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徳川家康は死んでいた?
以前、堺市の某寺院に参りますと、徳川家康の墓と大書された墓がありました。寺の人に聞きますと、確か「家康様はここで、死なれた。その証拠にこの寺には、秀忠様、家光様が墓参にきたときの奉納がある」とか申されておりました。 案内してくれた、堺の方自身は信じていなかった様です。私も、俄かに信じがたく、忘れていましたが、最近、気になりだしました。 本能寺の変に逃亡する際か、冬の陣の時なのか?単なる豊臣びいきの大阪人の空想の賜物か?真偽の程はわかりませんが、何かロマンを感じ、歴史通の方、こういった説はあるのでしょうか?
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隆慶一郎のファンです。 この影武者徳川家康の話は元々は隆慶一郎が考え出した話ではありません。 昔から一部の歴史学者の間で噂になっていた話を隆慶一郎氏が小説として発表したものです。 詳しくは「世良田次郎三郎」で検索すると調べることができますよ。 ちなみにこの世良田次郎三郎が後の徳川家康になった人物といわれています。 隆慶一郎氏の小説では関が原の戦いの時に本物の家康が暗殺され、代わりに影武者だった世良田次郎三郎が家康役になったのだとされています。 家康と彼を取り巻く環境や人物達が何となく不自然とも思えることが実際にあるみたいで実は途中から影武者に代わっていたとすると辻褄があってくるようです。 質問者さんも一度この小説を読んでみてください。 なお、隆慶一郎作品ではこの他に少年ジャンプで有名になった前田慶次郎を描いた「一夢庵風流記」や、葉隠れの世界を描いた「死ぬことと見つけたり」等をお勧めします。 他の作家の歴史小説とは異なり非常に面白い作品が多いです。
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- ss79
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隆慶一郎氏の小説は確かに面白い説です。 しかしそれ以外にもいろいろあるとは知りませんでした。 しかしそれ以後の徳川政権の施策を見る限り、私は信じられません。 確かに徳川政権の幕僚陣は優秀で団結していましたが、それだけで説明出来るとは思えないからです。 堺のお寺の墓標は関西人の豊臣びいきから来た願望から家康に死んで欲しかった現れではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。真偽の程は定かではないのでしょうが、もし、真実ならば、一体歴史とはなんでしょうね。私も俄かには、信じられませんが、皆様のご回答を見ますと、諸説あること自体、一片の真実もありうることを知りました。晩年の秀吉は好きではありませんが、関西人には、太閤さんとあと一歩まで家康を追い詰めた真田幸村への思いを強くもっている方が多いことも確かです。ありがとうございました。
堺市のお寺は南宗寺の事と思います。 家康死亡の説はいくつかあり、通説では元和二年(1616)に駿府にて胃癌が原因で死亡となっています。他には鯛のてんぷらを食べすぎて死亡した説や大坂夏の陣で討ち取られて死亡した説、また隆慶一郎氏の関ヶ原死亡説があります。 その中で関西地方には大坂夏の陣死亡説が江戸期から根強く残り、南宗寺の伝説もそのひとつです。 南宗寺の伝説は大坂方、真田幸村の猛攻にあい家康が女の輿に隠れて逃る最中、豊臣方の後藤又兵衛が怪しいと輿に槍を入れ、その時に傷を負い大久保彦左衛門の手当てむなしく死亡、南宗寺に葬った。(詳細はいろいろな説あり)と言うものです。 この伝説の後藤又兵衛は前日に戦死してますので本当?かどうか怪しいところがあります。 昔、見たTV番組、時空警察の家康替え玉説にも登場していたと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。そうです、確か南宋寺でした。もし、関が原にせよ、夏の陣にせよ、家康が死んでいたとしたら、その後、それを隠し通して、幕府開闢までもって行った家臣団の組織力はすごいものですね。また、徳川家康の墓と大書して憚らない寺の姿勢もまた、大阪らしくて、なんとなくユーモラスにも思えます。隆慶一郎氏の小説を手始めに、少し研究してみようかなという気になりました。重ねて、御礼申し上げます。
- yuuyu1
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昔少年ジャンプに連載していた。影武者が家康の死後引き継いで天下統一するストーリでしたね URLやっと見つけました。
お礼
ご回答ありがとうございます。隆慶一郎氏の歴史上の疑問から端を発した物語のようですね。あの時代は何があっても、不思議ではありませんが、「徳川家康の墓」と大書されているもので、今考えると、ユーモラスにも思えてきました。これを機会に同氏の作品でも少し、読んでみようかなという気が、年甲斐もなく出て参りました。庶民的でおおらかな作風の様ですね。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。今まで、正史そのものは、勝者の歴史であること位は認識していましたが、珍説、異説はためにする議論のように誤解していましたが、それなりに考証の結果であることを再認識いたしました。本当に面白い作家のようでございますので、隆慶一郎氏の書物を今度、読んでみたいと存じます。誠にありがとうございました。