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江戸城の事について
今の皇居は江戸城の跡地に立っているのですよね? でしたら江戸城を壊してその上に皇居を立てたということなのでしょうか? それとも空襲かなにかで燃えてしまったのでその上に皇居を立てたのでしょうか?
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- cfasfaf
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他の方も回答されていますが ただ名称が変更されただけです 当時はまだ城や町の名前を変えることは一般的だったのです 同じように同じ城でも名称変更があったケースだと 北の庄→福井 大坂→大阪 今浜→長浜 なんていうのもあります。
No.5 です。申し訳ありません。 やはり、回答に誤りがありました。1868年には東京城としているようです。(東京遷都も様々な手続きがあります。1868年時点でもいろいろな動きがあります) 先に回答された方たちの回答とかぶってしまった点もありますね。これもお詫び申し上げます。 どうも、知ったかぶりで回答してしまったみたいです。他に間違った点があるかもしれないのであくまで参考程度にとどめて頂ければ幸いです。 ちなみに現在、天皇陛下が住んでおられる御所は吹上御苑内にあります。ここは、かつて江戸城の庭園だったそうですよ。
江戸城の歴史は古く平安時代末期から鎌倉時代あたりにはすでにあったそうです。 ただ、江戸城が本格的に歴史の表舞台に登場するのは、やはり江戸時代ですね。 現在の江戸城の概観は、豊臣秀吉の命により、関東に下った徳川家康により作られたものです。 さらに、1600年関ヶ原の戦いに勝利し、天下の実力者となった徳川家康は1603年に征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。当然、家康は天下人にふさわしい立派な城に拡張します。 家康の死後も江戸城の建設や拡張は非常に長期にわたって行われました。 以後、この江戸城が幕府の中枢となります。 1867年の大政奉還で幕府終焉さらに、翌年1868年江戸城開場により徳川将軍の城としての役目は終えます。1869年の東京遷都により江戸城は東京城さらに皇城とされます。1888年には宮城、1948年に皇居と名を改めます。 本題ですが、江戸はとても火事が多かったのです。それもあって江戸城でも火事はしょっちゅうあったそうです。特に1657年(4代将軍家綱の治世)の明暦の大火により天守閣は他の建物とともに焼け落ちてしまいます。その後、江戸城は再建が行われますが、天守閣は石垣は作られたものの再建されませんでした。理由として、財政難、街の復興の優先、天守はそもそも城の守りに必要ないなどいろいろ言われています(現在、皇居の東御苑に石垣のみがあります。) 将軍が居住や執務、儀礼をおこなった御殿なども何度も火災にあっています。 幕末期においても、本丸御殿(1863年)二の丸御殿(1867年)が火災にあい再建されなくなりました。 西ノ丸は東京遷都後皇居として使用していましたが、1873年に焼失。その跡地に明治宮殿が建設されますが1945年空襲で焼失します。現在、ここには新宮殿(1968年)があります。 簡単に言ってしまえば、幕末から明治にかけて江戸時代将軍の住まいだった御殿は火災により焼失し、再建されることはなかったのです。他の火災にあった建物も多くも再建されませんでした。 また、関東大震災や空襲により被害を受けた建物は数多くあります。(現存する富士見櫓も関東大震災でかなり損傷したようです。) 現在でも、門や櫓、番所など江戸城を思い浮かべることができる建物はあります。(桜田門や富士見櫓など。特に桜田門、清水門、田安門は国の重要文化財です。)お堀の石垣もとても立派です。 ※もしかしたら見当違いなことを書いてるかもしれません。その場合、ご容赦ください。 皇居(江戸城)に関しては宮内庁のホームページなどインターネットでもいろいろ調べられますよ
- あずき なな(@azuki-7)
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明暦の大火(俗に言う振袖火事)で江戸城の天守閣は消失 以降再建される事はありませんでした 泣 まぁ もし消失してなければ今も皇居には天守閣があったでしょう
- oska
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>今の皇居は江戸城の跡地に立っているのですよね? 跡地と言うよりは、「徳川慶喜一家が静岡に引っ越した」後に「京都から、引っ越してきた」のです。 江戸っ子に「支配者が代わった事を示す」意味も、ありました。 >江戸城を壊してその上に皇居を立てたということなのでしょうか? 江戸城の建物は、財政難から破却・(民間に)売却を行なっています。 が、天皇関係者が住む建物は新たに建築しました。 現在の皇居は、江戸城西の丸一帯ですよね。 >空襲かなにかで燃えてしまったのでその上に皇居を立てたのでしょうか? 江戸城西の丸(前将軍の隠居所であり次期将軍の住居)の西の丸御殿を、そのまま宮殿として利用しました。 ところが、失火で宮殿(西の丸御殿)は全焼。明治22年頃に、洋風建築で再建(明治宮殿)しました。 ※貼付画像は、明治宮殿の玉座(天皇・皇后が座る)です。 が、またも太平洋戦争末期にB29の無差別爆撃(戦後、日本政府は米軍司令官に勲章を授与)で宮殿(明治宮殿)は全焼します。 今ある宮殿(新宮殿)は、昭和43年頃に明治宮殿があった場所に再建した物です。 余談ですが・・・。 戦前まで、皇居は皇族個人の所有でした。 終戦後、皇居は国有財産たる皇室用財産として皇室の用に供している不動産です。 ※国有の不動産だが、皇室専用に用いる不動産。 従って、天皇・皇太子などは家賃・土地代・固定資産税は払う必要はありません。 但し、電気・ガス・水道代は東電・東京ガス・東京都に支払っています。
- daidou
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立て替えたわけではありません 火災で消失した部分もかなり有り、 そのほかにも増改築を繰り返しているものの 基本的には江戸城をそのまま皇居として使っています
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%9F%8E 将軍の御殿としての最初の本丸御殿は1606年(慶長11年)に完成、その後1622年(元和8年)、1637年(寛永14年)(同16年焼失)、同17年(明暦の大火で焼失)、1659年(万治2年)(1844年(弘化元年)焼失)、1845年(弘化2年)(1859年(安政6年)焼失)、1860年(万延元年)(1863年(文久3年)焼失)と再建・焼失を繰り返している。文久の焼失以降は本丸御殿は再建されずに、機能を西ノ丸御殿に移している。 近現代 [編集] 1868年(慶応4年)4月4日、江戸城は明治新政府軍に明け渡され、10月13日に東京城(とうけいじょう)に改名された。 1869年(明治2年) 東京奠都。皇城と称される。 1873年(明治6年) 皇居として使用していた西ノ丸御殿が焼失。 1888年(明治21年) 明治宮殿の完成によって宮城(きゅうじょう)と称される。 この辺ね