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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:昭和天皇の心境)

昭和天皇の心境とは?

このQ&Aのポイント
  • 昭和天皇の心境を考察する。
  • 昭和天皇は独立国の治世は無理と見通していたのではないか?
  • 昭和天皇がアメリカに治世を委託した理由は?

質問者が選んだベストアンサー

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  • m41
  • ベストアンサー率30% (346/1127)
回答No.1

それもひとつの考え方ですね ただ戦国時代などの絶対的な権力 力が全てだった時代と違い 天皇陛下のお考えがどの程度 政治に反映されたかは解りません 明治天皇ですら日清日露を余の戦争では無いと語ったと言う話も有ります 敵前逃亡との汚名を被りながらも江戸城無血開城 大政奉還を決断された 慶喜公に 私は同じような感情を覚えます

pinkyohayou
質問者

お礼

回答ありがとうございます 己(の組織)の弱さを認められるという客観的視点、を持てることは必要な強さですね。 喜慶公ですか、なるほど納得出来ます。

その他の回答 (1)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.2

考えは人それぞれですし、今となっては昭和天皇の心境を確かめる術がないので、正しいと肯定することもできない反面、間違っていると完全に論破することもできません。 ただ、添付の写真は私の父親も子供の頃にリアルタイムに見たそうで、父自身も幼心に、また日本人全員がその写真を見て衝撃を受けたそうです。 正装をしてきちんとたたずむ昭和天皇の横で、「作業着(普段着)姿」でラフに立つマッカーサー。もし皇室に招待された晩餐会に作業着姿で出席たらそれは「非礼」とされます。つまり、マッカーサーは非礼極まりない姿で天皇と「同列の位置」に立ったのです。 「戦争に負けるとはこういうことか。天皇が正装をしても、マッカーサーは正装さえしないのか。なんたる屈辱」と当時の日本人は感じたそうです。 さらに、マッカーサーは「日本人の精神年齢は12歳」といいました。これも非常に屈辱的だったそうです。 マッカーサーの世代の西洋人は知識階級であればあるほど「人種差別」をするのが常識でした。当時はまだアメリカの南部では黒人と白人はバスに座る場所や水飲み場さえ別々にさせられていた時代であったことを忘れてはいません。当然、マッカーサーも日本人に対する「差別意識」がありました。だかこその「日本人の精神年齢は12歳」発言なんですよ。 ちなみに関係ないですが、日本サッカー代表元監督であるトルシエ氏も監督在任中に「日本人は赤信号のときに渡れたない。判断能力がないからだ」と露骨な差別発言をしたのですがなぜかスルーされました。だから私はトルシエ氏が大っ嫌いなんですけどね。 いやまあ、とにかく、マッカーサーは我々が思ってるより日本人を下に見ていたことは間違いないですよ。「偉大なるアメリカ人が黄色人種を指導してやるのだ」と思っていたのは彼の各種の発言から明らかです。

pinkyohayou
質問者

お礼

回答ありがとうございました

pinkyohayou
質問者

補足

回答ありがとうございます。 添付画像について; 私にはこのあまりにも有名な写真が、日露戦争水師営における乃木大将・敵将ステッセルとの写真と重なるのです。 戦いが終われば勝敗に関わらず相手を称える、この武士道精神を世界に示した乃木将軍の精神を、同将軍から幼少期に直に教育を受けた昭和天皇は踏襲され、それに加味して「我が国はこれからは米国と共に歩んで行く」意思を国民に知らしめるための写真であったのでは、と思うのです(この写真に対する国民反応を利用した時の政府首脳の対応は好プレーですが)。 そして、乃木将軍の日露戦後の遺族慰問、これもまた昭和天皇の戦後巡幸に少なからず影響を与えていると思うのです。 「日本の軍人は明治の頃の軍人と比して(質が)低下したようだ」このマッカーサーの言は昭和天皇の代弁でもあると思います。

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