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日本は学力偏重ではないでしょうか

多くの批判を覚悟で質問いたします。 表記に関して、学生時代には気がつかなかったのですが、社会に出てとくに企業に入ってから強く感じました。 学力が高いこと自体はもとろんいいことなのですが、日本を代表する高学歴の人でも学力(いわゆる学校の試験)以外がとても弱いように思われます。例えば、挨拶やマナー、人とのコミュニケーション、いい人間関係を作るなどたくさんあります。社会に出ると学力以外の要素がたくさん求められますので、子供たちに学力以外のことももっと学ばなけれないけないと教える社会を望むのですが。 いかがでしょうか。教えてください。

noname#186407
noname#186407

みんなの回答

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.8

厳密に言えば、学歴=学力ではないですね。 私立で幼稚園、小学校から大学まで一貫した学校などは、受験して大学に入った生徒と比べると、エスカレーターで大学まで来た生徒とは、学力は大きく差が出ます。 日本で重視されるのは、どちらかというとこの学歴です。 まず企業が選抜をする際に、単純に数回の面接でその人を判断することは難しいので、学歴で判断します。なぜ重視されるかというと、一つは偏差値の高い大学に入っている人は、それなりの学力と、それなりの背景を持っていることがわかるからです。 大学受験で入ったのであれば、そのための学力や努力をしてきたと判断できます。 またエスカレーター式に上ってきたのであれば、それなりにちゃんとした家庭で育っているということも何となく判断できます。 また、企業内には学閥というものが存在し、自分たちと同様の学校風土で育ってきた人間に親近感を持ちますし、多くの企業では、なんとなくこの大学のこの部からは何名とかいう感覚があります。 特にゆとり教育などで学力自体が全体的に低下したり、不況で採用人数を絞らなければならないという場合は、ますますこの傾向は強まります。 挨拶、マナーに関しては、社会に出てから鍛えるというのが昔からの感覚です。人間関係やコミュニケーションなどの判断などは、まさにこの自分たちがいた場所出身ならば安心、という感覚でとらえているので、学歴重視となります。 学校をちゃんと出ている、ということは、そこの風土になじんでいる、規則を守れている、ということが前提になりますので、学校という型にちゃんとはまっているかを企業側は求めています。 自分たちの風土にちゃんとなじんで、型にはまれるか、というのが重視されます。 そして、現実問題、どこの大学で、どこの企業で、というレールに乗ることが、安定した生活を送るうえでは欠かせないということが常識となっている以上は、学歴重視は変わりようがありません。 >子供たちに学力以外のことももっと学ばなけれないけないと教える社会 これは個人的にはまったく賛同します。 ただ、組織に入る以上は、型通りできるか、逸脱しないかが重要です。創造性というのは、社会規範とは対立する発想でもあるので、ここに教育のジレンマがあります。

noname#186407
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私のミス(Gooシステム)で返答が遅れました。申し訳ございません。 さて、koiprinさんのご指摘はそのとおりだと思います。 私はあえて”学力偏重”に疑問を呈したのですが、ご指摘の中にある”学歴重視”についてもよく分かります。 ただ、ご回答にある「組織に入る以上は型通りできるか逸脱しないかが重要です」については、”ものづくり”で成功した高度経済成長時代には必要でしたが、アジアの低開発国に技術の一般化が進んだ現在では疑問ですね。そのことについてもkoiprinさんもおっしゃってるジレンマですね。 ありがとうございました。 お礼申し上げます。

  • jhonxx
  • ベストアンサー率45% (51/112)
回答No.7

 人間の能力は、(1)知識、(2)思考力、(3)論理性、(4)創造力、(5)コミュニケーション能力、(6)営業力、(7)意欲、(8)体力、(9)協調性などさまざまです。「生きる力」、「聴く力」など、「○○の力」と表現すれば、すべて能力に含まれるでしょう。  接客や営業関係の仕事では、(1)知識、(5)コミュニケーション能力、(9)協調性が必要でしょう。  従来の日本の学校は、(1)知識、(7)意欲、(9)協調性を重視する傾向がありました  最近、コミュニケーション能力、接客の仕方、表現方法、化粧の仕方、挨拶の仕方などの訓練をする大学もあります。  学力は、(1)知識、(2)思考力、(3)論理性、(4)創造力などを意味しますが、日本の教育が(1)に偏重する傾向がありました。北欧などでは、(2)思考力、(3)論理性、(4)創造力などを重視し、小中学生に多くの本を読ませて、レポートを書かせることをしているようです。北欧、スイス、ドイツなどでは、高校を卒業した者は皆、3か国語を話せ、知的レベルが高い。    学力以外のことも重要ですが、それらの多くは、家庭や地域で身につけるべきものも多いでしょう。日本では、家庭と地域の教育機能が極めて低い。挨拶やマナーは、本来、家庭で教えるべきことでしょう。しかし、日本では、高校で就職活動の一環として、挨拶やマナーの訓練をしています。  学校で学ぶ学力については、その中身が問題です。  

noname#186407
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 日本の企業の中では役員,部長などが社員に「もっと頑張れ、勉強しろ」と叱咤激励してますが、言ってる本人達が業績を上げるために何を頑張ればよいか分からないのですね。結果として課題を投げられた人事教育部門が資格試験などを推奨することになります。そうするとまた知識習得だけになります。 高度経済成長時代にはそれでもよかったのでしょう。しかし世界的(とくに非先進国)に技術の一般化が浸透すると日本企業の優位性は失われていきましたね。 学校などでも知識一本やりではなく、やはり考える力(創造力)、加えて社会のニーズに目をむけ情報収集する能力などの教育が必須で、それを理解実践するための人間性が必要だと感じているのですが。 ありがとうございました。

  • hikaricom
  • ベストアンサー率25% (195/772)
回答No.6

私なりの意見を一つ申し上げます。 今の偏差値及び画一的な教育のシステムがもちろん人の能力や頭脳の良し悪しを測る事などは不可能です。 ましてや、学校による教育が子供に与える負の影響は確かに存在すると思われます。 所謂、成績の良い子、優等生、高学歴の中には、勿論、目を見張るような才能を発揮する人たちがいます。と同時に有名な大学を首席で卒業した人たちでさえ、周りの予想に反して、さほど才能を発揮することもなく平凡に暮らす人もある訳です。 しかし、これは逆もまた真なりで、全く学歴など無縁という人が、企業して何十店舗ものお店を抱える有能な経営者もたくさん居られる訳ですね。 学歴があろうが、なかろうが、人間性豊かな人もあれば、まったく人望のない人もあるわけですが、ただ「高学歴だけれど人望がない」という人たちに限っては、とかく非難の的に立たされ易いということはあるかもしれません。これに追記するならば、今の偏差値制度は、単にテストに出るものを記憶する勉強を助長させていることは確かだと思います。人間性を伴った教育方法を模索する一方で、丸暗記や点を取る解答のコツを覚える方法に終始せざる得ない現場は否めません。 こういった学力テストに伴った入試の在り方も見直される方向にはあるかとは思いますが、これらの問題は当面教育界の根本的な課題の一つです。 ですから、高学歴であろうと人間的に、欠落した人が居てもそれは驚くに値するものではありません。 私が知る中で、是非ご推薦したい本があります。これは、勉強の方法を明確に指導する上で礎になる本だと確信します。「学び方がわかる本」という外国の教育学者が書いた本で、子供用に書かれています。しかし、これを勉強を始める子供の時分から身につけているかどうかで、人生は大きく変わるのではないかという感想を持ちました。 是非、読まれてみては如何でしょう。

noname#186407
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご回答いただいた様々な事例はそのとおりですね。 視野の広いお考えに安心いたしました。 因みに、私の疑問は学歴偏重ではなく学力偏重です。最近は学歴偏重が是正されてきていますが、学力偏重の人はとくに大企業には多いです。これは明治以来の官僚などが推し進めた”欧米に追いつき追い越せ”の政策の影響がまだ続いているのだと思います。その意味で日本は欧米にまだまだ追いついていないと感じています。 ありがとうございます。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11792)
回答No.5

社会人として求められるスキルには、「テクニカル・スキル」と「ヒューマン・スキル」があります。 前者は、分析や計算、暗記など物事を覚えて何かを物理的にこなす時に必要な能力です。 後者は、それらをベースに、自分の言いたいことを企画・提案・主張したり、相手の言っていることを自分なりに考えてコミュニケーションをしたり、言い分を聞いたり・・・要するに人との交渉や折衝、社内外でのコミュニケーションをする時に必要な能力です。 学力が高いというのは一般的に前者に長けていることを指しますが、これだけでは社会人としてはやっていけません。 よく東大生が、入社試験や資料作りはバッチリなのに、仕事上で折衝したりコミュニケートする場面では使い物にならないことがあるのはそういうことです。 大事なのは、両方のバランスです。 仰るように学力偏重は否めませんが、採用する側としては「ひとつの目安」として、学力がよければとりあえず“うちの会社のレベルとしては問題ない”と踏んでいる節があります。 それが一番分かりやすいからということも大きいです。 小中学校でもそうですが、試験でいい点を取れば=頭がいいと思いますからね。 そういう考えがそのまま会社においても当てはまっているということです。 ですが、それだけでは見抜けないところに限界があります。 試験がよくて、面接でもうまく切り抜ける術を知っている人は合格しますからね。 そういう人が入社後に使えるかどうかは、また別問題です。

noname#186407
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね、実態を客観的に把握されていることがよく分かります。 これから子供の教育をする親御さんたちの多くにそのような考えを望みたいものです。 ”大事なのは、両方のバランスです”は全くそのとおりですね。 安心いたしました。 感謝します。

noname#185665
noname#185665
回答No.4

挨拶マナー、礼儀常識類は 社会人になってからでも身につきますが 学校の勉強だけは学生のときしか(時間がたっぷり取れるという意味で)できません。 人とのコミュニケーション能力はとても大事ですが しょせん 学生のときの 社会は 家庭友達学校のみです。 狭い世界の中で それを磨くには限界があります。 例えが悪いのですが、盲導犬は 大人になるまで 盲導犬のお仕事に必要な訓練はいっさいせず ひたすら可愛がられ人間との信頼関係を結ぶために遊んでばかりしています。 それがあるからこそ 盲導犬のお仕事ができるとのこと。 人間も 仕事に必要なスキルは 社会人になってから、、、学生のうちは しっかり学力を身に着けることが結局は社会に出てからの根っこの部分 力の基礎になると思います。 もちろん弊害もあります。学力さえよければそれでいいんだ的になると失敗です。 難しいですよね、、、 ちなみに日本は学歴社会ではないと思います。 韓国に比べて大学卒の比率は小さく また 大学卒は多いのですが 大学院卒はとても少ない ほんとうの学歴は 大学院を出てこそ言える言葉だと思います。 大学院を出なくても それなりのところに就職できる日本 そんなに学歴社会だとは思いませんが、、、 私がその年齢のときに 「大学はお金で時間を買うところ」と言われていました。 入学までが必死で勉強して 入学したら遊んでばかりいる学生が多かったから だと思いますが、、 今の子どもたちを見ると 学校に塾に習い事に そして 虐めの問題は他人事ではなく、、、クラスで平和に過ごすという難しい舵取りをしながら、 その上 コミュニケーションが大事だからとか能力を鍛えるためのノウハウまで要求するのは かわいそうな気がします。 単純に 「勉強ガンバれ! 今しかできないぞ」とか 昔の先生が言ってただけでいいような、、、 今の時代 ほんとうに複雑で、、、 もっと 単純に単純にならないのかな、、と思います。 長くなってすみません。 家庭で躾け(マナー礼儀 コミュニケーション能力) 学校では 勉強!(つまりは学歴社会肯定ってことですが) 極論ですが、、すみません。

noname#186407
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 最後に”極論ですが、すみません”と書かれていますが、そんなことはありません。 一生懸命に率直に回答していただいていることが伝わってきます。 そして職場のいろいろな局面でご苦労されているのが分かります。 因みに、私の疑問は学歴偏重ではなく学力偏重です。大学や大学院を出てなくとも学力偏重の人は少なくないように思います。また、企業の上層部には学業成績(学力が高い)だけで彼は優秀だと決め付ける人も少なくないですね。 いろんな勉強になりました。感謝します。

回答No.3

子供たちは学力をつける事を優先して良いと思います。 その後、卒業して商人になったらビジネスマナーをまなび、大工になったら家の作り方を学び、パイロットになったら飛行機の操縦を学び、自衛官になったら銃の使い方を学べばよい。 自衛官にならない子供が銃の使い方を学ぶ必要はないし、パイロットにならない事どもに引き高機の操縦を教えるってのも無駄な気がするのです。 私は民間企業ですが、最近、大学を卒業して入社してきた(元)子供たちは、学力が落ちており、入社後にも大学で学べるような基礎学問を教える研修の必要が出てきました。 最近の子供たちは、”コミュ力”とか言って表面的な人間関係を円滑にする術を重視する様ですが、チョットした論文を書かせてみるとまるで高卒の様なレベルの論文を書いてきますのでガッカリですね。 >日本は学力偏重ではないでしょうか 日本以外の事をそれほどよく知っている訳ではないのですが、インドのITの会社に仕事をアウトソースしていると、このインドの会社の社員は若手でも誰でも基礎学力が高いですよ。 ITに関しては、日本よりもインドが学力偏重で成功していると考えられます。 建築学は外人を使う事が少ないので日本の子供の学力が海外とくれべてどの程度か断言できませんが、安心できないですね。

noname#186407
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 職場でのご苦労がよく分かります。 確かに若い人は”表面的な術”をよく勉強してますね。 私も経験があります。春の就職企業訪問してきた学生に分からないことがあったら質問してくださいと聞いたら、”あなたの会社にはどんな問題点がありますか?”と聞いてきました。 驚きましたが、多分ハウツー本にそのように質問しなさいと書いてあったのだと思いました。 礼儀やマナーはもちろん人に質問する時の基本も分からないのですね。 ただ、私もIT分野でインドと交流していますが、インドは理数系の学力が高いだけでなく人間としての基礎教育も合わせてできていますね。その意味では偏重ではないと思うのですが。 いろいろと勉強になりました。お礼申し上げます。

  • deltaufp
  • ベストアンサー率39% (136/341)
回答No.2

こと企業の人事に関しては出来る限りコストを安く、かつ優秀であろう人材を雇う必要がありますので、手軽に人を測る手段として学力は重要なのではないでしょうか。学力を判断する上ではやはり、学歴を見るのが一番早いでしょう。優秀な学校のビリでも底辺の学校のトップよりははるかにマシでしょうし。 しかし、このようなことはあくまでも企業に関してだけであってほしいと僕は思います。TVのニュースなんかを見ていると「日本の学力順位が・・・」とか「○○県学力テスト○位」とか学力学力って気にし過ぎだと思います。人の優劣って学力で決まるものじゃないでしょう?それ以前に、こんなことで優劣をつけるということ自体、なんだかなぁと思います。取り上げるマスコミもマスコミでしょうね。 近年では企業も変化しつつあり、学力を重視はしつつも人として力、人間力を求めつつあると聞きます。たとえば、学力はあってもコミュ症だと不採用とか、目上に敬意を払える人、打たれ強い人などが学力だけで勝負する人を押しのけて就職しているそうです。これからは、学力もさることながら人間力を見られる時代になりそうですよ。学力こそ全て!という時代は終焉を迎えつつあります。

noname#186407
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 まったく異論はございません。 私の質問も”学力は不要”といいたいのではなく、”学力さえあれば”と考える子供たちに他の勉強も大切にと思っていたからです。 最後の”学力こそ全て!という時代は終焉を迎えつつあります”にとても安心しました。 お礼申し上げます。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.1

 確率論として、学力が高い方がいろいろな技術を吸収しやすいことは確か。高学歴で立派な人もいるし、低学歴故バカで救いようのない人もここにはたくさんいる。学力以外を教えるのは、親と地域。しかない。所詮、しがらみがハズレだっただけの話。  学力以外でそのヒトを数値的や、物理的に測るものはあるだろうか?何も指針がなしで「がんばります」と言えば企業は信じて採用し、ハズレを引いたことを恨まない世の中が、はたして建設的かどうかは大いに疑問だ。

noname#186407
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご指摘内容はそのとおりでしょうね。 「そのヒトを数値的や、物理的に測るものはあるだろうか?」→採用などでは論文、面接などもありますが、所詮短時間で決めるのでなかなか難しいですね。 これから社会に出る子供たちに少しでも広い視野をと願います。 感謝します。

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