現時点からみた過去の出来事

このQ&Aのポイント
  • 過去の出来事を現時点から振り返ると、時間の経過によって出来事間の時代差を認識するのが難しくなる
  • 井伊直弼暗殺事件と元禄時代の討ち入り事件の間には157年の差があり、現在から見れば遠い過去の出来事となっている
  • 1860年の社会を考えると、その157年前の時代の社会はどれほどのものだったのか
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現時点からみた過去の出来事

※ 例えば 赤穂浪士の討ち入り事件 ➯ 元禄15.12.14   1703年  今から310年前 井伊直弼の暗殺事件   ➯ 万延元年 3.3   1860年    〃 153 〃       両事件の間には157年もの年代差がある。         ➹                                        ➹     この157年の差を今の「西暦」で検討すると、2013年 -157年=1856年     つまり、井伊直弼暗殺事件発生の4年前、っちゅ~事となる。 何を言いたいのか?  そ~!!   (1)「井伊直弼暗殺事件」発生当時の人々にとって「元禄時代の討ち入り事件」がどれほど  「昔の出来事」であった事か。   が、しかし今振り返ってみると両事件間の「時代差~年代差」を「実感できない」とは  これ如何に?  時間が経てば経つほど過去の複数の出来事間の「時代差」を認識するのが難しくなる、  と感じている。 (2)1860年 万延元年 当事の社会があのレベルであったとして、その157年前の時代とは一体  「どれほどのもの」であった事か。    と、つくづく考える今日この頃でアリマスが、(1)は勘違いなのでしょうか?

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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • staratras
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回答No.1

ご質問の趣旨は理解できます。 21世紀に生きる私たちから見たら、確かに桜田門外の変も赤穂浪士の討ち入りもはるか昔のできごとで、歴史好きな人は別として、一般にはあまり両者に年代の違いは感じられないと思います。 ただしこれは、このすぐあとに明治維新という社会の大きな変革があって、徳川幕府が存在しなくなり、武士もいなくなってしまったことが、最大の理由ではないかと考えます。どちらも同じく、はるか昔の「江戸時代」のできごととして記憶されているからです。これが少し間隔が短くて、例えば今から100年昔の大正2年に起きたことと、200年昔の文化10年に起きたことでしたら、これはさすがに「時代が違う」と考えるでしょう。 万延元年に生きていた人が元禄15年を振り返ることを想定すれば、今の私たちが万延元年を考えるのとは少し事情が異なります。150年あまり昔に赤穂事件を裁いた幕府は健在で、武士の世の中も続いていて、この事件を扱った歌舞伎や浄瑠璃が人気を博していました。このため、平成に生きる私たちが万延元年に対して「昔だ」と感じるほどには、万延の人たちは元禄時代を「昔だ」とは考えていなかったのではないかと想像します。 もちろん江戸時代でも、幕末に生きた人たちは世間に戦国時代の気風がなお多少は残っていたといわれる元禄時代と今(幕末)とでは大きく世の中が変化していることを理解していました。この変化を理解していたことを示す史料もあります。ただし比較の問題として、やはり(元禄から万延の変化)<(万延から平成の変化)だと私は考えます。 この傾向は、将来に向かってさらに加速するものと思いますので、22世紀後半の2170年ごろの人たちは、21世紀初めの2013年ごろのことを、私たちが幕末のころを「昔だ」と考える以上に「大昔だ」と考え、「桜田門外の変」が起きたころと大して違わないように感じているのではないかと想像しますがいかがでしょうか。

aksekaksek
質問者

お礼

※ 回答有難う御座居ます 質問の趣旨を理解できる、人でよかった。 (1) 平成時代に振り返った江戸時代の各種の出来事 > ひとくくりに   しがちなので「時代差」を認識しずらい。   万延時代の人   元号は違えども一連の時代 > 出来事を実感できる なるほどネ~    (2)「時代の変化」これを「社会の進化」と言い換えてもいいが、   これは加速する一方で「元禄➯万延」よりもここ160年    の方が「ずっと急速だった」事を考えれば最後の段落も納得出来る。  まずはお礼まで

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