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新しい証拠が出る場合の再審の訴え
昨日、上告棄却となれば、判決は確定していることを失念し、間違った聞き方をしてしまいました。改めて、質問の真意を明確にして、質問させていただきます。 再審の理由は、極端な事実誤認により、被害者と加害者が入れ替わってしまったような判決となり、事件の悪質極まる内容を考慮すると、本来の司法の役割が果たされない場合、裁判の形骸化を露呈することにもなり、泣き寝入りすることはいけないと判断したからです。 極端な事実誤認は、再審事由にはありませんが、極端な事実誤認も影響してでしょう、判断の遺脱が起きていました。しかし、これから半年程度のうちに、新しい証拠が続々と出てくる可能性が高いものです。今、慌てて再審の訴えを起こして、棄却になった時に、その後、新たな証拠の出現を理由としして、判断の遺脱を再審事由として、再び、再審の訴えが可能になるものでしょうか。 端的に言えば、新たな証拠の出現により、再審の訴えが複数回になっても構わないでしょうか、ということです。
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- dentalkouji
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何度か質問を拝見しております。色々な事情やご主張なさりたいことがあるのは非常にわかりますが、形式的なお話を書きます。 >新たな証拠の出現を理由としして、判断の遺脱を再審事由として、再び、再審の訴えが可能になるものでしょうか。 不可能です。「判断の遺脱」の意味を誤解しています。 判例によれば、「民事訴訟法338条1項9号にいう「判断の遺脱」とは,当事者が適法に提出した攻撃防御方法のうち,その判断のいかんにより審決の結論に影響する事項で,審決の理由中で判断を示さなかった場合をいう」とされており、原判決の認定判断に対する誤りを主張することではありません。
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
再審請求は何度でもできたはずです。 その方法が良いか悪いかは別ですが。
お礼
早速のご回答ありがとうございました。事件自体は、民事の不法行為による損害賠償請求です。338条の再審の事由のうち、9号の「判断の遺脱」に該当するのではないか、と考えています。 その場合、345条3項の、「棄却の場合、同一の事由を不服の理由として、さらに再審の訴えを提起することができない。」とあるために、これをそのまま文言どおり、解釈すると、半年後に決定的な証拠が出てきたときでも、9号の「判断の遺脱」を再審の事由として再審の訴えを提起することができなくなります。それで困り、質問に及びました。いかがなものでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございました。在宅介護の合間に、限られた時間を縫う形で、慌てて質問したり、母親の後遺症の被害の重さに介護が介抱になり、二年間、毎日、3~4時間の睡眠が続き、そうした時、裁判の実態にブチ切れた精神状態になり、普通であれば、書かないことをフライングして書いてしまい、後で我に返り、反省することしばしばです。 そうした中での質問で、肝心なことを省略していました。ご回答の中で引用された判例は、私も読んでいました。今回の事件の一審、控訴審ともに感じたことは、提出した証拠説明書等が丁寧に読み込まれていない可能性が大きいことです。そのために、提出した証拠、準備書面等の重大性が理解されず、無視されて判断の遺脱がおきているのではないか、ということです。 とすると、単に「遺脱が起きているので再審する」と主張するだけでは、何の変化も起きない理屈となります。遺脱の重大性が素人でも腹の底から分かるような説明資料を添付して、そこではじめて、審理の最中に提出した証拠の意義と主張の妥当性が分かり、再審の必要性が理解してもらえる、と考えているのてす。実は専門的な知見について、ほんの少しでも備わっていれば、あるいは少し丁寧に読み込んでもらえれば、審理の際に提出した証拠で分かるはずなのですが、何か他事考慮が判決に影響している印象も受けています。 今の段階では、中途半端な説明資料しか提出できないため、元の黙阿弥になりかねません。半年後、決定的なものが出る可能性が大きく、その時、素人でも犯罪を否定すること自体が不法行為であると分かるようになるため、これは、特別事情に該当すると考えられるのではないか、それを否定すれば、今度は確実に司法の事件となるのでは、と考えるようになりました。 また、検証の最中ですが、遺脱以外の再審事由にも該当する可能性があることに気がつき、やはり、もう少し、時間が必要となる…と考えています。
補足
何度か質問を拝見されたとのことで、うっかり、お礼のところで、犯罪の言葉を使ってしまいました。意味が分からないと思いますので、補足します。事件の本質は、介護施設の女性医師が、私に不適切な医療行為を指摘された報復に、入所者である私の母親に禁忌量の向精神薬、過剰投与により生命の危険をもたらす、あるコリンエステラーゼの阻害薬の過剰投与等を半年にわたり毎日、行い続け、中核病院に送り込み、退所させた傷害・殺人未遂です。 早くから地検等に告発していましたが、放置され、事件が拡大し続けました。私が犯罪を看破していることを、施設の医師、経営者は知っていますので、隠ぺい工作のために、地域の医師、介護施設に虚偽、中傷、事実ねつ造情報を提供し、地域の介護サービスが危険なものとなり、止むを得ず、私一人の在宅介護を強いられましたが、大元の犯罪の後遺症が重大なものであり、介護負担が限界を超え、破綻しようとしています。 地検等は、事実上の逆前田事件となってしまい、事件の解決を遅らせてしまいました。止む無く、一部の事件について、民事で訴訟提起し、犯罪の嫌疑を明確にし、刑事捜査に自然に移行させる、大元の医師の犯罪を証明してしまえば、隠ぺいのために協力する医師・介護施設が連鎖する悲劇的な事態は収まる、普通の介護サービスが利用できる状況になれば、私も本来の本分に戻れる、すべて司法を信頼し、安心して司法に託したら、意外な事態となりました。 地域の医療・介護への悪影響を懸念して、全部の事件の証拠の提出を控えたのが裏目に出たのか、司法の他事考慮があったのか…、理由は分かりません。ただ、大元の医師の事件は、誰もが私の被害妄想と勘違いしやすい、異常な精神性の医師の凶行であり、今後も何をしてくるか、分かりません。協力して犯罪を行い、私に看破されてしまった後の介護施設の経営者もばれてはいけないと、必死になっています。信じがたいことでしょうが、現実に起きたから困り果てたのです。捜査機関が本来の役目をはたしてくれませんので、母親の生命侵害の危険を回避する、一つの手段として、事件の概要を公表せざるを得ませんでした。 裁判の結果は、必ずしも真実と一致する訳ではなく、ある意味、一つの結論を権力で擬制するものだと思いますが、一般の人は、裁判と真実を同視する人もいます。大元の医師の異常な精神性を考慮した時、これ幸いに、地域の医師・介護施設に自らの正当性を伝え、一段と、母親に危険がふりかねないため、もはや、止むを得ず、事件の全体像を示し、隠ぺい工作のために母親に傷害行為を行った後の介護施設の事件等について訴訟提起します。しかし、今までのように司法に任せて安心…という心情にはならないこと、自然なことです。このあたりで止めておきます。