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鯨肉食批判について

このカテゴリでときどきあがる捕鯨問題についての質問です。(私は鯨肉を食べたいと思っている立場です) 捕鯨反対の立場の意見で、「絶滅危惧から乱獲はいけない」というのは理解できますし、それに対する「過剰保護による増加でかえって環境を破壊している」という反論は、きちんと議論が成立していると思います。 しかし、もうひとつ「野蛮な行為であるから」という意見は、捕鯨反対派の感情的な、しかし一番大切な部分を示す意見だと思いながらも、その肝腎なパトスが通じてこないのです。世界的に多数派だから、普遍的に共有された感情や倫理観だと思われているのでしょうか。「牛がよくて鯨はいけないとはこれいかに」という反論は、ロジカルですが、感情の問題をクリアするにはすれ違ってしまいますよね。 伺いたいのは、この感情・倫理観の部分の説明です。「こういう説明ならどうか」という捕鯨反対の方のご意見は勿論、「この話で相手の立場が少しは納得できた」という賛成派のご意見でも結構です。 想像ですが、倫理的・感情的に人肉食に準ずるような認識なのかとも考えます。昆虫食のように「気持ち悪いから自分は食べない」とは違い、「何人たりとも食うべからず」になるのはなぜでしょう。ちなみに私は犬の肉を食べたことはありませんが、出されたら抵抗なくいただくと思います。 「野蛮人の食文化」「(白人の)エゴ」なんて言葉で片付けて、議論の放棄・全面抗争をしたくありません。理解したいと思っています。よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.5

日本は、食べ物が市場にあふれており、かえって余って、たくさんの食べ物を捨てています。それなのに、日本人の一部の世代のノスタルジーのニーズのために地上で最も大きな鯨を捕って食べたいといいます。 でも鯨肉は余るでしょうし、結局余った肉は廃棄処分になります。どうせ食べ物を無駄にするだけなのになぜ捕鯨が必要なのか私は疑問に思います。 昔の人は確かに、捕鯨をしていましたが、それは食料として非常に貴重な動物たんぱく質だったからで、捕った鯨を村人全員と平等に分け合い 食べていました。もちろん肉が余ると言うことはなく、純粋に生きるために食べていました。でも、今の日本の事情は全く違います。食料に余っているのに、地上で一番大きな鯨を捕りたいのです。一部の人のノスタルジーの嗜好のために。それはものすごいエゴだと思います。もったいないと思います。動物を屠らないと人間は生きてはいけませんが、飢餓の危機でもないのになぜ、地上で一番大きな鯨を捕らないといけないのでしょうか…日本人はそのことを考えていないと思います。

baihu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 古い質問を閉じずに置いていてよかったです。 食肉を含む多くの食材を廃棄してしまうような先進国?のライフスタイルは心から恥ずべきものだと思います。これは野生動物・家畜でも、水産資源でも、農作物でも、すべての「食物」において私は同じ考えです。(これは生命を奪うという「食」に限らないとも思います) ここで、hana111777さんのコメントには、私が感じている上記の憤りとは少し違うニュアンスが読み取れました。 ひとつは「地上で一番大きな鯨」という表現です。 牛や豚についても同じならば、私もこのお考えに共感できるのですが、なぜ鯨が特殊なのでしょうか。「地上で一番大き」いという事実で自明なのでしょうか。この、省かれたところを教えていただけると、私の質問の意図にダイレクトにつながります。 もうひとつは「一部の世代のノスタルジー」です。ここは私はあまり意識していなかったのですが、hana111777さんは日本人の捕鯨・鯨食に対して世代的な意識の違いを感じていらっしゃるようです。 昔よく食べていて口になじんでいるから、懐かしんで食べたくなるということはあるのかもしれません。ほとんど食べたことがない「世代」の人が好んで食べたいと思わないこともあるかもしれませんね。 私自身の食経験について言えば、恐らく幼いころに鯨肉が食卓にのぼった最後くらいの世代だと思います。親は比較的親しんでいた世代でしょう。hana111777さんは、そういう意味では、日本が鯨を食べなくなってからの世代の方ということかと推察しますが(違うかもしれませんが)、経験からの認識の違いというのはとても大きいものだろうと気が付きました。 ご意見ありがとうございました。

  • emsd
  • ベストアンサー率50% (27/54)
回答No.4

#3です。追加でご質問いただいた件も含め補足させて頂きます。 >これは知りませんでした。非常に意外に感じて「本当?」と思いつつ、実のところそんなものなのかも、とも思います。ニュースソースをご存知でしたらぜひ教えてください。 結構時間が経ってしまっているのですが、一応下記参照下さい。 http://www.jca.apc.org/~altmedka/kujira-14.html 当時、TVも含めた各メディアでも取り上げられていた内容です。NHKやテレ朝,TBS等でも取り上げられていた記憶があります。しかし「鯨の生息数が充分あり、国際管理されている条件でなら捕鯨に賛成か?」という設問自体誘導尋問だとして、反捕鯨派からは捕鯨賛成意見としての根拠としては妥当性無し、と反論されていた調査内容でした。 でも、生息数が充分で、きちんと国際的な捕獲制限がなされている捕鯨であれば賛成、という意見がこれだけあるというのは、別の見方をすると如何に一部の偏向した意見が主流を占めるようになってしまったかを示す結果だと思います。 http://www.whaling.jp/hanho.html 一応私が紹介した団体に捕鯨推進団体が出した公開質問状と、その回答も載せておきます。(当然、こんな回答が欲しい訳でも無いですよね) >「原理主義者だから話しても無駄」になると、これは原理主義者側ではなく、発言者の側の「壁」です。 おっしゃる通りです、健全な好奇心をお持ちの方とお見受けします。なんでそういう風に考えるの?と疑問をもちますよね、知りたいですよね。 >……と、トレース実験をしてみました。(^^; あーそれって、ありだと思います。特に、トンデモ本なんか出している一部のホエールウォッチングマニアはそんなイメージで捉えている印象があります。 但し、「ホントはどうよ」って中々引き出すの難しいと思いますよ?オウムの信者に「何で?」って聞いても、中々本音って聞き出せないじゃないですか...。まあ、気長に回答を待ちませんか?反対派の人たちの中にも誠意のある人たちはいるでしょう。それを信じてまちましょうよ?

baihu
質問者

補足

回答重ねてありがとうございます。 意識調査については、丁度私がメディアから遠ざかった生活をしていた頃だったからか(^^;;;、不勉強でした。私の質問している倫理観、「(クジラがいくら増えようが)何人たりとも獲って食うことあたわず」は、そう普遍的なものではないのかもしれませんね。 「乱獲反対」はどちらの立場でも同じで、コンセンサスになっている、と。その先の方法のところで、「この制約なら大丈夫でしょ」「そんな制約だときっと乱獲する」となる。この議論なら健全で理解できます。原発をめぐる議論と近く、要は「信頼」の問題だと納得できるからです。住基台帳や憲法9条も、ほとんどすべての人にとって、この「信頼」がポイントだと考えています。 捕鯨に関して、どうも私は「乱獲」以前・「信頼」以前のもの(クジラの生存権?神聖な動物?)を反対の論調に感じてしまう。当然だというならその意見を、いやそれは妄想だということなら、そういう意見が聞きたい。……と、思うわけです。聞いてどうすると言われると困るのですが(笑)、大事なことだと感じるのです。そのことでここで議論をふっかけたり、論破しようとしたりするつもりはありません。 > まあ、気長に回答を待ちませんか? あ、この質問をしばらく閉めないで、開けて待っとかない?という意味ですね。ご支持ありがとうございます。(^^)

  • emsd
  • ベストアンサー率50% (27/54)
回答No.3

私も実は同じ質問を考えていたところ、貴質問があったのでアドバイスさせて頂きたいのですが、逆に以下のような捕鯨反対を表明している団体に、この質問のURLをメールで送り、回答をもらっては如何でしょう? ここらへんが有名所だと思いますが... http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/index_html (グリーンピースは少々政治カルト化していますので、気をつけた方が良いかもしれませんね) http://homepage1.nifty.com/IKAN/ ここは活動休止になったみたいですね。 http://homepage2.nifty.com/kujirahogo/ 個人的には、世界的な動物保護団体の中では WWFの考え方が一番理解できます。 http://www.wwf.or.jp/marine/kujira/ 私見ですが、動物保護原理主義の様なものが根底にある気がします。野生生物保護や反戦というテーマは、世論の同調を簡単に得られるものであり、団体の運営側からすると資金調達源(選挙票も含めですが)として魅力があるのでしょう。(最近変わりつつある様ですが) しかしご質問の趣旨は、捕鯨反対の政治的、商業的側面と一線を画している(はずの)反対派支持者の反対理由とは何か?という事ですね。 その根底にあるのは、例えば”戦争反対”だから、議論も無しで”原則自衛隊反対”という反戦活動と同じ雰囲気を感じます。要するに、駄目な物は一から十までその事象に関与するものは全て否定の対象であり、議論が入り込む余地すらない、”絶対的な”正義という壁を作ってしまう原理主義です。 この絶対的正義とは何かは、やはり当事者に聞くのが一番では?と思います(実は私はそうしようと思ってました) 蛇足ですがアメリカ人の7割強が、実は頭数や捕獲量管理された上での捕鯨には反対していない、という調査結果を見たことがあります。目下のところ、強行に反対しているのは、IWC総会で日本が名指しで非難したオーストラリアやニュージーランド等が先鋒になってきている様ですね。どうしてこういう流れになったのかも併せて追っていくともっと掘り下げた答えが出て来るかもしれませんね。

baihu
質問者

補足

回答ありがとうございます。 > この絶対的正義とは何かは、やはり当事者に聞くのが一番では? その通りで、この場でその一端が伺えればいいなと思い質問した次第です。ただ日本国内では捕鯨反対は少数派となるのでしょう。そういった感情をお持ちの方からの回答が寄せられないのが残念です。 グリーンピースをはじめとする活動団体への質問はどうかとのご助言ですが、私の聞きたいことは極めて強く個人の信条に結びついたものだと思っており、組織としてのまとまった意見の形態をとらないのではないかと感じています。「本音はどうなのよ」を訊くには、あまり適当ではない気がしたのです。 原理主義的な考えが柔軟な解決策を遠ざけてしまうのは困ったことです。しかし「原理主義者だから話しても無駄」になると、これは原理主義者側ではなく、発言者の側の「壁」です。私の場合、自分がそこにはまりそうなのが嫌で、もがいてみたというところでしょう。(^^; > 蛇足ですがアメリカ人の7割強が、実は これは知りませんでした。非常に意外に感じて「本当?」と思いつつ、実のところそんなものなのかも、とも思います。ニュースソースをご存知でしたらぜひ教えてください。 再び想像ですが、捕鯨反対の方の目指すイメージに、ラッセンの絵のような、穏やかで弱肉強食と無縁の、イルカとクジラしか泳いでいないような海の楽園という、比較的新しい神話観がありはしないだろうかと思うのです。(繰り返しますがあくまで勝手な想像です) 陸であっても同様に、ウシが草を食む牧歌的風景を理想郷にできるでしょうが、いかんせん海は地球規模でつながっている。クジラ個体も世界中を回遊する。陸地の一部限定の楽園なら、他の国がどうしようが自分たちのところは守れるが、海の楽園は違う。捕鯨はあまねく自分たちの聖域を蹂躙する行為である。……と、トレース実験をしてみました。(^^; なんでもいいので、捕鯨反対の感情的・倫理的側面が感じ取れるようなヒントがないでしょうか……。

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.2

キリスト教的な倫理観では「牛がよくて鯨はいけない」のは別に矛盾でも何でもなく、至極もっともことですので、反論としては妥当ではありません。 おっしゃる通り鯨を食べるということは人肉食と同じぐらいの冒涜行為なのです。 神を頂点とするヒエラルキーは構造は知性によってのみ決められますので、知性がある(と思われる)生き物は、知性がない(と思われる)生き物よりも上位にあるのです。 ※また人類も当然、キリスト教を信じている者のほうが信じていない者よりも上位です。 その基準になる知性は脳みその大きさなどで適当に判断しますので、実際に知性があるかどうかではなく、それを人間が感じ取れるかどうかだけの問題ですので客観的・科学的な反論も意味ありません。 しかしながらこの辺の理屈づけは、結論が先にあるものなので、同じキリスト教国でも捕鯨国は気にしません。単純に知性を感じなければ良いだけの話ですから。

baihu
質問者

補足

回答ありがとうございます。大変参考になります。 失礼ながら確認なのですが、回答を拝見したところ、popesyuさんご自身はクリスチャンではないと推察します。その上で、これは信仰を持った方の発言を基にしたものでしょうか。それとも発言自体はないが、そう考えられるということでしょうか。 私も印象として、捕鯨反対派の主流はキリスト教のバックボーンを持っている人々のように感じています。

  • shota_TK
  • ベストアンサー率43% (967/2200)
回答No.1

あまり詳しく知らないのですが,簡単に言うと「捕鯨反対」と叫ぶと簡単にお金が集まるらしいですよ. http://www.nakada.net/syutyo/SYUTHO06.htm http://luna.pos.to/whale/jpn_hori.html

baihu
質問者

補足

早速の回答、ありがとうございます。 経済的理由を腹に持ちながら、別の建前を語る人がいて、そういう人たちが「鯨を食べるなんて!」という思いを利用しているわけですね。 ということは、その根拠となる倫理観(感情)があるわけで、それを知りたいと思います。 「鯨を食べるなんて私にはできない」ではなくて、「みんなも食べてはいけない」というだけの強い思いがあるのですし。儲かる人だけが捕鯨反対を叫んでいるわけではないようですから。

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