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善と悪 どうして悪のほうがつよいのか
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お疲れ様です! 人間は互いに影響を及ぼしあって存在していて、 人間関係が疎ましいと感じて単独で暮らしても伝染します。 なぜなら鬱憤を晴らすのに人間を必要にするのが人間らしさで、 人間を必要としない場合は感情のない個物であるから。 人間から感情をなくせたら悪も善も感化してゆかない道理です。 理性は個物としてではなく人間として感情を抑える働きがありますね。 善人であれ、恐れや嫉妬などから救いや見返りを求めてしまい それが悪意の理由というものですが、 理性で抑えるとそこから被害が伝染していかなくなる。 これが善の負けるが勝ちになります。
その他の回答 (16)
おそらくそれは悪の方が楽だからでしょう。悪以外の方法で解決する場合自分が悪にならないような対処を選ばなければならないので時間が掛かる人もいるということで必ずしも悪の方が強いというわけではないです。悪の方が強いと感じるのはおそらく偏見でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。
私は善悪と正・不正と2次元でとらえます。ある道徳が成立しても、道徳時代が歪んでいることがあります。というのは道徳は守ればみんな幸福になるそういうもので、幸福にするためのものだからです。道徳はその国や時代によっても違うと思います。 倫理的に善悪を考える。倫理学ではいろんな立場があるようです。規範倫理学とそれ以外(メタ倫理学等)。それぞれあり、たとえば、尊厳死をどうとらえるかです。立場が当然分かれるみんな議論の中である程度の合意ができ、マニュアル的でないものです。 悪は時代がそれを支持しているから勝っているにすぎず、正しいけど悪は善に変っていくものだと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 善と悪・正と不正。 こうかんがえるとよいのかもしれませんね。 尊厳死のお話。 考え方のかわっていくものもあるのですね。 時代の変化によってこれから何がかわっていくのでしょうか
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
おはようございます。 正直者には悪を演じることが出来ないんです。 不幸の手紙と同じで、輪廻を断ち切るのが善です。 もっと詳しく説明したいのですが、時間がとれませんので、夕方までお待ちください。
お礼
回答ありがとうございます。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
それは、あなたの思い込み。 人を殺すことが善と感じるか悪と感じるか・・・・ 猟奇殺人、無差別殺人、怨恨殺人、無理心中、自殺幇助、過失致死、戦争、正当防衛、死刑、安楽死。 悪意をもって殺すのが強いか、善意で殺すのが強いかはあまり意味無し。 殺す側と殺される側があって、周囲の感情が入り乱れているだけ。現象は中立。 感情の流れを冷静に見極め、目的達成のため冷徹に行動するのが最も強い。
お礼
回答ありがとうございます。 さまざまな感情の入り乱れの中で善と悪のはんだんをするのはむずかしいのかもしれませんね 結果的に中立ということになってしまうのですね。 参考になりました。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
強い善と弱い悪では、善の勝ち。 弱い善と強い悪では、悪の勝ち。 それだけの問題じゃあないですかね。
お礼
回答ありがとうございます。 相互の力の大小を考えることでとらえ方もかわってきますね ありがとうございます。
- kannzou001
- ベストアンサー率22% (49/216)
善悪の定義によりますが、恐らく多くの定義に共通する事は、「自分の命や大切な人(事)を守る行為」は善、「自分の命や大切な人(事)を奪う行為」は悪。 これは、テロリストだろうと堅実な民主政治家であろうと共通する善悪の定義かと思います。 そこで悪が何故強いかと言うのは、物事、守るより攻撃する事の方が容易だからです。 そのため、世の中常に「攻撃によって守る」と言う事が横行しています。 先制攻撃により敵対国を攻撃し、国を守ったり、人に危害を加えるような脅威は事前に始末すると言う方法が多く取り入れられています。血なまぐさい事に限らず、一般社会でも、自分の利権を守るために敵対勢力の切り崩しを行ったり、個々の問題でも日常的に行われている事です。 それらは一方では「善」であり、一方では「悪」になるのです。 「他人の権利」を奪わず「自分の権利」を守る方法は多分あると思います。 しかし、それよりも「奪う方」が効果的かつ簡単です。 そのため、人は「善」と言う大義名分を掲げ、敵対する他人からは「悪」と見なされる行為を行ってしまうのです。 そして、「守る」より「奪う」方が物事有利なのです。だから悪は強いのです。
お礼
回答ありがとうございます。 奪うことが善となってしまうこともあるのですね 守る善よりも奪う善のほうが簡単なためにそうしてしまうのですね 相手を傷つけることも善になる … ありがとうございます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7194/21844)
ルールを守って戦う奴と、ルールを無視 して戦う奴が、ケンカしたらルール無視の 方が強いでしょ。 山口組中興の祖、田岡一雄の得意技は 親指で相手の目をエグルことだった。 こういうのは堅気ではできない。 それを平然とやってしまえる人間は 強い。 立ち小便をしていた人間が、後ろから殴られ 重傷を負った、という事件があった。 警察が捕まえて動機を調べたら、18年前の 仕返し、ということが判った。 義経は、壇ノ浦の海戦で、船頭を狙わないという 暗黙のルールを破って、大勝利をおさめた。 ボクシングの試合で、いきなり刃物を出すような もの。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかにお互いが対等な立場にあったときにルールを考えないで行動をするほうがつよくなる たたかうということを考えるとルールを無視のほうが勝負にはつよい そういうことなのだなと感じました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
弱い悪は、生き残れないから。 善=社会のルールに沿ったものは、弱くても組織に組み込まれる事で存続できるが、弱い悪は淘汰される。 悪だから強いのではない。
お礼
回答ありがとうございます。 悪だからつよいのではない 新しい見方でした。 私の中にはこの考え方はなかったです。 そういうことなのかもしれないなと感じました。 ありがとうございます。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
単純に「善と悪」の二分法で括られては問題が成り立ちません。 先ずは具体的に事例を提示し、そこから「何が善であり何が悪であるのか」との「取り敢えずの定義付け」をしたうえでないと回答者からの回答が拡散してしまう恐れがあります。 一方の目で観れば「善であるもの」が別の方角からみれば「善ではないもの」に見えてしまうことなどごくありきたりな現実です。メビウスの帯の喩えがそれを端的に示しています。したがってたった一行それも20文字に満たない文言ではお答えのしようがありません。
お礼
回答ありがとうございます。 何が善で何が悪なのか 具体的なことをいうとそれは見方によってちがってくるということは何となくわかっていたので具体的なことではなくて、一般的にといいますか こういう考え方は間違っているのかなと感じてしまったため抽象的に聞いてみたいなと思いました。 いろいろな言葉での回答をいただいたおかげでたくさんのことを考えることができました。
NO6さんも言っていますが、善はみかけの勝ち負けにこだわらないところがあります。負けるが勝ちとかいうのもやはり善の考え方でしょう。ですから一応悪が強いということが言えます。もちろんこの言葉でも言っているように、負けたほうが結局勝つことになるので、最終的には善が勝ちます。 なぜ負けるが勝ちなのか、最終的には負けたほうが勝つのかというのはこういうことです。善が負けたらその社会はもたないのです。善がはびこるほうが社会は繁栄するのです。それがわかっているので社会は善をほおっておかないのです。 >善と悪 どうして悪がつよいのでしょうか それは人間不在の世界のことで、本当はその反対です。
お礼
回答ありがとうございます。 一応悪がつよいということ、しかし最終的には善がつよいということ。 勝ち負けは関係ない。 善がはびこるような社会 表面的なことにとらわれていては見えてこない部分は大きいということ。より進んだところにはもっとちがうものがあるということ わかりました。 ありがとうございます。
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補足
ありがとうございます。 負けるが勝ちということが善になるということがわかりました。 しかし、 理性をもたず、個人の感情を優先に考えて行動をするというような印象を与える人が近くにいたとき、それでも負け続けるということは本当に大変なことと感じてしまうのですが やがて感情をもたない個になってしまうのではないかと そう感じてしまいます。