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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人に親切にしたいのですが・・・)

「過去の屈辱的な経験から親切心を持つことができない」という悩みについて

このQ&Aのポイント
  • 大学生の男性が中学時代に虐められ、それを後輩達に見られ馬鹿にされた経験から、他人に親切にすることができないと悩んでいます。
  • 特に、「良心をもって与えたものを捨てられた」という一場面がトラウマとなり、他人に親切心を持つことに対して被害妄想を抱くようになっています。
  • 質問者はこの悩みを解消するために、どうすれば過去のトラウマを忘れ、普通に親切心を持って誰かに何かをしてあげることができるようになるのか相談しています。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#246942
noname#246942
回答No.1

君の気持ちは良く分かった。 でもね、そこまで時間が経っても忘れられない記憶は、きっと一生かかっても忘れる事はない。 それは、つまり「君自身がその記憶を必要としているから」と言う答えになるのかな。 人間の脳の仕組みでは、そう言う事になっている。 「忘れられない」のではない、「忘れない」ように脳がそう判断しているんだ。 意味が分からないかな? つまり、君が思う「人に親切にしたい」と言う事と、「やっぱり親切にして傷付きたくない」と言う事では、後者の方が君に取っては「比重が大きい」「優先度が高い」と言う事になる。 何のメリットも無く、君の「比重や優先順位を変えろ!」と言う事は、「忘れる」事で解決する問題なのかな? 違うだろう? どうやっても忘れられない記憶には、必ず忘れる以外の答えがあるんだよ。 それを見つける事で、過去を今に生かす事が初めて出来るのではないかな。 例えばね、参考までに君のプロフィールを拝見させてもらったが、「質問歴」はあっても「回答歴」は一つも無いのだな。 今こうして君に回答している自分も、おおよそ「親切心」が全く無い訳ではないんだよ。 君は、その他人の親切心を、どう受け止めるつもりだ? しっかりと受け止めてくれるか?それとも踏みにじるつもりなのか? ね?全てはそう言う事なんだ。 もちろん、君がしっかりと自分の回答を受け止めてくれるのであれば、それ程あり難いものは無い。 でも、例えそれが君に伝わらなくても、君に踏みにじられたとしても、実は自分に取ってそれは大した問題ではなかったりする。 それはなぜか? 顔が見えないから?こういった場所だから?自分に取ってリアルでない人間は大した存在ではないから? 違うね。 自分は、自分自身のやっている事に対し、その全てに責任を持っている。 だから、絶対に人のせいになどしない。 だから、絶対に後悔なんかしない。 他人の言動や、自分に影響する全ての出来事は、自分自身に取ってはただの「きっかけ」にしか過ぎないんだよ。 それをどう受け止め、どう判断し、どう行動するかは自分自身が「原因」になる。 自分がこうして君に回答する事も、自分の為なんだよ。 だって、「誰かの為に」って言葉は、都合が悪くなった時には簡単に「誰かのせいで」に変わりやすいものだろ? だから、人に親切にする時も、人に親切にするのを諦める時も、必ず「自分の為に」責任を持って行動しろ。 そうすれば、君は「自分自身の存在」に気付くはずだ。 頑張ってね。

その他の回答 (2)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

何度も同じ質問をしていますよね。確か、バスケット部かなにかで、自分は一生懸命練習したけど下手でいつしかそれを後輩にもバカにされるようになってしまって、自分は努力したのに周囲は評価してくれないから始まって、お笑い芸人になりたいけどいじめた奴らがやってきてまた絡まれたりしたらどうしていいか分からないから芸人の道も目指せないとかそういってましたよね。 要するに質問者さんは同じところで足踏みを続けるだけで、一歩を踏み出さないでいるのです。で、なぜ質問者さんが一歩を踏み出せないのかというと、ご自分では「中学時代のあいつらのせい」になるのですけど、本当はそうじゃないのです。 一歩を踏み出してしまうと、「中学時代のあいつらのせい」にできないからです。 例えば芸人の道を進もうと思って養成所などに行く。だけどどうも売れない。そうなったときに「中学時代のあいつらのせい」とはいえないですよね。それって自分の努力不足になってしまう。だけど、一歩も踏み出せないなら「それは中学時代のあいつらのせい」だといえるわけです。 つまり質問者さんにとって「中学時代のあいつら」はすべての言い訳に使える万能の言葉ってわけです。だけどそれが万能に使えるのはあくまで「一歩も踏み出さない限定」なんです。一歩でも踏み出すとあとは自分の努力次第になりますから。だから、一歩も踏み出さないのですよ。 他人に親切にできないというのも、もし親切にして上手くいってしまったら「中学時代のあいつら」は関係なくなってしまうわけですよね。次に他人に親切にして上手くいかなかったらもう「やっぱり中学時代のあいつらのせい」にはできないわけです。 だからきっとこの先、質問者さんは「就職活動が上手くいかないのも中学時代のあいつらのせい」「仕事を始めたけど上手くいかないのも中学時代のあいつらのせい」「仕事が続かないのも中学時代のあいつらのせい」「恋人ができないのも中学時代のあいつらのせい」「結婚できないのも中学時代のあいつらのせい」と言い続けることになると思います。自分を成長させない限り、ずっと上手くいかないことはすべて「中学時代のあいつらのせい」にできるわけですからね。 私は子供の頃体が小さかったせいでケンカにも勝てなかったし不利なことがとても多かったので、たいしたことではなくてもわざと泣いたりして周囲の同情を買うことで生き延びてきました。だけど小学校何年生のときだったか、「泣いて同情を買うだなんて男らしくないな」と思ってもう泣いて同情を集めるのはやめることにしました。私なりに一歩を踏み出した瞬間だったと思います。 他人が質問者さんを成長させることはできません。自分の意思で、自分の足を、一歩前に踏み出すだけのことで、「やりたいのだけれど、できない」というのは自由だけどそれで他人が助けてくれるわけでもいつまでも同情してくれるわけでもありません。

noname#178467
noname#178467
回答No.2

 まず、貴君が中学時代、後輩にパンをあげた ことを「良心」と表現しているけれどそれは、 誤りです。ご自身で「しかたなく」と言ってい るのだからそれは良心ではなくて貴兄の「弱さ」 から彼に屈してしまった結果です。だから今でも それが悔しいのです。  貴兄のえらいところは良心だとか誠意だとかを 人生の価値として大切に生きようとしている所だ と思います。僕もそれを思い生きて来ましたから。  ここですべてを話しきることは不可能なので、 気になった点をお話しさせて下さい。  貴兄は自分の誠意に対して相手が期待した応答を しないことで傷ついておられるようです。 (1) 相手から何か「お返し」を期待するのは本当の  良心や誠意ではない。もちろん人間ですから、自分 の良心には相手の「良心」を望むだろうけど、相手も 何十年か自分の価値観で生きた人、ただ一度の貴兄の 「良心」ですぐさま感動して貴兄の心に答えてくれる なんてことはない。ただ僕の経験からいうと少し変わる。 何度か接すると変わってくれる、良心をみせてくれる。 でもそのためには貴兄の良心や誠意が本物でなければ。  ⇒ すぐに相手の良心や誠意を期待していては相手に   本物でないことを見透かされる。 (2) 貴兄の良心・誠意が本物になるためには、つまらない  ことを気にせずに貴兄自身の生き方・信念をよく学んで  考え鍛えていくこと。その努力を重ねると自分に自信が  うまれて本物になりますよ。  元気にいきましょう。  

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