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「なきにしもあらず」「なきにはあらず」

漢文の二重否定の句形に「非無A」というものがあります。私の所持している参考書などには、これを「A無キニハ非ズ」或いは助詞を省いて「A無キニ非ズ」と読むように書かれています。「強い肯定」か、場合によっては「消極的な肯定」を表現する形であると習いました。 ところで「無きにしも非ず」という言い回しがあったり、或いは「天勾践を空しうすること莫かれ、時に范蠡無きにしも非ず」という故事があったりするのを聞いて、先に挙げた訓読との違いに疑問を持ちました。意味上の差異から読み分けているのでしょうか。或いは訓読の流儀による違いでしょうか。

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  • TANUHACHI
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回答No.5

 こんばんは、長らくお待たせして申しわけありません。先日の続きですが、『太平記』と原典の関係、否定形の構文形式、そして道春点と一斎点に観られる流儀の違い、の問題に関してお話しさせていただきます。 【太平記と原典の関係】 件の文言を太平記に求めた結果、手許にある2種類のテクストには以下のルビが振られていました。 (A)「天勾践を空しくすること莫かれ 時に范蠡無きにしも非ず(天莫空勾践 非時無范蠡)」→小学館版『日本古典文学全集 太平記1 194頁』 (B)「天勾践を空しうすること莫かれ 時に范蠡無きにしも非ず(天莫空勾践 時非無范蠡)」→岩波版『新日本古典文学大系 太平記1 140頁』  読み下しは全く同一で「~であるとも限らない」として部分否定をほどこしています。但し「非時無范蠡」と「時非無范蠡」として「非」のかかる先が異なっています。 そして該当部分に関する典拠を調べてみましたところ、この文章自体は『史記』(世家所収の「越世家」)にも見えません。  小学館版のテクスト所収の頭注には故事の「会稽の恥」のプロットとして7つのポイントが挙げられています。 (1)勾践が范蠡の換言を受け容れず敗北を喫した話 (2)勾践が捕虜として呉に幽閉された話 (3)勾践が帰国を許された話 (4)勾践が呉王扶差に美女を贈った話 (5)呉の忠臣伍子胥が扶差を諫めて怒りを買い自死に至る話 (6)勾践が扶差を討って会稽の恥をそそいだ話 (7)その後に范蠡は引退し遁世した話 の7つですが、このポイントは児島高徳のエピソードの次の段で綴られるものの、そのなかに当該の五言古詩は全く登場もしませんので、太平記の作者による改変と考えてもよいでしょう。 【否定形の構文形式】  手許にある『漢詩・漢文解釈講座』(漢詩・漢文教材研究会編)の「別巻 訓読百科」に次の記載を確認することができました。  「[3]部分否定の形」 否定詞と副詞の位置関係によって、次の形が生じる。 ・不常有(常には有らず)=「不」は「常有」を否定。  →「常に有り・それはない」→「有ることも、ないこともある」→部分否定(一部否定) ・常不有「常に有らず」=「常」は「不有」を否定。  「常に・ない」→全部否定 そこで、両方の違いをはっきりさせるために、副詞のほうを「常ニ←→常ニハ」のように読み分ける習慣である。 「必ズ←→必ズシモ」「甚ダ←→甚ダシモ」だが「復タ」だけはふつう読み分けない。 として以下の15通りのパターンを例示しています。 (1)「不常」→「常ニハ~ず」 (2)「不倶」→「倶ニハ~ず」(ともには~ず) (3)「不同」→「同ニハ~ず」(ともには~ず) (4)「不自」→「自ラハ~ず」 (5)「不甚」→「甚ダシクハ~ず」(はなはだしくは~ず) (6)「不太」→「太ダシクハ~ず」(はなはだしくは~ず) (7)「不殫」→「殫クハ~ず」(ことごとくは~ず) (8)「不多」→「多クハ~ず」 (9)「不驟」→「驟ニハ~ず」(にはかには~ず) (10)「不両」→「両ツナガラハ~ず」 (11)「不復」→「復タ~ず」 (12)「不必」→「必ズシモ~ず」 (13)「何必」→「何ゾ必ズシモ~ず」 (14)「未必」→「未ダ必ズシモ~ず」 ○「不敢」→「敢ヘテ~ず」 ※但し、この中の(10)に関してですが、個人的には少し疑問符が付く読み方です。 「[4]二重否定の形」  否定詞で一度否定したものを、さらに否定詞によって否定する、という形。多く強い肯定の意味になる。 (1)「無不~」→「~ザルなし」 (2)「無~不…」→「…ザル~なし」 (3)「不~不…」→「…ザル~ず」 (4)「未~不…」→「未ダ~ザレバ…ず」 (5)「非不…」→「…ザルニアラず」 【原典との対比】で二つのテクストの違いを指摘しましたが、この二つを上記の読み下しのルールに即して読めば (B)は「天莫空勾践 時非無范蠡」は「天 勾践を空しうする莫かれ 時に范蠡無きにしも非ず」とはなっても(A)の「天莫空勾践 非時無范蠡」を「天 勾践を空しうする莫かれ 時に范蠡無きにしも非ず」と読むには少し無理があると感じます。むしろ「天 勾践を空しうする莫かれ 時に非ず范蠡無きか」として反語表現として読む可能性があるとはいえないでしょうか。  「無」はあくまでも動詞ですから「范蠡のような人物(忠臣)」の存在の有無を説明しているのか「今はその時ではないとのこと」を言っているのかは、非の位置によっても異なります。  中澤希男氏の理解は「無」を動詞として扱うとの部分で問題はありません。漢文での「無し」は否定表現としても使用されますが、実際には物がある・ないとの動詞に重点が置かれています。「人無遠慮、必有近憂(人遠き慮り無ければ、必ず近き憂へあり)」はその事例です。

alazycat
質問者

お礼

大変よく調べて頂いたようで感謝に堪えません。 ベストアンサーに選ばせて頂きます。

その他の回答 (4)

  • TANUHACHI
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回答No.4

 こんばんは夜分遅くに失礼します。 課題に示された二つの文例ですが「なきにしも非ず」が部分否定であり、「なきには非ず」も部分否定であること。そしてこれが「無きに非ず」の場合のみが全否定であること。 この違いは既にご理解されていることと存じます。  しかしその参考書の記載ですが「非無A」を「A無きには非ず」と読んでも、助詞である「は」をなぜ省略して読めとの理由が記されていません。であるならば、これを「A無きに非ず」と読まねばならないそして全否定であると解釈する根拠もないことになります。  類似の事例に韓愈の『雑説』があります。これは部分否定の例ですが、質問者様の疑問と同じです。「世有伯樂 然後有千里馬。千里馬常有 而伯樂不常有。」後半の部分には2つの「常」の文字が見え、「千里の馬は常にあれど、而して伯楽常には有らず」と読み下されます。これは置き字としての「而」を読んだ場合の話です。これが「千里馬常有 而伯樂常不有」だったなら「千里の馬は常に有り、而して伯楽常に有らず」となり、而の前後では文意を比較対照する意味はなくなり置き字の意味もなくなります。こうした現象を突き詰めて考えるには原典にまで遡る必要もあります。  否定を表現する「無・不・非・否・勿・莫」があったら「何に掛かっているのか」を考えてみることも大切です。原典は白文ですから、部分としてはどの様にも読み下すことは可能です。ですが文章全体との関係から見て齟齬を生じるようであるならば、その読み下しがオカシイことにもなります。  他の回答者様がご指摘の「しも」の問題ですが、これはこの文章の本質に関わる問題ですので「私の疑問とは異なる」として退けられる姿勢は些か早計と言わざるを得ません。「無きにしも非ず」の典拠は『太平記』に引用された古代中国の越王勾踐の逸話ですからそれがオリジナルであるとはいえません。さらに典拠を遡及して原典にまで立ちのぼり実際の表記を確認せねばなりません。そうすることによって初めて「二重否定」であるか「部分否定」であるかを確定できることになります。(続)

alazycat
質問者

お礼

ご回答賜りまして、ありがとうございます。 続きを頂く前にお礼を差し上げますがお許しください。 >>「なきにしも非ず」が部分否定であり、「なきには非ず」も部分否定であること。そしてこれが「無きに非ず」の場合のみが全否定である これについては自分では漠然と理解していたつもりでいたのですが、改めて調べてみますと、どうもこれらすべての場合が「消極的な肯定」の意味を持つようです(これを部分否定呼ぶことができるのかどうかは分かりません)。例えば、中澤希男「漢文訓読の基礎」(教育出版)では、「なきにあらず」と助詞なく読んだ上で「ないわけではない」と訓読しています。すなわち、訓読の仕方に関わらず、そもそも「非無A」という形式自体が意味を決定しているようなのです。これについては一応他の複数の漢文訓読の書籍を確認致しましたが、はっきりとは自信を持てませんので、もし誤りでしたら是非ご指摘頂ければと思います。 その上で、「無きに非ず」「無きには非ず」「無きにしも非ず」と読み分けをする判断の基準が、本当にNo.3の方にご回答頂いたような非常に細やかな意味上の差異に着目してのことなのか、というのは自分では率直に申し上げて疑問ではあります。なぜなら、「無きに非ず」と「無きには非ず」を目にすることが非常に多い一方、「無きにしも非ず」という訓点を振っている漢文は「時非無范蠡」以外に見たことがないということから、これらの三つを対照的な表現として評価できないように感じられるためです。また、確かに「無きに非ず」と「無きには非ず」には訓読上の比較的明確な意味の差異があるように感じられますが、それを果たして訓点を振る側がはっきりと認識して振っているのか些か疑問でもあります。恣意的に決定されているか、どちらか一方に統一してるようにも思われますし、そのような使い分けをしていることを記した参考書に出会ったこともありません。少なくともそのように読み方を工夫しているテキストがあれば是非知りたいと思っています。 今は「無きにしも非ず」は道春点と一斎点のような流儀の違いから生じた読み方のようにも思われます。そう考えますと太平記などは作者未詳ということですからよくどうにも調べようがありません。ただ、No.3の方に教えていただいた例文は太平記よりもずっと成立の古い「伊勢物語」のようですから、独り太平記のみによって人口に膾炙するに至った読みではなく、かなり古い時代の訓読の名残のようにも思われます。 この辺りの事情も詳しく知らないので分からないのですが。

noname#194996
noname#194996
回答No.3

しも 順接的に下の句を強調する場合Aと、例外もあることを暗示する場合Bがあります。 逆説の場合は強調ではなく、その(逆説の)効果を弱めるということがあります。 Aとして 誰しも知るあたわず。京に思ふひとなきにしもあらず(ないのではない)例 岩波国語辞典。 Bとして 必ずしも正しくはない。 必ず正しくはないとは普通言いませんが、意味は変わらないものの、例外として意味は弱まっています。 M なきにはあらず と N なきにしもあらず とを比べた場合の Nの しも は B の用例だと思います。 M ないことはない(消極的なあらっぽい全肯定) N ないこともない(大抵はある:微妙に消極的な肯定) 一般的にはここまでで、微妙な文句であり、やはり文脈全体でしっかりした意味をつかむべきでしょう。

alazycat
質問者

お礼

なるほど。「しも」と「には」という助詞の違いによって意味に違いがでることは分かりました。ありがとうございます。 ただ、申し訳ないのですが、私が疑問に思ったことは少し違うのです…。 補足させて頂きます。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.2

#1です。補足です。 >>そもそも知りたかったのは、無きには非ずと読む場合と無きにしも非ずと訓読する場合の使い分けはあるのか、ということでした。     僕は原文に二つの意味があるのでなければ、これは和訳(=訓読み)の問題で、日本語の「あや」に過ぎないと思います。

alazycat
質問者

お礼

仰るとおりだと思います。 実際自分が知りたかったのはその訓読上の差異が何によって生じているかだったので…。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

  非無X  が原文(下記など)でこれだけが本物で、その読みは普通の漢文のクラス的に「X無きには非ず」でも、小島高徳の人口に膾炙した「X無きにしも非ず」でも、あとで付けた仮の読みだと思います。     http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/59347851.html

alazycat
質問者

お礼

ご回答頂きありがとうございます。 私の質問の仕方が要領を得ないために誤解を招いてしまったかと思うのですが、そもそも知りたかったのは、無きには非ずと読む場合と無きにしも非ずと訓読する場合の使い分けはあるのか、ということでした。 実際に非無Aという形に出会った時、確かに無きには非ずと読むのが無難であるのは理解しますが、ならば無きにしも非ずとはどういう経緯で何の為に作られた訓読なのか、或いは他に読む用例があるのかを伺いたかったのです。

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    QNo.7312306の続きです.natureに掲載された論文の訳です.苦戦です.どなたか添削をお願いします. (1)It is also of interest that TERT (telomerase reverse transcriptase) showed stable expression regardless of age (Supplementary Fig. 12). (1)また,TERT(テロメラーゼ反転転写酵素)は,老化に関係なく安定発現を示したということは興味深い. (2)This finding is consistent with the role of the telomerase complex, highlighted by positive selection on TEP1 and TERF1. (2)この発見はテロメラーゼ複合体の役割であるが,(そしてそれは)TEP1およびTERFの正の選択が浮き彫りにしたことと一致する. (3)Overall, transcriptome and sequence data revealed different (compared to humans, mice and rats) patterns of NMR genes, which may underlie longevity mechanisms in this animal. (3)全般的に言えば,トランスクリプトーム(≒全体像を定量的あるいは定性的に把握する研究手法)および 配列データは(ヒト,マウスおよびラットと比較した)差異を明らかにした.そしてそれは,この動物(この論文の流れよりハダカデバネズミ)の並外れた長寿根拠となるといっても差し支えない. (自然な訳)全般的には,トランスクリプトームおよび配列データは,ヒト,マウスおよびラットと比較した差異を明らかにしたが,このことが,この動物(この論文の流れよりハダカデバネズミ)の並外れた長寿の根拠といっても差し支えない. (4)Non-shivering thermogenesis is a major heat production process in mammals that mainly depends on the action of UCP1, one of the 39 vertebrate genes that changed uniquely in the NMR (Supplementary Table 19). (4)非ふるえ熱産生は,NMRの他に類を見ない変化を遂げたucp1(39種の脊椎動物の遺伝子の1つ)の中心的な作用に主に基づく哺乳類の熱産生工程である. (意味)NMRのucpl(脊椎動物の39種類の遺伝子の1つ)は他の哺乳類には見られない変化を遂げたものであるが,NMRの熱産生工程はこの作用による非ふるえ熱産生である. (5)UCP1 featured changes in amino acids Gln 146, Arg 263,Trp 264 and Thr 303, with the latter two residues being subject to positive selection (P,0.05, likelihood ratio test for the branch-site model, n530) and Arg 263 and Trp 264 located in the conserved nucleotide binding motif (Fig. 3a). (5)UCP1は,後者2つ(Trp264およびThr303)の残基の存在するポジティブ選択に依存するGLn146,Arg263,Trp264およびThr303のアミノ酸の著しい変化を特徴とする. ←自信なし   (6)With Arg–Trp instead of the rigid Gly–Pro in the key regulatory site, UCP1 is expected to lose the tight regulation by purine nucleotides as inhibitors and fatty acids as activators (Fig. 3b and c). (6)重要な調節部位中の剛性Gly-Proがあり,UCP1(脱共役タンパク質/遺伝子)は,制御因子としてのプリンヌクレオチド,および活性化因子としての脂肪酸により厳密な(発現)調節を減少させると期待される (7)The same loop also features two positively charged Lys residues followed by a negatively charged residue (also a unique combination), that should markedly affect the local electrostatic potential of UCP1. (7)また,同じループ特性の2つの肯定的に変化したLys残基は,その後に残基の消極的な変化が続く(また,固有の組合せでもある).(そして)それは、著しくUCP1のローカルの静電ポテンシャルに影響するに違いない。

  • 文構造における存在基盤について

    長年にわたって英語指導(読解・文法・作文)に携わってきた者です。ところが、学校文法はいわゆる伝統文法と呼ばれるもので、その正当性の根拠や論理的整合性において矛盾や曖昧さを様々に含むものです。それでも、そうした枠組みに依拠した指導がこれまで(恐らく今後も)続けられてきたのは、主に指導の簡便さによるものだと思われます。実践的観点から言うと、指導において論理的整合性はそれほど要求されません。生徒が実際的な知識をおおざっぱに身につければそれでよいと考えられてきたと思うのですが、高校段階の英語指導という観点から見れば、私もそれでよいと考えます。  ただ、伝統文法に対する根拠づけが可能だとしたら、それがどのような形になるのか考えてみたいと思います。それを今回実践しますが、分析結果に対してご意見を頂けたらと思います。  根拠をどこに求めるかということですが、伝統文法の発想は自然科学の発想と軌を一にしています。ということは、ニュートン物理学の発想が根本にあるということです。すなわち私としては、時間及び空間的な制約がいかに言語対象に適用されるかを見てみようと思います。言いかえると、伝統文法の根拠づけを伝統文法の内部から行おうというわけです。すなわち、三次元空間と時間という認知形式において伝統文法を照らし出してゆくわけですが、学校文法において基礎的な学習事項とされている文構造(語・句・節の働きの総体をその定義としておきます)について多少なりとも統一的な尺度でもって分析できれば、それでよしとしようと思います。 なお、語の分析においては中核的な要素に焦点を当て、周縁的な要素は分析対象から外すことにします。なぜなら、長い間の言語的発展のあいだに基の原義が消滅したり変化したり、あるいは他の品詞として使用されるようになったりもしているからです。また、Water is a clear pure liquid. といったようなカテゴリー表現は分析対象としません。カテゴリーは三次元空間と時間という認知形式の外にあるものだからです。ただし、I drank water. というふうにカテゴリーの部分、すなわち実体を表す場合は分析対象とします。  分析にあたっては、文中で使われる主要な語・句・節にどのような空間性・時間性が見られるかを分析することになりますが、その際に、空間性・時間性を直接的に発見しようとするだけでなく、空間メタファーも活用します。要するに、文中の語・句・節がそれなりの空間性・時間性を持つことを示すことで、存在論的基礎を示そうとするわけです。  ただし、その際に説明が込み入ったものだったり、重層的にメタファーを使うことは避けようと思います。恐らく、間投詞以外はすべての品詞が空間性・時間性を持つものと予想されますが、その説明はできるだけシンプルなものでなければ意味がないと思うのです。複雑な説明だと不自然なこじつけとしか受け取られません。 さて、文というものが成り立つためには、主語と動詞がなければなりません。一般に<モノ>を表すものと<動き(変化や持続も含む)>を表すものとで、この世の主たる出来事や状況が言い表されるわけですから、これは当然のことです。<モノ>と<動き>が組み合わさることで文が生まれる、すなわち世界に対する叙述が生まれるわけです。  ここで、文中に主語と動詞が存在することは一体何を意味するのかを存在論的に考えてみます。主語はもちろん名詞です。名詞は文中で使用されない時はただの概念ですが、文中で実体として使われる時は、形や姿を現すものとして空間的制約が与えられます。その制約の存在を示すのが限定詞です。実体であっても空間的な制約が存在しない場合は無冠詞で使われます。つまり、空間において一定の位置を占めるわけですが、これが名詞が文中で使われることの存在論的な意味です。 同様に、動詞の場合も文中で使用されない時はただの概念ですが、文中で実体として使われる時は、過去・現在・未来を表すものとして時間的な制約が与えられます。その制約の存在を示すのが時制です。実体であっても時間的な制約が存在しない(時間を持たない)場合は原形で使われます。つまり、時間(または空間)において一定の位置を占めるということですが、これが動詞が文中で使われることの存在論的な意味です。 名詞と動詞が存在論的基盤を持つということは、必ず空間と時間の両方において一定の位置を占めることを示しますが、両者の性質上、空間と時間のどちらかにウェートが置かれます。今後は名詞は空間的性質を、動詞は時間的性質を持つものとして話を進めます。こうした観点からすると、品詞分類においては名詞と動詞が上位に分類され、それ以外の品詞が下位に分類されてもいいと考えます。  形容詞の分析に移ります。限定用法であれ叙述用法であれ、形容詞が表すものを属性だと定義して、その属性に空間性や時間性があるかを考えてみます。形容詞の有り様からして、名詞とのからみで見ていかなければなりません。よって空間性のみを見ることにします。  例えば、He is tall. / He is a tall man. においてtallは段階を持つ形容詞です。各段階の差異は空間性を示します。また、比較級・最上級の存在も空間性を示します。上の2文の状況を図示しただけでも空間性が示されます。 supremeといったような段階を持たない形容詞の場合、段階を持たなくても度合いを持ちます。supremeが内包する度合いを数直線上に表した時、supremeという語は数直線上の最右翼に位置します。空間的に位置を占めているわけです。度合いという考え方はbusyのような一時的な性質を表すものにも適用できるし、redのような恒常的性質のものにも適用できます。 又、red applesはapplesという外延全体のうちの一定部分に言及したものです。このように数量的限定を名詞に与えるという意味においても空間性を表します。dirty waterも同様。  以上、形容詞が空間的性質を持つことを見ました。  次に、副詞を動詞との関わり(それが中核的な関わりです)で見ていきますが、場所や時や頻度や数量を表すものはそれ自体空間性や時間性を持つと言えます。又、程度や様態や確実性を表すものは形容詞の場合と同じく度合いのレベルとして空間性が見て取れます。  ただし、yes, noなどの肯定・否定を表す場合や、文副詞のように話者による評価や態度を表す場合は空間性や時間性の発見は困難です。やろうと思えばできるかも知れません。例えば、yesという副詞の場合、yesとnoを二項対立的な要素集合ととらえることによって空間性を見て取ることができます。ただし、空間メタファーを利用したアクロバティックな強引なものです。説得力を持つことはないと思います。よって、周縁的な要素として処理するのが適当だと思われます。すべてがきちんと説明されなければならないわけではないと考えます。 前置詞については、そもそも名詞との絡みでしか考察することができませんから、空間的性質があるのは自明のことです。例えばin the parkが形容詞用法であろうと副詞用法であろうと、「中」を表すことに違いはありません。また、The book is still in print. におけるように補語として使われた場合でも、刊行されている状態の範囲内にあるわけですから、やはり「中」を表します。 ただし、「中」を表すとする判断はin / the / parkというふうに要素に分解することに意味を認めた場合の話です。話は変わりますが、because he had a cold that day という節においてbecauseを一つの単独の品詞として分析対象とすることに意味がありません。節全体を分析対象にするのでなければ有意な分析は行えません。そのことは前置詞句にも当てはまるのと思います。 だとすると、in the parkは形容詞用法の場合は空間的基盤を持ち、副詞用法の場合は時間的又は空間的基盤を持つと言えます。The book is still in print. においては、現在の状況が示されていることは明らかです。  これは形容詞句の分析の一例ですが、その他の形容詞句においても何らかの形で分析が可能だと予想されます。 代名詞は空間的性質を持つ名詞の代理表現ですから、言わずもがなです。  接続詞はどうかと言うと、これは語と語を、及び文と文をつなぐものなので、それ自体は空間的・時間的性質とは無関係と考えるべきです。だとすると、名詞と動詞を核とする品詞の集まりにおける周縁的なものと位置させるのがよいと考えます。そこで、分析にあたっては接続詞を含む節単位で考えるしかないと考えます。同じことは関係詞節や疑問詞節にも言えます。 重文や複文を構成する文は<モノ>と<動き>が組み合わさったものです。すなわち、空間的性質と時間的性質の両方を備えたものです。それに、接続詞・関係詞・疑問詞が付加された時、両性質が消滅することはありません。  間投詞は対話の相手との直接的なやりとり(相づちや気持ちの表現)を文中に押し込んだもので、そもそも文の構成要素になりません。他の品詞との連携もありません。当然、時間的・空間的性質も持ちません。 以上です。ご意見をお待ちしております。

  • 英字新聞翻訳の添削のお願い その1

    英字新聞を久し振りに訳してみました。どなたか添削をお願いします。 少し意訳もしてみました。 (1)New batteries charge 70 percent in 2 minutes  新型電池は2分で70%充電する。 → 2分で70%充電可能な新型電池 (2)Using a titanium dioxide gel, researchers make a battery that could one day allow electric cars to fuel up as fast as their gas-guzzling cousins. (2)二酸化チタンの使用により、研究者は、ガソリンを浪費する対応するそれらと同じくらいの速度で電気自動車の動力の補給を可能にする電池を作った。 → 研究者は、二酸化チタンを使用することにより、ガソリン車の給油時間並の充電時間を可能にする電池を作った。 (3)The freedom to hold computers in our hands, pop wireless headphones in our ears and pilot drones through our backyards is all brought to us by batteries -- especially rechargeable lithium ion batteries. (3)我々の手中にあるコンピューターを所持する自由、耳にポピュラー音楽のワイアレスヘッドフォーンを所持する自由、我が家の裏庭でドローンを操縦する自由は、すべて電池、とりわけ充電式リチウム電池により我々にもたらされる。 →我々がコンピューターを持ち歩き、ワイヤレスヘッドホンプレーヤーでポピュラー音楽を楽しみ、自宅の裏庭でドローンを飛ばすことができるのは、電池特に充電式リチウムイオン電池によるものである。 (4)The portable powerhouses are a critical component of our march toward tech mobility, yet most require hours of being plugged in to wall outlets to achieve a full charge. (4)移動可能な発電所は、我々の科学技術の発展に重大な(決定的な)構造要素である。 しかし、多くの(大抵の)移動可能発電所は、今のところ、フル充電を達成するための壁の出口(液体、ガス等の)に差し込まれていることを要求する。 →科学技術の発展には、異動可能な発電設備が不可欠であるが、現在の技術では(家の壁の)コンセントから充電する必要がある。 (5)A brand-new kind of battery to come out of the labs of scientists at Singapore's Nanyang Technological University (NTU) is set to change that. (5)そのブランド(タイプ)-シンガポールの南陽工科大学(NTI)の実験室から出てくる電池の新しいタイプは、それの変化するようにさせる。 →シンガポール南陽工科大学(NTI)の実験室で研究されている新型電池は、コンセントからの充電を必要としない。(前後の繋がりが良くない…) (6)They've created a lithium ion battery that can get up to a 70 percent charge in just 2 minutes and can allegedly last up to 20 years. (6)彼らは、2分で70%の充電にまで達成を可能するリチウムイオン電池を考案した。また、伝えられるところによると20年継続することができる。 → NTIのチームは、2分で70%充電可能なリチウムイオン電池を開発した。その性能は20年間使用可能という。 (7)The difference between their battery and the standard lithium ion type has to do with the substance used for the anode -- the negative terminal. (7)彼らのものと、一般的なリチウムイオン電池の差異は、アノード(陰極端子)に使用した物質と関連がある。 →一般的なリチウムイオン電池とNTIの開発したリチウムイオン電池の違いは、陰極端子に使用した物質にある。 (8)Current lithium ion batteries have graphite anodes. (8)現在(現行)のリチウムイオン電池は、グラファイトアノードを有している。 →一般的なリチウムイオン電池の陰極端子にはグラファイトが使用されてしる。 (9)Instead of graphite, the team at NTU used a titanium dioxide gel they developed that dramatically speeds up the chemical reaction that takes place in the battery, meaning it can charge much faster. (9)NTUの(研究)チームは、グラファイトの代わりに彼らが開発した電池の場所で、化学反応の劇的にスピードアップし、その変化(その意味)は、充電をぐっと速くする二酸化チタンゲルを使用した。 →NTUの研究チームは、グラファイトの代わりに、開発した二酸化チタンゲルを陰極端子に使用すると、化学反応が劇的にスピードアップするが、それは、充電速度を大幅に短縮することを意味する。

  • 亜種の意味 サピエンス亜種 sapiens

    右の質問の続きの質問です。 http://okwave.jp/qa/q6798481.html tenntekomaiさんから、丁寧なご回答をいただいているのですが、まだ、すっきりしないので、再質問させていただきます。   回答者:tenntekomaiさん ありがとうございました。 ご回答いただいた内容はほぼ理解したと自分では思っていますが、まだ不明の点があり、別の質問として質問させていただきます。(質問した日から日数が経っているので)   1 「亜種に属する」=「亜種である」です。 これは分類学特有の言い回しです。 『亜種の下位の区分の生物群に属する』という場合には、どのような表現を使うのでしょうか。 一方、同じ種でも分布する地域により色や形に違いがみられ、地域間で異なる集団と認められる場合、これらを「亜種」という(例えば、ニホンザルという種に対して、ヤクシマザルは亜種)。http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1496 (Macaca fuscata ニホンザル)(M. f. fuscata ホンドザル)⊃(Macaca fuscata fuscata下北半島のホンドザル)のような場合、『Macaca fuscata fuscata 下北半島のホンドザルは、M. f. fuscata ホンドザル亜種に、△△する』のような場合は、△△の日本語はどうなるのでしょう。   2 「亜種は生物種のグループ」と思っていたのですが、「亜種は生物種」なのでしょうか。1つの亜種に1種類しか生物種がないのでしょうか。 「H. s.sapiensが亜種名であれば、その中に何種類もの生物群が属していると思う」のは生物学ではほぼ間違いで、生物学では「亜種名がH. s.sapiensであるという言い方をされた場合には、その亜種にはH. s.sapiensしかいないのが基本」なのでしょうか。   3 A生物群とB生物群を、「異なる亜種であって、同じ亜種ではないとする基準」は何でしょうか。 おそらく(P. t. tigris ベンガルトラ)(P. t. altaica シベリアトラ)(P. t. corbetti インドシナトラ)(P. t. sumatrae スマトラトラ)は、人間などがいなくて十分に広範囲に繁殖できる環境さえあれば、自然に交雑することはあると思います。 ネズミ、キリン、ピューマ、マグロにしても、同様で、同一地域に多くの亜種が共存すれば交雑するのではないでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F#.E5.88.86.E9.A1.9E  進化は突然変異と淘汰の結果であるとすると、ほとんどの種は交配面で何らかの障害を持つと同時に実はある種と別の種は交配も可能なのではないでしょうか。 タマタマ生存環境が大きく異なっていたり、サイズや外見に差が大きくなると、一種の隔離状態になって、交配交雑の確率が減少するだけではないでしょうか。 ライガーやレオポンが交雑で子孫を残せるかどうかは、多数の交雑がないとなんとも言えない気がします。レオポン同士を交尾させて子孫を作ることはできないとされると言うことですが、疑っています。レオポンと豹、レオポンとライオンも実際には子孫を残せるのではないでしょうか。 セントバーナードとチワワなどを自然環境に多数放置したところで自然交雑はしないと思います。   4 基本的に「同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば、それは同一の種とみなす」場合、自然条件では棲み分けている生物集団で体型、頭髪、皮膚の色も異なっているから、○○人、△△人と呼び分けていたのででしょう。人為的に移動させた結果、交雑が進んでも、それは自然条件とは言わないような気がします。 「分布をみると異なる地域に棲み分けている生物集団の場合」は、同種か亜種かの識別はどうするのでしょうか。   5 多くの動物の亜種は地域で棲み分け交流が途絶えていますが、交雑実験をすれば、交雑できるのではないかと思います。 ヒトを1亜種でみるのは、何か釈然としません。 これだけ多種多様の人種があるのは、地域は隔離され、生物集団間の移動や交雑は非常に限定的だった結果だと思います。 この結果、外見上に大きな差違が生物集団の間にできていれば亜種と言うしかないような気がします。 いわゆる人種は亜種のような気がしてなりません。 オランダ人、ピグミー、コーカソイド、ネグロイドが、同一亜種だというのは、他の動物の区分方法と同じ方法によるものでしょうか。   6 ホモ・サピエンス・サピエンスの中にもいろいろな違いがありますが、ホモ・サピエンス・サピエンス内の違いのばらつき具合とホモ・サピエンス・イダルトゥ内の違いのばらつき具合を比べてみると、ホモ・サピエンス・イダルトゥ内の違いがホモ・サピエンス・サピエンス内の違いに含まれるということはないだろうとみなされたということです。 確かに一部のヒトはヘルト人なみの眼窩上隆起を持っているかもしれません。 しかし、「ヘルト人なみの眼窩上隆起」は現生人類全体の中では一般的でないが、ヘルト人にとっては一般的であるということが大事なのです。この辺りは統計学の考え方が必要です。 個人個人の特徴ではなく現生人類全体の傾向とヘルト人全体の傾向を比較したとき、「同じとは言えない」と判断されたから亜種といわれるのです。 http://www.talkorigins.org/faqs/homs/herto.html  具体的には、はH. s.sapiens内のばらつきはどのように計測されているのでしょう。ホモ・サピエンス・イダルトゥのデータはどうなのでしょう。 この点が異なるというのは、具体的に何なのでしょう。 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/X/0069250.html  大きい顎顔面、前後頭蓋の長さ、および大関節から咬合平面の距離は、現代の3000モデルの測定値から逸脱するとのことですが、画像検索でみる限り、日本人には少ない顔ですが、国際空港で会ってもそういう人かなと思ってしまいそうな気がします。 http://www.google.co.jp/search?q=idaltu&hl=ja&rlz=1C1RNPN_enJP419JP419&prmd=ivns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=urQFTruLIsXsmAW30J3nDQ&ved=0CC0QsAQ&biw=1025&bih=644 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/real/jousetsu/bone/05.html 「現代人の頭蓋形態における地域差は顕著であり、いわゆる人種ごとの特徴がみられる。特に頭蓋の幅、前頭部の形状、眉間と眉上弓の発達、鼻根部と上部顔面全体の平坦さもしくは突出具合、歯槽・顎骨部の退縮もしくは突出程度などで、世界中の主要地域ごとに特徴的な形態が見られる。一方、多くの集団を用いた比較では、集団間の類似は地理的分布と相関し、遺伝的連続性がうかがわれる。」 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/real/jousetsu/bone/04.html 日本で出土する人骨でも8000年間に相当の変化があるそうです。16万年前で日本とアフリカの差があるなら変化の巾も大きくなっていても(同じ範囲に入っていても)不思議ではないと思えてしまいます。 1家族あるいは1地域の集団でかなり特異な骨の状態の人がいても不思議ではないような気がします。 http://www.shirasu-dental.jp/reform.html 1箇所から出土した数体の骨でヘルト人全体の傾向を推定し、かつ世界各地に広がっている現生人類の地域的、家系的特異傾向と比較して、異なる種だと統計的に推定するのは、なにかとても難しいことのように思います。  「主要地域ごとに特徴的な形態が見られる」「遺伝的連続性がうかがえる」のは、部分的に交雑ができているというだけのことで内でしょうか。 仮に、集団は互いに棲み分け、短時間の移動が限定され、発見できている個体が少なければ、別の集団を別の種と見えてしまう気がします。 人種差に関わらず同一亜種とみて、10万年以上前の1箇所数個体の骨で別亜種と判定するだけの根拠は何でしょうか。