自分の意思とは無関係に、体に変調が起きていたという表現は大袈裟だと身内の人から聞いたことおよび大袈裟でない表現を知りたい

このQ&Aのポイント
  • 一昨年までは体の動作が固まることが多くて、今は自由に動作できるようになりました
  • 一昨年の後半からは動作が速くなることや自分の意思で動作を止められないことがありました
  • 言い聞かせのおかげで動作の自由が戻り、ネガティブな感覚も減りました
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質問を解決させたんですが・・・

4月9日(火)、本カテゴリに「自分の意思とは無関係に、体に変調が起きていた」という表現は大袈裟だと身内の人から聞いたことおよび大袈裟でない表現を知りたいことを質問文に書きました。 Kさんが大袈裟というか、くどい感じだというふうに回答をしてきましたが、身内の人は表現自体が大袈裟だと言いました。 それと4月9日(火)、本カテゴリで質問を解決させてしまいました。 しかし個人的に添削文の内容が自分の心身に起きたことではないという部分があったために新たに質問することにしました。 以下の※印の文のニュアンスを損ねない表現を心掛けていますので、補足が重なることもあると思いますが、どうかご協力をお願いいたします。 個人的に自分の心身に起きた出来事を箇条書きにすると以下の通りになると思うのです。 ※一昨年、2011年の前半までは動作の自由が利かなかったり、体が固まったことが多かったです。それは、幻聴と耳鳴りがしている時、テレビ画面に視線が行った時(その時テレビの電源が付いていた)、テレビでアナウンサー・ナレーター・ドラマに出てくる人物(←役職名が知りたいです。)・芸能人・タレント・ゲスト・リポーターなどの声を聞いたり顔を見ている時、喫茶店で働いている時例えば控え室で昼ご飯を食べていて働いていた職員さんおよび利用者さんが控え室に用事があって来た時、家の犬および家の近所の犬の吠え声が聞こえているあるいは聞いた時、車・バイク・移動販売車が家の近くを通る時の音声を聞いた時あるいは聞こえている時など、普段の生活の様々な場面で起きました。 ※ところが一昨年の後半からは一昨年の前半まで起きた動作の自由が利かなかったり、体が固まった現象を食い止める出来事が起きました。つまり、一昨年の後半からは動作が突然止まることが減り、逆に自分の意思で止めることが出来なくなったり動作が速くなる(=体が動きすぎる)という症状が現れました。 ※このように動作が思い通りにできない時期が続いたのだが、その後自由が戻りました。要するに「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと及び体が固まるような症状が今後起きても良い」という言い聞かせがありました。(=頭の中に「動作を(自分の意思で)止める」という言葉が勝手に浮かんだということで、これで自由が戻ったということです) ※言い聞かせがある前はネガティブ(=自分の意思で体の動きを止めることの否定および動作の自由が利かないこと・体が固まるような症状が起きることの否定)な言い聞かせがあったり、自分の意思で動作を止めれなかったり、動作が速くなったり動作が止まる症状が起きることを食い止める感覚が起きました。 ※言い聞かせがあってからは動作の自由が利かなかったり、体が固まったようなことはあるものの、自分の意思で体の動きを止めることができたり、動作をすることができることが前より増えました。以前の体が勝手に動きすぎた現象は減ったりした日、全く起きない日が多くなりました。 ※の文をどなたか添削お願いします。 箇条書きで書いてくれても良いし、1つの文章にして書いてくれても構いません。 できれば貴方のわかる範囲の表現を全て教えて戴けると助かります!

noname#181272
noname#181272

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noname#194156
noname#194156
回答No.8

No.4~7です。すみません、当初の予定より投稿が遅くなってしまいました。 それでは、No.6で延期していた分の返答から始めますね。 【添削文3】 >3.に関してですが、食い止めるというより病的な解釈である「何者かが強制的に動作や体を止められるような感じの症状を止める」感覚だと言うことだと思いました。 >『何者かに強制的に体の自由を奪われたような感覚を抑える』 : ―――のではなく、何者かが“自身の体や動作を止める”ほうから“自身の体や動作を動かす”ほうへ切り替えてきた感じだと思うのです。 要するにそれは強制を伴った出来事だと思うのです。 ということでしたので、次の『 』のように訂正します。 『3.一昨年の後半からは1の症状が別の症状へ変わるという出来事が起こりました。動作が突然止まることが減り、逆に自分の意思で止めることが出来なくなったり、動作が速くなり体が動き過ぎるという症状が現れたのです。このことから僕は、何者かが僕の体の動きを封じることから、勝手に動かす方へ切り替えて来たように感じました。』 【添削文4】 添削文4に関しては、私は回答No.5の真ん中当たりで、 >「ご質問者の添削した文章で良いと思います。」と返答しています。 つまり、ご質問者が自らお書きになった添削文 >☆「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと、体が固まるような症状が今後起きても良い」という言葉が頭の中に勝手に浮かんだことで、心身の自由が戻りました。 ――とするのが良いということです。 よって、次の『 』のように訂正することにします。 『4.1~3のように動作が思い通りに出来ない時期が続きましたが、「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと、体が固まるような症状が今後起きても良い」という言葉が頭の中に勝手に浮かんだことで、心身の自由が戻りました。』 【添削文5】 >この(4の)ポジティブな言い聞かせによって、自分の意思で動作を止められなかったり、動作が速くなったり止まるという不快な症状が食い止められる感覚が起きました。 : ―――に関しては不快な症状が食い止められたのではなく、自由が戻ったということだと思うのです。 ということでしたので、 『5.ポジティブな言い聞かせがある前は、ネガティブな言い聞かせ(動作の自由が利かないことの否定、体が硬直するような症状に対する否定)がありました。しかし、このポジティブな言い聞かせにより、これまでの動作がままならない不快な症状が治まり、自由が戻ったと感じるようになりました。』 ** 何度も訂正したので、ごちゃごちゃして解りにくくなってしまいましたが、私がして来た回答の中では、【添削文1】と【添削文6】に関してはNo.4の回答が、【添削文2】に関してはNo.5の回答が、仰りたかったことに一番近いということでよろしいですね。 私は【添削文1】はそのままで良いと思うのですが、No.5で回答した【添削文2】の“俳優やタレント、アナウンサーやリポーター、それらテレビの出演者の表情や声の調子を見聞していた時”この部分は次の『 』ように短くしてもいいのではないかと思いました。 『テレビの出演者の表情や語るさまを試聴していた時』 こうすれば、そのときテレビの電源が入っていたことも、ご質問者の視線がテレビに注がれていたことも解るので、元々のご質問文よりも短くハッキリと表現でき、読み進める側も楽だしその後の状況が頭に入りやすいと思います。 ******************************************************** 次に、No.7のお礼にあったご質問に返答しますね。 >‘主観に限らず客観的な視点を報告書に添えるときも、その言葉は誰かからの借りもの(丸写し)ではなく、あなたの中で磨かれて発せられたもの(熟慮されたもの)であれば良い’という箇所で‘客観的な視点’、‘あなたの中で磨かれて発せられたもの(熟慮されたもの)’というのは何なのかがわかりませんでした。 主観をすっかり排除して生きようとしたり、客観をすっかり排除して生きようとすると、人はバランスを失って、世の中を生きて行く大切な思考も感情も失ってしまいます。 ですから、「主観に限らず客観的な視点を報告書に添えるときも、その言葉は誰かからの借りもの(丸写し)ではなく、あなたの中で磨かれて発せられたもの(熟慮されたもの)であれば良い」 ――この言葉は、“主観・客観どちらも排除せず、共にバランス良くあれば、それに超したことはない”そんな気持ちから書きました。 「客観的な視点」とは、第三者の立場を想定して物事を捉えることと考えていただければ解りやすいと思います。 それは、“主観に偏らずに一歩引いて外側から物事を見るような感覚”のことであり、先入観や思い込み・贔屓や損得勘定によらない、“冷静な視点と公平な立場で物事を考えること”でもあります。 主観とは、ともすれば感情的なものの見方に流されがちなものですが、客観的な視点があれば“理性的なものの考え方”が出来ます。 「あなたの中で磨かれて発せられたもの」というのは、権威ある人や尊敬している人が言った言葉だから、大衆が支持していることだから、いかにももっともらしく感じられるからと、周囲に流されるように安易に真似たり受け入れたりせずに、“常に自分で考察することを忘れずに、自分で責任を持って発した言葉”という意味です。 今回でこの質疑での回答を終えます。私が出来る精一杯をやり尽くしたからです。 添削に関しては、あとはご質問者の力で纏め上げて下さい。 No.7のご質問の件ですが、この回答を読んでも意味が解らなかったら、また日を改めて読んでみてください。人は日々、少しずつですが変化も成長もしますから、今日は理解できなかったことでも明日、もしくは数ヶ月後、数年後になって解ることがあります。 今は経験がなかったり実感できないことも、何かを切っ掛けにして解ることがあります。じっくり時間を掛けないと解らないことが人生には沢山ありますし、それ(じっくり時間を掛けないと解らないこと)は誰もが経験することなので、あまり悩まないで息抜きすることも覚えて行くと良いと思います。 人生に近道はないのです。 探し物を探すのを止めたとき見つかることがあるように、焦るのを止めたときに突然 ものごとが見えてきて、答えが見つかることがあります。 生き急がなくとも時が解決してくれることは必ずあるのです。 時を重ねることは即ち経験を重ねることでもあるからです。辛いことがあっても良いことも経験として残ります。 全てを望むのではなく足ることを知る、それは、ささやかなことにも充分幸せを感じることが出来るということ、拘りでがんじがらめにならないということでもあります。年老いた人が至る境地のように思われるかも知れませんが、今を生きる上でも大切なことだと思います。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答&訂正のご回答をどうも有り難うございます! No.9のお礼欄にお礼をしておきます。

その他の回答 (8)

noname#194156
noname#194156
回答No.9

No.8です。すみません、誤字があったので再投稿です。 ×『テレビの出演者の表情や語るさまを試聴していた時』 ○『テレビの出演者の表情や語るさまを視聴していた時』 No.8の回答の後半(No.7のお礼に対する返信)は、説教くさく感じたかもしれませんね。 でも、説教のつもりはないんです。頑張り過ぎないように…と、ただそれだけです。 ご質問者はこの質疑の中で私が書いた回答に対して一つ一つ、丁寧ににご説明をしてくださいましたね。 本当に何事も近道はないなと思いました。 だからこそ、人生は真剣なときは真剣に物事に打ち込み、休憩が必要なときは休むの繰り返しで良いんだと思います。 ご質問者が苦労を惜しんで説明を省いたら、きっと私はご質問を理解したつもりで終わっていたと思います。 まだ違う部分はあるかもしれませんが、それが解るのはご質問者だけですから、あとの仕上げはお任せします。

noname#181272
質問者

お礼

ここまでのご回答に対するお礼です。 No.7のお礼でのご質問について、po-ria1さんが仰った概念は分からないと感じたし、理解できなかったので身内の人にどういう意味か伝えました。 そしたら悩みが解決した気がします。 身内の人は、意味をものすごく簡単なわかりやすい言葉で教えてくれました。 勿論po-ria1さんが仰った意味よりわかりやすい解説でした。 自分でも言葉の意味は辞書などで調べたら少しは理解できるだろうと思いました。 ***** 続いて本質問に対する回答についてですけど、自分の中で起きた内容と合致していると言える内容だったので、今回で質問を解決させることにします。 以下の文章に書き換えたほうが相応しいかな、と思いました。 【1】一昨年、2011年の前半までは動作の自由が利かなかったり、体が硬直したようになることが多々ありました。 【2】それは普段の生活の様々な場面で起きました。 例えば幻聴と耳鳴りがうるさく感じた時、幻聴と耳鳴りが不快に感じた時、テレビの出演者の表情や語るさまを視聴していた時、犬の吠え声が聞こえた時、家の近所を車やバイクなどが通過する音を聞いた時、喫茶店で働いていた時で一例をあげますと休憩中に控え室で昼食をとっていたら働いていた職員や利用者が入室してきた時などです。 【3】ところが一昨年の後半、一昨年の前半まで起きた症状が別の症状へ変わるという出来事が起きました。動作が突然止まることが減り、逆に自分の意思で止めることができなくなったり、動作が速くなり体が動きすぎるという症状が現れたのです。要するに何者かが僕の体を止めるほうから動かすほうへ切り替えたように感じました。 【4】このように体の自由が利かない時期が続いたのですが、「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと及び体が固まるような症状が今後起きても良い」という言い聞かせがありました。それは自由を取り戻したとも言える出来事でした。 【5】ポジティブな言い聞かせがあるまではネガティブ(=自分の意思で体の動きを止めることの否定および動作の自由が利かないこと・体が固まるような症状が起きることの否定)な言い聞かせがありました。 【6】しかしこのポジティブな言い聞かせにより、これまでの動作がままならない不快な症状がおさまり、自由を取り戻したと感じるようになりました。 以上の出来事は、自分では薬が効いたのがきっかけで起きたと感じたおよび何者かに何かされたような感じがしてそのようになったと感じたと思います。 医者には類似質問をしていると思うので、【1】~【6】の文章を変えて短く削って伝えようと思います。

noname#194156
noname#194156
回答No.7

返信が遅くなり申し訳ございません、No.4~6です。 お礼をありがとうございました。 >‘「それが報告書である以上は、それが正解」だと思います’というのは、“「それが報告書である」と思います”という意味に思いました。 合っているかどうかが知りたいです。 端的に言えばその通りになります。 この場合の報告書とは、ご質問者が主治医に宛てたものであり“自分自身のことを書いたもの”なので、あまり他人の視点や考えが混入してしまっては不味いので、“あなた自身を失わないように書くこと”を指して“正解”という表現を使いました。 主観に限らず客観的な視点を報告書に添えるときも、その言葉は誰かからの借りもの(丸写し)ではなく、あなたの中で磨かれて発せられたもの(熟慮されたもの)であれば良いと思います。 報告書に書かれることは「あなたが経験したこと」でなければいけないし、「あなたの視点を失っていてはいけない」ので、あなたが拘りたいことも報告書にはあっても良い(拘りも報告内容の一部である)と思います。 ただし、拘りたいこと全てを盛り込むのではなく、「一番伝えたいことは何か」、「何を優先して伝えていくのか」、それが報告書を書く上で最も大切なことだと思います。 報告書は主治医が読んで意味が解らなくては困りますし、なるべく書かれた内容を即座に理解していただけるように工夫する必要はあると思います。 工夫という面で、ここで得られた回答を役立てても、あなたという人物の視点は失わずに書いていただきたいと思っています。 でも、それはあまり心配することではなかったようです。 No.6でいただいたお礼には、安易に他人の添削に納得しない、あなた自身の視点が貫かれていました。 正直なところ、内容が理解できていない箇所があるのに添削したこと自体が強引でしたが、お礼の中でご質問者自ら添削していただいたことで、仰りたかったことがかなり理解できたと思います。 時間が取れなかったので今回はいつもより短めの回答で、ご指摘の箇所に対する再添削は出来ませんでしたが、早ければ本日の午後にでも再チャレンジしたいと思います。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答有り難うございます! 続きの回答を楽しみにしています。 ‘主観に限らず客観的な視点を報告書に添えるときも、その言葉は誰かからの借りもの(丸写し)ではなく、あなたの中で磨かれて発せられたもの(熟慮されたもの)であれば良い’という箇所で‘客観的な視点’、‘あなたの中で磨かれて発せられたもの(熟慮されたもの)’というのは何なのかがわかりませんでした。 他人に添削してもらった文章がわかりやすく、担当医師に症状などを伝えるのに適した表現が熟慮されたものかと思いましたが・・・

noname#194156
noname#194156
回答No.6

No.4,5です。 何度も すみません、やはり添削し直した方が良いと思える箇所があったので、追記します。 >3.に関してですが、食い止めるというより病的な解釈である「何者かが強制的に動作や体を止められるような感じの症状を止める」感覚だと言うことだと思いました。 「何者かが強制的に動作や体を止められるような感じの症状を止める」だと、「止める」という同じ語句が2回出てきて、それぞれがどこに掛かるのか意味が取り辛くなってしまうので、『 』のように言い換えた方が良いと思いました。 『何者かに強制的に体の自由を奪われたような感覚を抑える』 これを踏まえて、添削文1、3を次の『 』のように添削し直したいと思います。 『1.一昨年、2011年の前半までの症状として、動作の自由が利かなかったり、体が硬直したようになることが多々ありました。それは、何者かに強制的に体の自由を奪われたような感覚を伴うものでした。』 『3.一昨年の後半からは1の症状を抑える出来事が起こりました。動作が突然止まることが減ったのです。しかし、逆に自分の意思で止めることが出来なくなったり、動作が速くなり体が動き過ぎるという症状が現れました。』 >食い止められる感覚とは思えません。 全てポジティブな言い聞かせがある時の出来事だと思うので、“ポジティブな言い聞かせがある前は、ネガティブな言い聞かせ(動作の自由が利かないことの否定、体が硬直するような症状に対する否定)があったり、自分の意思で動作を止められなかったり、動作が速くなったり止まるという不快な症状が止められるような感覚が起きました。”となると思うのです。 上記の“ ”の文章に関しても、「止める」という同じ語句が何度も出てきて、前後の繋がりが解りにくくなってしまうので、言い換えをした方が良いと思いました。 一つの文章で言い切ろうとすること、これもまた繋がりが解りにくくなってしまう要因となり、意味が解り辛くなります。 ですから、次の『 』のように表現すると良いと思いました。 『ポジティブな言い聞かせがある前は、ネガティブな言い聞かせ(動作の自由が利かないことの否定、体が硬直するような症状に対する否定)がありました。しかし、このポジティブな言い聞かせにより、これまでの動作がままならない不快な症状が抑えられた、と実感できるようになりました。』 上記の“動作がままならない不快な症状”とは、ご質問者が添削なさった“自分の意思で動作を止められなかったり、動作が速くなったり止まるという不快な症状”を指しています。 不快な症状に関しては、添削文の1~3に当たる箇所で全て説明しきっていますから、ここでまた説明を入れると回りくどい表現になってしまうので、“これまでの動作がままならない不快な症状”と短く言い切りました。 回りくどくなってしまうと意味が解りにくくなったり、自分でそのつもりはなくとも、聞き手には強調や誇張した表現という印象を与えてしまうので、それを避けたければ簡潔な表現に直すと良いです。 文章に書き起こすときですが、多岐にわたる報告文などでは、それぞれの項目に分けて番号を振れば、番号を示すことで説明を省略できるので便利です。  これで上手く纏められると良いなと思います。

noname#181272
質問者

お礼

お待たせしました。ここまでの回答に対するお礼です。 >ご質問者がこの文章のこの箇所はどうしても変えたくないとか、こう直したいとお考えなら、「それが報告書である以上は、それが正解」だと思います。 : ―――に関して確認の再回答が欲しいなぁ・・・と思いました。 ‘「それが報告書である以上は、それが正解」だと思います’というのは、“「それが報告書である」と思います”という意味に思いました。 合っているかどうかが知りたいです。 「それが報告書である」という意味だけだと仰っているかと思いました。 >一纏めに『 』の文章の様にしてはどうでしょうか。 『俳優やタレント、アナウンサーやリポーター、それらテレビの出演者の表情や声の調子を見聞していた時』 : そうですね。その書き換えで正しいと思います。 【4】,【5】に関しても再回答して欲しいと思った箇所があります。 No.4のお礼 >全てポジティブな言い聞かせがある時の出来事だと思うので、“ポジティブな言い聞かせがある前は、ネガティブな言い聞かせ(動作の自由が利かないことの否定、体が硬直するような症状に対する否定)があったり、自分の意思で動作を止められなかったり、動作が速くなったり止まるという不快な症状が止められるような感覚が起きました。”となると思うのです。 ―――に関してですが、‘動作が速くなったり止まるという不快な症状が止められる’というのは、自分ではない何者かが動作がままならない不快な症状を完全に止めるような感覚が起きたということだと思うのです。 こういうことは、【3】が起きていた時のみの出来事だと思うのです。 最後に今月担当医師に聞こうと思っていたことについてですが、以下の通りに質問しようと思います。 《昨年、「制止がon/offになった」とそのまま言う患者さんは先生は知らない。「止められた」「動かされた」事例は知っている。と先生から聞きました。  昨年は、職場で働いている時に、何らかの動作が滞ったり停止したりして体が自分の思うように動かなかったり、体が固まったりしたことがあったのが、意思に反して洗い物をしていると手を使って洗い物を洗う・すすぐ・拭く動きが速くなっていたことがあったということを先生に伝えました。  要するにこういうことです。  ‘何らかの動作が滞ったり停止したりして体が自分の思うように動かなかったり、体が固まったりしたことがあった’のはイコール何者かに強制的に体の自由を奪われたような感覚が起きていたということだと思うのです。  このように動作が思い通りに出来ない時期が続いたのですが、「動作を自分の意思で止める」「自分の中で症状が起きる」という言葉が勝手に浮かんだのです。  それは自由を取り戻したとも言える出来事だったと思うのです。  その後は動作の自由が利かなかったりすることはあるものの、自分の意思で体の動きを止めたり、したい動作をすることが出来ることが格段に増えました。  僕は以上の感覚に関して薬が効いたのが切っ掛けだったとか、操られた感じがしたことによってそういう感覚を感じたと思ったのです。 質問:(A)こういうような実例はご存知か。(B)勝手に体が止まったおよび、“体の動きを止められた感じがした”後に“勝手に体が動いたおよび動かされた感じがした”という実例はご存知か。(C)体の自由を奪われたような感じがした後に「動作を自分の意思で止める」「自分の中で症状が起きる」という言葉が浮かんだ。それにより、心身の自由が戻ったという実例をご存知かを教えて下さい。》 No.4の 5. の添削文も自分の心身に起きたことと合致しない箇所があると思いました。 >この(4の)ポジティブな言い聞かせによって、自分の意思で動作を止められなかったり、動作が速くなったり止まるという不快な症状が食い止められる感覚が起きました。 : ―――に関しては不快な症状が食い止められたのではなく、自由が戻ったということだと思うのです。 >『何者かに強制的に体の自由を奪われたような感覚を抑える』 : ―――のではなく、何者かが“自身の体や動作を止める”ほうから“自身の体や動作を動かす”ほうへ切り替えてきた感じだと思うのです。 要するにそれは強制を伴った出来事だと思うのです。 もう一度po-ria1さんからの回答が来ると幸いです。

noname#194156
noname#194156
回答No.5

No.4です。対面のように一つ一つ聞き取りながらと言うわけにはいかないので、難しい面がありますが、ご質問者が書きたかった表現が纏まりつつあるようですね。 >最後にこういうことがあったということを今月の診察でだと思いますが、先生に伝えようと思います。 私は、ここでの私の回答はあくまでも参考意見であって、最終的に纏めるのも解決するのも、ご質問者であるという考えです。 また、そうでなければ意味がないと思います。 ですから、ご質問者がこの文章のこの箇所はどうしても変えたくないとか、こう直したいとお考えなら、「それが報告書である以上は、それが正解」だと思います。 ご質問者は、他人と遣り取りしながら考えを纏めて行くタイプの方のようなので、No.4のお礼に対して返信していこうと思います。 No.4のお礼には、添削のどの項目からの引用であるかを示す番号表記はありませんでしたが、便宜上 引用符の後に番号を【 】で補わせていただきました。 >>【2】電源の入ったテレビ画面に視線が行った時・テレビに出演している俳優やタレント、アナウンサーやリポーターの会話を聞いたり顔を見た時… : この文章の解釈について役職を持った人の‘会話’とは思いません。 アナウンサーはニュース解説していた、リポーターはある場所から中継していたのを 聞いたのです。(中略) 俳優(出演者)の場合、連続ドラマなどで演劇していたのを聞いたということです。 なので会話という解釈は違っているように思います。 ―― では、一纏めに『 』の文章の様にしてはどうでしょうか。 『俳優やタレント、アナウンサーやリポーター、それらテレビの出演者の表情や声の調子を見聞していた時』  原文(ご質問者が質問に元々書いていた文章)は詳細な事実を記したものですから、このままで正しいのですが、あまり克明に伝えようとすると話が長くなり、聞いている側が前後の繋がりを追いづらくなり、却って話のポイントが掴めなくなったりするので、『 』のように短くしてしまっても良いと思いました。 定規で測ったように正確な文章にしようとすると、却って難解になったり誇張したような表現になってしまうからです。 >【4】「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと、体が固まるような症状が今後起きても良い」という言葉が頭の中に自然と浮かび、それを言い聞かせることで心身の自由が戻りました。 : この言い換えに関して自分なりに添削してみました。 ☆「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと、体が固まるような症状が今後起きても良い」という言葉が頭の中に勝手に浮かんだことで、心身の自由が戻りました。 言い換え文についてpo-ria1さんはこれでいいのか、答えて欲しいと思いました。 ―― 結果を先にいます。「ご質問者の添削した文章で良いと思います。」 元のご質問文はこうでしたね。 >「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと及び体が固まるような症状が今後起きても良い」という言い聞かせがありました。(=頭の中に「動作を(自分の意思で)止める」という言葉が勝手に浮かんだということで、これで自由が戻ったということです) ここは添削していて最も悩んだ箇所ですが、書かないことには、ご質問者の本当の気持ちが解らないので、ご自身に添削していただく目的もあり、敢えて添削文を書くことにしました。 上記の原文の「言い聞かせ」の主語は、あなたの感覚では「自分でしたことであるという感覚が希薄」なのでしょうね。 私の添削文だと「言い聞かせの主」=「ご質問者」ということがハッキリしています。 しかし「言い聞かせの主」は、ご質問者の添削文だと自分の意思ではないような印象です。 私が添削で書いた、主語がご質問者である「言い聞かせることで」 「自然と浮かび」という表現は今回のご質問者の手による添削文ではなくなり、「勝手に浮かんだ」と一つに纏められています。自分の意思で言い聞かせたのでもなければ、自発的に言葉が浮かんだのでもないという感覚があるような印象なので、ご質問者の添削文が今のあなたの心情を伝える正しい報告文なのだと思います。 >3.に関してですが、食い止めるというより病的な解釈である「何者かが強制的に動作や体を止められるような感じの症状を止める」感覚だと言うことだと思いました。 これに関しても、私はもとのご質問の文章表現を生かして添削したつもりでいましたが、“「何者かが強制的に動作や体を止められるような感じの症状を止める」感覚”という表現が、今回のお礼では加わっています。 これで、あなたが報告文で本当に書きたかった表現は、大方出揃ったのではないでしょうか。 私が出来ることは、解りよく言葉を補ったり、前後の繋がりが解りやすい文章に直すこと、そのときあなたが感じていた気持ちを確認することですが、No.4のお礼で詳しく返答いただきましたので、私が添削する箇所はもうないと思います。 報告文では、あなたが感じたことをありのままに伝えることが大切なので、前回のお礼で報告いただいたことをもとに、報告書を纏めて行くと良いと思います。 なお、「大袈裟ではない表現」というのは、あなたの気持ちが安定してくると自然と備わってくるのではないでしょうか。 「大袈裟な表現」というのは悩みの深さと比例していると思います。 このことは、考えを整理して解りよく伝えようとするだけでも、かなり改善できると思います。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答有り難うございます! 後ほどNo.6のお礼欄で返信することにします。

noname#194156
noname#194156
回答No.4

全体を添削しました。 *** 「自分の意思とは無関係に、体に変調が起きていた」という表現自体が大袈裟だと身内から言われ、それでは適切な表現を教わろうと、昨日、本カテゴリで質問をし当日には解決させて締め切りました。しかし、改めて添削文を読み返すと、自分の心身に起きた出来事と合致しない部分があった為、新たに質問し直すことにしました。 今回は、以下の文章のニュアンスを失わないように添削していただきたく、補足が重なることもあると思いますが、ご協力よろしくお願いいたします。 1.一昨年、2011年の前半までの症状として、動作の自由が利かなかったり、体が硬直したようになることが多々ありました。 2.1の症状は普段の生活の様々な場面で起きました。実例は以下の通りです。 幻聴と耳鳴りがしていた時・電源の入ったテレビ画面に視線が行った時・テレビに出演している俳優やタレント、アナウンサーやリポーターの会話を聞いたり顔を見た時・犬の吠え声が聞こえた時・家の近所を車やバイクなどが通過する音を聞いた時・喫茶店で働いていた時(休憩中も症状が出たことがありました。控え室で昼食をとっていたら、突然、職員や利用者が入室して来た時などに起きました。) 3.一昨年の後半からは1の症状を食い止める出来事が起きました。動作が突然止まることが減ったのです。しかし、逆に自分の意思で止めることが出来なくなったり、動作が速くなり体が動き過ぎるという症状が現れました。 4.1~3のように動作が思い通りに出来ない時期が続きましたが、「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと、体が固まるような症状が今後起きても良い」という言葉が頭の中に自然と浮かび、それを言い聞かせることで心身の自由が戻りました。 5.4にある通りのポジティブな言い聞かせがある前は、ネガティブな言い聞かせ(自分の意思で動いたり止めたりといった動作の自由が利かないこと、体が硬直するような症状に対する否定)がありましたが、この(4の)ポジティブな言い聞かせによって、自分の意思で動作を止められなかったり、動作が速くなったり止まるという不快な症状が食い止められる感覚が起きました。 6.今も動作の自由が利かなかったり、体が硬直したようになることがあるものの、、ポジティブな言い聞かせが出来るようになってからは、自分の意思で体の動きを止めたり、したい動作をすることが出来ることが格段に増え、以前のように体が勝手に動き過ぎることが減り、全く起きない日が多くなりました。 *** ここからは主に解説と補足になります。 >ドラマに出てくる人物(←役職名が知りたいです。) これは単に「出演者または役者」で良いと思います。 (他には「俳優・女優・タレント」などがありますが、これは殆ど役者と同義語扱いされています。プロではない人が出演する場合もありますから、「出演者」とするとプロ・アマ・一般人の区別なく使えてステータス(社会的地位)が解らないときにも適していますから、個人的には「出演者」とするのが良いと思いました。 ※に関しては、上から順に1~6のように番号を振りました。 こうしておけば、ご質問者も回答者側も添削がし易いと考えたからです。 また、※と※の間は改行した方が読みやすいので、閲覧者側に内容が伝わりやすいと思いました。 ご質問ですが全体的に説明し過ぎな文章になっていると思います。 本当はもっと簡潔に直したい箇所もありましたが、それだとご質問者の感覚に合わなかったり、ニュアンスが変わってしまう様にも思えたので、この程度に抑えることにしました。 なお、「及び」や「つまり」や「あるいは」を多用すると、どうしても説明が長くなるので、なるべくなら使わずに簡潔に纏めると良いと思いました。 説明調になってしまうのは高機能自閉症の特徴だと思いますが、短く表現できるところは思い切って短くしたり、ときには前後の文章を入れ替えて、全体の流れを良くするよう工夫をすると良いです。 特に説明が長く感じたのは添削文の2に当たる、症状が起きていたときの状況説明です。 犬がどこで吠えていたとかテレビの出演者に関する説明は、症状の説明にはそれほど重要なことではなく、もっと大雑把で構わないと思いました。他にも、職場の休憩室に職員や利用者が何の用事もなく入室するわけはありませんので「用事があって」の語句は不要です。 文章の入れ替えは所々でしていますが、具体的には2の「喫茶店で働いていた時」でもしています。原文では、この箇所は他の箇所よりも説明が長かったので、途中で入れると意味が解りにくくなるので最後に持ってくることにしました。 ――またしてもニュアンスが違うところがあるかもしれませんが、そこは、ご質問者にしか解らないことですので、ご自身で直してください。 >「自分の意思とは無関係に、体に変調が起きていた」という表現は大袈裟だと身内の人から聞いた 体に変調が起きるということは、つまり症状があるということです。 誰もが自分の意思で積極的に症状を引き起こしているのではありません。 皆が皆、「自分の意思とは無関係に体に変調が起きること」(例えばインフルエンザに罹りたくなかったのに、突然40度の高熱を出すこと)で、「これは不都合なことが起きた。悪い病気をしてしまったのだな」と考えたり、不安になったりするのです。 多分、身内の方は「自分の意思とは無関係に症状が現れるのは当たり前」なのに、そのことをわざわざ説明するのが大袈裟だと言いたかったのではないでしょうか。 ご質問者は、あまりにも体の自由が利かなくなったことに不安や疑問を抱いたのだけれど、その悩みの深さを身内の方とは共有出来ているとは思えないので不満や不安があるのかも知れないですね。でも、「大袈裟だ」というのは、あなたを安心させたいという気持ちがあってのことかも知れません。 「僕が不安にならないように大袈裟だと言っているの? それとも、感覚的に馴染まないから?」と訊いてみてはどうですか。直接理由を聞いた方がスッキリするかもしれないですよ。 治まって来ているとはいえ、体の自由が利かない症状は確かに不安なものでしょう。 既に済んでいるのなら余計なことですが、脳波検査やMRI検査を受けてみては如何でしょうか。 それと、ご質問者が補足をしたのに、回答者から返信が来ないときは、出し惜しみや意地悪をしているのではなく、「回答者なりに精一杯の回答をし終えたのだとポジティブに解釈してください」よろしくお願いします。

noname#181272
質問者

お礼

詳しいご回答をどうも有り難うございます! 身内の方は「自分の意思とは無関係に、体が変調が起きていた」という表現イコール言い方が大袈裟だと言いましたし、仰るようにそのことをわざわざ説明するのが大袈裟だと言いました。 変調が起きていたというのは症状だということは知りませんでした。 添削文も考えて下さり、幸いです。どうも有り難うございます! しかし自分の心身に起きた出来事と合致しない箇所があったので、そのことについてをお礼で言います。 >電源の入ったテレビ画面に視線が行った時・テレビに出演している俳優やタレント、アナウンサーやリポーターの会話を聞いたり顔を見た時・犬の吠え声が聞こえた時・家の近所を車やバイクなどが通過する音を聞いた時 : この文章の解釈について役職を持った人の‘会話’とは思いません。 アナウンサーはニュース解説していた、リポーターはある場所から中継していたのを聞いたのです。 例えばリポーターが桜が咲いている東京地方から、桜の見頃情報を中継していた感じだと思うのです。 俳優(出演者)の場合、連続ドラマなどで演劇していたのを聞いたということです。 なので会話という解釈は違っているように思います。 3.に関してですが、食い止めるというより病的な解釈である「何者かが強制的に動作や体を止められるような感じの症状を止める」感覚だと言うことだと思いました。 >「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと、体が固まるような症状が今後起きても良い」という言葉が頭の中に自然と浮かび、それを言い聞かせることで心身の自由が戻りました。 : この言い換えに関して自分なりに添削してみました。 ☆「自分の意思で体の動きを止めても良い」「動作の自由が利かないこと、体が固まるような症状が今後起きても良い」という言葉が頭の中に勝手に浮かんだことで、心身の自由が戻りました。 言い換え文についてpo-ria1さんはこれでいいのか、答えて欲しいと思いました。 しかし自分の心身に起きたことと合致しない箇所がありまして、 ‘ポジティブな言い聞かせがある前は、ネガティブな言い聞かせ(自分の意思で動いたり止めたりといった動作の自由が利かないこと、体が硬直するような症状に対する否定)がありましたが’までは合っていると思うのですが、‘ポジティブな言い聞かせによって、自分の意思で動作を止められなかったり、動作が速くなったり止まるという不快な症状が食い止められる感覚が起きました。’という部分が間違っていると思いました。 食い止められる感覚とは思えません。 全てポジティブな言い聞かせがある時の出来事だと思うので、“ポジティブな言い聞かせがある前は、ネガティブな言い聞かせ(動作の自由が利かないことの否定、体が硬直するような症状に対する否定)があったり、自分の意思で動作を止められなかったり、動作が速くなったり止まるという不快な症状が止められるような感覚が起きました。”となると思うのです。 >今も動作の自由が利かなかったり、体が硬直したようになることがあるものの、、ポジティブな言い聞かせが出来るようになってからは、自分の意思で体の動きを止めたり、したい動作をすることが出来ることが格段に増え、以前のように体が勝手に動き過ぎることが減り、全く起きない日が多くなりました。 : この解釈はそれで正しいと思います。 最後にこういうことがあったということを今月の診察でだと思いますが、先生に伝えようと思います。 事例も聞こうかと思います。 例えば(1)勝手に体が止まったり、「体や動作を止められた」ような感じがした後に勝手に体が動いたり、「体を動かされた」ような感じがした事例をご存知か。(2)「止められた」「動かされた」というような両者の経験が僕はあったのですが、こういう事例をご存知か。(3)「動作を止める」「症状などが起きる」という言い聞かせがあったことで、心身の自由が戻ったという事例をご存知か などを聞こうと思います。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15359)
回答No.3

 論文とか報告書などの書き方を覚えていくと良いですよ。  なににつながっているのか分からない。  後は、文節の調整かな。  それと、ざっと読んでいて感じたのがパーキンソン病の父の症状ににているかなと。レビー小体痴呆症だったかな。そのあたりの事も関係するかな。  動けなくなる。幻聴をみるというのは良くありましたから。  寝ているときに、大声を出したり、体を動かしたり、それも怖い夢などで逃げている状況で実際に体が動いて居るとかありますか? それだと可能性は高いです。パーキンソン病だとすると、難病になるので治療費とか補助が出ますよ。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! >なににつながっているのか分からない。 : このことに関してですが、文章が連結していて却ってわかりにくくなっていることを仰っているのだろうと思いました。 >寝ているときに、大声を出したり、体を動かしたり、それも怖い夢などで逃げている状況で実際に体が動いて居るとかありますか? : 眠りが深い時に大声を出したり体が動くことはありません。 怖い夢を見て大声を出したり体が激しく動くことはあります。 怖い夢などで逃げている状況で実際に体が動いている経験はあったかと思います。

  • mudpuppet
  • ベストアンサー率35% (388/1094)
回答No.2

No.1のまとめは少し間違いがあるかも知れませんね。 とはいえ※の文章を自分なりに言い替えて見ます。 ※一昨年つまり2011年のことになりますが、 その前半は思い通りに動けなかったり体が固まったりすることが多かったです。 それは以下のように普段の生活の様々な場面で起きました。 たとえば、幻聴や耳鳴りが起きているとき、 テレビがついているときにふと目をやったとき、 テレビに写ってる人が話してるのを見たり聞いたりしたとき、 喫茶店で働いていたとき、一例を挙げますと 控え室で自分がご飯を食べているときに誰かが突然入ってきたりしたとき、 自宅や周囲の家の犬が吠えるのを聞いたときやそれを聞いていた最中、 自動車が家の周りを走る音を聞いたときや聞いていた最中 などです。 ※ところが同年の後半からは、動作の不自由さや体が固まったりすることとは 逆の症状が出始めました。つまり、動作が途中で止まることがなくなるどころか 自分の意思で止められなくなったり動作が速くなりすぎたりし始めました。 これらは自分の意図した以上に早く大げさな動作でした。 ※このような自分の動作を思い通りにできない時期が続いたのですが、 その後自由を取り戻したとも言える出来事がありました。 つまり「自分の意思で体の動きを止めても良い」し、「以前のように動作が利かなくなっても良い」 という言い聞かせが生じました。 わかりやすく説明すると、 (以下意味が理解できず 回答者) ※(この文章も意味が理解できませんでした) ※上記の言い聞かせがあって以降は、昔のように思い通りに動けなくなることがあるものの、 自分の意図しない動作を止められることは前より増えました。 それに自分の意思で動作をすることも前より増えました。 つまり意図しない動作が勝手に起きるという現象が減り、 全く起きない日も多くなりました。

noname#181272
質問者

お礼

お待たせしました。No.1,2のお礼です。 まずNo.1の回答に対するお礼からです。 表現が大袈裟というのは身内の人によると普通はそんな言い方をしないとのことでした。 認識できないものがあったために「体の変調」と言う表現を大袈裟だと言ったのではありません。 表現イコール言い方自体を大袈裟だと身内の人は指摘してきたのです。 >後で投稿内容を読み返してみると、身内からの証言には納得できない点があった。 (自分の心身に本当に起きたとは思えない部分があった) そこで再度投稿してみた。 : このことに関してですけど、身内からの証言に納得できない点があった訳ではありません。 4/9に添削文を書いた回答を読んでみると、自分の心身に本当に起きたとは思えない部分があったということです。 ただそれだけのことです。 続いてNo.2のお礼です。 >>ところが一昨年の後半からは一昨年の前半まで起きた動作の自由が利かなかったり、体が固まった現象を食い止める出来事が起きました。 ―――の文ですが、必要な文だと思いました。 >自分の意図した以上に早く大げさな動作 : この文の意味が良くわかりません。僕は大袈裟の言葉の意味である「誇張」という言葉の意味も分からない状態です。 >言い聞かせがあって以降は、昔のように思い通りに動けなくなることがあるものの、 自分の意図しない動作を止められることは前より増えました。 : この文は自分の心身に起きた出来事とは矛盾しています。 正しくは、“言い聞かせがあって以降は自分の意図しない動作をしてしまうのは前より減りました”となると思うのです。 また‘昔のように思い通りに動けなくなることがあるものの’という箇所ですが、思い通りに動けなくなることは昔ほどではないという解釈が正しいです。 意味が理解できなかった所に関してですが、 >>頭の中に「動作を(自分の意思で)止める」という言葉が勝手に浮かんだということで、これで自由が戻ったということです) ―――頭の中に「動作を(自分の意思で)止める」という言葉が浮かんだことで、自由を取り戻したとも言える出来事が生じた感覚があったということです。 「動作を(自分の意思で)止める」という言葉は今後は動作を自分の意思で止めても良いという意味の言葉だと感じたり思ったのです。 >>言い聞かせがある前はネガティブ(=自分の意思で体の動きを止めることの否定および動作の自由が利かないこと・体が固まるような症状が起きることの否定)な言い聞かせがあったり、自分の意思で動作を止めれなかったり、動作が速くなったり動作が止まる症状が起きることを食い止める感覚が起きました。 ―――に関してもわからなかったのですね。 言い聞かせが生じるまではネガティブな言い聞かせがあったり、そのように操られた感覚があったということは統合失調症の患者さんに良くあることだと担当医師から聞いた覚えがあるのですが、それと似たようなことが自分の中で起きたのです。 言い聞かせが生じてからは既述したように今後は動作を自分の意思で止めても良いという意味の言葉だと感じたり思った、および今後、動作の自由が利かないこと及び体が固まるような症状が起きても良いということでそういうことも自由を取り戻したと言える出来事だと思うのです。 ここまで理解できましたでしょうか?

  • mudpuppet
  • ベストアンサー率35% (388/1094)
回答No.1

添削以前にまず質問者さんの状況をまとめたいのですが、 こういうことでよろしいですか? 4/9にこのカテゴリに質問を投稿した。 その内容は「自分の意思では操作不能な体の変調が起きていた」というものである。 「体の変調」の内容については自分では認識できないものもあったため、 身内からの証言や指摘も含まれていた。 同日に解決済みとして回答を締め切ってしまった。 しかし後で投稿内容を読み返してみると、身内からの証言には納得できない点があった。 (自分の心身に本当に起きたとは思えない部分があった) そこで再度投稿してみた。 ということだと理解しました。これに沿って別の回答欄で回答というか添削します。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 後ほどNo.2のお礼欄にお礼を書くことにします。

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    この病気は憑依現象に似た症状がありますか? 頭がジンジンする 内臓が動いている感覚 体が意思はんしてガクガクする 口がおかしい 体が意思に反してわざとらしい動きをする 体が意思に反して動く、力が入ったり ほか

  • 受身表現を客観的表現に書き換えて下さい。

    実は自分の中だけで起きた出来事について質問があります。 それは受動的な感覚の表現である“発見された(=暴かれた)の客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現が知りたいということです。 自分は、《§:幻聴と耳鳴りがきっかけだったり、テレビがきっかけの他、車・バイク・飛行機の音に接した、電話口や玄関先で話しているのに接した、喫茶店で働いていて利用者さんが職員さんに注意されているのに接したなどきっかけは様々》ですが、自分の意思で飲み食いする・起きる・冊子を読んでいてページを変えるなどの日常動作をしようとしたが、 様々なきっかけであるもの=《§:》 に気を取られて(?)意思に反してそれらの動作が緩慢になったり、停止したりしたことが過去に何度もありました。 例えばテレビ画面を少し見る→目をはなす→目をはなすのは束の間で再びテレビ画面のほうに視線が行ってしまうこともありました。 意思に反してテレビ画面から視線をそらすことができなかったときは、テレビ画面をじっと見ていたことがあって、《A:一点を見つめたまま視線が動かない状態》となったこともありました。 さらに、寝ている時でも起きている時でも体が固まったりして、寝ている間には意思に反して目が開かなかったりもありました。 ここまでのことが起きている際、自分の記憶の中の言葉『動くな』『食べるな』『飲むな』『ペンをとじるな』『裏返すな』『止める』『制限が入る』・・・・・・・・『ん〈故人の名〉』および過去に自分が体を動かしたり止めたりした記憶などが何らかによって《B:まるで暴かれた(発見された)ような感じ》が起こり、制止に至ったという訳だと思うのです。 ここまでのことは自分の中だけで起きた何らかの現象が起因していたと思われ、すべて自らの主体性を保てない状態だったと思うのです。 ここで質問です。 ★《A:一点を見つめたまま視線が動かない状態》を「目が据わる」と表現するのは、合ってますか?それとも間違いですか? 僕は、一点を見つめたまま視線が動かない状態だった時、“お酒に酔ったりしていた”訳ではありませんでした。 ★《B:まるで暴かれた(発見された)ような感じ》と文中にありますが、これは受動的な感覚の主体的表現です。 これを客観的な認識の表現または客観的な認識の主体的表現に言い換えた表現を教えて下さい。 1つだけでなく、いくつか知っていたらそれを教えて下さい。 最後に僕は抽象的な言葉、観念的な表現、比喩、皮肉などの難しい言葉を理解することが苦手なので抽象的ではない、具体的な表現であるわかりやすい言葉で答えて下さると嬉しいです。 ※以上のことでわからない箇所があったら、どこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。