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源氏物語の翻訳について
- A.Waleyの『TALE OF GENJI』(帚木 The Broom-Tree)の翻訳について、わからない箇所や間違いについて教えてください。
- 私(馬頭)は彼女の容貌に慣れ、彼女の性格に満足していましたが、嫉妬心だけは改善されませんでした。
- 私は彼女に恐怖を与えることで彼女に教訓を与え、一時的にこの問題を解決したいと思っていました。
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今晩は。桜が満開の週末ですね。 いつも大変ていねいなお礼をありがとうございます。1つ1つ知識を確実に習得されるのに驚き、かつ啓発されます。 1)『 ”I meanwhile, becoming used to her homely looks, was well content with her character, save for this one article of jealousy; and here she showed no amendment. 』 >私(馬頭)はそうしているうちに、彼女の器量の悪い容貌に慣れるようになって、彼女の性格に十分に満足でした。嫉妬のこの一つの事柄を除いては。そしてこの点では彼女は改善を何も示しませんでした。・・・・・? ●落とし穴が多い英文ですが、正確な分析をされています。長足の進歩をされた証だと思います。 >save for this one article of jealousy・・・・・this one articleの「this」は「jealousy」を強調して言うために使っているのでしょうか? ● このような of を「同格の of」といい、「~という」と訳します。「嫉妬という一点」ですね。 save for one article of jealousyでも通じますが、前の文脈との渡りをはっきりさせるために this をつけたと思います。日本語でも「嫉妬という一点を除いては」でも「この嫉妬という一点を除いては」でも大丈夫ですね。 2)『 Then I began to think to myself ’surely, since she seems so anxious to please, so timid, there must be some way of giving her a fright which will teach her a lesson, so that for a while at least we may have a respite from this accursed business.’ 』 >それから私は私自身について考え始めました。「確かに、彼女は(私を)満足させたいととても切望して、とても臆病であるように思われるので、しばらくの 間少なくとも私たちがこのいまいましい事柄から一時的休止を持つために、彼女に教訓を教えるであろう恐怖を、彼女に与える何かの方法があるに違いないので す。」・・・・・? ● think to oneself は「ひそかに考える」というイディオムです。at least は for a whileの方を修飾しています。「少なくともしばらくの間は」です。 後はお見事の一語に尽きます。 >後半は「so that A(主語)may構文」ですか?「Aが・・・するために」? ●その通りです。知識が定着して来ましたね。 >business・・・・「事柄」ですか? ●その通りです。this accursed business = this troublesome issue of jealousy ですね。 3」『 And though I knew it would cost me dear, I determined to make a pretence of giving her up, thinking that since she was so fond of me this would be the best way to teach her a lesson. 』 >そして私は、それが私に高く犠牲を払わせるであろうことがわかっていたのですが、彼女はとても私を好きだったので、これは彼女に教訓を教える一番の方法であるだろうということを考えて、私は彼女をあきらめるふりをすることを決めました。・・・・・? ●完璧です。 >I knew it would cost me dear・・・・「dear」は副詞の「大きな対価を払って」の意味ですか? ●これも見事な分析です。品詞解析が板についてきましたね。 >I knew it would cost me dear・・・・「it」は彼女に教訓を教えるために恐怖を与えることですか? ●「状況の it」です(出現頻度が異常に多いですね)が、その実質的な内容は、おっしゃるとおりです。日本語だと「彼女には痛い思いをさせることになるが」と主語を明示しませんが、英語だと何か主語がないと文になりませんので、形式的に it をおいて、その曖昧さを以下の文章で明確なものに変えるという構造かと思います。 >this would be the best way to~・・・ここの「this」は「to make a pretence of giving her up」ですか? ●その通りです。 >彼女の嫉妬の対策を練っているようですね。(この女性以外にも)恐怖を与えるのは教訓を教えるのに有効なのでしょうか? ● 紫式部は、当然馬鹿なことだと思っているでしょう。犬を調教するときに、この手を使いますし、昔のアメリカの白人が黒人奴隷を手なずけるのにも恐怖を叩きこむことを行いました。極端な例ですが『1984』もそうでしたね。犬にはうまくいくのかもしれませんが、人間相手だと、何か嫌な後味が残りますね。現代人の多くは、「何が嫌なのか、言いたいことがあるなら、はっきりいったらどうなの?」という気持ちにさせられるでしょう。もっとも、はっきり言ったために破局となる場合も多々あるから塩梅が難しいのでしょうが・・・ ********************* 《余談》『欺かざるの記(抄)』私も読みました。国木田独歩は生真面目さではトップクラスですね。明治36年あたりは、藤村操を思わせる煩悶も見られました。「煩悶の時代」の申し子でもあるのですね。ただ女性からすれば、ああした生真面目さと嫉妬深さと偏執は息苦しいだろうなとも思いました。相馬黒光の思い出によると、独歩が求婚したときも包丁を持ってのことだったとか、女性からの視点も加味して『欺かざるの記』は読まねばならないと思いました。 それはともかく、相馬黒光にしても若松賤子にしても、フェリスや明治女学校というミッション系の学校が取り持つ縁が目につきました。 ********** 『オイディプス王』は、「三一致の法則」がimplosion とも言うべき凝縮性を遺憾なく発揮した例ですね。考えてみると能楽にしても「三一致の法則」に則っていて、現在の中に過去が蘇り、そこに不思議なカタルシスが感じられます。 今の映画などの、「それから三年後」というような物語の仕方は、いかにも散文的で、演劇的に言うと、やはり古代ギリシャ演劇が狙ったものとは違う関心に逸れていったとも言えるでしょうか。 イプセンはそうして逸れていった西洋演劇に再び「三一致の法則」を適用して観客たちを驚かせました。たとえば『幽霊』という劇がありますが、古代ギリシャ演劇のimplosion に似た効果を収めています。もしお読みになるなら、各登場人物の隠している心理は何かを想像しながら読むと、面白く読めると思います。(つづく)
お礼
今晩は。明日は天気が崩れそうです。桜が咲くと天候が気になります。 いつも大変丁寧に回答をしてくださってありがとうございます。 教えていただいたところが出てくると、勉強してきてよかった、と思ったり 教えていただいていたのに忘れてしまっていて、後でそのことに気がついて焦ったりしています。 「同格のof」は 「There are many who have the superficial art 【of】writing a good running hand」 (上手な草書体を書くという技術) で出てきていましたね。 「one article」は「一点」ですね。 「think to oneself」 は辞書を見てみたらありました。「ひそかに考える」というイディオムですね。 「at least」が「for a while」の方を修飾しているのは考えつかなかったです。 「at least~」と、at least以下の方にかかるのかと思っていました。 前の単語の方にかかることもあるのですね。 「business」というと「仕事」「職業」という単語しか頭になかったのですが 訳してみると文面に合わないので、辞書から合う意味を探しました。 (源氏物語を訳し始めて辞書をよく読むようになりました。今まで思っていた単語のイメージが どんどん変わっていっています) 「dear」は名詞とした場合、冠詞がついてないのはなぜなのだろう?と考えて (ここもそうですが)、辞書をよくよく見てみたら 『a slip of the tongue that cost him dear』(彼にとって高くついたしゃべり過ぎ)(PROGRESSIVE)という例文が載っていたのでまさにこれのことなのでは、と思いました。 「I knew it would cost me dear,」ここはit~to構文(またはit~that構文)になるところを to(that)以下を省略しているのかと思い、その場合は仮主語構文なのだろうか?と考えたのですが、 ここの「it」は「状況のit」になるのですね。 極端な恐怖を与えることは効果的であったとしても受け入れがたいですね。 『1984』におけるこのやり方は確かにとても極端で、読んでいる方も恐怖を感じました。 支配する側にはとても効果的なやり方といえるでしょうね。 (そんな社会は容認されてはいけませんが) 相手の気に入らないところを直してもらう、というのは難しいテーマですね。 相手を非難するのではなく、自分はそれに対してこう思う、感じる、ということを 感情的にならないで伝えるのがいいのではないかと思ったりもします。 ********************************* 私は『国木田独歩全集 第六巻、七巻』を借りてきて最初から読んでいたのですが、 なかなか信子が出て来なかったので、七巻の途中から読みました。 一人の男性としてみると、あれだけの思いを引きずって悶々としているのは重たいです。 (『黙移』を読むと信子側からの独歩の捉え方がわかりますね。) 一方文学的に『欺かざるの記』をみると、絶望の淵に立たたされ嘆きながらもおよそ乱れた文ではなく 自分の気持ちに向き合っては神に祈りを捧げ、詩人への境地を新たにしている感じがしました。 若松賤子は小公子を翻訳した方ですね。(不幸な亡くなり方をされてしまいましたね) そもそも相馬黒光はミッションスクールの宮城女学校に入学していましたね。 当時の日本ではミッション系の学校というのはめずらしくなかったのでしょうか。 ********************************** implosion ・・・内側に破裂すること? 『オイディプス王』は短い戯曲でしたが、「三一致の法則」によって鮮烈な印象を残している作品だと 思います。能楽もこの法則に則っているのですね。観賞するには難しい、というイメージでしたが視点を定めて観るとおもしろいかもしれませんね。 表現の仕方において映像と舞台の違いがあるのでしょうか。 それぞれの良さはあると思います。 (詳しく語れるほど知識がありません) イプセンの『幽霊』、読んでみますね。 ********************************* 前回紹介してくださった三島由紀夫の『潮騒』を読みました。 とても瑞々しい小説で、三島由紀夫の今までのイメージが変わった感じです。 ギリシャ神話風に書かれたということですが、『ダフニスとクロエ』を下敷きにしているのですね。 こちらも読んで比較してみたいと思います。 (火曜日にまた投稿します)