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いじめはいじめられる方とその親が悪い

という見方に反対の方に質問です。仮にあなたが会社で酷く虐められているとします。転職した先でも虐められるとします。さらに転職しても虐められるとします。 さて、それでも自分は悪くないと思えますか?いじめを受ける方にもそれなりに問題があることのほうがほとんどではないですか?

みんなの回答

  • 3355Teach
  • ベストアンサー率11% (12/101)
回答No.35

虐める者がいなければ、虐められる者はいません。人を虐められる者にしているのは、虐める側の者です。 人は誰しにも問題があります。しかし、問題がある人=虐められても仕方がない人ではありません。もし、問題がある人=虐められても仕方のない人ならば、貴方には問題がありますから、貴方は虐められても仕方がない人ということになりますが、それで貴方は納得されるのでしょうね。 貴方は、物事の考え方が基本的に間違っています。例えは悪いですが、泥棒に入られた家の人も悪いと泥棒が言うようなものです。

noname#178692
noname#178692
回答No.34

親が悪いというのはわからないですが、ともかくいじめられる方が悪いというよりか いじめられ続けてると悪い方向へ行くとは思いますので、 いじめられている人は意を決して、いじめてる奴を殴りつけるのが良いと思いますよ。 何かやられたら、お返ししなきゃとは思います。教科書を破られたら、破り返す。 それが正当だと思います。 いじめられて育った人で、それを仕返しできなかった人間というのは、 五寸釘を握り締める勢いの恨みを持ってます。相当蓄積されるのです。 だからいじめた人は、ずっとどこかで恨まれているということですからね。 会社でいじめられたというのが続くのだとしたら、自分はそのように扱われる人間だ というのが作られてしまってる可能性があります。それはいじめられる側が悪いかというと そんなことは、ありません。やっぱりいじめたからそのようになったと思います。

回答No.33

 今晩は、一寸訂正と補足です。前前回答はA22でした、ANo21様、済みません。 虐められ易さ’とはこう考えてみると分かり易いかも、。御存知でしょうが、部落差別は関西で顕著ですね、関東では殆んど有りません、貧民街差別はありましたが、。その理由は、織田信長・秀吉が雑賀衆を破って最下層に貶めた事などに始まると言われます。  見た目でも能力でも、差別されているとは解りません。単に敗残者です。でも、落人・サンガ、汚穢業・皮剥として代々差別が固定されると、臭い汚いというレッテルが張り付きますね。人種的劣等種でもないのに、。貶められた状態が続くと、自己肯定感など思いの外です。中には特権持って逆差別もあると聞きますが、それも憎しみの対象になります。  現代でも、イジメ受け続けると同様ではありませんか? 弱い立場続くと、{怯え・慄のき}がさらに <引き寄せ>るのではないですか? 他者の攻撃性を!。そこに現れてしまうのがヴァルネラビリテ、と考えられます。 だから誰でも成りうる、人間存在の条件と看做されてます。  座標軸で、縦軸に{弱いー強い(ヴァルネラビリテに関して}       横軸に{少数ー多数(構造的状況}        を仮定すると、四隅に二面性持った集団が出来ます。例えば、弱い+多数、は虐めないかと言うとそうでもなく、イスラエルとしてのユダヤは、随分、周囲の少数者に対して攻撃的です。そうした弱者の多数派に対してニーチェが、「ルサンチマン怨念」として批判して誤解され、戦後逆批判されました。 貴兄の問題提議も同じ誤解を生んでますね、弱者批判だと。 今の座標軸はあくまで仮定ですがそれだけでも四つのイジメのタイプが出て来ます、モデルに過ぎないけど。  しかしそう絶望的でもなく、前回の参照URLの最初のブログの方の言うように、この人間の条件(虐められる)を認めた上で、その経験あるからこそ他者尊重に想い馳せられるのも人間です。その相互扶助を失くしたら、勝ち組だけ残り、その彼ら同士も滅ぼし合うでしょう。 社会と周囲の方策については、機会があれば又いつか。

  • sirosiroi
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.32

「虐められる人が悪くない」のは「虐める人が悪い」からです。これが根拠ですね。

回答No.31

 ANo21です、誤解を招いたようなので補足します。 ヴァルネラブルと言うのは、本当は人類全部の、攻撃に対する脆弱性を言ったものです。 混血などの表面的な事は単にわかり易い例としてで、むしろはっきりとは判らない弱さであり、だから集団にはっきりした異者がいない場合、誰でも成りうると言う事です。  よく言われるのがユダヤ人に対してで、見た目表面上は判然としないでしょう? 何となくです。 日本でも朝鮮人といったって判らないでしょう。あるいは異性愛者も、。言われれば、特別な少数者と判るけど、。人種的特殊性がなくとも、虐められる人には同じヴァルネラビリテが顕れてる、と言う意味で本質的と言ったのです、人間存在の条件ですから。  貴兄も、やはりどこか弱さが見えると御考えなのでしょう? だからその克服目指して本人の予防・努力と周囲の支えは怠るなと、正論です。だからといって、「悪い」と極論するのに拘る事は無いと思う。  克服可能な弱さと、イジメを呼び込むヨワサ(ヴァルネラブル)は違うんです。人間誰にもついて回る、個人では克服不可能な事。ですから本人に責任は無いのです。 パソコン不得意な私なんかが新参者として会社や集団に入れば先ず、孤立者ですね。もしそこが合わなければ誰でも成りうる。 <相手だけが悪と考える思考>は無論まずい被害者意識ですが、むしろ孤立者は逆に「アレ?私がおかしいの?」自分の方が悪い」と先ず考えがちでは? 普通に善良な人は。たとえ悪くなくともね。それ程集団の多数の権力は強いものでしょう。 なので個人で戦えないなら逃げる事も選択肢です。孫子兵法からヤクザも逃げます、ExitStrategyがあるのが良い軍隊。 でも仰るように、逃げ続けるのはできないんだよね。逃げつつ橋頭堡、支援、居場所作って克服可能な事はやらんとねえ。   用語の参照に、http://sasaki-hiroshi.com/?eid=68最後の2節。  http://cds190.exblog.jp/19131632/見出し<ヴァルネラブルなもの> http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/gendaisisou-4.htmlヴァルネラビリティ論の陥穽

noname#178692
noname#178692
回答No.30

言ってることが全て、いじめられる側が悪いとおっしゃってますね。 そのほかの人間は何も悪くないのですか? では、自分はもしその立場にたっても、意見は変えませんよね? 勿論、自分が悪かったと思うんですよね? いじめも差別もなくなりません。 もし、外国人の中にいたとしたら、差別されるかもしれません。 でも、差別されないように努力したらよかったのですって思えるんですよね? なんとか努力できますよね?その理屈だと。

suffermylife
質問者

お礼

私がもし、「そのほかの人間は何も悪くない」と言ったのならその該当箇所を出して頂けますでしょうか。論点をずらさず、質問文で何が質問されているのかもう一度確認してください。舌足らずであったことは確かですが、あなたは8番目の回答者様ですよね。お礼欄の記述を読めばわかることを質問するのはおやめください。 

noname#177476
noname#177476
回答No.29

 noname#177320ですが、虐められる方が悪いという理屈は成り立たないと思いませんか? 虐められる側が虐めてきたので仕返しで虐めたというのであればそれは『仕返しや報復目的』であって『虐め目的では無い』ですよね? 無論仕返しや報復も良くないと思いますよ。なので出来る限りそのような不法・不当な行為以外で解決するのが良い訳です。まあ当たり前ですが、しかし人間暴走する時もあるでしょうからそのような衝動的行為に走る場合もあると思いますが虐めるのは問題があると言ってるわけです。 なので虐め以外で解決できないその人の方が悪いと言ってるわけです。 又虐められる側に問題があると言いますが、それは『虐められる側に問題がある』と言って『虐めは悪くない』と『正当化したいだけ』なんですよ。それが赤ん坊レベルだと言ってるだけです。相手に問題ある事にして虐め側は悪くない。そんな理屈この世の中では通用しませんよ?それが通用するならパワハラされる側に問題があってパワハラする側は悪くない。セクハラする側は悪くなくてセクハラされる側に問題がある。レイプする人は悪くなくてレイプされる側に問題がある。虐め的なバラエティー番組作る側は悪くなくて虐められ役もしくはそれを見た視聴者に問題あると言っているのと同じだといってるわけです。その言い訳レベルが赤ん坊から幼稚園児だと言ってる訳です。

suffermylife
質問者

お礼

私は何度もお礼欄にて正当化ではないということ、虐める側が悪くないなどとは言っていないむねを書いています。虐めるのは問題がある、よって虐めは悪い、それが理解できなければ幼稚園児レベル、としか言えない貴方の論理力は幼稚園児並のようですね、これ以上同じの内容の回答は全く無意味なためご遠慮ください。

  • sirosiroi
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.28

私は質問者さまが「いじめ」と繋げて話しているので、それに対して言っています。 何か問題が起きたときに「自分が悪い」ってことはあると思います。自覚していない場合も含めて。 しかし、質問者さまは「虐められるほうが悪い」と言っています。 だからそれはわたしは違う。と言います。 実際に質問者さまは虐めじたいは悪いと思ってらっしゃるので、考え方としてはべつにそのままではいいと思います。 ただ私は「いじめられる人は悪くない」と言っておきます。

suffermylife
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですか、虐められている子供に対し、いじめられる人は絶対に悪くないと強く言い聞かせるならその子の支えになるかもしれません。そう信じる為の確かな根拠も付け加えることができるのなら、その子の支えはもっと強固になると思いますよ。根拠が無ければ盲目にし、世界を狭めてしまうと思います

  • sirosiroi
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.27

場合によると思いますけど、一対一でやってる分にはいいんじゃないですか?それが上司と部下であっても。その上司が部下に対して虐めまがいのことをしてても、私なら戦いますね。 それには悪い部分が自分に全くないなんて思ってないですよ、ただ悪い部分があったにしても虐めという手段をとるのは違いますよね? だから結果虐められる原因にはならないんです。

suffermylife
質問者

お礼

ありがとうございます。これ以上は平行線かと思います。 自分が予見、予防、反省等をしていれば明らかに防げたことであれば充分に原因と呼べるのではないでしょうか。仰っているような、いじめが起こってしまった後の対処ももちろん必要なことですが、上手くやれば早い段階で鎮火させることもできます。自分のどこが悪いかの問題設定を誤ったり、相手をただ単に攻撃非難したりすれば火に油を注ぐことになります。

回答No.26

いじめはいじめられる方とその親が悪いという見方に反対の方に質問ですと冒頭に言っておきながら、 それへの否定的な具体例として、 「仮にあなたが会社で酷く虐められているとします。転職した先でも虐められるとします。さらに転職しても虐められるとします。 さて、それでも自分は悪くないと思えますか?」と説明する。 そのうえで、 「さて、それでも自分は悪くないと思えますか?いじめを受ける方にもそれなりに問題があることのほうがほとんどではないですか?」 と諭す。 しかしだ、仮にしも、いじめはいじめられる方とその親が悪いという見方に反対の方に対する否定の意味合いで、 上記のように、「仮にあなたが会社で酷く虐められているとします。転職した先でも虐められるとします。さらに転職しても虐められるとします。 さて、それでも自分は悪くないと思えますか?」と説明したのであれば、それは、上記意見に反対の方に対する批判としては、成り立たないわけだ。 それは、必ずしも、そうである仮定が前提であり、それが質問者さんの意図しうることであった場合においてであるならば、質問者さんは、早急なぜ成立しないのかという 理由は、わかるはずである。 自分の構築した論理が、必ずしも正当性があると思えるのは、なぜそういうことなのだと疑問に思わない、いわば、認識していない、 思い込みの中にいるからなのだ。 上記の根拠は、くそ長ゲーなので、説明しないが、 必ずしも、理解できている状態というのは、なぜそうなるのかという根拠を知りえたからこそであり、 その根拠を知りえる状態というのは、他者が自らの理屈を説明するときであり、と同時に自らの知識や意見の上で自己解釈できうる時でもある。 そうすれば、わざわざ、私が理屈を述べるにあたって、必ずしもその理屈の根拠を説明しなくとも、上のように、 自らの知識や意見の上で自己解釈することにより、私の理屈を理解することができるのだ。 それでも、できないというのは、己の知識や意見が、私の理屈のそれとは、類似性のないものであるということを言っているようなものだ、 いわば、無知なる証拠であるのだ。 ま、私が今まで述べてきたことも根拠がないうえでの、いわば、概念化したうえでの、理屈でしかなく、 それを理解、共有していなければ、理解することはムリゲーだけどね。 まあ、その概念化したものを説明しようとなると、脳みそがオーバーヒートして、ゆうに原稿用紙100枚以上はかかるので、 そんな面倒なことはしませんけど。 まあ、否定されようが肯定されようが、理解されまいが理解されてまいが、どうでもよすぎワロリッシュ。 俺にとって、このふざけた理屈の論述こそが、自己満足であり、おれにとっての芸術でもあるのだよーーーーー 真理こそが、俺の生きがいであり、指標である、俺という存在は、いずれ、幾万と流れてきた、そうそうの哲学者を超える、また 同等になりえる存在なのだよ。はっやはああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 芸術は、真理の追究こそにあるのだ。

suffermylife
質問者

お礼

ありがとうございます。面白い回答ですね。  質問文が舌足らずであったのは確かですが、成立しない理由になるほどの文章だとは思いません。「方々の会社で虐められてもそれでも自分は悪くないと思えるか」という質問(≠批判)に対し、直接的にではないにしろ概ね「悪くないのでは」という回答を得られているので成立しています。ある意味すごいなという感想を持ちました。  話が全く逸れますが後半の文章は、経験等を共有していなければいくら理屈を展開したところで齟齬が起こるということでしょうかね。そういうことなら、やはりいじめっ子にいじめは悪だと説いてもあまり意味がありませんね。

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