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仏教の世界観とは?
- 仏教徒による世界観の解説
- 般若心経の教えについて
- 仏教を理解するために必要な学習の方法
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#4です。 ご質問のあったことについて回答させていただきます。 >般若心経はすべての宗派の経典でしょうか? 般若心経は大乗仏教の根本思想である「空」の意味をコンパクトに説明している 経典です。多くの宗派で尊重されている経典ではありますが、浄土真宗や日蓮宗 では尊重していません。 >色即是空 空即是色の色とは五蘊の色か六根の色かよくわかりません。 色とはカラーのことではありません。形あるものすべてが「色」なのです。貴方 の身体、私の体、目の前にあるPC、そこに映る映像、そんなこんなで目に見え るもの、そこにあるということがわかるもの、すべてが「色」なのです。 >色即是空とはと聞かれたとき、satoumasaruさんの言葉で仏教徒でない人もわか >るように簡単な言葉で説明していただけると幸いです。 形あるものはいつかは全てなくなります。ものごとは生まれ、そして壊れ再び 空虚なものになります。また空虚なものから再びものは生まれます。ですから富 や名声に執着してはならない、そういうことだと思います。現代物理学では無か ら宇宙が生まれ、またその宇宙も空虚な空間と少数の素粒子(電子、ニュートリ ノ、光子)になってしまうそうなので、まさに色即是空、空即是色ですね。 私がいうとしたら 「全ての形あるものは実は実態はないんだよ、どんどん変わっていくんだ。そし て、いつかはなくなるんだよ」 「だから、ものごとに一喜一憂したり執着していてはだめだよ」 ぐらいでしょうね。 >ちなみにキリスト教の経典はキリストの死後と思われる時期から数十年で文字 >による経典が出来、聖書は信頼がおけるそうです。 そうなんですよね。でも実際にはもっと膨大な聖書があったんですよ、ただかな り早い段階で「正典」と「外典」や「異端」に区別され、異端にたいしては徹底 的な弾圧がありましたからね。 仏教は幸か不幸かそのようなことがなく、膨大な経典が次々製作されたことによ り、よく言えば包容力のある、悪く言えば無節操な経典群になりましたね。
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- satoumasaru
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#4です。 ご質問がありましたので、私の知っている範囲でお答えします。 > 仏教の一切生悉有仏性の考えは、私はキリスト教の神は人間ひとりひとりに賜物を与 > えるという考えと共通する部分があるのではと思います。 私はキリスト教には詳しくありませんので、偉そうなことはいえないのですが、その ような面はあるのかもしれません。 > 一切生悉有仏性の考えは仏教の宗派すべてなのでしょうか? 仏というのは部派仏教(小乗仏教というのは大乗仏教側からの蔑視)の立場から言え ば、歴史上のゴーダマシッダルタしかいません。他の人が仏になるなどありえない! というのがその立場です。反面、仏性、仏種、如来蔵など経典によって言い方は異な りますが、全ての人に仏になる資格があるというのが大乗仏教です。 > 宗教ではなく、哲学的に考えると私はキリスト教は変わらないものを追求し、仏教は > 移りいくものを追求しているように感じます。 このとらえ方は素晴らしいですね。全くおっしゃるとおりだと思います。目からうろこ が落ちました。
お礼
satoumasaruさん 度重なる回答ありがとうございます。 長らくお寺の住職に聞きたかったですが、檀家というものが仏教にはありますから。 ところで、私は考えるのが好きなのですが、これは仏教では煩悩にあたるのでしょうか? キリスト教を信仰してますが、鎌倉が近いので、円覚寺で座禅でも組む経験もいいかなと思ってます。 今回のベストアンサーはsatoumasaruに送らせていただき、ありがとうポイントの増加に貢献したいですが、回答が分離してますので、どうしましょうか? 反論なども聞きたいので、もう少し開けてみます。
- kurinal
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こんにちは。 >「仏教に世界観について、わかりやすく回答をいただければ幸いです。」 世界観というより、「人間理解」の発想だと思います。 >「昔、奈良に住んでいたことがあり、薬師寺で般若心経の写経をしたら、 かたよらないこころ こだわらないこころ とらわれないこころ ひろくひろくもっとひろく これが般若信教、空のこころなり と葉書が来ました。 いい言葉ですね。」 「「これっぽっち」にとらわれない」ということでは、イイ線行ってるのかな、と。 >「以前投稿しましたが、日本の誇る哲学者、西田幾多郎を理解しようとしてましたが、仏教思想の基礎がないので途中で挫折しました。 でも 西田幾多郎の思想 小坂国継著 は後ろに注釈がたくさんあり勉強になりました。」 すみません、不勉強で判りません。 >「知識がないのでお礼が書けなければすみません。パソコンの具合も良くなくうまく立ち上がらないこともありそろそろ買い換えないといけません。」 >「仏教を理解するためには、韓国にある、名前は忘れましたが、有名なお寺の、膨大な版木をすべて理解しないと悟りに至らないのでしょうか?」 そういうことも無いと思います。 >「「悟り」に至らないでしょうか?」 沢田允茂著『考え方の論理』を、ご一読下さい。 「一〇〇〇年以上かかって「伝言ゲーム」してきたようなモノ」よりはマシな見解が得られると思います。
お礼
良書のお薦めありがとうございます。 独学でやっていると買って失敗だったこともしばしばで、良書を探す時間の浪費というのもあって助かります。 ありがとうございました。 再投稿などありましたらどうぞお願いいたします。
- satoumasaru
- ベストアンサー率59% (325/545)
はじめまして >仏教を理解するためには、韓国にある、名前は忘れましたが、有名なお寺の、膨大な版木 >をすべて理解しないと悟りに至らないのでしょうか? 韓国のお寺にある版木ということは世界遺産になっている海印寺の大蔵経のことでしょうね。 大蔵経というのは、すべての経典、律(きまり)、論(経や律の解説)をあつめたものです。 海印寺の大蔵経は内容が優れているというよりもそれが「版木」の形で残されていることが 評価の高い理由です。 大蔵経は釈迦が説いたものと思われがちですね。ところが釈迦はキリストと同じように教え を書物という形で残していません。釈迦が亡くなった後、後世の人が釈迦に教えを託して経 典を作成しました。 ですから、経典の成立時期にはかなりの幅があり、日本になじみの深い大乗経典は釈迦が亡 くなってから数百年たって成立したものといわれています。ひどいのになると中国で作成さ れた経典すらあります。お盆のことを書いてある「盂蘭盆経」なんかがそうです。 偉人がいったことであったとしても、伝わっているうちに趣旨がかわるということはよくあ ることです。伝えるうちに伝える人の思想がはいってくることは、避けられません。だから どんどん変わっていくんですよね。ですから経典によっていってることが矛盾するというこ とはよくあることです。率直にいって大蔵経は膨大ですから一生かかっても読めるはずもあ りませんし、徒労におわるだけです。 ですが釈迦の説いた内容については現物は残っていないとはいえ、それに近いものというの はあります。現在はスッタニパータやダンマパダが最も古い経典で釈迦が説いた言葉もはい っているだろうといわれています。 悟りなんかは経典をただむやみに読むのではなく、経典のなかの一部でも心に響くものが あればいいのではないでしょうか。 あと、他の方のお礼できかれていることについて私の知っている範囲でお答えします。 >高野山は何宗でしたっけ? 真言宗です。 >如来が真ん中にいて観音様が囲み、韋駄天や毘沙門天の守護神がさらに外を囲む。 >いわゆる曼荼羅の世界観はどの宗派も共通なのでしょうか? 違います。曼荼羅の世界観は天台宗や真言宗などの密教によるものです。浄土真宗や 日蓮宗、禅宗などにはそのような世界観はありません。 >観音様と羅漢の違いが良くわかりません。 観音は正確には観世音菩薩または観自在菩薩の略称です。菩薩というのは仏になるた めに努力している人たちを表しています。部派仏教では釈迦が仏になるために努力し ていた時期のみをさしていましたが、大乗仏教では仏を目指す人すべてが菩薩とされ ます。もっとも観音菩薩など一部の菩薩は仏と同一視されています。 羅漢とは仏の直接の弟子たちです。もともとはアルハットというのがサンスクリット の発音なのですが、これを音訳して阿羅漢、さらに簡略されて羅漢となったものです。 なおアルハットの意訳としては声聞というのがあります。 >いわゆる生きている人間で悟りに至った人は何と言うのでしょうか? 一般的には生き仏です。ただ宗派によっては生き仏をみとめていないところもありま す。あと何かご質問があれば私の知っている範囲でお答えします。 初期仏教の代表的な経典の二種類のリンクを紹介します。 スッタニパータ http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm ダンマパダ http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/damma-all-text.htm
お礼
ご回答ありがとうございます。感謝いたしております。 ずいぶんすっきりしました。 ところで、私が写経した般若心経はすべての宗派の経典でしょうか? 色即是空 空即是色の色とは五蘊の色か六根の色かよくわかりません。 色即是空とはと聞かれたとき、satoumasaruさんの言葉で仏教徒でない人もわかるように簡単な言葉で説明していただけると幸いです。 ちなみにキリスト教の経典はキリストの死後と思われる時期から数十年で文字による経典が出来、聖書は信頼がおけるそうです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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ほんの少しです。 ★(No.2お礼欄) 穢土即浄土は徳川家康の旗印で親鸞の教えでいいのですか? ☆ 《娑婆即浄土》は 空海が《即身成仏――いま・ここなるワタシが すでに自然本性としてそなえたブッダター(仏性)を顕在化させてめざめることができる――》にもとづくなら ブディズムの人間観一般にあてはまると思います。 即身成仏に対しては 親鸞は 《即得往生》と言っています。いま・ここなるワタシが――ヒラメキを得て――すなわち=ただちに 往生を得ると。 ならば この世としての娑婆世界がすでに極楽浄土であると。 ○ 厭離穢土 ☆ は 字面では 反対のことを言っています。娑婆なるこの世は 浄土ではなく穢土である ゆえにこれを厭い離れるのだと。 一般にこの世の移ろい行く姿やときには不条理な出来事に遭ったりしますと なるほど諸行無常だなぁと誰しも思います。人びとのおこないのすべてが いかに真面目に怠りなくおこなっても うつろい行かざるを得ないという無常感です。 この諸行無常もしくは諸法無我(不変の真理は 得難いものだ)を納得するなら人は初めは この《厭離穢土》の考え方に 少しは なびきます。《世間虚仮 唯仏是真》(聖徳ぼんくら太子のことば)という見方に いちどは なびきます。 そのあと よく考え直して 《娑婆即浄土》にもみちびかれるものと思います。 《一向一揆》は 下剋上の思想にひきつられた一面があると考えます。その物理的なチカラに頼ろうとするウゴキにかんしてです。 さもなければ 越前吉崎での一揆のように門徒一同による共同自治のためのウゴキだったと考えます。つまり 反体制による抵抗というよりは すでに市民主権にもとづく――お二階のえらいさんは要らないという――市民による市民のための共同自治をめざしたのだと。挫折しましたが。 課題を残していますが 展開される質疑応答を見守ります。
お礼
西田幾多郎の思想 小坂国継著 の簡単な注釈によると 穢土 この世現世のこと。煩悩にとらわれ迷いから抜けられない衆生が住む穢れの多い世界 浄土 清浄な国土という意味。菩提として衆生を救済せんという誓願を立てて悟りに達した仏が住む世界 これで良いでしょうか? 宗派により解釈が違うのでしょうか? モクゾウ100年さん ヘルプ!
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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あめんほてぷ2000さん お早うございます。 《奇をてらう》ぶらじゅろんぬの参考回答です。 ▼(歎異抄・第8条) ~~~~~~~~~~~~~~ 一 念仏は行者のために、非行・非善なり。 わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。 わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。 ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、 行者のためには非行・非善なりと云々。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 親鸞のばあいは 法然のオシエとは違って 《念仏をもうせば往生する》とは根本的に別です。 《非行》 すなわち そのような修行ではないと言います。 《非善》 すなわち 往生するための善行に非ずと言います。 ▼ わがはからひに・・・あら〔ず〕 ▼ ひとへに他力にして自力をはなれたる ☆ これが わが心なる《非思考の庭》におけるその信仰の動態のありさまを言っています。あるいはつまりさらに引きますが: ▲ 〔親鸞:自然法爾(じねんほうに)章〕~~~~~~~ 自然といふは 《自》はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。 《然》といふは しからしむといふことばなり。 しからしむといふは行者のはからひにあらず 如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。 * 爾(に・じ):しかり。そうである。 ■ (道元:現成公案) ~~~~~~~~~~ 自己を運びて万法を修証するを迷とす。 万法進みて自己を修証するは悟りなり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 薬師寺の考えは そこに《わがハカラヒ》が入り込んでいないなら さいわいだと思います。 言いかえると こと《信仰》ということに関していうならば 《わがハカラヒにあらず》は 普遍的な命題だと考えます。それよりほかに信仰は成り立ち得ません。 言いかえると 《自己を運びて――わがハカラヒにおいて――万法を修証する・つまり 世界を全体として知り認識すべきことを認識し ものの見えたる境地に近づく》のは 《信仰》としてのあゆみではありません。 《思考に非ず》ではなく 経験思考でありその探究であり想像であり観想であり その結果の思い入れや信念・信条のたぐいです。非思考としての信じるではありません。 ★ 仏教の世界観 / 仏教の思想 ☆ とありますので ちゅうちょしましたが 《めざめる(ブッダとなる)》問題であるならば・つまりその問題が《思想や世界観》の根底に横たわっているはずですから ひと言触れて 参考回答を寄せました。 なお ★ 西田幾多郎 ☆ につきましては 《絶対矛盾的自己同一》という主題をめぐって次の質問でいくつかのやり取りが出来ました。これも 時間にまかせて参考にどうぞ。みなさんの考えが出ています。 【Q:コインキデンチア・オッポシトールム】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7336089.html ○ 空のこころ ☆ とは何か? と主題を立てて問い求めるのは 哲学です。もしそれを信仰として捉えるのならば 《自然法爾》というすがたになるかと思います。ブディズムのほかの信仰の場合にも 例外なく当てはまると考えます。真理は 単純です。 なお《自然法爾》なる姿を わがハカラヒにおいてつとめて思いさらには実践しようとすることでもありません。 ハカラヒをなくせというハカラヒも 自然法爾ではありません。 ブディズムは 親鸞において 聖書の信仰に通じています。ほかは あやふやです。しらべてみてください。
お礼
blagelnneさん 毎度、参考文献ありがとうございます。 親鸞の考えは聖書に近いとの情報ありがとうございます。 私は神だ!などとおごりたかぶっている、織田信長のような、政治家が出てきたら、一向一揆だ! 穢土即浄土は徳川家康の旗印で親鸞の教えでいいのですか? 歴史カテで誰か教えてくれますかね? 仏教思想というのは世界観に訂正いたします。哲学と宗教との関係は微妙で信仰している人に誤解を与えるかも知れませんから。 しかしこの参考文献の回答を理解するのも時間がかかりそう。 例の武士道の中に、中国の陽明学も聖書に近いとありました。 新渡戸稲造の知識量に驚かされます。 ちなみにアメンホテプというネームは、この投稿サイトに始めて投稿した時、森アーツギャラリーで、古代エジプト展を観てきて、考古学カテゴリに投稿したからです。 パピルスに描かれた古代エジプトの宗教信仰観もなかなか良かったですよ。 確かアメンホテプは一神教改革したと記憶して選びましたが、私は日本人の自然の中における多神教の考えかたも肯定してます(どこの国でも最初は同じと歴史を遡れば思いますが)。 今回はしばらく回答を待ちます。 ありがとうございました。
- uen_sap
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難しく考えすぎる。 浄土宗、浄土真宗は他力の教えですから、阿弥陀仏を信じておすがりすればよい。 善人なおもて往生す。の世界ですので、わざわざ韓国に行く必要はないでしょう。 仏教徒も多種ですから。韓国に行きたい人は行けばよい。それで悟りに近づけるでしょう。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 高野山は何宗でしたっけ? 如来が真ん中にいて観音様が囲み、韋駄天や毘沙門天の守護神がさらに外を囲む。 いわゆる曼荼羅の世界観はどの宗派も共通なのでしょうか? 観音様と羅漢の違いが良くわかりません。 いわゆる生きている人間で悟りに至った人は何と言うのでしょうか? 韓国より日本でお遍路がいいですね。 私は誤字脱字が多くすみません。般若心経です。
お礼
ありがとうございます。すっきり致しました。 おそらく仏教の一部をかじったり過ぎないとおもいますが、独学でやってます。 仏教の一切生悉有仏性の考えは、私はキリスト教の神は人間ひとりひとりに賜物を与えるという考えと共通する部分があるのではと思います。 一切生悉有仏性の考えは仏教の宗派すべてなのでしょうか? 宗教ではなく、哲学的に考えると私はキリスト教は変わらないものを追求し、仏教は移りいくものを追求しているように感じます。 しかし、例えば芭蕉の句の 「枯れ草やつわものどもの夢のあと」 たったこの短い575の文章の中に永遠と移りゆくものを融合させる日本人のすばらしさを感じます。 >異端にたいしては徹底的な弾圧がありましたからね。 グノーシス主義というのがあって、もう聖書の中でパウロが批判しているようです。 完全にベストアンサーでいいですが、もう少し開けときます。 一切生悉有仏性の件やこの私のお礼の中の考えについて回答をいただければ幸いです。
補足
「夏草やつわものどもが夢のあと」でした