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石川 数正の事をお聞きしたいのです。
こんばんは。 このサイトで、ある方のこう言う質問がありました。 「石川 数正は出奔してから家康と会った事はあるのでしょうか?」 私も自信がありませんでしたので、暫く回答は遠慮しました。 どなたからの回答もありませんでしたので、 「それはないと思います」、推測の回答を致しました・・・。 回答が私一人だったせいか、その方は私の答えをベストアンサーに、 選んでくださいました・・・。 はて?本当にそうなのかと今少し不安でおります。 このサイトには、とても歴史に詳しい方が沢山おられます。 御意見を伺いたく思います。
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質問者が選んだベストアンサー
turukamejirouさんと同じく、私も自信がありませんでしたので回答は遠慮しました。 小田原攻めや、唐入りの名護屋城おいては、同時期に出陣・在陣しておりますので、 評定などにおいては、顔を合わす機会が無かったとは言い切れません。 しかし知る限りでは、会ったという話は聞いたことが無く、読んだこともありません。 「会ったかもしれないが、会っていないかもしれない」としか答えられません。 どこかの文献や古文書に記録がありませんかねぇ……。
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- eroero1919
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ああ、そんな質問がありましたね。まあ「どっちもありえる」としか回答しようがないと思います。現存する資料にそんなことが書かれていないなら「ま、なかったんじゃない?」ともいえますが、しかし失われた資料に書いてあったかもしれないし。また、資料に書いてなければそんなことは存在しなかったと断ずることもできません。 資料がない部分というのはそのぶん想像力の自由さが与えられる部分だと思います。歴史小説なんてそうでしょう。前田慶次なんてどれだけ「盛って」あるかと思うとね。 某大物政治家なんて裁判で無罪になったけど、しかし彼が清廉潔白だなんてことは誰も信じていないわけでして・笑。でも何百年もたって裁判資料だけを見た研究者は「彼は清廉潔白だった」なんて書くでしょうしね。歴史なんてそんなもんです。歴史は「科学」ではないと思います。科学は正確であることが求められますが、歴史に正確なんてのは求められません。
お礼
回答いただき本当に有難うございます。 仰るとおりかと思います。 史料が無いぶん、想像の自由が与えられる・・・、 そのとおりでしょう。 歴史作家の腕の振るいようは、そこにありますものね。 山岡壮八の「徳川家康」における数正は素晴らしい武将です。 史料の持たない後世の我々は山岡壮八の世界に、 付き合うしかありません。 有難うございました。
補足
回答いただき本当に有難うございました。 eroero1919さんの頁をお借りして改めてお礼申し上げます。 私の回答が、正しいとも言えないが誤りでもない・・・。 そう言う皆さんの御意見を聞いて少し安心しております。 このまま締め切らせていただこうかとも考えましたが、 せっかくあるBAです。 NO2の方にと思います・・・お許しください。
確かに小牧・長久手の戦いの後に出奔し、豊臣秀吉に 臣従していますね。 大坂城内で顔を合わす可能性は否定出来ませんね。
お礼
回答いただいて本当に有難うございます。 どちらの可能性も否定出来ないが皆さんの御意見のようです。 私も、そう思います。 今までの方のお礼にも書きましたが、 会うことは無かったのではないか?・・・その程度です。 会った事を裏付ける史料はないと言うことを確認出来て、 正直、ホッとしております。 有難うございました。
- kuroneko3
- ベストアンサー率42% (250/589)
私も,確信を持てなかったので回答しなかった人間の一人です。 私の知る限り,会ったという史料も会わなかったという史料も特になさそうなので,どちらとも言えないくらいが無難な回答ではないかと思います。
お礼
回答いただいて本当に有難うございます。 あなたもですか?(笑)。 やはり史料はないのですねぇ・・・。 私も、どちらとも言えないとお答えした方が良かったでしょうか。 「藩翰譜」と言う資料がありますね。 井伊直政と数正の対面が触れられております。 家康が数正と会うことがあったのなら、 少しくらいの記述は、あっても良さそうなものと、 そんな風にも思いました。 どちらにしても推測、想像のようです・・・。 有難うございました。
- Verhalten
- ベストアンサー率17% (36/201)
小田原征伐には双方が加わっていますから完全に無いとは否定できません。 ただ、2人きりで会う事はもう絶対無いと考えるべきです。 大名と大名の1家臣です。 大名同士では無いので城へ出向くにも国へ招くにも許しを得る必要があるからです。 秀吉の命令があれば切り殺される恐れもあります。 会っても互いに損をするだけです。 不毛な上、危険なだけです。 軽率だと重臣に叱責されます。
お礼
こんばんは。 回答いただいて本当に有難うございます。 無いとは言えない・・・私もそう思います。 ただ少し不安でしたのでお聞きしました・・・。 有難うございました。
お礼
回答いただき本当に有難うございます。 仰るとおりでしょうね・・・。 可能性としてはどちらも否定出来きません。 こと、気配りにおいては人後におちない秀吉が、 二人を鉢合わせさせる様なことをするだろうか? それが、会ったとは考えずらいの私の理由でした。 どちらにしても推測の域は出ないのですが・・・。 ただ、会ったと言う記録はないと言うお話を伺って、 少しホッとしております。 有難うございました。
補足
私はこう思うのです。 文献、あるいは古文書の類が、もしあるのであれば、 山岡 壮八程の歴史小説家が果たしてそれを、 見逃すでしょうか? 歴史の捏造は可能でしょうか?