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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:源氏物語の翻訳について)

源氏物語の翻訳について

このQ&Aのポイント
  • 源氏物語の翻訳についてのわからない箇所と訳の間違いを教えてください。
  • A.Waleyの『TALE OF GENJI』(帚木 The Broom-Tree)からの翻訳についてです。
  • 認識系動詞(find)+O+Cにあてはまりそうな箇所についても質問があります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • go_urn
  • ベストアンサー率57% (938/1643)
回答No.1

今晩は。とても寒いけれども穏やかなお正月でしたね。 また本年も埒もないことを書き連ねますが、ご笑読ください。 1)『”There are some whose lineage and reputation are so high that it never occurs to one that their education could possibly be at fault; yet when we meet them, we find ourselves exclaiming in despair ”How can they have contrived to grow up like this?”』 >彼らの血筋と評判はとても高いので、彼らの教育はおそらく落ち度があるだろうということが、人の心に決して浮かばない、いくらかの人たちがいます。けれども私たちが彼らに会う時、私たちは私たち自身が絶望して叫んでいるのに気付きます。「いったいどうやって彼らはこのように育つことを首尾よくできたので あろうか?」・・・・・? ● 完璧な訳です。難しい英文ですが、素晴らしいです。 >their education could possibly be at fault・・・・ここの「could」は 「could possibly」で調べると「おそらく」だったのですが、「could be」でも「おそらく」「たぶん」という意味だったので、「could possibly be」となるとどうなるのかよくわかりませんでした。 ● could be at fault (落ち度があるということが、あり得るかもしれない)に possibly(事によると)が強調として付加されている形です。ある英英辞典に、possibly の意味として、for all one knows to the contrary (人が、逆の可能性について知っていることにもかかわらず)という上手い定義がありました。ここに当てはめると、生まれの高貴な女性であれば、人柄もそれに応じて高貴であろうと予測するのが理の当然だが、それでもなお、事によったら...という、最後のわずかな可能性を考えてみる、というニュアンスになります。つまり possibly があることによって、could be だけよりも可能性が狭まるわけです。 >yetは「まだ」ではないと思うのですが・・・・。接続詞の「けれども」「それにもかかわらず」ですか? ● その通りです。文頭の yet は、ほぼ「しかし」の意味です。「まだ」の意味は、疑問文、否定文の場合で、しかも文頭ではないです。 >we find ourselves exclaiming in despair・・・・認識系動詞(find)+O+Cにあてはまりそうな感じがしたのですが・・・ 『In spite of his fear, he found himself enjoying the plane trip.』(:PROGRESSIVE) (こわいとは思いながら、いつのまにか飛行機の旅を楽しんでいた)というのがありましたが、それにあてはめてみると 「私たちはいつのまにか絶望して叫んでいます」になるのでしょうか?(いつのまにか、を入れていいのかわかりませんが) ● その通りです。前も出て来たように思いますが、find oneself ~ing で「いつも間にか~している」という訳にしばしばなります。訳はその時々で工夫する必要が多いです。この場合は、「絶望のあまりつい~と叫んだりする」くらいでしょうか。 >in despair・・・・・なぜ絶望しているのかわかりません。 ● 血筋、評判から期待が高まっているのに、ひどい面を見せられるからです。 >How can they have contrived to grow up like this?・・・・「 like this」の「this」はどこを指しているのでしょうか?「it never occurs to one that  their education could possibly be at fault」ですか? ● これは文中には出ていませんが、前後の関係から、その女性の(見苦しい)有り様、態度、言葉遣い等を指していると知れます。How can they have contrived to grow up like this?は反語疑問文と呼ばれるものですね。「よくもまあこんなにひどく育ったものだ、信じられない」という気持ちを疑問文形式で述べたものです。contrive が気の利いた言葉ですね。 原文も「何をしてかく生ひ出でけむと、言ふかひなくおぼゆべし」と、反語疑問文です。 2)『”No doubt the perfect woman in whom none of those essentials is lacking must somewhere exist and it would not startle me to find her. But she would certainly be beyond the reach of a humble person like myself, and for that reason I should like to put her in a category of her own and not to count her in our present classification.』 >疑いもなくそれらの不可欠の要素を欠いているものが何もない完璧な女性はどこかに存在するはずです。そして彼女を見つけることは私をびっくりさせることではないでしょう。しかし彼女は確かに私自身のようなつまらない人の届く範囲を越えているでしょう。そして、そんなわけで私は彼女を彼女自身の分類の中に置きたいものだと思い、そして彼女を私たちの現在の分類の中に数えたくないと思います。・・・・? ● put her in a category of her ownのところだけ訳が分かりにくいですが、後は完璧です。 >those essentials・・・・・「high lineage and reputation」ですか? ● 「理想の女性になくてならないもの」ということでしょうから、もろもろの美質をすべて含めていると思います。 >I should like to put her in a category of her own and not to count her in our present classification・・・彼女自身の分類の中に置きたくて、現在の分類の中に数えたくない。。。 中流階級の女性について論じてきていたのでそれが「現在の分類」なのでしょうか? ● a category of her own は、その人1人だけのカテゴリーということだと思います。今、Aクラス、Bクラス、Cクラスと分けていますが、どこにも入りそうではないので、その女性専用の、完璧クラスというのを作って、そこに属すのはその人だけにするということです。特別扱いということですね。 原文は「上が上はうちおきはべりぬ」で「上が上」は、注によると、「上品上生」で、一番上のクラスのことだそうです。 >完璧な女性を手に入れたいとは思っていないところが興味深いです。 ● 現代でも、いつも自分が恥ずかしい思いをしなければならないような女性はどうしても敬遠されますね。一方女性は、理想的な男性に対してそんな気持ちを持たないとすれば、ここにも、昔から変わらぬ男女の機微が捉えられているということでしょうか。 ************************* 《余談》坪内逍遥で年が暮れましたので、やはり坪内逍遥で新しい年を迎えたいと思います。ご紹介したように、坪内は律義が2本脚を生やしたような男で、やると言ったことは必ず成し遂げてきました。しかし一方で、市川団十郎の声色が上手かったそうで、そういう芝居っ気もたっぷり持っていた人だったのでしょうね。(そうでなければ劇団経営なんてできませんね。) また、彼が東大の学生だった頃、本郷の近くの根津というところに遊廓があり、そこに通って親しんだ女性がおり、その女性に押し掛けられたことがあったようで、とうとう彼女を奥さんにしたということです。無論大学教授の奥さんにふさわしい教養もなかったでしょうから、逍遥は彼女をいつもかばい、晴れがましい場に出られない彼女を慮って、一切の受賞の話を断ったそうです。 そういう意味でも、本当に律義を貫いた人だったと言えるかと思います。逍遥には「柿の蔕(へた)」といったような読みやすい随筆があり、私はそれで少し明治の文壇事情を学びました(つづく)

sweetapplechoco
質問者

お礼

今晩は。穏やかなお正月で気持ちよく新年が迎えられました。 昨年は読書の幅を広げていただいてありがとうございました。 今年はまたどんなお話を聞かせていただけるのか楽しみにさせていただきながら 投稿していきたいと思っています。 いつも大変丁寧に回答してくださってありがとうございます。 「could possibly be at fault」で捉えるとよかったのですね。 possibly(事によると)が「強調として付加されている形」という説明がよくわかりました。 英英辞典に載っていた意味「for all one knows to the contrary」の「for」が「・・・にもかかわらず」なんですね。英英辞典を読むのも勉強になりますね。 「人が、逆の可能性について知っていることにもかかわらず」という定義は覚えておくと、内容を理解する上で役立ちそうですね。 find oneself ~ing で「いつも間にか~している」という訳は頭から抜け落ちてしまっていました。今度は覚えておきます。 ”How can they have contrived to grow up like this?”の「like this」がよくわからなくて絶望して叫んでいる理由もすんなり入ってこなかったのですが、説明をいただいて期待が高まった女性からひどい面を見せられて絶望し、このセリフが出たというのがよくわかりました。 「何をしてかく生ひ出でけむと、言ふかひなくおぼゆべし」はなんとなく反語疑問文だというのが感じ取れます。 a category of her own は完璧な、特別な、その女性専用のクラスなんですね。すごいですね。 そんなクラスに入れることができる女性がいたとしたら。 原文の「上が上」は「上品上生」の意味なんですね。 「上が上はうちおきはべりぬ」を訳すのも英語と同じように難しいです。 人はちょっと抜けているところがある方が愛されるような気がします。 何を理想とするかというのもありますが、 理想的な人から愛される、というのは女性にとって嬉しいことだと思います。 ********************** 坪内逍遥は多才な人だったという事がお話を聞かせていただいてよくわかりました。 『小説神髄』では演劇との比較もいろいろ書かれていますね。 (市川団十郎についての記述もありました。) 一人でこもって読んだり、書いたりしていたのではなく、 外にいろいろ目を向けて活躍された方なのですね。 遊郭で親しくなった女性を正式な妻に迎えたというのは 逍遥の律義さでもあり、人間の幅でもあるのでしょうか。 奥さんを大事にされていたのですね。 貫くというのは本当に強い意志がないとできないことです。 「柿の蔕」も近日中には読めるかと思います。 (また明日投稿します。)

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