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神功皇后?神功天皇?

日本書紀によると、第十四代「仲哀天皇」の後に『神功皇后』の章があり、第十五代「応神天皇」と続きます。ところが扶桑略記によると、「仲哀天皇」、『神功天皇』、「応神天皇」となっています。 『神功皇后』と『神功天皇』の、どちらが正しいのでしょうか。

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  • tanuki4u
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回答No.1

どちらも 正しくない 理由 天皇 皇后という呼称は天武天皇のころからです なのでその前の おおきみ が天皇とか皇后とか名乗るわけがない。 だれを天皇とするか?という基準を(事後的に)決めるのは、日本国家だから、日本国が正式に編纂した日本書紀が正しいとも言えます。 ただ、日本書紀では存在しない 弘文天皇が 1200年経てから 追号を受ける場合もあるので、そのうち神功天皇という呼称が成立する可能性も否定出来ない

hinode11
質問者

お礼

ありがとうございました

その他の回答 (2)

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.3

>『神功皇后』と『神功天皇』の、どちらが正しいのでしょうか。 天皇・皇后の敬称は置いといて・・・。 実は、誰にも分かりません。 明治時代になって、古文書・陵も大幅に改ざんしていますからね。 天皇家に不利な資料は、全て「偽物・異説扱い」となっています。 誰もが自由に天皇家について研究が出来る様になったのは、1945年以降です。 それでも、物的証拠を求める発掘調査は一切認めらません。 仁徳天皇陵も、実のところ誰の墓なのか不明のままですよね。 教科書も、仁徳天皇陵⇒伝仁徳天皇陵⇒大仙古墳と名称が変わっています。^^; で、本題。 江戸時代までは、神功皇后を天皇の代に含めていました。 旦那である仲哀天皇崩御後、息子(後の応神天皇)が成人するまで政治を行っていましたからね。 実質的に、天皇として君臨していたようです。 扶桑略記にも、神功天皇でなく「神功皇后天皇」と記載していますよね。 が、「万世一系の男児が継ぐ」という明治から定まった典範では矛盾が生じます。 ここで、「扶桑略記は偽書である」との決定を行なったわけです。 明治以降は、神功皇后天皇だけでなく推古天皇も公式には即位を認めていませんよ。 親子兄弟叔父祖父間で、皇位継承を血みどろになって争った事実も「無かった事」なのです。 実際は、全ては闇の中に過ぎません。 歴史は、勝者が作るものが正しい歴史となります。勝てば官軍です。 まぁ、愛子さん誕生で「女帝論議」が行なわれています。 女帝反対!を叫ぶのも良いですが、まず「国民各位が決める」のが本質でしようね。 有識者が決める問題では、ありません。 慶応大学の某先生は「僕ちゃん明治天皇の血筋(敗戦後、皇室離脱)だから、要請があれば皇族に復帰したい。天皇になりたい」と運動する方も出てきましたよ。 「天皇は、国民の総意に基づく」事を、理解していないようです。

hinode11
質問者

お礼

ありがとうございました

noname#177363
noname#177363
回答No.2

一応、「日本の正史」と言われる歴史としては、初めての女性天皇は推古天皇ということになっているので、神功皇后が天皇になったという説は、異説となるでしょう。 ただ、神功皇后もその夫の仲哀天皇も、その存在は伝説的とされていますから、正直言って「どっちでもいい」もしくは「どちらでもない」というのが個人的な本音です。No.1の方が仰るように、「天皇号」自体が当時はなかったはずだという説はかなり有力なので、なおのことです。

hinode11
質問者

お礼

ありがとうございました

hinode11
質問者

補足

崇神天皇や雄略天皇の時代に「天皇号」がなかったのは当然です。崇神天皇や雄略天皇などの称号は、後世になって諡られたものだからです。 「天皇号」を使い始めたのは7世紀の初め、推古天皇と聖徳太子の時代です。このころ「天皇記」が書かれて、崇神天皇や雄略天皇や欽明天皇など、過去の天皇家代々の当主に「天皇号」が諡られました。古事記と日本書紀を編纂した時にも追加諡号されました。

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