- ベストアンサー
徳川家康
1・家康は豊臣政権の時は江戸大納言と呼ばれていたんですか?。 2・家康は豊臣政権の時はどこの藩主だったんですか?。
- VHS-KATURA
- お礼率74% (110/147)
- 歴史
- 回答数3
- ありがとう数3
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
VHS-KATURAさん、こんばんわ。 1.天正15年(1587年)8月に従二位権大納言、天正18年(1590年)8月に江戸に入部しましたから、それから慶長元年5月8日(1596年)に内大臣に任命されるまで、江戸大納言と呼称されたと思います。 2.江戸を本拠とし、関八州を中心に250万石の大大名となりました。そしてこの当時はまだ藩という一種の法人組織ではありません。あくまで主である大名が中心の家政組織があるだけです。
関連するQ&A
- 徳川家康は、なぜ当然のように天下人になったのか
一般的な歴史では、関ヶ原の戦いの後、徳川家康は、当然のように天下統一をしているようなのですが、疑問があります。 もともと、関ヶ原の戦いは、豊臣政権の内部での権力闘争でしかなかったはずであり、徳川家康も、関ヶ原の戦い以前には、 「豊臣家打倒」 などとは、全く言っていませんでした。 豊臣家内部の権力闘争に打ち勝ったというだけなのに、なぜ、徳川家康が、「当然のように」日本全体を統一する政権をつくってしまえのかが不思議でなりません。 今日の私たちは、実際の歴史を知っているので、疑問をもたないかもしれませんが、当時の人々からすれば、関ヶ原の戦いに勝ったからといって、 「だから家康が天下人」 という意識は、まだなかったのではないか、と思うのですが、なんで、家康が天下人ということになっていったのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 徳川家康の天下取りの野望を抑えることができる人物
歴史カテで「前田利家が後15年生きていたら」という質問で、 大方の回答者の方が前田利家が生きていれば豊臣政権は継続した、という意見でした。 過小評価かもしれませんが、私は前田利家程度の無骨一辺倒の人間では、 徳川家康の野望を止めることはできなかった、と考えています。 ところで他にもこの人が生きていれば豊臣家は続いたはず、という人物が何人か居ると思います。 私の思いつくところでは、 豊臣秀長、豊臣秀次、小早川隆景、蒲生氏郷、あたりがぱっと思いつきます。 豊臣秀長は恐らくほとんど異論が出ないと思うのですが、 後の3人については評価の分かれるところであると思います。 個人的には豊臣秀次、小早川隆景については磐石とはいえなくとも微妙に豊臣家は継続したかな、 蒲生氏郷だとちょっと無理かな、と思っています。 徳川家康を抑えて豊臣家の政権を継続させることができるか、 という観点で3人を評価いただけないでしょうか? また、他にこの人が生きていれば、という人物がいましたら、教えてください。
- ベストアンサー
- アンケート
- 徳川家康は死んでいた?
以前、堺市の某寺院に参りますと、徳川家康の墓と大書された墓がありました。寺の人に聞きますと、確か「家康様はここで、死なれた。その証拠にこの寺には、秀忠様、家光様が墓参にきたときの奉納がある」とか申されておりました。 案内してくれた、堺の方自身は信じていなかった様です。私も、俄かに信じがたく、忘れていましたが、最近、気になりだしました。 本能寺の変に逃亡する際か、冬の陣の時なのか?単なる豊臣びいきの大阪人の空想の賜物か?真偽の程はわかりませんが、何かロマンを感じ、歴史通の方、こういった説はあるのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 家康はどうしても豊臣を潰す気だったのか
家康はなにがどうでも最後には豊臣家を潰すつもりだったのでしょうか? それとも豊臣側が徳川政権を認めて交渉に応じるなら、存続させる気はあったのでしょうか? 存続させるつもりだったとして、最終的な豊臣家への処遇はどういう腹づもりだったのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 天正大地震と徳川家康について
もし天正大地震が起きていなかったら、徳川家康は、豊臣秀吉に軍事的に制圧されていたという有力な説がありますが本当ですか?徳川家康は、運が良かったのですか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 関ヶ原戦後の家康の差配
徳川家康が、関ヶ原戦後の改易、転封などを行なったのは、あくまで豊臣政権の大老(戦勝側)としての差配だと思うのですが、このとき豊臣(羽柴)家の禄高も減らされているように教科書には書いてあります(「摂津、河内、和泉の大名クラスに転落」)。豊臣政権下の大名同士の戦であった関ヶ原合戦後の豊臣宗家の差配にまで大老家康が口を出せた(またその差配を豊臣宗家が受け入れた)のは何故なのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
本当ですか?。ご苦労様でした。