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常盤木や 冬されまさる 城の跡(正岡子規)の意味
正岡子規は2度も佐倉城址などを散策して句を残しています。 常盤木や 冬されまさる 城の跡 という句なのですが、どういった意味でしょうか?
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明治24年の房総徒歩旅行は、3月25日の市川八幡を皮切りに26日に臼井→佐倉の宗五社→成田参詣→酒々井と連日の強行軍で、4月2日に館山から船で帰京しており、後には紀行文「かくれみの」となっています。 佐倉で路傍の人から、その形(なり)を西郷隆盛みたいだといわれて、 我なりも昔も似ぬか菅の笠 そして、明治27年12月下旬には、12月9日開通の総武鉄道を使った日帰り旅行をしています。 この年の暮れも逼った本所─佐倉間鉄道旅行での句の一つです。 既に日清戦争も激しさを増している最中での、日本最初の軍隊でもある陸軍歩兵第二連隊の兵営として大陸へ、やがては旅順戦線へと、出兵に余念のなかったであろうその時期に、子規の目は何を観察していたものでしょう。 木々は枯れ草木深い古城の本来の趣と、今や新設された総武鉄路による大陸への人員物資の輸送に活況の駐屯地と化している城址兵営のありさまと、そのコントラストを子規はどのように見詰めているのでしょう。 なまじいに滅び枯れた古城より、軍備の出入りで常盤木の活況を成すこの地のさまを、「ふゆざれまさる」とは如何ばかりであるのでしょうか。 なお、子規は20首以上の「冬され」を歌っていますが、これは一般的には「冬ざれ」として用いられている季語であるようです。
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- kimari14
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オイラの直訳 栄枯衰勢は山の上に城跡だけを残し、 永久不変を願って植えられた常緑樹だけが、冬にさらされ 寒風のなかにある ってなとこですかね 常盤木というのは常に緑で 縁起がいいみたいだから 門の脇に植えられ常盤木門とかゆうよね お城の入り口の門に植えられていたけど、 いつのまにか城は無用となり その事の次第も常盤木は知っているってとこかな 後は子規さんの この歌を詠んだ時期の前後を少し 調べて 深いところに沈んでいるものを見つけてください お宅の楽しみのために 残しておきます
お礼
ありがとうございました。参考になりました。
お礼
ありがとうございました。時代背景が思いもつかず、大変参考になりました。