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日本の色彩・着物
日本調の色彩といえば、まず浮かんでくるのが着物なんですが その柄は、明るく鮮やかな感じから、暗く落ち着いた感じまで、実にさまざまです。 そしてそれらに共通している事は、大部分が日本画的というか 薄く塗ったような色彩感であるということです。 (着物だから当たり前といえば当たり前なんですが・・ ) 油絵のように厚塗りした重い感じが無い さらっとした淡白な色調が日本人に好まれる理由はなんでしょう?
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おそらく日本人の平面感覚に起因しているように思います。ご存知のように、ものを立体的に描写する技術は西洋由来のものです。線描では実に立体的で繊細な表現力を日本画は持っていますが、塗りにおいては、一面を同じ色で塗ったり、淡いグラデーションで済ませたりします。おそらく、薄く塗った色を深く感得していたと考えられます。つまり、面における光の反射を捉える感覚が未発達だった代わりに、色相を見る感覚が発達したのではないかと思います。それはなぜかと言われるとわかりません。むしろ立体感覚を早期に獲得したのはギリシャであって、西洋の方が特異であったと見ることもできるからです。おそらくそれは、ギリシャで哲学をはじめとする学問の発達と無縁ではないでしょう。
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- 雪中庵(@psytex)
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今は古色蒼然たる神社仏閣も、以前は鮮やかな丹(朱色) に塗られていた事が知られています。 着物でも、友禅の鮮やかな発色は「淡白な色調」とは言え ないでしょう。 「日本画」とおっしゃられているのは、水墨画的なものを イメージされているのかと思いますが、金屏風の蒔絵など、 西欧の油絵にも負けず劣らず絢爛豪華です。 その上で、自然の風物と溶け合った日本文化(四季に従う 稲作農耕文化において四季を愛でる)において、自然な 色彩を評価する能力もあるのも事実です。
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ありがとうございます。 >金屏風の蒔絵など、 西欧の油絵にも負けず劣らず絢爛豪華です。 そうでしたね 忘れていました どうやら、自分の好みだけで考えていたのかもしれません。 花魁の着物なんかもそうかもしれませんね 豪華で華々しい衣装・・デザイン つい最近ですが 泊まったホテルに光琳のアクリル画が飾ってありました いわずと知れた紅白梅図や杜若図でしたが ピカピカ光っていて鮮やかでした きれいだとは思いましたが、何となく惹かれるものがない 好みなんでしょうか 自分の好みだけで日本的だと言っていたとしたら、お笑いですね・・ 日本的な豪華さを演出する色、といえば やはり「金色」でしょうかね 私もけっして嫌いではないのですが 大きすぎるものは、何となく敬遠したくなります 小さいものでしたら、かわいい感じでいいと思っています。 蒔絵の硯箱とかです 鍋島焼の小さな蓋付きの派手なやつがありましたが あれは、かわいくていいと思った(ほとんど赤ばかりで金が入っていたかどうか記憶が定かではないのですが・・) 結局、私の勝手な好のみでいうと 小さな豪華さには惹かれるが、大きい豪華さには惹かれない 着物にしても、花魁が着るような衣装を見たいとは思わない どうしてでしょうね・・ 疲れるからかな・・ 見ていて疲れる 疲れさす色 色あい 色彩 ありますよね 秀吉の金の茶室、中尊寺の金色堂、殿さまが座る背景の屏風絵・・日光の陽明門などなど・・ これでもかこれでもか というやつ・・ >自然の風物と溶け合った日本文化(四季に従う 稲作農耕文化において四季を愛でる)において、自然な 色彩を評価する能力もあるのも事実です。 そんなところから生まれた自然な感じの色彩がいいように思います 感覚的に馴染むといいますか やはり感覚なのかな・・・
- Nebusoku3
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>さらっとした淡白な色調が日本人に好まれる理由はなんでしょう? 畳の部屋から眺める 日本庭園 をイメージして頂くと そこに相応しい色調がそれとなく決まってきます。 ご存知の様に 未婚女性は比較的 華やかに 振袖を付けて目立ったものを着用していた(今もしている) 様です。 未婚を悟られないために(うるさいので) 振袖をなくした人もいたとか。。。 やっぱり昔からの家屋のつくりと 庭園の色調に関係が有ると思います。 (その風景に ”溶け込む” 色彩)
お礼
ありがとうございます。 >やっぱり昔からの家屋のつくりと 庭園の色調に関係が有ると思います。 (その風景に ”溶け込む” 色彩) そうですね そういった調和っていうんでしょうか 釣り合いが取れる形で、自然と定まってきたんでしょうか 日本の建築や庭園には、着物姿がよく似会う・・ カレンダーのデザインなんかもそうですね 日本的な調和の美しさを求める心 なんでしょうね・・
お礼
大変に興味深いお答えありがとうございます。 >薄く塗った色を深く感得していたと考えられます。つまり、面における光の反射を捉える感覚が未発達だった代わりに、色相を見る感覚が発達したのではないかと思います。 そうですね 透明感のある微妙な色彩なんですよね 平面感覚と言われれば たしかに、無理に立体感を深く求めない感覚があるように思います。 形象のもつ本質的な存在感を直感的に掴む、といった東洋的な認識の結果・・なんでしょうかね 面と線による表現で済む、立体感はそれを見る心の中にあればいい・・といった感じなのかもしれません そこには、直感的に塗られた色彩があるのかもしれない 西洋哲学は、実写の世界かもしれませんね 立体をそのまま立体化しなければ気が済まない、といった感じかもしれない 省略のない世界でしょうか 当然、色彩もそのままであるべきという感じで・・ >薄く塗った色を深く感得していた・・ 直感的な色彩 直感的に塗った色彩 というふうには考えられないでしょうか なんとなく、そんな感じがします。