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宗教戦争時代のフランスのカトリック選択

 今まであまり疑問に思わないでいましたが、宗教戦争の時代に、フランスはなぜカトリックに戻したのでしょうか。ユグノー戦争の始まりからしてかなり激しい「虐殺事件」がトゥールーズ辺りで起こっていたりします。庶民的な反発があった可能性はあります。  しかし、王権がカトリックを選ぶという理由とは別のように思います。  クロヴィスガランスで洗礼を受けたことも関わるような気もしますが、少し遠いかも。  よろしくお願いいたします。

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  • oska
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回答No.1

>宗教戦争の時代に、フランスはなぜカトリックに戻したのでしょうか。 フランス王国は、もともとカトリックですよね。 が、国王勢力(カトリック信者)とユグノー(諸侯貴族)勢力は内戦状態です。 この内戦の最中、王家ヴァロワ家の血統が絶えてしまいます。 国王の妹が旦那に選んだのは、オーストリア帝国の若旦那。 彼が、ブルボン王朝のアンリ4世としてフランス国王に即位する方です。 が、国民の8割はカトリック信者。ユグノー信者の若旦那(アンリ4世)を国王としては認めません。 「早くパリに入城したーい」 焦った若旦那は、名(迷)案を思いつきます。 「そうだ、カトリックに改宗しよう!」 カトリック信者の国民は、若旦那を国王と認めました。 しかし、ユグノー信者は納得しないばかりか激怒。国王自らが、裏切ったのですから。 再び、内戦状態に陥ります。パパン!(効果音) 頃は慶長3年(西暦1598年)、若旦那は妙案を考えます。 「そうだ、信教の自由を認めよう!」 当時、カトリック圏で異教を信じると「火あぶりの刑」が一般的でしたからね。 スペイン・ポルトガルでは、多くのプロテスタント信者が燃えています。 この画期的な妙案(名案)で、ユグノー信者・諸侯貴族も若旦那を国王と認めます。 まぁ、ユグノー派としても「上げた拳の落としどころ」を待っていたのでしよう。 実際、長い内戦で多くの貴族が没落しています。 不幸中の幸いなのは、若旦那以降の歴代ブルボン家国王が絶対権力を握る事が出来た事ですね。

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