術”のようにみえても、 音楽における周期律、美術における遠近法、文学における叙情性とは、 いまひとつ相容れないようです。商業的で、余りに現代的なために。 : …… 歌舞伎座へ行く。中央区の老人招待で、「新薄雪物語」。染五郎 勘九郎 梅枝 松緑 菊之助 多分この芝居は、俺は初めてだ。はじめ のうちは筋がごたごたして詰まらないと思っていたが、最後に父親二人 が腹を切るところへきて、これは大変な芝居だと気が付いた。「寺子屋」 は親が忠義のために子供を犠牲にする芝居だが、これは父親が子供への 愛情のために二人も犠牲になる。それももとは無実の罪のためだが、真 犯人を見つけるとか謎解きのような話はなく、純然たる日本的人情の話 で、日本的価値の原点に迫る。── 小金 芳弘の日記(20130904) http://www.geocities.jp/ryuryuiso/Brog/brog.html ` …… 五感が固有の感銘を与える可能性については合理的な証拠がない。 http://q.hatena.ne.jp/1345767405#a1164153(No. ) 五次元と第六感 ~ どこかで誰かが知っている ~ . …… 嗅覚;Xざわり、Y覚;気ざわり(気障)、Z覚;頭ざわり。 http://okwave.jp/qa/q7592964.html(20120716 04:47) 五感と語感 ~ どこまで言って委員会 ~ .
- auagcu00
- ベストアンサー率37% (166/447)
興味深い質問ですね。 他の方の回答とあわせて楽しく読ましていただきました。 以下他の方の回答と内容が重複するところもあるかもしれませんが、いくつか感想を述べさせてもらいたいと思います。 >たとえば現在のティーンエイジャーで70’sのロックが好きだとか、80’sのアイドル歌謡曲が好きだという人がいます。 80’sのアイドル歌謡曲についてはなんとも言えませんが、70’sのロックが好きというティーンエイジャーについてはその殆どが自らがバンド演奏を趣味としているというのではないかと思います。つまり演奏を趣味にしているからこそ現代のポップミュージックのルーツにも興味を持つというわけで、演奏を趣味にしていない人はたいして昔の名作に興味をしめしていないのではないかと。 例えばマンガを書く若者であればきっと「白土が…」とか「つげが…」とか言ってる筈でしょう。それが目立たないのは音楽演奏とマンガ製作の趣味人口の差がある為ではないかと思われます。 >また小説も、例えば100年以上も前の明治の文豪の作品が今も名著として読まれています。 書店では昔の名作マンガ文庫の方が明治の文豪より売り場スペースを占めていると思います。 現代の作家の小説が平積みでどどーんと、名作マンガ文庫が棚のぞろっと、明治の文豪は棚にちょろっと、といった具合ではないでしょうか。 >その理由を簡単に考えたのですが、「技術の向上」が関係しているのかなと思いました。 おもしろい着目点ですね。昔はマンガはこども向け、粗製乱造でもとにかくたくさん書き続けなければならない。現代は大人もマンガは読む、クォリティの高いものではれば読者側は二ヶ月に1回の掲載スペースでもじっと待つ。そういった事情も見逃せないのではないでしょうか。 小説は仰るとおりテクノロジーの進歩の影響を今のところ受けていなさそうですね。そういう点では同じ時代に書かれた小説とマンガが同じように普遍的なテーマを持った優れた作品であっても、一方は現代に通じる作品として認められ、一方は歴史的資料ぐらいの価値しか与えられないということもありえるかもしれませんね。
- srxmk3pro
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既出回答にあるように、いいものは古典として残ると思いますが、全般的には残りづらいと思います。 その理由は、小説に比べ、漫画はイメージが固定される比率が高いからだと思います。 込めるテーマの深さ、ストーリー性では、漫画が小説にフォーマットとして劣るとは思いませんが、漫画の場合、絵があることで、主人公の容姿や舞台の情景のイメージが固定されてしまいます。それに対し違和感を感じる世代が増えると、廃れていくのでは? 自分が経験した時代なら補正が効くのですが、世代が変わり、知らない世代にはむずかしいと思います。 小説でも、時代背景など陳腐化するのは変わりませんが、文字情報であるため、読み手が補正しやすいのではないでしょうか?
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
その時代の事が書かれているので結構残っていますが管理がされていない感じですね。小説も多く出ていて、生き残っている作品も多いです。 現在、マンガなども学問として研究はされていますよ。 音楽は楽譜などがあれば、誰でも楽しめますがマンガや小説はそれが難しいし。しかし小説は読んだ人の想像の中の世界でドラマやアニメなどにすることが可能ですが、マンガはすでに物語り、映像と共に完成している状態です。その為に自由度が少ないですし、同人誌とかでも絵が描けるという技術も必要に成りますから。幅広くとなれば音楽ということになりますね。 マンガでも手塚治虫などマンガの歴史を変えてきた人作品がありますので、それは残っていって居ます。 それとギャグマンガ関係はその時代に流行った物、社会現象なども入るので、古い作品はなんで面白いのかという解説が必要に成りますが。
- born1960
- ベストアンサー率27% (1223/4397)
映画も比較的残りませんね。 マンガや映画のように見るものってダメなのかもしれません。 その中でも本当の名作、たとえば0年以上前に作られた「風と共に去りぬ」は70年後も観られ続けるとは思います。 文学も音楽もその情景を想像する楽しみがあるので残っていくのでしょう。 ただし、音楽も結局はクラシックのような歌詞のないものが残るのかもしれません。 現時点で流行ってるマンガはそれこそ50年後には読まれないでしょうが、手塚治虫や石森章太郎、藤子不二雄などのマンガは「古典」として残る気がしますが。 結論で言えば、本当にいいものは絶対に残るということです。