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劉備がもう10年早く蜀を取っていたら
kuroneko3の回答
- kuroneko3
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回答No.4
現実の流れとしては到底あり得ない仮定ですが,そうであれば歴史の流れが大きく変わっていた可能性はあるでしょうね。 劉備が実際に蜀を占領したのは215年頃であり,それが10年早かったと仮定すると,当時の曹操は北方制圧が未完了,馬騰勢力も張魯勢力も健在という状況でしたから,外交次第では曹操と互角に渡り合えた可能性もあると思います。 これに対し,劉表が死んだときに荊州を譲り受けていたらという仮定については,譲り受けても結果はほとんど変わらなかったでしょうね。劉表の遺言だけで劉備が直ちに荊州を実効支配できるような状況にはなく,仮に譲り受けても蔡一族との内戦は避けられず,曹操軍がこれに乗じて攻め込んでくる流れになる可能性が高いと思われます。
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