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教育の問題?人をじろじろ見る行為を注意しない人達

冬にはロングレザーコート、オートバイでは季節問わずライダースジャケットを着ている関係か、よくじろじろ見られます。むしろ凝視ではないかと思うほど。横目で見てきたり、ひどい時にはすれ違いざまに体ごと向けてくるやからもいます。見てくるのは小学生ほどの子供が多いよう感じですが、親や祖父母の関係であろう人まで見てくる始末です。こちらは見てきているのは大体気づいています。にも関わらずその場で「じろじろ見ない!」と注意している親を見たことがありません。こちらが気になってそういう人たちを見ていてもお構いなしでさらに見てきます。こちらが特別目立つ言動をとっているならまだしも、何もしていない状態でこのような行動をするのは失礼で、非常識極まりないと思います。一体どんな教育をされてきてるんだ? ・皆さんは身内でうっかり人をじろじろ見てしまう癖がある人たちに注意したりしていますか? ただ、ぼく自身もロングコートを着ている、本革であろうライダースを着ている人がいると見ます。しかし、間違ってもその人たちの顔を凝視するようなことはしません。案外気づかれているかもしれませんが。

みんなの回答

  • takkochan
  • ベストアンサー率28% (205/732)
回答No.3

気にしないことです。 日本では、という回答もありますが、アメリカならもっとひどいかもしれません。 思ったことを言ってきますよ。 先日米国に行ったときのこと。土曜日に到着し、出張だったのでスーツを着ていたのですが、ホテルに着き、エレベータに入ったとたん数人の若者(アメリカ人)が居合わせました。私を見るなり(50台のおっさんです)、笑いながら、"What do you do?"と聞いてきました。教科書的には「仕事は何」って感じですが、お互い嘲笑するような感じでしたので、私は「この土曜日にスーツ着て何してるの」というふうに感じましたので、返事をしませんでした。そしたら、また、笑いながら"Are you Chinese, do you understand English?"と来たので "I am Japanese, and off course I understand your English." と答えたら、また、笑いながら、Ok, oKといいつつ、"Maybe he doesn’t understand English"と嘲笑しながら去っていきました。 私はぜんぜん気になりませんし、いちいち気にしていません。 人の視線なんか気にしたってしょうがないですよ。無視していきましょう。 そういえば私も若いころ、ある夏の暑い日に、バイクに乗って革ジャンに革ズボンでユースホステルに泊まったときのこと。居合わせた人に「革パンじゃん」といきなり叫ばれ、若いころからデブでしたから「ぜんぜん似合っていないよ」といわれている気分でしたが、やっぱりぜんぜん気にしませんでしたよ。 気楽に行きましょう。

UN-DG
質問者

お礼

いやはや、バカはどこにでもいるものですね。拝見していてあきれたものです。冬にロングレザーコートを着て店に入ろうとしたと時にすれ違いざまに体ごとこちらをみてきた中学生くらいのガキたちを思い出しました。相手してたらキリがないようです。回答、ありがとうございました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 こんにちは。僕も学生時代の頃、とある夏の日に革ジャンを着て歩いていたことがあります。夏ともあってサングラスに革ジャンそして小肥りでひげ面のニキビ顔の男でしたから、行き交う人の中にはジロジロと視線を送ってくる人もいましたが、中にはすれ違いざまに「夏に革ジャン、中々渋いですね」とサムアップしてくれる人もいたことを憶えています。  子ども達にとっては「珍しい格好の人」くらいの好奇心が殆どですが、大人となれば、ちと問題もあります。なぜか日本の社会は「異形」を遠ざけたり排除しようと試みます。つまりは自身がすり込まれてきた価値観以外のものに出会ったなら、どうすれば良いのかとの判断基準を持てない「金太郎飴」的な発想に基づく教育のありかたがそのまま、何の疑いも持たせずに受け継がれてきたからともいえます。  違いを認めることは外国では当たり前であっても、日本のように均質型志向の社会ではそうした「互いの違い」を認める発想はまだまだマイノリティであるともいえましょう。  お年寄りの方々は儒教の道徳や社会規範で育ってこられたとも思われますが、そうした方々からしても、相手の姿や風体だけで相手を揶揄することは人として最低ですよ、との教えも受けてこられたはずです。そうした物差しや引き出しの数は決して一つだけであるはずもなく、他にも別な考え方があるのでは?と「考えさせること」の方が、僕は教育本来の意味に適っていると思う。  電車の車内などの公共の場では、他の人にとって迷惑とも受け取れる行為を平然と行っている場合などはそれとなく視線をチラチラと送りもします。殆どの方は気付いて下さいますが、それでも気付かない方などの場合は身に危険が及ぶ可能性もありますので、残念ながら無視せざるを得ません。みんながほんの少し相手の気持ちをくみ取れれば、それだけで世の中の空気も少しは心地よくなるやもしれませんね。

UN-DG
質問者

補足

回答ありがとうございます。補足させてください。通りすがりの人に見られていた時に、見つめ返したり睨んだりしたことはありましたか?僕はこれを書き込んだ前日の昼に、コンビニでオートバイで休憩して出ようとした時に、となりに停まっていたワンボックスから感じの悪い小学生くらいの女の子にじーっとみられ、その子の祖母らしき人も女の子に声をかけられて一緒に見てきて、サングラス越しに二人が店内に入るまで睨んで見送ってしまいました。店に入る直前まで見てきたのでつい・・・。

noname#180442
noname#180442
回答No.1

 「凝視する」と感じてしまうのかもしれませんし、実際そうなのかもしれません。通常と異なる(失礼)服装など、人目を引きやすいのではないですか。そうした服装が、自分としてのポリシーならば、それを貫かれる根性が要りますね。

UN-DG
質問者

お礼

いちいち気にしていては心がもたないのは百も承知ですが、あまりにあからさまに見てくる上に、そういった行動をつつしまない人が多いので腹を立ててしまいました。流行や定番の物以外だからと言って、排他的な行為は非常識としか思えません。回答、ありがとうございました。

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