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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:誤用になった言葉?)

誤用になった言葉?敬語の変化とは

y0OilIo1lmの回答

回答No.3

>「申された」 「申す」は非常に守備範囲の広い言葉で、その一つに「言う」の丁寧語としての用法があります。「田中先生がこう申されました」(大辞林)(広辞苑にも「言う」の丁寧語としての説明がありますが例文がぱっとしませんので省略) >「参る」 「参る」も同じように意味の広い言葉で、その一つに「行く」の丁寧語としての用法があります。「駅までご一緒に参りましょう」(大辞林) 広辞苑では「一般的に重々しい口調で言う時にも使う」となっていて、例として「御一緒に参ります」(広辞苑第4版) >あと、「申し訳ございません」「とんでもございません」など、以前なら問題なく使えた言葉も、最近は誤用とされるようになりました。 「申し訳ございません」 「申し訳」は名詞で「言い訳」とか「弁解」という意味。 「申し訳ない」は形容詞で相手にすまない気持ちで詫びる時に使う言葉。「迷惑をかけて申し訳ない」(大辞林) 「ない」の丁寧語は「ございません」 「申し訳ございません」は「申し訳ありません」を丁寧に言った言葉。 「とんでもございません」 若干ニュアンスの異なった方面で使われる場合がありますが、その一つに相手の言うことを強く否定する時に使う語。「景気がよさそうだな」に対して「とんでもない、赤字で困っている」。 「ない」の丁寧語は「ございません」 ざっと以上になりまして、おっしゃる通り、むしろ最近の若い人の言葉遣いのほうが乱れて来ているのではないでしょうか?お読みになった本がどのような人が書かれた、どのような本か知りませんが、参考文献とか根拠とか、そういったものを明示していますでしょうか? なお記者会見の席上で最近良く耳にする言葉に「考えてございません」というのがあります。「ございません」は「ございます」の否定で、「ございます」は動詞「ござる」に助動詞「ます」が付いた「ござります」の転化したもので「ある」(補助動詞を含む)の丁寧語ですので文法的には「考えてありません」ということであり、自分には違和感のある言葉に感じられます。この場合の「ある」は補助動詞ですが同じ補助動詞の「いる」を使って「考えていません」あるいは「考えておりません(丁寧語)」と言った方が自然です。 過剰敬語に関しては国語審議会 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_bunka/kokugo_index/toushin/attach/1325330.htm でも少し書かれていますが、いわゆる慇懃無礼にならないように気をつける必要があるとは思います。使う場所と相手が問題だということで仮に過剰敬語になったとしても相手に不快感を与えないのであれば別にそれで良いのではないでしょうか? 国語審議会の諸文献はいろいろためになりますのでご参考にされるといいとおもいます。(かく言う自分自身全て読んでいるわけではないですが)

kikuorieda
質問者

お礼

素晴らしいご回答ありがとうございます。 「参る」「申す」は、辞書で丁寧語としての意味を持つと書いてあるのに、何故言語学者なのかも分からないような方がお書きになった本や、マナー講師を自称する方のサイトでは誤用とされているのか不思議に思っておりました。 広辞苑の例文にも書いてあるのでしたら間違いありませんね。 その他のご説明もとても分かりやすかったです。

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