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三途の川

 体験談がありますよね。  実際に体験したというお話も、人づてに聞きました。ところで、あの世とこの世の境目である、三途の川を渡る前、自分が本当に生きているときのように、地を踏みしめている感覚ってあるのでしょうか。 また、閻魔大王様が生前の行いを裁くということが伝えられていますが、実際どうなのでしょうか。 聞いたこと、体験したことがあれば教えてください。 もしそれが本当ならば、少し怖いです。何故なら、人に堂々と言える人生ばかり送っていたわけではありません。 途中でつまずいたり、横道にそれてしまったり。 この世でも泣いたり苦しんで、あの世でも苦しむのは嫌だなあって・・

noname#157685
noname#157685

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  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.2

これ、宗教的、文化的な影響を大きく引き摺っています。 キリスト教圏の臨死体験には三途の川は登場しません。 また、ヒンドゥー教圏では、そもそも、臨死体験自体の報告が非常に少ないようです。その代わり、転生事例には事欠きません。イスラム圏だと、イスラム教の男性的解釈なら美酒と美女達のこの世の楽園の入り口に到達する筈なんですが、この話もあまり無いようです。 というように、普遍的なものが無いので、三途の川が存在するかも判りません。同じような体験を宗教的、民俗的なデータベースをとおして再解釈された者が臨死体験という可能性もあります。 また、実際には臨死体験をした人間は誰一人死んでいない(医師が新だと判断しただけ)わけなので、そもそも、臨死体験が死に際しての体験であると言うこと自体がかなり微妙だと思います。

noname#157685
質問者

お礼

>キリスト教圏の臨死体験には三途の川は登場しません そうなのですね。だとしたら、思い込んだ映像が頭の中によぎるのが臨死体験なのかもしれませんね。 おっしゃる通り、臨死体験=生還したわけであり、それがそもそも死んでいることにはならず、体験そのものは幻想だったのかもしれませんね。 他の国の事例を教えてくださってありがとうございました。

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  • to3845
  • ベストアンサー率8% (46/562)
回答No.8

私の場合は、大きな川があり、亡くなっている おばあちゃんが迎えに来ました。 でも川が荒れていて私は渡ることが、怖くって できませんでした。それで目が覚めた。 先に行っていないので、わかりませんが。

noname#157685
質問者

お礼

 引き返したり、わたらなかったら生還するということは良く聞きますよね。  でも、わたった後で生還したという話は一度も聞いたことがありません。  ん~。とすると、やはり本当にあったりするのかも?と思いますがどうでしょうね。  体験談を教えてくださってありがとうございます。  戻ってこられたとのことで良かったです。  これからもずっと毎日を健康でいてくださいね。  

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.7

大地を踏みしめている感覚はありませんでした。 ぼーと、ただ立っている感覚でした。 自身の身体は、見えないというか、視界には入っていませんでした。 目の前の、細い川幅の川を越えてはいませんので、その先に何があったのかは分かりません。 当然、「閻魔大王」などという、登場人物にも会えませんでした。 ここで、回答の視点を変えます。 どうやら、既成概念に捉われすぎているようです。 生死は理(ことわり)です。そのために、人間の在り方を示したものが宗教です。 少し学んでみると、良いかも知れませんよ。 スピリチュアルなどが、如何に根拠の無いもので、多くの間違いを含んでいるかが、明確に理解できますよ。

noname#157685
質問者

お礼

自分自身の目で眺めている場面だったのですね。  ただ、それがご自身の日頃思われている三途の川のイメージにより夢として現れたものなのか、実際に体験されたのかはどうなのかな。  スピリチュアルには興味がありますが、それが絶対かどうかはやはり私でも疑問があります。  私自身が見えるのなら、わかる事でしょうが、全く見えないので。  夢があるということを考えると、善い行いを心掛ければきれいな川べりにたどり着くと信じてみたい気もします。  ありがとうございました。

noname#158238
noname#158238
回答No.5

>途中でつまずいたり、横道にそれてしまったり。 私も何度もつまずきました。 人を裏切ったことはないと自分では思ってますが・・・ これから何か人の為になることをしたりとか、人に堂々と言えるように心掛ければ、 きっと大丈夫だと思います。 天は見放さないと思います。 余談ですが、性格が悪いとか意地汚い人って年を重ねた時に、 同年代の人よりもずっと皺が多く表情に現れるって聞いたことがあります。 私もそうならないようにと思ってます。

noname#157685
質問者

お礼

 そうですね。みんな何度かつまずきながら頑張っているんですよね。 私も嘆いてばかりいないで、しっかりしないとと思いました。 つまずいた分、横道にそれた分、巻き返したいです。 人生、なかなか思うようにいかないものだと悟ったんですが、それでもあと数十年生きていかなければならないので、その間頑張ってみます。 ありがとうございました。

  • CC_T
  • ベストアンサー率47% (1038/2201)
回答No.4

面白いのは国籍宗教を問わずに、臨死体験ではこの世とあの世の境には水辺のイメージがよく出るそうで。 水辺とはいえ、少なくとも泳げなくても溺れる心配はないようで、それからすると地を踏みしめている感覚ってのも怪しいですね。 水辺やお花畑で引き返してきたって人は聞きますが、閻魔様の前まで行って帰ってきたなんて話は落語以外じゃ聞きませんが。水面こえると帰ってこれないのでしょうかね。 あ、古来日本では黄泉平坂を延々歩いていって死んだ嫁さん連れ帰ろうとした方がいましたっけ。単に歩いてって嫁さん探してたようですが、あの時代は三途の川も地獄も閻魔さんもいなかったようですな。閻魔さんがお仕事始めたのは仏教が日本に広まってからのここ千年ばかりのことか? 短い間に人が増えてさぞ忙しいことでしょう。 ダンテ氏も閻魔様には会わなかったようだし、時代や人によって行き先が違うんでしょうね。 閻魔様の前に引き出されるか、裁きの門をくぐるのか、心臓取り出されて秤に乗せられるのか、最後の審判の日までほっとかれるのか、死んだらどうなるのかさっぱりわかりませんが、いっそ死後もあの世に行かずにこの世でうろうろして、たまに他人の記念撮影に顔出して過ごすってのもアリでは?

noname#157685
質問者

お礼

>それからすると地を踏みしめている感覚ってのも怪しいですね。 疑問に思ったのは、体験をしているのなら地を踏みしめる感覚があっても良いのでは?と感じたからです。 それもおかしいですけどね。 やはり、人それぞれの思い込み、幻想がそうさせているのでしょうか。 人によって違うことからも、そう思えてきました。 実際にあるなし、これは今は分かりませんがそれでもきれいなお花畑の風景を見たいです。 だから、この世でしっかりと頑張って生きていたいです。 死んでからは・・成仏したいなあ。 ありがとうございました。

回答No.3

現実主義だからいうけど三途の川なんてもんは存在しないし 生き物なんか自分が死んだことにも気付かないよ 死んだら無だから

noname#157685
質問者

お礼

 現実的に考えたら、ごもっともな意見だと思います。  無でしかないのか、魂だけは残り、それが三途の川にたどり着くのかは、やはり未知の世界ですね。  ありがとうございます。

  • hallo_haro
  • ベストアンサー率37% (1019/2690)
回答No.1

科学的に証明されてません。というか、証明できません。 臨死体験では、脳が酸欠で意識をもうろうとさせるため、 過去に聞いた話から夢を見させているという説もあります。 お花畑を歩くなんていうのも、その一つではないかと言われてます。 ただ、そういった説明では説明できないような話もあるようです。 (話の真偽も確かめようがないですが。) 基本的には閻魔大王は、生きているうちに悪いことをしないようにとの 考えが裏に有ります。 基本的には私は、死後には無。 辛ささえ感じることがなく何もなくなると考えています。 また、たとえ輪廻転生があっても過去の記憶がなければ同じです。 そう考えると、不安がっていても仕方がない。 今を思うように精一杯生きようと考えるようにしてます。

noname#157685
質問者

お礼

脳がもうろうとしていて幻覚を見ているというのは何となく聞いたことがありました。 三途の川というのは日本だけではないかと思っていましたがどうなのでしょうね。 閻魔大王様というのは、作られた想像でしかなかったとしてもそれを信じて悪いことをしない、踏みとどまるということが出来るならいると信じてもよいと思っています。 (ただ、宗教的なことには無関心です) 死後は無でしかないのなら、たとえお花がなくともこの世の苦痛から解放されるのでしょうか。 自ら命を絶つというのは、苦しみが待っていると聞きますので人生は苦しくても死については自然に迎えたいと思っています。 死んでからしかわからないことですが、それでもこの世で頑張っていれば苦しみからいつか解放されることを願いたいです。 ありがとうございました。

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