• ベストアンサー

レイテ沖海戦で

trajaaの回答

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.2

フィリピンでの戦闘が実際よりも数ヶ月~半年程度遅延した可能性はあるが戦闘はそのまま継続するだろう フィリピン戦後の作戦が台湾を飛ばして沖縄(いわゆる蛙跳び作戦)ではなく、台湾攻略戦->沖縄上陸という風に堅実な方向に修正される可能性はあるかも知れない だから、戦局の進展がゆっくりになった可能性はあるが、大局としてどんでん返しが起きるようなレベルではない 戦争が長期化すれば、より多くの犠牲者が生まれただろうし、原爆も二発ではなく三発目も使用されたかもしれない

naoki4865
質問者

お礼

栗田提督の決断は結果的に正しかったのですかね?回答ありがとうございます。

関連するQ&A

  • レイテ沖海戦 神風特攻隊

    質問 (1)レイテ沖海戦終了時になぜ日本は降伏しなかったのか (2)なぜ勝つ見込みも無いのに特攻隊と言う犠牲を出しつつも戦争をずるずる延ばしたのか (3)日本の第二次世界大戦参加の目的 1944年のレイテ沖海戦時、物資の圧倒的不足と栗田艦隊のサポートのため大西中将が特攻隊を計画しましたが、 この時大西中将はアメリカに花を持たせかつ、日本の敗戦後味の悪さがない七分三分の講和条約を結べると思ったから特攻隊を作ったのですよね? なのにどうして降伏することもなく終戦に至るまで特攻隊を廃止せず生み出してしまったのでしょうか? そのレイテ沖でさすがに特攻隊は成果を残すことが出来たと思います。 栗田艦隊の謎の反転がなければ(?)、良い結果に終っていたと思います。 しかし、だからと言って「じゃあ、やっぱり特攻隊は続行しようか。」という形になぜなりえるでしょうか。 上の人間はアメリカの脅威や日本がもうお手上げだというのも薄々気付いていたはずです。

  • レイテ沖海戦について

    栗田艦隊はなぜ「運命の反転」をしたのでしょうか? 判断を誤ったのでしょうか? それとも臆病風に吹かれたのですか? また、ミッドウェー海戦では損傷した味方の重巡をほったらかして行方をくらました逃げ腰と評判のある栗田がなぜトップの司令官だったのでしょうか?

  • レイテ沖海戦 なぜフィリピンで?

    いつもお世話になってます。 太平洋戦争で連合国軍に巻き返された後に大変大きな海戦、レイテ沖海戦で決定的にボコボコにされた日本ですが、 あの時の海戦はなぜフィリピンのレイテ沖で行われたのですか? その時フィリピンは日本の占領地だったんですか? フィリピン以外の場所ではやろうとは思わなかったのですか?

  • 【あの時】一大海戦で湾口に突入していたら?

    1944年、生起したレイテ沖海戦。 日本軍が、艦隊を操って戦った最後の戦いでした。 陽動により米軍のハルゼー艦隊を釣り上げたまでは 成功していましたが 最後の最後に、レイテ沖を目前に 栗田中将率いる艦隊は、反転。 この反転がなくレイテに突入していたら その後の歴史はどう変わったと思いますか? ※レイテ沖海戦(Battle of Leyte Gulf)とは、 第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけて フィリピン及びフィリピン周辺海域で発生した、 日本海軍とアメリカ海軍とオーストラリア海軍からなる 連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。

  • 栗田艦隊はなぜ「反転」という判断をしたのでしょうか

    第二次世界大戦のレイテ沖海戦で栗田健男が率いる栗田艦隊は、レイテ湾突入直前に「反転」という決断をしました。 普通に考えれば、「レイテ湾突入」以外はあり得ないような状況だったと思うのですが、栗田健男はどういう考えで、「反転」という結論を出したのでしょうか?

  • なぜ栗田艦隊はレイテ湾突入を断念したのですか?

    サマール島沖で米空母部隊に大和などが砲撃を浴びせた後、いよいよレイテ湾突入というところで、なぜ栗田艦隊は突然北へ反転しレイテ島に背を向けてしまったのですか?なぜレイテ湾突入を断念してしまったのですか?

  • レイテ湾突入の目的

    栗田艦隊のレイテ湾突入の目的は何ですか? 艦隊が湾に突入したところで何が起きたのか分かりません

  • 歴史のイフ 栗田艦隊がレイテ湾に突入していれば

    歴史のイフを想像するのが好きです。 もし栗田艦隊が反転せずレイテ湾に突入していればアメリカ兵を何(万)人殺害できていたでしょうか?(無論栗田艦隊は全滅ですが) 【私の想像】 レイテ湾に突入する以前に全滅していた。

  • 栗田艦隊 レイテ湾突入

    栗田艦隊がレイテ湾突入を目前にして反転したのは何故でしょうか?

  • マリアナ沖海戦について。

    マリアナ沖海戦で日本軍の航空隊は壊滅しました。 マリアナの七面鳥撃ちとまで言われています。 負けた理由は航空隊が実戦経験が無いもしくは少ないとか、訓練不足で母艦の離発着がやっととか、隊長機まで実戦経験が無かった為と聞いています。 それ以外にもアメリカ軍のレーダーとVT信管搭載の対空砲の為とも言われています。 でも、ある本で見たのですが、VT信管搭載の対空砲はたいして威力を発揮していない。 それよりも、レーダーで日本軍機を発見、上空待機の敵遊撃隊に撃墜された為と書いてありました。 そこで、パイロットの技量不足が一番の敗因と考えていましたし、実際、敵遊撃機に襲われても、まっすぐ飛んで、避けるとかしないで、次々と撃ち落されていったとかも聞きました。(隊長機も含む) でも、1944年末?に、最後の最強航空隊を作りましたよね。 松山沖の航空戦で大勝利、日本軍の意地をアメリカ軍に見せつけましたよね。 そこで、疑問が。前置きが長くなりましたが、どうして、この部隊というか、パイロットをマリアナ沖海戦に参加させなかったのかです。 この後のレイテ沖海戦では、おとり部隊ですし(航空機はほとんど積んでいなかったらしいですが?)壊滅必至の作戦なので仕方ないとか思いますが、マリアナ沖海戦の時は、全力、日本軍の持てる力すべてを注ぎ込んだ海戦のはず。 偵察機が敵機動部隊発見、攻撃隊全機発進した時、日本海軍の司令部にいた人達は喜んだそうです。勝った!と。このことからも、負けることが前提では無く、勝てる布陣を、今の日本軍にできる事すべてをしていたはず。 なのになぜ?それほどの海戦なのに? もし彼らが隊長機なら、あそこまでアメリカ軍に言われなかったのでは?的確に回避行動・交戦などにより、敵母艦上空に…もしかしたら、勝利…は難しいかもしれませんが、それなりの損害を与えていたのでは?と思います。 どうして、温存したのでしょうか?参加しなかったのでしょうか? 彼らはマリアナ沖海戦には参加していないと思うので。航空隊は壊滅している。それに松山沖の時に50機以上で遊撃しているので、それなりにベテランパイロットが沢山いたはずと思います。