• 締切済み

「価値」とはどのように発生するのか?(II)

哲学で言う「価値」、あるいはこのカテで貴方様がおっしゃる「より尊い価値」とはどのようなものでしょうか?

みんなの回答

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

もうじき死ぬ。 そういう時に、最後に残るのが尊い価値です。 だから、これは千差万別です。 もうじき死ななくても、最後に残るモノを 見いだすことが出来れば、その人は 悟った人です。

freulein
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。そのときどきの気分で「価値」が定まるのでしょうか?それで哲学を論ずるというのはいささか的外れだと感じます。

回答No.2

あなたにとってもっとも価値がある物と爪切りどちらが必ず要りますか? 価値なんていいかげんなもんです・・・

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

おはようございます。 ちょっとひねると、古典もそうかもね。

関連するQ&A

  • 自分のどんなところに価値があるって思いますか?

    メンタルヘルスや哲学だとちょっとカタくなりそうなので、こちらのカテにしてみました。 表題の通りですが、みなさんは自分のどんなところに価値があると考えますか? ぱっと思いついたご意見でも、深く錬ったご意見でもどちらも歓迎します。差し支えない程度に詳しく(「心」「性格」などですと範囲が広すぎるので、出来れば心のどんな部分かというあたりまで)書いていただけるとうれしいです。 よろしくお願いします。

  • 感性を深める方法論の価値を問う哲学や哲学論議は?

    感性を深める方法論の価値を問う哲学や哲学論議は? 心理学のカテでも 心と感性の世界を問う心理学の存在についての疑問の質問をしましたが、 そういう心理学の価値を問うのはやはり哲学の世界と思います。 気持ちや行動を 左右してしまう無意識の世界は確かにあると思いますが、 もし感性が深くなれば その感性によって気持ちや行動のすべてが正されてくるはずですから、  その探究抜きに無意識を追及しても ほんの部分的にしか人間が生きていくうえでの生活や意識に役立たないと思います。 そのへんを問う哲学が 過去においてはありましたでしょうか? ありましたら 現在それはどのようにどこまで発展しているでしょうか? みなさんのお考えをお聞かせください。 よろしくお願いいたします。

  • 付加価値とは?付加価値の高い商品とは?

    付加価値とは?付加価値の高い商品とは? 皆さんにとって付加価値とは? 経済 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。

  • 哲学的な「価値」とは。

    辞書で「価値」と引くと、そこには哲学的な「価値」の意味も載っていますよね。そこで疑問に思ったのですが、ここで言う「普遍的絶対的価値」というのは、その価値が「絶対的普遍的」なのであって、人間自体に必ずその価値が備わっている、という意味では無いですよね?

  • 民族の価値

    民族に価値の優劣はありえるでしょうか? (哲学ド素人です。よろしくおねがいします)

  • 今の世の中で価値のある哲学と、価値のない哲学を教えて下さい。

    哲学の概説書なんかを読むと、歴代の哲学者のそれぞれの主張が並列に書かれています。 しかし、そういった哲学の概説書はそれぞれの哲学の特徴が載っているだけで、 それがどう活かされるのか、今の世の中でも有効なのかといったことには触れられていないものが大半です。 哲学には過去の哲学を批判的に乗り越えて発展していった側面もあるので 「その時代では凄かったけど、今は別に・・・」っていう哲学もあると思います 分かり易い例だと、ターレスの「万物の根源は水」みたいなのは、 哲学の歴史の中では偉大なのかも知れませんが、今の世の中ではあまり必要な哲学ではないですよね? 他にも、例えばマルクスみたいなのは、大きな物語が終わった現在の社会では価値を無くしている様な気がします その一方で、一時期現象学がちょっとした流行になったり(誰が言っていたのか忘れたのですが、 現象学は先が見えない不安な社会に生きる人々には合っているんだとか)、 うろ覚えですが確か村上春樹がカント好きだったり 改めて評価される哲学もありますよね? そこで質問なのですが、今の世の中で価値のある哲学とそうでない哲学を教えて下さい。 そして、その理由も教えて下さい。それぞれいくつ挙げて頂いても結構です。 ただ、「全部意味がある」とか「全部意味がない」みたいなの以外でお願いします

  • 価値と価格と貨幣 価値

    今日は、「価値」の事で少々混乱しています。 たとえば、目の前に金の塊があったとして、金が「価値」をもつのは、人間がその装飾性に喜びを感じたり、どこででも何かと交換できる可能性を信頼するからだと思います。 ということは、「価値」は金塊にあるのではなく、人間の感情や理性の中にあることになります。 哲学では認識と存在についての問題かと思いますが、上記の結論で正しいのでしょうか? 「金に価値がある」と言う表現は不正確でしょうか?

  • 確からしいことを議論する価値は?

    哲学の議論は正しいか、間違っているか白黒論が多いです。 しかし世の中に正しいと言えることなんてほとんどありません。 大概のことは、明らかに間違っているか、正誤不明です。 こうした中で間違いなく正しいことを議論するのにどれだけ価値があるのか疑問です。正しいことを求めたところで不可能なことが多いからです。 だとすれば、どちらがより正しい可能性が高いか、確からしいか議論することに価値があるように思います。こうした議論は確かに正解そのものではないです。しかし、もともとどちらかわからないものに対して、何もしないで「どうせ正解は得られない」とあきらめるより、確からしさを議論する方が価値がある(役に立つ)ように思います。 皆さんはどう思われますか?

  • 価値とはどのように発生するのか?

    全ての「価値」なるものは、その事物自身から発生するのか、それともその事物に関与する人間の興味に依存して発生するものか、どちらでしょうか?なお、宗教の観点からのご意見はご遠慮頂きとう御座います。

  • 価値は時間性を通じて立ち現れる?

     「価値は時間性を通じて(のみ?)立ち現れるのではないか」というのが私の直観です。  具体例としてニュースサイトと新聞の対比で語ります。ニュースサイトから流れるニュースには価値判断は入りません。事案の発生に従って順次速報として流すだけ(悪い言葉では「垂れ流し」)です。しかし新聞は、1日ないし半日ごとに締め切りを設けて、その範囲内での価値判断、つまりどのニュースを一面トップにし、どのニュースをベタ記事にするか、あるいは没にするか―などを決めることができます。一般的に言って、ある物事の価値を生まれるにはある一定の時間が経過することが必須の条件のように思えるのですが…。  このあたりの論議は、手近な「事典 哲学の木」あたりにも見当たりません。哲学あるいは経済学ではどのようになっているのかご存知の方があれば教えていただけませんでしょうか。もちろんみなさんが論じていただいても結構ですが。