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中学高校時代の独特な雰囲気とは?スクールカーストの影響
- 中学や高校時代、動作や雰囲気が独特な人間はその特徴だけで受け入れられにくい存在でした。
- スクールカーストにより、特定のグループ以外からの受け入れが難しくなっていました。
- 動作や雰囲気の独特さは、彼らのルールや規範に合わないとされ、排除されることがありました。
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ビートだけしが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言ったように、日本人は何事に関しても突出する事を嫌います。 簡単にいえば、そこそこすべて平均にできるのが好まれる。 私は米国の米国企業でロシア人、インド人、フランス人、アメリカ人、中国人などと働いていますが、そもそも雰囲気が違うとか、習慣の違いしかない。 例えば、ある同僚はベジタリアン。だから彼とはステーキハウスに行けない。ある同僚はいつと家から持ってくる食事しか食べない。チームで一緒に食事に行っても、本当に水しか飲まない。 こういうのを見て来ているので、あなたのいうスクールカーストは、北朝鮮を笑えないくらいの低いくらい自由がないかもしれない。 ま、本当のカースト、つまりインドのカーストはもっと深刻ですけどね。 ちなみに、社会や組織のルールは守るというのも日本人の発想。こちらの発想は、ルールとは交渉次第で変更できるもの。
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- JqqF
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多数派と少数派の関係性について意見します。これは学校内のみならず、社会の勢力の問題です。 多数派は社会の歴史の中で常に多数派として生き延びてきました。それは彼らのなかに、多数派でなければ生き延びれない性質があるからです。 少数派も社会の歴史の中で常に少数派として生き延びて来ました。多数派に比べ、他人に依存する性質が少ないから、少数派であることに困らないのです。多数派の性質は存在の担保を他者に依存する傾向が強い、だからこそ多数派であることに固執します。 どちらにとっても、共存を求めることが大切です。共存を求めない者は淘汰されるからです。 それは、少数派にとっては多数派の性質を尊重することですし、多数派にとっては少数派の性質を見逃すことです。 学校内では、社会性の学びが未開であるもの同士の勢力争いなので、数に押されてしまいがちですが。現社会全体をみる時には均衡の取れたバランスであることを、どちら側の勢力も、いずれ目の当たりにします。
お礼
少数派も必要なんですね 有難う御座いました
お礼
日本人は善悪よりも秩序を重んじますね これが、「日本教」と云われるもの何ですね あなたのいうスクールカーストは、北朝鮮を笑えないくらいの低いくらい自由がないかもしれない。 大学くらいからは、組織のルールを守ればそう云う態度を取る人は居なかったのですが、 中学高校は幼稚なレベルで勝手な枠組みを作っていたのですね