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『国語』カテゴリで以前質問したことです。

『国語』カテゴリで質問をしたようなことですが、『メンタルヘルス』カテゴリにて質問させていただきます。 以前自分の中で起きた出来事について質問です。 実は、テレビ番組に視線が行ってしまった時に視線をテレビからはなそうとしたりした(違う所を向こうとしたりした)のですが、視線をテレビからはなしたりする行為ができなくなったことが何度かあったのです。要するに《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》感じだったのです。 それでこのことをokwaveで回答をくれた方とメールで伝えたのです。 そしたら相手の方は「《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現を「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」というふうに言い換えて書いてくれたのです。 《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれています。 一方、「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれていません。 相手の方は“それほど「テレビ番組の内容として印象的なもの」があったのでしょうね”とおっしゃったのですが、僕にとってはそうではありませんでした。 テレビ番組の内容には興味を示してませんでしたし、テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかったのです。 要するに統合失調症特有の「テレビ番組から目をはなそうとしたけど、制限が入って(止められて)目をはなすことができなかった」ということなのです。 要するに勝手に起きたことだと思うし、《眼球の動きを止められた》感じが1~2分起きたのではない場合、「目が釘付けになった」というのは大袈裟すぎると聞きました。 物理的に起こった現象に対する言い方、この場合「統合失調症」という病気は関係ない言い方が知りたい訳であるのです。 《眼球の動きを止められた》というのは《目の動きを中心に合わせられた感じ》であると言えるのです。 『国語』カテゴリでは《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》は無意識下においての目の「ピント調節」だと聞き、言い方としては「一箇所に視点を合わせた、視点が合った」でしょうか、と回答してきた方がいました。 ここで質問です。 受身で言う《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》という表現はどういう表現に言い換えられるか知りたいです。 言い換えの条件は、 (1)テレビ番組の内容には興味を示してなかった。 (2)テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかった。 (3)《眼球の動きを止められた》および《目の動きを中心に合わせられた感じ》が1~2分続いてなかった場合の言い換え表現を回答してほしいこと (4)言い換え表現に関して、意味は同一であること。 (5)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれた別表現を回答してほしいこと (6)『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が含まれてない表現を回答してほしいこと です。 (5)(6)に関しては表現は1つだけでなく、何個か書いて欲しいです。 なお、『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』は受身・自発・可能・尊敬を表す助動詞です。 回答下さい。

noname#181272
noname#181272

みんなの回答

noname#189246
noname#189246
回答No.2

何度も申し上げることですが、言葉尻をとらえて「受動」ではなく「可能」という意味も存在するとか、そんなことはどうでもよいのです。言葉は現世だけのものです。それはツール(手段)であり、そこにこだわっても意味がありません。大事なのはそこからイマジネーション(感覚)を伝えられるか、ということだと思います。 前回答では整理の足りない部分があったと思うし、あなたのお礼を読んでもっとはっきりしたことがあるので、述べたいと思います。 あなたが見たもの、体験したものは、脳機能障害に原因があるのか、霊障(憑依霊にとり憑かれること)に原因があるのか、どちらかです。解離性人格障害とか、統合失調症とか、そんな難しい病名は、もう忘れ去ってけっこうです。現代科学において、全くと言っていいほど解明されていない脳の仕組みなのに、精神科に何の根拠があるでしょうか。あんなものは迷信だとくらいに思っていても良いくらいです。その証拠に、精神科に通う色んな患者さんは、根本的に解決するのでしょうか?。しません。精神科の述べることなどあてにならないということです。 「意識の明確化」 霊障の場合、自分の依存心が霊障を招き寄せているのです。だから、全て自分の心の作用に原因があるのだと自分を戒めて、よくよく自己分析する態度が必要だ、と述べたのです。がしかし、幻覚幻聴が脳機能障害、つまり脳神経細胞の誤作動だった場合は、「そういうものだ」と受け止めておくしか、現在の科学では仕方の無いものです。この場合、確かに魂は脳の機能障害に振り回されているだけですから、「受動態」として受け取っても間違いではありません。ただ、もっともっと深遠の世界では、あなたが霊的成長(精神性をアップさせること)を果たすために、そういった苦難が襲っているのです。すべてが自分のためなんだと、心のどこかで思っておく諦念(あきらめ)が、あなたを持ちこたえさせるのではないか、と期待されます。 「昇華行動」 死後、現世に心残りのある霊は、現世にしがみついて、生きている人に憑依して、自分がしたいことを満足させようとすることがあります。これを昇華(満足させて欲望を落ち着かせる)行動と言います。 脳機能障害だった場合、魂にとって、眼球の動きは「受動」ですが、霊障だった場合、魂の能動的作用の一種とお考えください。これが私の意見です。

noname#189246
noname#189246
回答No.1

別の質問に多数の回答が寄せられ、消化が間に合っていない状態ではないのか、と思い、こちらに回答することに決めました。別件で考えた方が良いですからね。 まず、あなたの病気の背景から説明させて頂きます。プロフィールの方で、初めて「高機能自閉症」という言葉が出てきました。 実は、高機能自閉症と統合失調症は全然違うものだと認識しております。 高機能自閉症は先天的な脳神経の障害なのであり、知的障害に結びつくものです。これは、私は精神科に分類することに違和感を感じています。脳神経科の分野です。 統合失調症はかつて「精神分裂病」と呼ばれていた、解離性人格障害です。これは、人間が持っている多数の「一面」を、ひとりの人間としてとらえることが出来ないというもので、私の専門分野スピリチュアリズムからの視点に立てば、低級霊による「憑依」と考えることが出来る病気なのです。 私にはあなたのこの質問が、高機能自閉症と統合失調症の複合的症状の表れであると考えられ、そのことが事態の複雑化を招いたため、誰も答えなかったのだと思います。 高機能自閉症は脳神経障害という知的障害ですから、私の説明があなたに理解出来るかは分かりません。しかし、回答が寄せられないければ救われないというのであれば、フルパワーで対応させて頂きましょう。 あなたの文章は前提の間違い、おかしさがあるのです。それが、人に質問内容の難解さを印象付けています。まずはそこから紐説いていきましょう。 >《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれています。 含まれていません。ご指摘の文章は「られた」という表現ただひとつが文章の中に含まれおります。あなたがおっしゃりたいのは、「この文章は受動的だ」ということです。『られる』だと過去形になります。『ている』『ていた』も現在進行形でと過去進行形であり、「られた」というただの『過去受動』ではありません。 >一方、「《テレビから視線をはなすことができなくなった》および《目が釘付けになった》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれていません それはそうですが、意識の明確化が必要です。「なった」は自分のせいで「なった」、自分の性質のせいでそうなった、という自己責任意識の強い表現です。 つまり、あなたの文章は、細かい点をつつけば「前提が既に間違っています」。細かい間違いは「高機能自閉症」による認識の誤作動によるものと考えられます。 大局的には、あなたは「自分は受動的な筈の行動をしたのに、何で能動的なこととして捉えられなければならないんだ?」という疑問があります。これは統合失調症の部分に答えがあると思います。「誰かのせいで」と、自分の行動を他者に押し付けるのは「依存心」があるからです。依存心は他者に頼る心です。気持ちを他者に頼っているから、眼球を動かす支配力を持っている自分の権利を、他者に押し付けて、眼球を動かすことを他者のせいにしているのです。 実は、依存心が憑依霊を招くのです。あなたの依存心と憑依霊がマッチしたとき、その憑依霊はあなたにとり憑いてあなたの動きを支配してしまうのです。あなたが受動的で「自分がやった」という事実に逃げ腰の弱点に目をつけ、憑依霊が自分の不満をあなたで晴らそうとして、色々ないたずらをしたり、昇華行動を起こすのです。それが複数の人格を呼び寄せる「解離性人格障害」です。 解離性人格障害が、統合失調症に含まれることになったのではないかと思います。というのも、解離性人格障害を克服するには、別々の人格を表に出すことによって、現実のストレスから逃げている、という行為を、それぞれの人格を統合し、一つにまとめるという作業が必要になってくるからです。だから私は、「統合失調症」は「解離性人格障害」に当てはまると考えたのです。 別々の人格を一つにまとめるとはどういうことでしょうか? 心理学的には自己分析力を鍛えることによって、憑依時の意識をはっきりさせようというものがあります。明晰夢の鍛錬のように、自分が今やっていることへの意識に注目するのです。それは状況を冷静に内観するということです。 スピリチュアリズムでは、憑依は「波長の法則」によって自らが招いたものですから、ある霊の悪い波動とあなたの波動がマッチしたから、あなたは憑依を受けた、ということが出来るのです。つまり、あなたは「テレビを見る」という行動を別の霊に操作されたのです。 それはあなたの心が弱いからです。あなたが強くなって、自分の責任感を強く持ち、人のせいにしない、回答がつかなくても人のせいにしない、自分のせいだと冷静に自己分析する、という強い心が、霊のつけ居る隙を遮断するのです。霊が来ても意識が飛ばない強さです。霊を追い出して自分が眼球をコントロールするために、気をしっかり持つ、ということなのです。それによって、「波長の法則」で寄ってくる霊を突っぱねることが出来るのです。あなたの依存心が、「霊の需要」を生んだのです。霊は、あなたを利用してテレビまで楽しもうとしているのです。 私は気軽に「霊」という言葉を持ち出すと、普通の人には理解しにくいだろうなと思って、前回答では一般人向けの回答をしました。しかし、ここまでくれば、この難解なパズルのようなものを紐とくには、奥の手を出すしかありません。 これらのことが、あなたと普通の人の言葉の使い方に違和感を与えたのです。あなたは霊に支配されているから、受動の動きとして認識したのですが、他人から見たら、「霊などいない」という前提ですから、心理的に問題があるとしか思われないわけです。実は心理学的病気と心霊学には密接な関係があるのです。そこまでの見識が及んでいる人間、また、霊の概念が無くてもそこまで心理分析できる人間がほとんどいないため、このような簡易なサイトでは回答のつくはずもない質問だったのです。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 高機能自閉症は小学5年生の時、障害発達センターの児童精神科にて診断された病名です。 一方、統合失調症は19歳の時に、精神科・診療内科・神経科を共に行っている病院で医師から診断された病名です。 たしかに高機能自閉症は先天的な脳神経の障害だと思いました。 実は、自分の視線かどうかわからないものがぶつかったり、落ちたりするような感覚が高校1年生の後半、生じたのです。 今はその症状は軽くなりましたが、以前はひどかったのです。 目を開けているときに、自分が何か物を見たりしているときに見た物や見ている物の近くにある物に自分の視線かどうかわからないものが飛んでいき、物や人などにぶつかる感覚があったのです。 また、下を向いていると視線かどうかわからないものが落ちる感覚があったりしました。 目を閉じていても目の中に視線かどうかわからないものがぶつかったりする感覚やサングラスをしていてもサングラスを貫通して見ている物に向かって視線かどうかわからないものが当たる感覚などがありました。 また物を見ていると見ている物が視界に飛び込んできて辛いこともありました。 「つばが飛ぶような感じで視線かどうかわからないが、動く感じがすることだと」思った・感じたということなのですが、このことを精神科の主治医の先生に伝えたら『統合失調症の幻覚の一種で、統合失調症以外では聞いたことがない』とおっしゃいました。 こういう症状が起きて今では治りきってないことから、統合失調症の診断は否定できないと思うのです。 解離性人格障害とは考えられないと思うのです。 ☆《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』が表現に含まれています。 >含まれていません。 : に関しては、僕はこういう表現をすれば良かったかな、と思いました。 ●《視線をそらす行為を止められた》および《眼球の動きを止められた》」という表現は『~れる』『~れている』『~られる』『~られている』『~れた』『~れていた』『~られた』『~られていた』のいずれかが表現に含まれています。 たしかに受動ですが、「れる」「られる」「れている」「られている」表現は受動の意味だけでなく、可能・尊敬・自発の意味にもなると国語辞典に載ってました。 実際「視線をそらす行為を他者に止められてない」「眼球の動きを他者に止められてない」ということはそうだと思うのです。 僕は‘意識の明確化’‘昇華行動’という言葉の意味がわからないので、回答者さんに教えて頂きたいと思ったのです。

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  • 国語カテゴリに質問があります。

    実は、以下のようなものは「図式」なのか「違うのか」疑問に思いました。 (1)「言い聞かせられる」→他者に操られる (2)「言い聞かせ」→自分の中だけで起きた そこで質問です。 【A】「図式」なのか「違う」のか疑問に思ったことについて。「図式」でないとしたら、何というものでしょうか?名称を教えて下さい。 【B】「言い聞かせられる」→「他者に操られる」、「言い聞かせ」→「自分の中だけで起きた」  このようなものを言葉に変えるとどう表現するんでしょうか?1つだけでなく、いくつか教えて下さい。できれば全て教えて下さい。 例えば、以下の★印の文章があったとします。 ★僕は、自分の興味のないテレビを見ると症状が出たことが多かったんですが、テレビを見てすぐに目をそらそうとすると、何らかのきっかけで目をそらすことができなかったり、一連の動作が止まって固まったりしたことがあったんです。そういうときにテレビから目をそらして別の物を見た時に、《自分の中にあったものだと思うが、「テレビのキャスター」というふうに頭の中や心の中で発せられたことがあって、要するにイタズラをされた感じ》があったんです。 それで《    》内の文章=「他者に操られる」というふうに捉えて言った場合でしょうか? もし違ってたとしたら正しい解釈を教えて下さい。 図式というのは以下のものです。

  • ★印の質問の仕方が回答がつきやすくなるか。

    1.『頭の中で発せられた感じがあった』 →頭の中で勝手に浮かんだ 2.『視線をそらす行為を止められた』 →視線が勝手に留まった →視線が意志とは無関係に動かせなくなった →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった 3.『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』 →自分の頭の中の曲が勝手に再生された 4.『自分の頭の中の言葉が変換された』 →自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった。 5.『制止が解除された』 →制止が解けた 6.『何らかによって体の動きを止められた』 →何らかのきっかけで体の動きが制止[停止]した 7.『行為を止められた』 →意に反して行為が制止[停止]した 今日(11月11日)、上記に書いてある言い換え前の文で、「~れる」「~られる」が伴った文はどの文でも、 未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞「~れる」「~られる」と表現されるという解釈であるという回答をもらいました。(それでその質問に関しては解決しました) 僕は1.~7.のように、他人に文を言い換えてもらうことが好きですし、文を言い換えてもらいたい気持ちがあるのです。 ここで回答がつきやすくなる質問の仕方について質問があります。 以下の★印のとおりに質問をしたら回答がつきやすくなるかどうかを教えて下さい。 ★以下の未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文を、未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文に言い換えて下さい。 もし★印の質問の仕方で誤りがあれば、誤りの部分を訂正してくださると助かります。 よろしくお願いします!

  • 可能・尊敬の言い換えもできるかどうかが知りたい。

    1.『頭の中で発せられた感じがあった』 → 『頭の中で勝手に浮かんだ』 2.『視線をそらす行為を止められた』 → 『視線が勝手に留まった』 3.『自分の頭の中の言葉が変換された』 → 『自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった』 4.『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』 → 『自分の頭の中の曲が勝手に再生された』 5.『操られている』 → 『強制を受けている』 6.『制止が解除された』 → 『制止が解けた』 7.『行為を止められた』 → 『意に反して行為が制止した』 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 意に反して起きたこと前提にした言い換えの場合で、質問があります。 受身・自発・使役の助動詞「~れる」「~られる」「~させられる」がついた文の場合、受身・自発・使役の助動詞「~れる」「~られる」「~させられる」がついてない文への言い換えは可能だと思ったのです。 では、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」がついた文の場合、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」がついてない文への言い換えは可能かどうか疑問を感じたので、それについてを教えて下さい。 よろしくお願いします!

  • 『国語』カテゴリに質問があります。

    以下の文章を検討し、書き換え文を書いて下さい。 僕は本をあまり読まないし、知っている言葉もそんなに多くはないと思うのです。 【1】7月10日16時頃、メモ用のノートに自分の中で起きた出来事をメモしている最中に、耳鳴りと幻聴が我慢できなくなり始めた時刻を書くために電子時計のほうを向いた。《A:向いてすぐに勉強机に置いたメモ用のノートのある所を向いた》が、《C:不快な耳鳴りと幻聴がきっかけでAの動作が止まったり、Aの動作が困難だったりした。》これが一時的に起きた。こういうようなことは7月10日以前にも何度かあった。ノートに自分の中で起きた出来事をメモしたり、電子時計のほうを向いたりしたことなどは自分自身の記憶が元になったと思う。 : これについて、「電子時計のほうを向いた」イコール「振り返った」という意味なのです。 「電子時計のほうを向いた」イコール「180度目をそらした(振り返った)」という意味で、 Cについては主体性を保てなかったということです。 それと「振り返る」の対義語も知りたいです。 【2】6月30日喫茶店で働いて、13時半に迎えに来てもらい、14時に家に着いた。それからパソコンを起動した。パソコンを起動してから、掲示板などでメッセージが来ているかどうかチェックした。その時、文字(文章など)の中に我々が《B:こびりつけた》読み方が混じっていて、自分がそれを目にした時に、我々が《B:こびりつけた》読み方が浮かび上がった。その時、幻聴で「みんな(見るな)」と聞こえ、不快でつらかった。「みんな(見るな)」と聞こえたことについて、自分は文字(文章など)の中に我々が《B:こびりつけた》読み方が混じっていたのを目にした時に、我々が《B:こびりつけた》読み方が浮かび上がることについてを《D:否定されたことを言われた》感じがしたと思った。 こういうことがあったきっかけは自分の中で起きた何らかのことが関連していたと思われる。 ここで質問です。 Q1.Dは受動的な感覚の表現です。これを客観的な認識の表現あるいは客観的な認識の主体的表現に言い換えて下さい。それと言い換えた表現はできれば何個か教えて下さい。 この質問について、前者は受動的な感覚の表現、後者は客観的な認識の表現です。 こういうような感じで言い換えてもらいたいということです。 (1)頭の中で言わされた  →頭の中で○○という言葉が無意識に浮かんだようだった (2)まるで操られた  →無意識に体が動いた・無意識に行動していた・無意識に言葉が出た (3)昼ご飯を食べることが禁止された  →昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたした (4)脳の中身すべてが動かされている  →脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる Q2.A・B・Cの別表現をいくつか教えて下さい。1個だけでも良いです。できれば全部教えて下さい。 ★できれば《 》内の表現以外の文も言い換えてくれたら嬉しいです。 ●それと、質問内容でわからない箇所があったらどこがどういうふうにわからないのかも回答下さい。

  • どういう文章で質問したら回答がつきやすくなるか。

    ★テレビ画面に視線が行った時に起きた出来事である。テレビ画面から目を離したかったのに、離すことができなくなったこと、離す動作が勝手に止まったことがあった。そういう時に自分の意思でテレビから目を離すと「テレビのキャスター」という言葉が勝手に浮かんだ。要するにこういうことは頭の中で起きた出来事だと思う。《記憶にあった言葉を使って操られた感じ》だと思う。 ★印の文章について、《記憶にあった言葉を使って操られた感じ》を下記の解釈の表現に書き換えててもらいたいのです。   ・被害感情を無くした表現 こういう質問を『心理学』カテゴリに投稿してみたのですが、2時間以上経っても回答が1件も来ない状況でした。 意味不明な部分があるなら、どこが意味不明なのか疑問に思いました。 どのような質問の仕方が回答がつきやすくなるかを教えて下さい!