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人が人を食べる心理

教えて下さい! 充たされないものがあるのでしょうか?

みんなの回答

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.3

食料として食べることはほとんど見られない(極限状態ではありうる、戦争や飢饉では古今東西それはある) しかし、食人の風習は死んだ人も自分の体の中で忘れず、生きているという思いの弔いであったり、戦争で偉大な戦士の勇気を取り込むといった意味合いが強い。 それらは単に文化の差であり、イスラム教が豚肉を、ヒンズー教が牛を食わないのとさほど差はない。

noname#175206
noname#175206
回答No.2

 クロイツフェルト・ヤコブ病が多発する、ある地域での調査で、弔いとして死者を食べる習慣が原因と分かったことがあります。  大変な根気で説得して、止めてもらい、なんとかクロイツフェルト・ヤコブ病の発症を劇的に低減させることに成功しました。  そこでずっと暮らしてきた歴史を持つ人には、致死性の疾患の原因だと理屈では分かっても、死者をそのまま、あるいは「焼いて」葬るというのは、慣れるまでは相当に辛いものだったとのことです。  そこまでではないですが、鳥葬も土葬や火葬の習慣の人から見れば、奇異です。しかし、鳥葬の習慣が当たり前の人からすれば、土葬や火葬は死者の尊厳を踏みにじっていると感じることも多々あります。土葬が当然と思う人は、火葬を非難することもあります。  食人というのは、人が貴重であるから行われます。殉葬も同じです。支配者層にとって、土地より民が貴重だった時代の古代中国でも、たとえば殷の時代には王が死ぬ度に、民の中でも選りすぐりの軍人を大勢、殉葬にしています。  さすがに、これは春秋時代には文化的先進地域の中原では蛮夷であるとして行われなくなり、呉王の闔閭が愛娘の死にあたって強制殉葬したことが、その民からも非難されたと歴史にあります。西方の秦では、戦国時代に至るも殉死する者が絶えず、何度も禁止令が発せられています。  人をいけにえにした儀式も、世界のあちこちの歴史記録に残っています。犠牲になるのが人であるからこそ、神に訴えかける力があると信じられたからです。  食人も、食糧難でない状況で行われるものは、食行動ではなく、儀式の一種です。食べる物がなくて人が人を食う状況はあり、古代中国では「子を替えて食う」という言葉が残っています。自分の子では忍びないので、他家と子を交換して、ということです。  食人に準じる行為として、人の血や内臓に特別の薬効があるとしたりするものがあります。創作または伝説としても、吸血鬼は人の血を吸い、牛の血は吸いません。  それもこれも、人は人にとって最も貴重で意味があるという観念によります。現代でも、異様な価値観を持つと思われる個人が、そうしたことを為すことがあります。そういう事件で伝えられることを見ると、やはり人に特別な意味を見出しているらしいことが窺えます。

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.1

単なる習慣でしょう。2004年までは中国でも北朝鮮でも普通に食べていたらしいです。

abc99999da
質問者

お礼

初耳です!とても興味深いですね。回答ありがとうございます。

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