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豊臣家
歴史に「もしも」は無いことは百も承知なので、気軽に考えてください。 もし、千姫が秀頼の嫡子を生んでいたら豊臣家はどうなっていたと思いますか。 (1) 家康のひ孫、秀忠の孫なので豊臣家は存続させた。 (2) 徳川家を危うくさせる存在に変わりはないので、容赦なく殺された。 (3) 家康の存命中は滅ぼされないが、没後は残忍な秀忠により滅ぼされた。 (4) 豊臣の名を名乗らずに松平家などとして存続させた。
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あまり世間では知られていませんが、江戸時代初期って結構粛清の嵐が吹き荒れていたのです。というのも、今の私たちが思うより徳川幕府の体制というのは初期に安定していなかったのです。 徳川体制がはっきりと「安定した」といえるようになるのは、いわゆる由井正雪の乱が収まってからだといえます。由井正雪は幕府転覆を計画したとされていますが、それがいつの頃かというと、三代家光が死んだ直後だったのです。つまり、将軍が死んで権力の空白時期があるとそういう動きが出てしまうくらいに社会不安があったということなのですね。由井正雪と共に決起する予定だった槍の達人丸橋忠弥は、一説には関ケ原の合戦で改易された土佐の長宗我部盛親の末裔だったともいわれています。 その初期には、江戸幕府は自分たちにとって危険とされる大名を次々に改易しています。豊臣家に絶対の忠誠を誓う筆頭である加藤清正の熊本藩は、二代忠広のときに改易されています。もう一人の絶対的忠誠者である福島正則の広島藩も、正則存命中にまさに言いがかりといってよい理由で改易にしています。この改易の顛末ってすごく面白いんですけどね。 徳川家康の側近中の側近であり、家康をして「我が友」とまでいわせた本多正信でさえその子の正純の代に改易されています。その改易の理由のひとつにされたのがあの「宇都宮城釣天井事件」で、本多正純が徳川秀忠暗殺を狙って宇都宮城の天井を釣天井にして秀忠を潰し殺そうとしたっていうのですが、いくらなんでも釣天井って荒唐無稽じゃないですか・笑。だけどそれを理由に改易しちゃったのです。 また、徳川家光と三代将軍の座を争った徳川忠長も、改易されてしまっているのです。徳川幕藩体制を揺るがしかねない存在は、例え側近中の側近や血族でさえ容赦をしなかったのが徳川体制です。ゆえに200年の長きに渡りパクス・トグガワーナを保てたのだと思います。 ワタクシお得意の横道話ですが、実は徳川幕府は多くの大名を改易していますが、その総数はなんとおよそ200家に渡ります。徳川の治世が約200年ですから、乱暴にいって1年にどこかの大名が1人取り潰されているということになります(実際は、家光までの時代に集中しています)。ゆえに特に外様と呼ばれた藩は常に幕府によって改易の口実を探られていたのです。そのため加賀前田藩のお殿様なんかは、愚公に見せるためにわざと鼻毛を伸ばしっぱなしにしていた(家臣にみっともないと諌められたときに「これは幕府に愚か者と思わせるためにわざとそうしてる」と答えたという記録が残っています)という涙ぐましい努力(?)の話が残っているほどです。あの伊達政宗でさえ晩年は伊達藩存続のためにかなり浅ましいこともしてるので、独眼竜ファンの間では「晩年には触れないこと」がお約束となっています。 ですから、仮に一度は大名家として取り立てられたとしても、どこかで因縁をつけられて改易されたことでしょうね。将軍候補忠長でさえ改易ですからね。保科正之レベルの滅私奉公絶対忠臣能力優秀ぶりをすれば話は別かもしれませんが、保科正之はパクス・トクガワーナ体制を作り上げたほどに優秀であった挙句に豊臣秀長と匹敵するくらいに自分の名前を隠した「理想のナンバーツー」でしたからね。ちなみに保科正之は秀忠の子でありながら、松平も名乗らず名前に家の字も使わずという徹底した謙遜ぶりです。 ですからもし残れたとしたら、豊臣はもちろん松平も名乗らず秀の字も家の字も使わず歴史番組で「この凸凹何某という大名をご存知ですか?」「さあ、初めて聞きました」「実はこの人、あの秀頼の末裔なのです」「えーっ!?」っていうくらいの埋もれ方になったと思います。
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- ithi
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tzd78886 さん、こんばんは。 大阪での乱が問題にならないわけないので、出家して豊臣秀頼の菩提を弔う。それ以外に存続の道はないと思いますね。
- ミッタン(@michiyo19750208)
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1ではないでしょうか? 根拠はありません
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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それが秀頼の子だという事が周知の事だったら(2)もあるかもしれませんが、成人した秀頼でさえ浪人しか集められなかったのですから、驚異にはなり得ず、成長したら寺に入れるとかじゃないでしょうか。