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靖国神社について知りたい中国人の質問
- 靖国神社と一般神社の違いについて知りたい
- 戦没者を神としてまつっている理由について知りたい
- 靖国神社を参拝する人の気持ちと願い事について知りたい
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靖国神社についてご説明する前に、古代から続いた日本人の神様というものに対する考え方をご説明させて下さい。 大よそ六つ位に分けて考えられた方が宜しいかと思います。 (1)風水害や地震、疫病の蔓延など人智を超えた災害は神の怒りの現れて考えました。 この怒りを鎮めるための儀式を執り行いなした。 これが、最も古い考えに基づいた風習です。 やがて、事前に供物を供えて礼拝するようになりました。 この考え方が進展して、礼拝することにより恵みがもたらされると考えるようになりました。 春になると、田畑の豊作を願い田の神を迎える儀式を行い、収穫が終わると神をお送りする儀式を行う、という風習は現在でも行われている地方があります。 同様に、豊漁をもたらす神や養蚕を司る神など色々な神が考えられるようになりました。 これ等の神が地上に降り立つための物、依代(よりしろ)というものが考えられました。 巨木や巨岩がこの依代であるとして大切されました。 現在でも、御神木とよばれる巨木が神社の境内に祀られていたり、山間部の巨岩にしめ縄を張ったりして大切にしています。 又、巨木の代わりに御柱とよばれる長い材木を山から切り出して里へ立てるお祭りもお行われています。 小高い丘や島そのものに神が住んでいるとされ御神体と称して祀りました。 有名なのが、瀬戸内海にある厳島神社です、現在でも観光地として多くの人々が訪れています。 (2)古事記と呼ばれる書籍に書かれた神話上の神様がいます。 ギリシャ神話とよく似た形態で、多数の神々が人間とともに暮らしている情景が描かれています。 この神話は古事記系のものと出雲系のものと二通りあります。 この神話に描かれた、具体的な神を個別に祀る神社が現在でも多数存在していて大切にされています。 古事記系の神の中の一人が天皇の始祖とされています。 (3)古事記や出雲の神話に含まれていない神もいます。 大陸や半島からの渡来系の神ではないかと考えられています。 主なものとして八幡神、熊野神、稲荷神などがあり、現在でも全国に沢山の神社があります。 (4)日本人は、元々は、人は死ねば地底にある黄泉の国へ行くだけ、と漠然と考え、深くは考えてはいませんでした。 仏教が伝来した影響もあり、人は死後に神となるという考え方が広まりました。 村落の人々が死ぬと、個々の霊は、祖霊と呼ばれる一体化した神格となり、村落を取り巻く山に住んでいて、里人の平安を守護していると考えました。 儒教のように個別の神格(魂魄)ではありません。 この考え方と(1)に記した豊穣をもたらす神との概念が混然となっていて、意識上明確な区分はありません。 田の神は祖霊であると考えてもあながち間違いではありません。 (5)仏教の天と呼ばれる神の中から、祝福をもたらす神として六人の神が選ばれこれに日本人が考えた神を一人加えて七福神として大切にしています。 又、水に関する水神や竜神も考えられていて、この七福神の一人である弁財天は、弁天様と呼ばれ芸能の神様であるとともに水辺の神様としても大切にされています。 猫神社などと猫のための神社もあります。 (6)著名な人を死んだのちに神として祀った神社もあります。 最も有名なのが、菅原道真という人物を天神様として祀った神社で、天満宮あるいは○○天神などと地名を付けて呼ばれます。その他に、豊臣秀吉を豊国大明神として祀った豊国神社や徳川家康を東照大権として祀った東照宮、乃木希典を祀った乃木神社、東郷平八郎を祀った東郷神社もあります。 このように、日本には無数の神がいて八百万神(よいよろずの神)と呼ばれます。 (1)~(6)の考え方が混然一体となって運営され崇拝されています 八百は700、800、900という具体的な数ではなく「多い」ということを意味します。 江戸八百八町(えどはっぴゃくやちょう)とか大阪八百八橋というのは、江戸には町名が多い、大阪には橋が多いという意味です 八百屋は野菜を売る店のことです。 万も数字ではなくこれも多いという意味です。 雑貨屋を万屋(よろずや)と呼んでいました。多くの種類の品物を売っている店という意味です。 八百万神の中には福の神だけではなく、貧乏神や死神もチャントいます。 日本の神を判り難くしているのは、数が多いだけではなく、9世紀ごろに生まれた本地垂迹説に基づいた神仏混淆という考え方があります。 本地垂迹というのは、日本の古来の神は、仏教の仏が姿を変えて日本に現れたのだという考え方です。 一人一人の神に具体的仏教の仏を一人一人当てはめました。 この区分すらも取り除いた修験道と呼ばれる特殊なものもあります。 明治政府が寺院と神社を峻別した際に、どちらともつかずついに解散してしまいました。 第二時世界大戦終了後復活しましたが、伝統儀式の詳細が判らずに苦労しているようです。 このような考え方は、海外では到底受け入れませんが、日本人には何の抵抗感もありません。 海外のあらゆる文化を、何の抵抗もなく貪欲に吸収して、全て日本風に変えてしまう、日本人の真骨頂です。 儒教の解釈も中国や韓国と日本とでは大きく違います。 靖国神社についてはWikipediaに詳細な説明がされています。 靖国神社 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/靖国神社 お読み頂ければ判りますように、上記(1)~(6)の概念には当てはまらない極めて特異な考え方で作られて神社です。 しかも、創立当初とは異なる祭神を、時の政府や軍人の都合で次から次へと加えられています。 都度つじつま合わせの議論を重ねた結果、正確に理解をしている国民は極めて稀です。 靖国神社の境内外で祭りが行われるということもありません。 庶民の生活からは完全に切り離された神社です。
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- customar
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願い事でしたね。願い事をする参拝者もいるでしょう。いずれにしてもそこにいる魂に語るわけです。外国なら写真に語りかける行為と同じです。写真もあるが写真だけではなく神社として神格化する文化があるのです。 私の場合は霊に対して御礼と謝罪ですね。公共のために個人の命を失った人(先祖)がいたわけです。家系図上、血がつながっていなくても、日本人は家族だという気持ちになれるのです。忘れた財布が無事に届くのも、他人同士が裸で同じ風呂に入るのも、治安がいいのも、家族だという気持ちがあるからです。そんな国は世界に一ヶ国だけじゃないですか。国家という日本語がそうですが、その家族的な倫理観を壊して日本を弱体化させようとするのが非国民なわけです。その家族性を悪用するのが右翼国粋主義です。国家という役人や思想団体の奴隷になるのが日本人の心ではない。財布が届いたり、同情したり、つまり他人として拒絶しない部分のある不思議な安心感が、日本人の道徳心です。 政治家や作家が美しい日本とか日本の品格とか中身も真心もない説教をして愚民が喜んでいるが、全く下衆です。感性のない嘘つきどもです。美しい日本とか品格とか、そんなんじゃなくて、訳もなく気をゆるせて、ただ優しいものが日本の心です。
- customar
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いろんな知識を付け加えることのない、素直な靖国神社のイメージとは、「同期の桜」でしかない。同期の桜の精悍な精神を具現化した神社です。 いろんな神社があるんです。氏神とか。神社とはその程度のものでありそれだから価値があるのです。ポコチン神社みたいのもあるだろ。変な神社はたくさんあるから(笑)探してみるといい。 靖国神社を作れる歴史のある国だったという時代的な建造物なんですが、神社の凄さは、生き続ける在り方にあります。史跡とか孔子廟とかではないのです。難しい神道論理は仏教に負けないための後付けであり、神道理論は神社成立の必要条件ではありません。神社は、生き物の一つ、古い樹木を大切にするような日本人の気持ちに根付いているのです。イデオロギーの方はただのやり過ぎなんです。カリスマ化や統治機関でもないのです。物も人も何かもを大切に想う気持ちに始まり、八百万の即物的な精神(概念)のうちからそれを実際の建物にしようという試みがなされたのが神社です。
- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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こんばんは。靖国には偶に参拝してます、叔父の為に。 豊穣祈願の神社と違うところは、 畏・怖、恐れ。皆様仰るように、祟りを懼れて祀ったのが古来から。 実際それは、自然災害や疫病の猛威を鎮める祈願として始まったのでしょう。 その対象が人にもなったのは、政治権力闘争や戦乱の敗者の祟りを、現実にも実感したから。 菅原道真や平将門などの事です。 戦没者を祀るのは、その伝統でしょうが、明治以降の靖国=招魂社は、 敵を祀らなかった。戊辰戦争の会津藩士や西南戦争の西郷隆盛らです。 ですから特殊です。 只の反政府を朝敵扱いにして、近代国家強兵策を採った、山県有朋らの軍閥の意向です。人事権は内務省、運営は陸海軍省が仕切ってました。Wikiでお確かめ下さい。 しかし近代国では国軍兵士を政府が慰霊する施設は普通の事ですね。 それが戦前では神社だっただけです。欧州の教会には宗教戦争の戦没者も祀られてると思います。 しかし第二次大戦までは、軍人軍属等の戦没者を祀ることになってたのに、 第二次大戦後は、戦後まで生き残った軍人まで祀るようになった。さらに特殊です。 これが間違いの元だと思います。 戦後まで生きて死刑に為った東条大臣らの合祀が公表されてからは、天皇陛下も参られなくなった。戦前の合祀祭には天皇が祭主として出席されたので、権威も有ったのです。 真珠湾攻撃の司令官;山本五十六が靖国に祀られてても文句言う国は無いでしょう? 戦中に亡くなってるからです。 戦犯だから悪いのではない。「極東軍事裁判」の正当性には、欧米でも疑問が出ました(Wiki参照)。 1945年8月8日に英仏米ソが調印した{国際軍事裁判所憲章}という、戦時中には無かった法律に基づいて裁いてます。事後法です。 その中の{人道に対する罪}は、南京事件には適用されてません。主に{平和に対する罪}と「殺人」で罪とされました。 でも関東軍の石原莞爾は戦犯には為らなかった、戦時中に東条をボロクソに貶してたからと言われてる。 かように一方的なのが東京裁判なのです。 この事は人民共和国ではあまり知られてないでしょう。可能なら周知して欲しい処です。 しかし一方、戦後日本政府は、東京裁判とサンフランシスコ講和条約のJudgementを受け入れました。 すると戦犯の事も受け入れたと言う事です。それが敗戦という事ですね。認めないなら条約を破棄すれば良いのにしない。 最近の政治家は敗戦を軽く受けとめ過ぎですね。 敗戦責任を取って自害した軍人や大臣に対して、見識が甘すぎます。 私見ですが、東条英機は靖国神社から移して、東条神社を創建するべきだと思います。一番祟りが恐い人だから、古来の神社に相応しいと思う。 そうすれば東条遺族も皇室も御納得するのでは? Chinaの人もそれなら靖国を問題としないでしょう? 私も遺族です、母方の叔父二名ニ柱が祀られてます。 家族には女姉妹しか残らなかった。彼女達皆が他家に嫁ぐと、家と墓を相続して守る者が居なくなってます。私の母も他家に嫁ですから姓が叔父の家とは違います。 そのような遺族は多いでしょう。男は死にました。 二十歳で国のために亡くなった若者、その墓は私が死んだら参る者が居なくなる。 すると靖国神社しか無いのです。 今のままなら他の神社に移して貰っても良いのですが、いずれにしても、公的な慰霊の施設は必要です。 威張ってた上官を悪く思う元兵士は大勢居ます、神社で一緒にはされたくないかも。 でも殆どの下級兵士・戦没者は餓死したり悲惨な死を遂げてます。 そのおかげで生き残り、戦後の繁栄を謳歌するだけでは、申し訳が立ちません。 戦没者は相反する色々な思いを持ってるでしょう。一つには決め付けられない。 我々生き残った者は、その色んな思いを、本当の意味で戦没者の願いを思いやるべきと考えます。 忘れずに考える為にお参りします。 私も隣国人とは仲良くしたいですよ。
- daidou
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こんばんは。 他国の方がここまで日本人の精神性を理解されようとなさっている事に感銘しました。 我々日本人も見習うべきと、襟を正す思いです。 さて、ご質問の靖国神社の件ですが、これは一般的な神道による物ではないと考えて良いでしょう。 本来的な神道で祀られる神様は「天津神」と「国津神」、つまり古事記や日本書紀に現れる神様たちと「貴人」です。 「天津神」の代表が天照大神で神社は伊勢神宮。 「国津神」の代表が大国主尊で神社は出雲大社。 「貴人」というのは、神様の血を引いた貴族、代表は「天皇」でしょうね。 「貴人」に限っては、死後神格化され、神社で祀られてきました。 応神天皇(天津神の子孫)を祀った八幡神社 菅原道真公(国津神の子孫)を祀った天満宮などがそれに当たります。 本来的な神道では「庶民」が死後に神格化される事はありません。 ただ、日本には古くから祖霊信仰、簡単に言えば「亡くなったご先祖様が見守ってくれている」という考え方があります。 (日本以外でもよく似た考え方をする文化は数多いようですね) 特に大きな功績を残して亡くなったご先祖様に対しては、その功績にあやかろうという思いも重なり、神様と同じように、ある種の信仰を集める事もあります。 宗教未満の民間信仰レベルでの神格化ですね。 そのため境内に「祖霊社」という参拝施設を設けている神社も数多くあります。 また、戦没者や大きな災害で亡くなった人々を慰霊するための慰霊施設(多くの場合は慰霊碑ですね) これには同様な被害者を出したくない、という思いも重なるものです。 靖国神社の成り立ちについては、他の回答者が詳しく述べているようです。 「国家の為に犠牲になったのは大きな功績であり、祀られるべきである。」という強引かつ独善的なこじつけではありますが、そこに犠牲者が眠り、祀られ、慰霊されている事に変わりはありません。 現代において、靖国神社は一種の慰霊施設であり祖霊社であると解釈するのが一番理解しやすいと思います。
- PENPENMAKKY
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まず普通の神社と違うのは靖国神社は独立宗教法人です。普通の神社のほとんどが神社本庁に属しているのに対して靖国神社はそれ単体の神社です。 そもそもは軍隊の祭壇です 戦争で戦死された兵士の家族に対して『靖国神社に行けば神として祀られているから会えるよ』という話です 宗教的意味があって神にしたのではなく、戦争で家族を奪われた人に対して『息子さんは神になられたんだよ』と、納得してもらう為に生まれた考えです。 中国だって人民英雄纪念碑というのが存在します。それと同じです。 その兵士が英雄なのかどうかは関係ありません。国家の為に戦死した兵士した者は英雄なのです。
- michael-m
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神という語句は「人智を超えた存在」というのが中国から伝わった意味です。 また自然の物象全てに神が宿るというのが日本の信仰の基礎です。 なので神道の神には自然に存在するもの、現象、そして先祖も神となります。 その先祖神として祀っている代表が源氏の祖霊である「八幡信仰(はちまんしんこう)です。 やがて特異な現象と人とを結び付けて「神」としました。いわゆる「御霊信仰(ごりょうしんこう)」です。 この考えからは恨みを持つ人の魂も神としました。菅原の道実や新田義貞、新田義興、平将門等がそうです。これを「怨霊信仰(おんりょうしんこう)」といいます。恨みの神は鎮め抑えるために神社を建てました。そしてその強い霊力にすがろうとして祭りました。 御霊信仰はやがて偉業を成した人を祀るようになりました。ちょうど中国の関帝のようなものですね。 私は年に何回か横浜の関帝廟を詣でます。商売等ではなく、大体が太極拳の上達と身護りを願うためです。 コレには数多くの神社があります。人を祀っている神社の多くがこれですね。 東京周辺には二宮尊徳を祀る神社、江戸の国学者の平田篤胤を祀る神社などあります。 江戸時代徳川幕府は寺を重用しました。コレに反発した長州や薩摩は天皇を掲げて神道国家に戻すことを掲げて暴動(維新)を起こしました。明治時代になり、新政府は維新に携わった政府側の兵士を神として祀ろうと考え「東京招魂社」を造りました。仏教なら回向のための寺院を作るのですが、神道国家を目指したので神社(招魂社)となったわけです。 神道では人は死ねば神になりますが、それは仏教の仏壇や位牌を神社に変えただけです。名前の下に「大人(うし)」や「刀自(とじ)」とつけて神号とします。戒名の「居士」のようなものですね。特に偉業をなしたものなどは、国や神道の身分の偉い人から神号を頂きます。 靖国神社は東京招魂社から後に改められた物ですから「慰霊堂」と考えれば特別な物ではありません。本来そこに祀られているのは明治維新の英霊(政府側の戦死者)です。 やがて軍部の勢力が強くなると靖国神社を神道国家の中枢と位置づけ、国家神道へと変貌していきます。 東條は生前から「合祀は洗浄における戦没者に限るべし」と主張していましたが軍部は兵士以外の人物も合祀するようになっていきました。なぜなら東條の主張では国内の軍部指導者は合祀の対象にならないからです。 東條家は神道の家系でしたが、拘置中に浄土真宗に帰依し神道を捨てました。しかし最終的に合祀されたのはご存知の通りです。 ようするに靖国神社は普通の神道慰霊施設であり、別段特別な存在ではありません。主祭神として過去の神がいないことは特異ですが、それは招魂社だからです。神社に併設されている招魂社にも基本的に主祭神はないか、最も古い先祖になります。 靖国神社は単立神社といって「私立」の神社です。日本では「神社本庁」に属している神社、その他の神道団体に属している神社、その他にどこにも属していない単立神社があります。日本には国営の宗教施設はありませんので、いずれも私立の団体です。
- ポ ンプ(@8h6a3l2)
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靖国神社は一般人を神とした神社です。 明治時代に新興宗教団体が明治維新から昭和にかけて軍人として戦没した方々を奉る神社です。 あくまでも新興宗教が私的に建てた神社なので神社としては格下になり、お参りし神にお祈りする場所とは違います。 ただ奉られているのは日本人だけでは無く在日朝鮮中華その他の方々も含まれています。 よって終戦記念日や盆と正月にお参りするのは、神社にお参りする意味とは異なり墓にお参りするという意味になるので、隣国であんなに騒ぐ意味が私には理解できません。 政治家が靖国神社を参拝するのは先の大戦で召集礼状や学徒召集などで一般人までも兵士として戦地に向かわせた戦時中政治家の様には成らないと戒める意味で参拝していますが、中国の皆さんは戦争犯罪者を奉り崇めていると勘違いされているので、歴史認識の格差に開きがあり過ぎて呆れるしかありません。
- tatata-0000
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一般人である戦没者を顕彰し敬愛し続けるということは、日本以外でも記念堂とか共同墓地といった形式で普通に行われていますね。そして、日本では、少なくとも戦争終結までの時代は、そのように顕彰すべき人を記念する組織なり建物なりを、「神社」という形式で運営するというのがいちばんしっくりきていたという背景があると思います。 神社にまつられている神は、別に神話の世界の神々だけでなく、業績のあった実在の天皇のほか、天皇のためにつくした人(楠木正成など)、国家において顕著な業績のあった人(徳川家康など)もいます。その対象となるのは、別に名前がある人に限るわけでも、単独の人物に限るわけでもありません。たとえば、ある地域で大きな災害が発生しそうになったとき、○○町の少年5人が手分けしてその災害の拡大を防ぐための措置を取り、多くの人命が救われたが、少年たちは残念ながら命を落としたみたいなことが起きたとしましょう。こういうとき、むかしの日本では、町の人たちの間から自然発生的に、「5人の少年のために神社を建てよう」みたいな話が出てきて、最終的に「○○五少年神社」みたいなものができることがあったわけです。 靖国神社は、これを国家的な規模で行ったものです。現代の政教分離の考え方からは、この「神社という形式をつかって顕彰する」こと自体がまさしくボタンの掛け違いだったわけですが、当時はこのこと自体が強く疑問視する考え方は少なかったと言えるし、神社という形式にしておいた方が国民を従わせやすいという計算もあったかもしれません。いま、国が、戦没者慰霊顕彰のための施設を作るとしたら、「神社」という形式を取ることはできないし、しないです。だからこそ、「無宗教の慰霊施設を作るべきだ」という意見が自民党の実力者などからも出てきているわけですが、それはある意味靖国の存在価値をなくす、少なくとも大きく減殺することにつながるので、保守派内からは強く反対されています。 靖国神社を参拝する人の気持ちは人それぞれですので何とも言えません。お正月の初詣で明治神宮に行っている若者たちや、修学旅行で日光東照宮を見学する小学生は、別に「明治天皇は偉い人だった」とか「徳川家康を称えよう」といったことにいちいち感銘してお参りしているわけではないです。宗教的意味合いの中に大きな価値があると考えられる伊勢神宮や出雲大社への参拝にだって、話題になっている今年などは、「観光」という側面以外にはあまり興味がない人がたくさん行っています。 ただ、靖国神社は、前の質問のときにも書いたように、特殊な経緯があって、色眼鏡で見ざるを得ない状況にあるので、単なる名所観光やレクリエーションとして訪れる人の数に比して、信念に基づいて参拝する人の割合が多くなるとは思います。その人たちも、別に「東条が偉かった」とか「大東亜戦争万歳」とか思っている人ばかりでなく、「純粋に国のためにたおれた人を思いいまの自分に感謝する」人や、「実際に自分の先祖が戦没者で靖国にまつられている」人も多いはずです。 ちなみに、「神様という肩書き」の話ですが、戦争終結までは、政府の機関である内務省の部局が、「戦没者」に該当する人物の一覧を定期的にとりまとめ、それを靖国神社側に通知し、靖国神社がそれを受けてお祀りすべき人であると認定した上で合祀するという手続きを取っていました。
- NemurinekoNya
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こんばんはです。 戦争などで非業の死を遂げた者は悪霊になるという考えが、日本人にはあるのよ。 悪霊になり、人間に祟(たた)ったりしないためには、 「おまつり」をして、霊を慰めなければならない。 ───ほら、 映画「もののけ姫」の冒頭で登場した巨大猪(いのしし)を神さまとしてまつっていたでしょう。 こうした死者に対する恐れが、日本人には、ある!! ─── で、明治維新前後に戦死した人をまつったのが、今の靖国神社の前身。 中国に、 《魂魄》という思想があるでしょう。 《魂魄》の《魄》は、死後地上に残り、妖怪などのオバケ・ghostや、殭屍(キョンシー)になったりする。 これの日本版だと思ってくださいな。 日本には、こうした死者の《タタリ》を封じるための神社は数多くあるのよ。 太宰府天満宮などがその代表的な例。 中国の元が日本に攻め込んできた《元寇》で戦死したモンゴルや、中国、朝鮮の兵だって、 当時の日本人は、お墓を作り、まつっている。 当時の日本人からすれば憎き敵兵も、 死んじゃえば、同じ霊だと、 おまつりする。 どんな極悪人でも、供養する。 そういう国民性なのですよ、日本人は。 ───────── たたり【祟り】 1 神仏や怨霊(おんりょう)などによって災厄をこうむること。罰(ばち)・科(とが)・障りと同義的に用いられることもある。「山の神の―」 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/136862/m0u/ ───────── 《たたり》は【祟り】と書くんですよ、日本では。 死者に祟(たた)られないために、《崇》拝しないといけないんですよ、 日本では。 ということで。
- kanstar
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神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。 神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。さらに、国家や郷土のために尽くした偉人や、子孫の行く末を見守る祖先の御霊も、神として祀られました。奈良時代にできた『古事記』『日本書紀』には、多くの神々の系譜や物語が収められています。 なので、神様には、上も下もありません。神様は平等です。 普通の人間には、住む家があるように、神様には住む家があります。つまり、それが神社であり、明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦没した軍人らが神様になり、その神様の家として存在するのが、「靖国神社」です。 なので、「靖国神社」以外の神社の神様が、例えば隕石とか、火とか、雷とか色々あります。
お礼
No.8さんのお礼欄をお借りしてまとめてお礼させていただきます。短い時間ですが、たくさんの真摯なるご回答をいただきまして誠にありがとうございました。どれも非常に参考になりました。まだよくわからないのですが、少しずつ理解していきたいと思います。最近、靖国神社についてのNHKスペシャル番組を見ました。そのなかで国家神道という概念に触れました。これについてももう少し勉強させていただきます。