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「愛と光は同値である」を証明または反証できますか?

愛という概念が挙げられている以上現代の科学の分野以外にも渡っていると思いますが、論理的に「愛と光は同値である」ということを証明または反証できるでしょうか? できる場合具体的に説明して欲しいと思います。

  • DMIM
  • お礼率54% (65/119)
  • 科学
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.7

こんにちは。 #5です。 回答をお読み頂きありがとうございます。 あの様に述べましたのは、科学的に一般的な見解であると考えたからです。ですが、返信を頂き、質問者さんの主旨がより明確になりました。簡単に考え過ぎたわけではありませんが、やや一方的で、片手落ちであったように思います。 >光は物質的、愛は精神的なものでこの2つを一緒に考えられるものは思い付きませんでした。 質問者さんのこの言葉がヒントになりました。これに就いてひとつの提案を思い付いたのですが、両者を同一のフィールドで取り扱うためのひとつの手段として、ロバート・ディッケの「強い人間原理」を用いてみてはいかがでしょうか。 私は聞きかじった程度で、正しく紹介することはできませんが、「宇宙がかくある為に人類がかくある」といった従来の人間原理に対して、「人類の存在が宇宙のあり様を確定している」というものです(もうご存知でしょうか?)。 量子力学では、物質の状態は「観測」によって初めて確定されるとしています。実現する事象は、元はあらゆる可能性の確率の集合であり、観測という行為によってひとつの現在として収縮されたものです。 強い人間原理によれば、重力の大きさや、物質の結合力が宇宙形成の原理としてあるがために、太陽系が存在し、地球に人類が出現し得たのではありません。観測者である人類が、そのような「物理定数」を要求したからなんです。従って、光が秒速30万kmの速度に及ぶ現象であるという事実は、観測によって決定されたひとつの事象ということになります。 ですから、強い人間原理の立場に立つならば、「光と愛」が、観測者にとって如何なる意味を持つものなのかが同時に検証可能になるのではないかと思います。 また、こじつけになるかも知れませんが、観測者の存在が現象に影響を与えるというのですから、こうなっては「自分を含めない」というわけには、どうしてもゆかなくなります。 しかしながら、観測者は何故「愛」を要求したのでしょうか? #1さんの仰る通り、愛というものの定義を避けて通ることはできないですよね。 上手く説明できなくて申し訳ありませんが、参考程度にして頂ければ幸いです。

DMIM
質問者

お礼

物質世界のものと精神世界のものを比べる際のアイディアを考えました。 物質世界のものを精神世界のものに変換し、精神世界のものを物質世界のものに変換した時、両方の場合で互いが同じことを示せばこの2つは同値(等価・同じもの)と言えるのではないでしょうか。物質世界のものと精神世界のものを比較する場合はこのような手続きで関係を示すことにするのです。 どのような決まりで変換するかは、これから実験・観察・考察によってどのように変換したら正しい(有効である・矛盾しない)のかという発見をしなければならないと思います。 そしてまた、愛の定義は実際のものを実験・観察・考察することによって得られた本質的、一般的性質で定義します。 定義とはある言葉で示された概念の内容であり、概念とは普遍的な一般的性質を指します。つまり定義とはある言葉で示された本質的、一般的性質を指します。ある言葉は他のある言葉で定義されたり意味を成す以上、この定義で使われた言葉やそれが示す内容が理解・実感・体感できないとなると、この定義で使われた言葉と同じものを示す他の言葉で定義し直すことになります。それでも理解・実感・体感できないとなるとまた他の言葉を使うことになります。これが理解・実感・体感できるまでずっと繰り返されます。こうして定義します。

DMIM
質問者

補足

「愛と光は同値である」という命題をこの方法で比較していくと、物質世界のものである光の働きや性質を精神世界のものに変換したとき、精神世界のものである愛の働きや性質を示し、さらに、精神世界のものである愛の働きや性質を物質世界のものに変換したとき、物質世界のものである光の働きや性質を示す時、この2つは同値(等価・同じもの)であると言えると思うのです。 このような方法が観念的なのか科学的なのかもう私にはわかりませんが、科学と哲学のカテゴリーに寄せられた皆様の回答を読んでの今の私の意見です。どうまとめていいかわからず、またどの方向に進んでいけばいいのかもちょっとわからなくなってきました。 また考えてみると確かに、違う言葉で表されているとおり、皆さんの言う「愛は真空中を秒速30万キロメートルで飛ばない」とか「愛は黒体に吸収されて温度を上げるようなことはない」など愛と光が全く同じではないということはわかるような気がします。こうなると「愛と光は(観念的に)どれくらい性質が似ているのでしょう?」と問うほうが良いのでしょうか…?

その他の回答 (8)

noname#11476
noname#11476
回答No.9

現代科学は「観測主義」という基本概念の元で成立しています。(観測する手段は合理的であれば何でもかまいません) 光は間違いなく観測できるものですから、科学の分野で扱われます。 愛について言うと同一の手段で観測することは出来ませんので、異なるものであることに間違いはありません。 では愛は科学で扱えるものなのかどうかという話については、愛の定義によります。 動物の交配は観測できますから、それを愛と定義すれば観測できるものとして科学で扱うことは出来ます。 事実たとえば親子間の愛情の不足が精神疾患(アダルトチルドレンなど)を引き起こすことは知られており、これは精神医学という科学で扱われています。 科学の目で同一の性質を持つかどうかは、個別の項目を挙げて相似点と異なる点を並べて判断します。 ところで、ひとつ面白い話があって、人はよく精神の世界と物質の世界を分けて考えます。 しかしながら実はここには大きな落とし穴があります。なぜならば物質の世界の定義は科学によって説明付けられていますが、その科学の根底にあるのは「観測主義」です。「誰が観測するのか」といえば人間ですから、結局精神世界に舞い戻るのです。 このような話から、昔から著名な科学者が同時に哲学者であると言うことが多く、有名な多くの科学者が同時に哲学にも興味を持っていますね。湯川博士の弟子である寺田氏が哲学書を何時も小脇に抱えていた学生であったことは有名です。 では。

  • jmh
  • ベストアンサー率23% (71/304)
回答No.8

ある理論中で「愛と光は同値である」を証明できるか? 「愛と光は同値である」を導く理論は観測と合致するか? そのどちらでもない?

  • acacia7
  • ベストアンサー率26% (381/1447)
回答No.6

「同値」という段階で既に、なんらかの変換が行われています。 つまり、何らかの計量可能な値への変換が成されない限り値の同異を判断できないためです。 検索エンジンで「愛」と「光」を検索してみれば、異なる検索結果が帰って来るのは当たり前だと思いますが、実は「愛」と「光」が文字コードという比較可能な値に変換されているが故なわけです。 ということで、コンピューター上では「愛」と「光」は同値ではありません。検索エンジンが結果を示してくれている通りです。 そして、科学的に論じたいのであれば、「愛」を科学的に定義しなければなりません。 しかし、常識的に考えれば、「愛」は黒体に吸収されて温度を上げるようなこともありませんから、「物理的」に「同値」ではありませんし、「愛」が化学的な反応を起すことも論じられていませんから、「化学的」にも「同値」ではりません。 逆に、「愛」と「光」が同値になるような基準が存在しないとは言えません。 馬鹿げた例ではありますが、「何文字か」と言う基準においては「愛」も「光」も漢字1文字ですし、「英和辞典の何の項にあるか」という基準ならどちらも「L」の項なので同値といえます。

DMIM
質問者

お礼

No.7の補足とお礼ですが、お礼の方を先に読んでください。 また、回答して下さった皆さん、回答ありがとうございました。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.5

こんにちは。 光は宇宙(真空)を媒体として存在します。 愛は人類(もしくは生物)という媒体がなければ存在し得ません。 従って、光は生物の存在に依存することなく実存します。 光は宇宙がある限り存在できますが、愛は人類が滅亡すれば消滅するでしょう。 「等価」とするならば、それは人間の価値観です。光と愛の観念的な性質を対比するのであれば、哲学のカテを利用する方が適切と思います。

DMIM
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 この質問を出すとき哲学か心理学か科学のどれに出すか迷いました。光は物質的、愛は精神的なものでこの2つを一緒に考えられるものは思い付きませんでした。 しかし私はこの命題に科学的に答えたいのです。私にとって科学的というのは、実験や観察や考察に基づいて客観的な真理を見つけ出すことです。 私は現代の科学を究めたわけではないので詳しくはわからないのですが、どうやら現代の科学では愛について語ることはできないようです。 ある心理学者は、現代の科学は自分というものを除いた科学であると言っています。このような科学では愛を語れないのですね。自分をも含めた新しい科学こそが「愛と光は同値である」かどうかを証明または反証できるのでしょう。 尚、光と愛の観念的な性質も考察したいので改めて哲学のカテゴリーにも質問致します。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=766023 今の私の意見はこのようになっていますが、もしあればまだ科学的な意見がある方の回答をお伺いしたいのでここはまだ閉じないことにします。

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.4

光は減衰するし、直進しますからね。 離れると弱まるし、地球の裏側まで 届きません。  愛が同じ性質を持っていたら、この世は 闇だと思いますが。

  • savacat
  • ベストアンサー率15% (16/104)
回答No.3

理屈ぬきで、愛も光も「無ければ困るもの」。 この世を照らすもの。

  • liar_adan
  • ベストアンサー率48% (730/1515)
回答No.2

同じではありません。 「光」は、電磁波であり、 波長を持ち、エネルギーがあり、 真空中を秒速30万キロメートルで飛びます。 「愛」は、 電磁波であるかどうか、波長を持つかどうか、 エネルギーがあるかどうかはわかりませんが、 少なくとも、「真空中を秒速30万キロメートルで飛ぶ」 ことはありません。 よって、「光」は、「愛」に無い性質を持っています。 二つが同じだったらそれは矛盾します。 ゆえに二つは同じではありません。 (証明終わり)

回答No.1

「愛の定義」によるのではないでしょうか。

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