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徒然草序文の口語訳について

『つれづれなるまま・・・・・』の序文の終わりである『あやしうこそものぐるほしけれ』←この部分の口語訳は、どういったものが最適なのでしょうか・・・。もしご存知の方、もしくは、この解釈はどう?という意見が御座いましたら、是非教えて下さい。 ちなみに私は『不思議なくらい、言うなれば、気が狂ってしまったかのようだ。』と解釈が出来るのではないかと思っています。いかがですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.3

jakyyです。吉田兼好の思想から考えると序文を どう解釈するかがわかります。 【 吉田兼好】 吉田兼好は宮廷に仕え、祖父の代からかかわりの深い堀河家の諸大夫ともなりましたが、 1313 年 (正和 2) ころ出家しました。 歌人としても優れ、二条為世門下の四天王の一人と賛えられました。 徒然草の執筆は1317年から1331年ですが、 構成は枕草子を参考にしながら世間の見聞、感想、 実用知識、有職の心得など多彩にわたっています。 しかし、この随筆の根底には仏教思想があります。 【徒然草序文】 吉田兼好は山科の年貢米で生活をしながら、 朝晩、仏と向き合い、また机に向かって随筆を書いていました。 一人暮らしで時間が十分あるので、気を紛らわすために徒然草を書き綴ったのでしょう。 序文の「あやしうこそものぐるほしけれ」の解釈は 「どうしょうもない位、不安な気持ちになってきたものだ」でいいと思います。 【ものぐるほし】 言葉の意味は「正気を失ったようだ、冷静な心がないようだ 」という意味です。 解釈によっては「狂乱」という意味も含まれていることもありましょう。 しかし「ものぐるほしけれ」をそう解釈するのはどうかと思います。 というのは、随筆の根底に流れる温かみのある兼好法師の仏教思想からすれば、 狂ったとか、異常であるという意味があったとしても言葉は解釈としては適切ではないと思います。

ariki
質問者

お礼

再び、お答えを求めるようなことを致しまして、申し訳ありませんでした。 すごく分かりやすい回答をありがとうございました。彼の仏教思想という方向から考えるとナルホド!!と・・・。作品を作品だけで考えようとしていましたが、やはりそれでは無理ですね・・・考えさせられました。 実は、中学校で扱っている内容なのですが、子供たちにどの解釈を伝えようか迷っていたのです。それもただ、教材だけを深く読もうという安易な考えの元・・・。 きちんとその教材を産み出した作者の考えや素性・背景を考える必要があったと改めて考えさせられました。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.5

回答というより情報提供です。ご参考になりましたら幸いです(ちなみに私はNo2,No4の回答が支持できます)。 辞書の、形容詞「ものぐるほし」の語釈は以下のとおりです。 ○気違いじみている。ものにとりつかれて正気を失っているようだ。(小学館、日本国語大辞典) ○正気を失ったようだ。冷静な心がないようだ。気違いじみているさま。見苦しい。みっともない。(小学館、古語大辞典) ○正気を失っているようだ。異常である。なんとなく気が変になりそうだ。(旺文社、古語辞典、第八版) ○ばかげている。ばかばかしい。〈要説 多く軽い嘲笑を含めて用いられる。気違いじみていると解釈するのは、動詞「くるふ」の意味と直結して考えるための誤りで、実際の用法に合わない。〉(三省堂、例解古語辞典、第二版) ○気が変になりそうだ。気違いじみている。(角川最新古語辞典、増補版第五三版) ○正気を失っているようだ。気違いじみている。異常だ。(ベネッセ古語辞典、初版) 該当箇所の現代語訳は、私の手の及ぶ範囲で、以下のものがありました。 ○ふしぎなほど、いろいろな思いがわいてきて、ただごとではないような感興を覚える。(日本古典文学大系『徒然草』注) ○妙に気が変になるような感じがする。(旺文社「全訳古語辞典」第三版、「ものぐるほし」に挙げられた「徒然草」の例文の訳) ○自分ながら妙に感じられるほど――興がわいて来て――何だかものに憑かれたやうな気さへして筆を進める。(角川日本古典文庫 今泉忠義訳註 改訂「徒然草」) ○妙に気ちがいじみた心地がする。 http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/tureduregusa.htm ○妙にわれながらばかばかしい気持ちがすることである。 http://members.jcom.home.ne.jp/purelife/koten/turedure/note/note000.htm ○妙に變な気持がする。 http://www2s.biglobe.ne.jp/%7ETaiju/turez_1.htm

ariki
質問者

お礼

お答えありがとうございました!!! それと・・・ お手数をおかけしました!!!様様な物で調べていただきまして・・・・。申し訳ありません!!の一言です。 古文は様様な方向から解釈が出来るので、困っていました。それも子供に教えるとしたらどの訳が一番的確で分かりやすいのか・・・と考えているうちに分からなくなってしまったのです。でも皆さんからの意見、またkimosabwさんの調べていただいた物を参考に思考錯誤していきたいと思います。ありがとうございました!!!

回答No.4

「何かしたいのだけれど、何もすることがないままに、一日中、硯に向かって心に思い浮かぶたわいもないことを、何となく書き付けていると」→ 「あやしうもの狂ほし」(係り結びは意味に関係ないので省きます)っていうんですよね。 「怪しう」は、「もの狂ほし」を修飾しています。つまり、「怪しくも/怪しいほど」「もの狂おしい気持ちになる」という構造です。 「もの」は接頭語で「なんとなく」程度の軽い意味です。「気が変になるような感じがする」というのは、つまり、自分が随筆を書くのにノッちゃって、ラリッてるというか、イッちゃってる感じを「もの狂ほし」という激しい形容詞で表現しているのではないでしょうか。そして、兼好自身自分がなぜそういう状態に陥ったか分からない。だから、「怪しう」は「妙に」とか「不思議なほど」なんて訳すのはいかがでしょうか。 というわけで『異様なほど何となく狂おしい気持ちになってくる』『妙に何となく気が狂ってしまったかのようだ』 ここまで書いて気づいたのですが、僕の解釈は質問者の解釈と同じですね。(ですよね?)あなたの解釈に賛同します。

ariki
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 はい、同じ解釈ですね(笑)でも国語は様様な解釈の仕方があるので、違う意見、また同じ意見が出てくるというのも勉強になります。 多数決で答えを決めるわけではありませんので、本当に参考にさせて頂きたいと思います。 お答え、ありがとうございました!!!!

  • o24hi
  • ベストアンサー率36% (2961/8168)
回答No.2

 こんにちは。  「なんだか異様な感じになってくる」という訳が妥当なのではないでしょうか。  なぜなら,この部分は序章ですから,この本を書くきっかけとして,兼好法師は「書くという行為が人間に与える不思議な,そして,異様とも言える力を感じた」ということを言いたかったと思うからです。

ariki
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 o24hiさんのご意見、参考にさせていただきます。ありがとうございました。古文は現代文より解釈の方法が様様であり、もしこれを人に教えるとなるとどの訳を伝えるのが適切かというのに悩んでおりました。 ありがとうございました。

  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.1

「つれづれなるままに、日くらし、 硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、 そこはかとなく書きつくれば、 あやしうこそものぐるほしけれ」 下記のような解釈でどうでしょうか。 時間をもてあまして、一日中机の上の硯に向かって 心に浮かんでくることを書きつづていると どうしょうもない位、不安な気持ちになってきたものだ。 【あやし】 異常である ただならない 【ものぐるほし】 正気を失ったようだ 冷静な心がないようだ 注: 【ものぐるほし】と【物狂い】とは意味は違いますね。

ariki
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 『ものぐるほし』の意味で【正気を失ったようだ】というのは、【まるで気がおかしくなったようだ】という事と似通っているような気がするのですが・・・。【不安なきもち】と解釈するのには、【正気を失う→気がおかしくなる→だから不安になる】と繋がるような気がするのですが、これは違うのですか?ちょっと読んでいて混乱してきてしまったので、再度、ご質問をさせていただきました・・・。すみません。

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