- ベストアンサー
子供への愛情とは?親はいつから子供を可愛いと思えるのか
- 先々月、第一子となる娘を出産したが、自分の子供が可愛く思えず、困惑している。
- 娘を預けている親類や夫は、その反応を信じられないと言い、育児放棄や虐待を疑われている。
- 周囲の言葉や子育てに対する概念に翻弄され、自分には母性がないのではないかと思っている。一体、母性とは何なのか、何かきっかけが必要なのか悩んでいる。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
出産おめでとうございます。 以前の質問に回答させていただいたかと思いますが、無事に出産されたようで良かったです。 母性って何でしょうねぇ。 質問者さまがこの状況に悩んでいらっしゃるということは、おそらく質問者さまの中にも「こんな感じのものかな?」という漠然とした理想的な母性のイメージを何となく持っているのでは? それと今の自分があまり一致していないので、それで苦しくなっているのかなぁなんて思いましたけど。 赤ちゃんを食べちゃいたいくらい可愛くて、離れると心配で寂しくて、泣いていても一生懸命お世話している・・・みたいなイメージとか? そういう人は確かにいると思いますが、でもそんな人は稀だと思いますよ。 >産んだ途端に(人によっては妊娠中から)わが子が可愛い!!と思える、何かスイッチのようなものが入っているお母さんたちを、逆に私は凄いと思うのです。 私もそう思います。 正直言うと、こんなの私には無理です(笑)、というか無理でした。 私も出産後は、ただただ責任感と義務感で赤ちゃんを育ててました。 自分に母性的なものを感じないまま、赤ちゃんに対する愛情とかがわからないまま、ただ必死にお世話してただけでしたよ。 なので私も「人間的にどこかおかしいのかも?」って思いながら育児してましたね。 こんなのは私だけかと思っていたんですが、私よりも数ヶ月早くに出産した友人が、全く同じことを言っていたんですよ。 「生まれてからの数カ月間は赤ちゃんが可愛いなんて思えなかった」って。 私より優しくてしっかりものの友人ですらこんなことを思っていたんだと知ったら、ちょっと気が楽になりました。 私だけじゃなかったんだって。 ちなみに私の場合ですが、育児に少し余裕ができた3ヶ月過ぎたあたりにふと、「・・・可愛いなぁ」って、頭ではなくて心から感じた瞬間がありました。 何をしていたわけでもなく、寝っ転がっていた赤ちゃんを見ていてそう感じたんですけどね。 その時に、愛情とか母性とか、そんなのものがちょっと垣間見えたのがこの時だったのかなと。 とはいえ、その後はずっとそう感じていたかというとそうでもないし、イライラする事もあったり、投げ出したくなることもあったし、義務感や責任感のほうがまさっていたこともあるし、理想的な母性とはかけ離れてましたけどね。 でも今思うと、自分が母性を感じられないあの時間でも、本当は自分の中に母性って持っていたんだろうなって思います。 ただ自分の考えていたものとは違う形をしていたので、気が付かなかっただけの話でね。 義務感も責任感も、愛情や母性の一つの形だと思いました。 なので母性っていうのは本当にいろんな形を持っているので、ひとりひとりみんな違うと思いますよ。 一般的な母性のイメージと自分の姿が違っても、それはそれで問題ないと思いますけどね。 質問者さまも、今それだけ悩んでいるということは、その苦しさも赤ちゃんに対する愛情や母性なんだと思います。 どうでもいい事やどうでもいい人のためには、悩んだり苦しんだりはしないもの。 だから私は質問者さまは大丈夫だと思いますよ。 ただ時間が足りてないだけの話かなって思うんですけどね。 >世話をしないから愛着が沸かないのだと思い、 これは確かにあるかなとは思います。 一緒にいると大変で苦しいですけど、一緒にいれば相手のことを理解する時間も多いですからね。 相手を知ることは大事だと思います。 相手を知れば、傾向と対策も立てられますし。(人間相手なので、毎回上手くいくわけでもないのですけどね) 一緒にいる時間が少なければ、離れている時間も寂しいと感じることもないでしょう。それは当然の話。 何でもかんでも一緒にいればいいというものでもないのですが(たとえ我が子でも、ある程度の距離を取ることは必要と思っているので)、なるべくなら一緒にいる時間が多いほうが何かを感じとる機会も多いと思います。 でもこれも質問者さまのペースでいいと思いますよ。 今母性を感じられなくても、それは別段おかしなことでもないと思うので、ゆっくりやったらいいと思います。 焦りすぎですよ。まずは生まれた赤ちゃんに対する義務を果たしましょう。 心配しなくても気持ちは後からついて来ますから。 それがいつなのかは、個人差もあるしなんとも言えないんですけどね。 一緒にいる時間が解決してくれるかも。 以下は余計なお世話かと思いますが、赤ちゃんについて。 理由が思いつかないのに泣き止まないっていうのは、これはもう赤ちゃんの専売特許みたいなもので、そもそもが「そういう生き物」なんですよ。 先々月に誕生ってことは、今はちょうど急成長期なのかもしれませんね。 赤ちゃんって3に関係した時期に急激に成長すると言われているので、心と体の成長がすごくアンバランスになってしまうらしいですよ。 生後3週間・6週間・3ヶ月・6ヶ月・9ヶ月とか。 この状態って思春期と同じ状態で、わけもなくイライラしたり急に悲しくなったり寂しくなったりって、本人もコントロールつかないほど情緒不安定になるようです。 そういうものをギャーって泣いて発散する必要があるらしい。 だから何をどうしても泣き止んでくれないっていう状況が起こります。 思春期の子が運動したり、ものに当たり散らしたり、やたらと攻撃的になったりと同じ状況。 なので、一通り思いつくことをやってみて、それでも泣き止まないならただ純粋に泣くことが目的で泣いているのかも。 こういう場合は泣き止ませる必要はないので、本人が飽きるまで泣かせておいてもいいんですけどね。 最初から泣き止ませなくてもいいって思っていると、意外と気が楽だったりします。 でもその泣き声が、ママにとっては不快な周波数で発生するみたいですよね。 (そうやって早く自分のところに来てもらおうという) だから、質問者さまが感じる憎悪の気持ちっていうのもわかりますよ。不快なのは事実ですしね。 一緒にいる時間を増やしながら、そういうことにも慣れていけばいいのではないですかね? 得体のしれないものに対しての対応は難しいですから、まずは赤ちゃんというものを知るところからで充分だと思います。
その他の回答 (6)
- rubi-uru
- ベストアンサー率39% (18/46)
3で回答したものです。 回答した後、検討違いだっかな、と思って不安でしたが、参考になったので あれば、うれしいです。 せっかくなので、もうちょっと回答させてください。 私の母は、子どもをかわいいと思ったことがない人ですが、 それで特に悩んだこともないようです。 私も兄も、それなりに、愛情に飢えてはいましたが、程度の差こそあれ、 そんな人はたくさんいますし、悩みながら育ちはしましたが、今では2人とも 家庭を持って、幸せに暮らしています。 母は、50を過ぎてから、「この年になってやっと子ども産んでよかったと 思える。」と言っていて、60を過ぎて、孫が生まれ、「孫はかわいい。 よその子は全然かわいくないけど。」と言っていました。 そして、私に「あんたは楽しそうに子育てをしていてうらやましい」と 言っていました。 質問者さんも、まずは、安心していただきたいのですが、愛情を持てなくても、 お世話などすべきことはして、虐待などしてはいけないことをしなければ、 子どもはそれなりに育ちます。 私は、子どもに愛情を感じるには、ご自身の中の問題を解決する必要があると思います。 でも、もし、解決できなかったとしても、いずれ、時がたてば、子どもを産み、 育てたことを、本当によかったと感じることができると思います。 ご紹介した3冊は、愛情を持てなくても、ここだけは押さえた方がいい、ということが よくわかりますし、それをしっかりと理解して、子どもに接し続けることで、 愛情が湧いてくると思った本です。 子育て本は、多数ありますが、その中でも関心を持ったのが、3冊中2冊も被ったなんて、 本当に不思議ですね。 働きながら子育ては、ハードだと思いますが、どうかお体にはお気を付けください。 よく、子どもはママがハッピーならそれでいいと思っているのではないか、 と感じることがあります。
お礼
こんにちは。再度のコメントをありがとうございます。とても嬉しいです。見当違いだなんて、とんでもありません! 「私の母は、子どもをかわいいと思ったことがない人ですが、 それで特に悩んだこともないようです。」 回答者さまのお母様は非常に達観しておられますね。 逆に清清しいとさえ思えてしまいます。そして、非常に率直で正直な方だと思います。 お兄様も同様に愛情に飢えて、、、とのことですが、もしかして世の中にこういったご家庭は案外多いのでしょうか? 「質問者さんも、まずは、安心していただきたいのですが、愛情を持てなくても、 お世話などすべきことはして、虐待などしてはいけないことをしなければ、 子どもはそれなりに育ちます。」 「私は、子どもに愛情を感じるには、ご自身の中の問題を解決する必要があると思います。 でも、もし、解決できなかったとしても、いずれ、時がたてば、子どもを産み、 育てたことを、本当によかったと感じることができると思います」 胸に響きました。 とても心強いお言葉をありがとうございます。 実は、この先プロの方にカウンセリングなどをお願いしても、これらの本を読んでも、まだ解決できなかったら…?と不安になっておりました。 その「時が経つまで」、義務は義務としてきちんと果たして行くことが肝心ですね。 働きながら子育て…はい、両立はなかなか厳しいのではないかと思い、それも含めて遅くまで預かってくれる託児室を探すことにしました。それがもとで苛々してしまったら、それこそ「言ってはいけない一言」「やってはいけないこと」をしてしまいそうで。 ママがハッピーなら…子供って、優しいのですね。 重ね重ね、ありがとうございました。
- cana-choco
- ベストアンサー率45% (202/444)
こんにちは。cana-chocoと云います。 施設で保育士をしています。 そういうママさん、たくさんいますよ。 厳密に云えば、そういう家庭のお子さんをお預かりしています。 共通して云えることは、育った環境です。 ご自分の家庭は、どのようなおうちでしたか? 根本的な問題は、そこにあります。 また、心が疲れているママさんにとって、 赤ちゃんの泣き声は、とても不快に響きます。 それは、泣き声がそういうふうに出来ているからです。 妊娠~出産というのは、 ホルモンバランスも崩れるし、精神的に不安定になります。 しかも、生まれてきた赤ちゃんは、泣くばかりで、 笑わない、しゃべらない、意思疎通が出来ないので、 可愛いと思えないのも、無理はありません。 永遠にも思える数ヶ月をすごすと、後追いをするようになり、 次第に人見知りをして、自分の家族と他人を見分け、 愛着がしっかり結ばれると、今度は自分から外の世界へ出てゆきます。 この親子の愛着の部分が足りていない場合、 「人を信じられない」「誰といても、安心できない」 「こどもが可愛いと思えない」「自分は要らない人間と思う」など、 こころの不安定さが出てくるようになります。 妊娠前の精神状態も、出産後に大きく関わってきます。 「生みたい」と思う前にこどもが出来てしまったり、 まわりに押される形で、こころの準備が出来ないまま産むと、 当たり前のことですが、愛情が持ちにくくなります。 人を産むと云うことは、賭けであってはなりません。 愛情を持てるかどうかではなく、自立するまで育てる覚悟があるか否かです。 こどもは、大人の生活にあわせてくれません。 泣いたり、わめいたり、わがままを云ったり、困らせることもたくさんします。 もちろん、変えがたい喜びを教えてもくれますが、 20歳で自立するとは限りませんし、これから一生気にかけて生きていく。 そういう存在です。 そして、愛着関係というのは、平たく云えば 「わたしは、無条件で愛されている」「わたしは、生きていていいんだ」 と、自分を肯定する力を持てるように、手をかけて育てることです。 この「愛された安心感」は、 20歳になっても、50歳になっても、消えることがありません。 その反対に、「愛されなかった不安」もまた、消えることがないのです。 それだけ根強く、心に残ります。 育て方によっては、ひとを殺める大人にもなりえます。 だからこそ、子育ては怖いんです。 人を救うのも、殺すのも、心ひとつです。 すべては、こどもの心を育てることにかかっています。 可愛いと思えないことを、いけないことだと思うからいけないんです。 「泣いてばかりの時期なんだから、可愛いと思えなくても、今は仕方ない」 「とにかく今は、お世話をしてれば、大丈夫。抱っこすればいい」 と、まずは自分を肯定してあげること。 赤ちゃんが思い通りにならないから、憎しみが沸くんです。 赤ちゃんは、泣くのは当然。仕方のないこと。 そう認識するだけでも、だいぶちがいます。 そして、子育ては仕事と割り切る。 母親という、仕事を全うする。 そういう方法もあります。 愛情を持てなくても、生んだからには可愛がる。 愛していなくても、可愛がることは出来ます。 保育士というのも、そういう仕事です。 どんなお子さんでも、可愛がって愛おしんで育てる。 親のような愛がなくても、できることなんですよ。 大切なのは、虐待をしないこと。 これからのこどもとの生活が不安なのであれば、 そのための予防線は、自分でしっかり張っておきましょう。 児童相談所に相談しておく。 夜間も預けられる保育所を探しておく。 可愛いと思うことを目標にすると、思えない自分に苛立ち、 ますますこどもを可愛いと思えなくなります。 可愛いなんて思わなくてもいい、健やかに育てていけば良い。 そう割り切ることも、必要です。 そして、もしも虐待をしてしまいそうになったら、 里親さんに育ててもらうことも、頭に入れておきましょう。 こどもの安全のためには、こどもと離れることもまた『愛情』です。 そのときは、児童相談所に相談してください。 そしてもう一度、自分の育った家庭環境をふり返ってみましょう。 見えてくることがあるかもしれません。
お礼
cana-chocoさま、こんにちは。 ご回答をありがとうございます。 ご指摘の通りです。 私の育った環境も、やはり、一般的とは言い難いものでした。詳しくは差し控えますが、子供の頃から現在に至るまで、自分が両親から愛されている実感があったかと問われますと、それは否です。 私の母は生まれた孫を溺愛しており、今でこそ娘の「良いお祖母ちゃん」なのですが、私にとっては決して良い母親ではありませんでした。(不思議なことに、本人は、私のことを愛していたと思い込んでいるのですが…) 「可愛いなんて思わなくてもいい、健やかに育てていけば良い。 そう割り切ること」 「子育ては仕事と割り切る。 母親という、仕事を全うする。」 このお言葉がとても心に残りました。 子供を可愛いと思えたらどんなに幸せだろうと思います。 いつかそう思える時が来るといいな。 まずは目の前の義務を果たして行くことにします。 「離れることも愛情」 本当にそうですね。 やはり、いざという時のために夜間保育のできる施設の傍に引越しをしようと思います。幸いにも夫はそこのところを理解してくれており、保育園ではなく24時間受け入れ可能の託児施設を探してくれました。 また、児童相談所の連絡先は控えておこうと思いました。 保育士さんをなさっておいでとのこと、現場の方から具体的なアドバイスを頂けて、とても嬉しかったです。 ありがとうございました。
- s-utan
- ベストアンサー率31% (5/16)
こんにちは。 1歳半の息子と現在二人目妊娠中の25歳ママです。 母乳育児はしていないのですか? 産まれてすぐミルクに切り替えたのですか? 私も妊娠中は、母親になったという自覚は感じられませんでしたが、 おっぱいをあげていて自然と愛しいと思えました。 手放したくないし、自分の命に変わってもこの子を守っていくと。 意味もなく泣きイライラする事もありましたが、 なんで泣くの?とマイナスに考えるのではなく 母親を必要としている。今しかないと、ポジティブに考えてみてはいかがですか? 今あなたのご両親が協力して下さってるということは、あなたを思ってですよね? あなたは愛されて育ったのですよね? 同じように愛せませんか? 親の都合で元々子ども苦手だけど皆産んだら自分の子は、可愛いっていうし 私も作ろうかな~って軽い気持ちで出産したのですか? そこで産まれてきた子どもは、愛されず、会わなくても平気。自分の方が大切だから。 そんな親に育てられるなんて あまりにも可哀想すぎる。 きつい言い方かもしれませんが、 あなたが愛せなくても、母性がなくても あなた達が望んで誕生した命で、子どもは親を選べません。 あなたがどう愛情表現ができるかによって 子どもの表情や、性格が変わってきます。 無理に愛せとはいいませんが、 お子さんは、一人では生きていけません。 あなたを必要としていて、あなたが大好きなんですよ。 まだ目も見えない。話せなくても お腹の中にいた時に、お母さんの声を聞いていて、あなたに10か月間守られ誕生したのですから、 あなたの声もあなたの匂いも分かるのですよ。 お子さんの母親は、あなたしかいないのです。 今どんな事情で離れてるのかわかりませんが、 一緒に暮らせるのならば一緒にいてあげて下さい。 離れてるから、まだ母親としての自覚が... という可能性もありますので。 お子さんが意味もなく泣いたり、疲れていて 対応しきれない時は、誰かに頼る。 自分で頑張ろうと思うと、自分が疲れて お子さんの良いところも 見逃してしまいます。 手を抜きながら一緒に楽しんでみてはいかがですか? 少しずつでも愛情がでてくるはずです。
お礼
ご回答をありがとうございます。 母乳育児はしておりません。出産してすぐに断乳のための薬を服用しております。 「なんで泣くの?とマイナスに考えるのではなく 母親を必要としている。今しかないと、ポジティブに考えてみてはいかがですか?」 それが難しいのです。 どうしてもそう思うことができなかったのです。今しかない、と言うのは、母親のお乳を必要とする時期が今しかないという意味でしょうか? そうですね…長い一生のうちでこの時期だけですものね。 ただ、私にはそういうふうには思えなかったのです。 私の書き方が悪かったのかもしれませんが、育児に協力してくれているのは親類ではありますが両親ではありません。その辺が少し複雑なのですが、私自身は「両親に愛された」という記憶に乏しい人間です。 「手を抜きながら一緒に楽しんでみてはいかがですか?」 そうですね…。ただ、楽しむためにはまず、子供を好きにならないといけないというのがあると思います。 今、そのように思えないのです。回答者さまの仰られることは頭では理解しているつもりなのですが、気持ちが付いて行きません。命の尊さや、母親は私であり私しかいない、ということも理解しているつもりではいるのですが、情緒が追い付きません。 周囲に流されたとは言え、一応望んで誕生した命であるにも関わらず、です。そんな自分を不可解に思い、皆さんが強調される「母性」とは一体どのようなものなのだろうかと不思議に思った次第です。 妊娠中から、自分の「妊娠」という状況が辛くて、「病気との違いがよくわからない」と思っておりました。 10ヶ月経ち、お腹から生まれた子供を見ても、感動するわけでもなく、単に大きいなあとしか思えなかったのです。 やはり、逸脱していますよね。 ともかく、産んでしまったのだから義務を果たそうと思います。いつか愛せる日を夢見て。
- rubi-uru
- ベストアンサー率39% (18/46)
2児の母ですが、第1子出産後、しばらくは愛情を持てませんでした。 なんというか、いい母親を演じていた、というか、愛情があるような 演技をして、自分に言い聞かせていた気がします。 手放したくない、なんて、全然思っていませんでした。 ただ、泣かれるのが嫌で、ひたすら、おっぱいをくわえさせていました。 長男は6歳になりましたが、虐待したことはないし、今は、 可愛くて仕方なくなっています。 周りからも、のびのび育ってますね、と言われますね。 子どもを心からかわいいと思うには、自分を愛すること、自分のダメな 部分を可愛いと思うこと、自分の親との関係を解決すること (関係を良好にする、ということではありません。自分の中で、 解決した、と判断できればそれでいいんです。)が必要です。 でも、それができるまでには、時間がかかります。 質問文から、読書は苦手ではない方と思いました。 さしあたって、以下、3冊の本をお勧めします。 ・子どもの「泣く理由」がわかる本 ・子どもの話にどんな返事をしてますか? ・毒になる親 今、私は、あの、子どもが愛せないまま、世話をしていた時間が、 もったいなくて仕方ありません。 早く、愛情を感じられるようになると、いいですね。
お礼
的確なご回答をありがとうございます。 実は、御紹介いただいた本のうち2冊は、インターネットなどで検索した結果、辿り着いたタイトルでもあります。 私の抱える問題の解決に繋がる事例がその中にあるのではないかと思っておりましたが、他人様の目から見てもそのように映るのだと思い少し驚きました。 「ただ泣かれるのが嫌で」 とのことですが、そのあたりは全く同感です。 私も、うるさくされるのが嫌でせっせと世話をしています。 「今、私は、あの、子どもが愛せないまま、世話をしていた時間が、 もったいなくて仕方ありません。」 やはり、そうですよね。 私もそう思うのです。子供を愛することができたなら、今のこの時期、どんなにか幸せだっただろうかと。 回答者さまは6歳になられるお子様をのびのびと育てられ、今は愛情を感じていらっしゃるとのこと。私もそのようになりたいです。 御紹介いただいた本を、やはり購入して読んでみようと思います。 「早く、愛情を感じられるようになると、いいですね。」 はい、そう思います。 お優しいお言葉をありがとうございました。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
>そもそも、母性とは何なのでしょうか? 難しい質問ですね。 「自分を必要とされる存在に対して、自分に出来る精一杯の愛情を示す」行為を言うのでしょうか? ただ「母性がなくても子どもは育てられる」とは思います。 >世話をしないから愛着が沸かないのだと思い、ミルクやおむつの他にも、娘の傍に居る時は子守唄を歌ったり、数時間ずっと抱いてみたり、添い寝をしてみたり、服を選んでみたり… これが出来るのならば、最低ラインはクリアでしょう。 娘さんが「情動豊かになる」かどうかは、父親にかかってく訳です。 >夫婦で(と言っても夫は仕事が激務のため、私が)育てることになるので まったく帰宅しないのならば、そうでしょうが、休みもあれば、短時間の会う機会もあるのです。 「情動」部分は、父親に任せましょう。 >理由もなく(本人にとっては理由があるのかも知れませんが)数時間もぐずつかれると、憎悪の感情が芽生えます。 その時は、離れてください。トイレでも、家の外でもOKです。 虐待する母親は意外かもしれませんが、「自分が何とかしないと」との強い義務感から、間違った対応として虐待しています。 「対応できない」のならば、離れるのが一番いいのです。ただし「対応手段がわからない」と逃げてばかりでは、育児放棄になります。 >親類には、育児放棄するのではないか、虐待するのではないかと疑いの眼差しを向けられており、私も「絶対に大丈夫」とは言い切れず、困っております。 いいえ。大丈夫でしょう。あなたは自分が十分にわかっているのですから。 無理なときは「無理」と逃げてください。今のように、預けれるのならば、一時でも預けましょう。 >週の半分以上、娘と離れ離れだというのに、母親である私は寂しさや悲しさを全く感じないからです。 それは当たり前かと。あなたには「母親としての愛情」がまだ育っていないのですから。 「愛」は激しいものですが「情」はいつの間にか湧いてくるものです。 いつかは「母としての情」があなたにも、湧いてくるのでは? 私見です。
お礼
迅速かつ具体的なご回答をありがとうございます。 最低ラインはクリアしているとのお言葉に安心致しました。産んでしまったからには義務を全うしないといけない、と考えております。その一線だけは今後も突き崩すことのないように気を付けようと思います。 父親に「情動」部分を任せる…そのように致します。彼はおそらく私よりも娘を愛せるでしょうから。 激務と申しましたのは、自営業のため週に1度しか休日がなく、連休なども全く取れない状況ということです。 いつかは母親としての「情」も沸いてくる…そうだと良いのですが。 ありがとうございました。
だから私はもうここで何回も何回も「しっかりした覚悟がない人は産むな」と回答し続けています。子供に愛情を注げるかどうかわからないと言っているのに「産めば可愛いよ」など、ただ運がよかっただけの無責任な回答で背中を押すおバカさんがまぁ多いこと。可愛いと思えるか自信がない人間は、産んでも可愛いと思えない可能性が高いにも関わらず「産んで可愛くなかったらどうするんだ」という事が考えられない時点でもうぜんぜんダメ。 質問文からは引き取った後に精一杯努力するという意気込みが全く感じられません。しかし、ここに投稿したということは、自分でも何か変えなければいけない、どうにかしなければいけないと思い始めたからではないですか? 母性がなく子供に愛情を持てないという事実と、愛情を持てないから育児をしないという事は全くの別物です。愛情が持てなくても自分が選択し、出た結果に対しては人としてしっかりと責任をとるべきです。 自分に自信を持つ事、自己肯定感というのは、確固たる努力の上に確実な結果を残し始めて手に入るものです。努力する事すら放棄し、そしてそれを肯定しようとする愚かな人間は「自分にストレスをかけてはダメ」「自分に厳しいという事は美徳ではない」など凄まじい理屈をこね、現実から限りなく遠い所へ逃避しようとし、努力することなく自分を褒め、状況を何も変えることなく、無意味な自己肯定感を得ようとする。本当の意味での自己肯定感はそんなものでは手に入りません。 あなたがその類の愚かな人間であるなら、今日の夜からでもチラシの裏に自分を褒めて肯定するためだけの「褒め日記」を書くといいですよ。世界は何も変わらないけど、なけなしのみじめで、生き長らえるために最低限しかない自己中心的でちっぽけな自己肯定感を手に入れることができるでしょう。 だだし、もし、何かを変えたい、愛おしいと感じる事ができる心を取り戻したいと思う気持ちが少しでも残っているのなら、お子さんを引き取った後、できるだけ長い間一緒に過ごせるよう努力し、精一杯育ててあげてください。できなくて失敗するかもしれません、その時に初めて頼るべきところに頼ればいい。簡単な事ではないですよ、生きるということはそもそも死にたくなるくらい辛いものです。でも自分の中の何かを変えようとするのであればもうこれが最後のチャンスだと思いますよ。
お礼
丁寧なご回答をありがとうございます。 「愛情が持てなくても自分が選択し、出た結果に対しては人としてしっかりと責任をとるべきです。」 私もそのように思います。 産んでしまったものはもう、仕方がありません。時間を元に戻す事はできませんから。 だからこそ、いろいろと試みているのですが、私が愛情を持つことは永遠にできないのかもしれませんね。 「愛情を取り戻す」というお言葉を頂きましたが、もともと無かったものを「取り戻す」ことは恐らく難しいのではないかと思います。 私は回答者さまのように、確固たる自信を持ってもおりませんし、他者をばっさりと断罪できるほどの偉い人間ではありません。チラシの裏に「褒め日記」を書いて自分を慰めている方を突き放して見ることも出来兼ねます。それはそれで、おそらくその方なりに何かと必死に戦っている姿なのでしょうから。 おそらく私は回答者さまの基準で断罪するならば「愚かな人間」ということになりましょう。 そのような人間に貴重なお時間を割いてくださいまして、ありがとうございました。
お礼
こんにちは!またお会いできるとは…。 前回も親身なアドバイスをありがとうございました。お陰さまで無事に出産に至りました! hotkarin さまも、今の私と似たような状況の時期がおありだったのですね。なんだか安心致しました。 こういうことにも個人差があるということなのですね。 それならばいつか、私もこの子を可愛いと思えるかもしれないと希望が持てます。 可愛いと思いながら育児をした方が、楽しいに決まっていますから。子供のためにも自分のためにも、いつかは可愛い、愛おしいと思えるようになりたいです。 それまでは、赤ちゃんというものの生理を知り、とにかく義務をこなす!という感じで向き合うしかないのだなと思えました。泣く事が目的で泣いている、という状況もあるのですね…奥深いです。まるで、母親に嫌がらせをしているのではないかと邪推してしまうほどの泣き方をするので…。 「なるべくなら一緒にいる時間が多いほうが何かを感じとる機会も多いと思います。」 やはり、そうですよね? 嫌悪感を抱いてしまい、ヒステリックになってしまう時が多々あるので、あまり無理をしないようにしようとは思っています。でも、共に過ごす時間が多い方がいろいろと発見もあったりして、娘を好きになれるんじゃないかと思ったりもして。葛藤してばかりです。 まず、何を以って母性と言うのかと悩んでしまうのですが、それは多分、産院の母親学級などで「すごく理想的な」お母さん達の姿を見たからだと思います。 彼女たちからは自分はかけ離れていましたし、ネットなどを見ていても「子供が可愛くてしょうがない」みたいな書き込みをよく目にします。 極め付けは、私の友達です。 赤ちゃんを連れて遊びに来てくれた時に、その子が少し泣いただけで夫婦揃って大慌てで抱き締め、あやしていて、「放っておく」ということが一瞬たりともないのです。 私にはそういうことはできませんでしたから…。 家に届く年賀状を見ても、皆さん子供の写真ばかりで、子供ができるとこんなに「子供第一!」になるものなのだなあと思ってしまって。あまりにも自分と他のお母さん達との温度差が激しいように見えて愕然としました。 「今それだけ悩んでいるということは、その苦しさも赤ちゃんに対する愛情や母性なんだと思います。 どうでもいい事やどうでもいい人のためには、悩んだり苦しんだりはしないもの。」 そうなのでしょうか? 母性って結構苦しいものですね…。でも、確かにそうですね。どうでもいいと思えばわざわざこちらで相談させていただくこともないのだと思います。自覚ができていないだけでそれらしきものは芽生えているのでしょうか。 お優しいお言葉をありがとうございました! とても勇気付けられました。