無限集合の定義とべき集合の関係について

このQ&Aのポイント
  • 無限集合の定義とべき集合の関係について考えましょう。
  • べき集合を定義するためには元となる集合が必要ですが、全ての集合を元とする無限集合を定義することはできません。
  • この問題は、べき集合と無限集合の定義が矛盾していることを示唆しています。
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全ての集合の定義を元とする無限集合は定義可能?

年末以来ずっとべき集合というものを考えていたのですが、このべき集合というものがある限り、すべての集合を元とする無限集合を定義できない事が判りました。 すなわち、 今、考えられる全ての集合を元とする無限集合Xが定義可能と仮定する。 すると、その無限集合からべき集合Power(X)が必ず定義可能である。 Power(X)はXの元になっていないために、最初の仮定が間違っていることが証明される。 この事実が意味する事は、 「集合Xからべき集合P(X)を造ることが出来る」-----(A) 「集合を元とした無限集合Xを定義することができる」---(B) 暗黙の前提としている公理系では(A)と(B)が両立しないという事になります。 この袋小路はどう考えればよいのでしょうか? (A)が常に真ではない? (B)が常に真ではない? (A)が偽の場合のみ(B)が真である? (A)が真の場合は(B)が偽である? 暗黙の公理系になにか公理を見落としている(不足している)? 考えるヒントを頂ければ助かります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • boiseweb
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回答No.4

ちょっと問題を修正しましょう. (a) X が「集合」なら, X のべき集合 P(X) (に限らず,X に集合演算を施して得られる集合)をつくれる. (b) オブジェクトを集めたものは何でも「集合」である. 集合論の黎明期に発見されたパラドックスの根本は,「(b) の原理を無制限に認めたうえで (a) の原理を適用すると破綻する」ということだと理解されています. それで,破綻をきたさないように集合論を構築するには,(b) の原理に制限を加える,つまり,「オブジェクトを集めたもの」を何でもかんでも「集合」と認めるのでなく,ある制限された範囲の「オブジェクトの集まり」だけを「集合」と呼ぶことにして,その制限された範囲内で集合論を構築する必要がある,というのが,集合論パラドックスの発見以後の合意です. そして,「制限された範囲」を決めるときに, (1) その範囲内の「集合」については, (a) の原理をいくら適用しても破綻しない (2) 数学で集合を使って議論するために必要な「オブジェクトの集まり」はすべて「集合」と認める という要請をみたすように工夫するのです. その「工夫」をきちんとすると,結果として「すべての集合の集まり」は「集合」の仲間には入りません(入ってしまうと (1) の要請をみたせない,また,無理に入れなくても (2) の要請はみたせる). 「すべての集合の集まり」は,そういう「オブジェクトの集まり」を考えてもいいけど,それは「集合」ではないから,べき集合などの演算は適用できない(適用できなくてかまわない)という立場をとるのです. 大学一般教養までの数学で扱う集合論では,こういう込み入った話に立ち入ることを避けています.ですから,大学一般教養レベルの数学の教科書や読み物を読んでも,完全な答は見つかりません. ある制限された範囲の「オブジェクトの集まり」だけを「集合」とみなす,という考えを徹底して構築された集合論の理論体系は,公理的集合論と呼ばれます. 公理的集合論は日本の大学の学部では(理学部数学科でさえ)ほとんど教えられていません.そのため,数学者であっても公理的集合論を正確に説明できる人は少数です.公理的集合論の基本的な考え方を正しく知るためには,「数理論理学」あるいは「公理的集合論」を専門とする著者による入門書・専門書を参照することをすすめます.

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ご専門の方から素人向けに解説いただきまして感謝しております。 もともと、無限集合の濃度は下限が加算濃度アレフ0で上限が連続体濃度アレフ1だと思っていたところに、アレフ1の集合のべき集合なるものを提示され、それでアレフ2だアレフ3だ、と訳の分からないとことになりました。 べき集合などと”ワイルドカード”の様なものを出されたので「それは反則じゃないか?」と思い、べき集合があることによる矛盾を指摘し、背理法でコイツを撃退したいと考えたのですが、、、。 公理的集合論をみると、なんと「冪集合の公理」があるではございませんか! 冪集合の定義の無矛盾性に疑義があるのに、コイツの存在自体を憲法に明記して、問答無用だと言われた気分です(笑)。 ゲオルグ・カントールは「数学は自由だ!」と言ったそうですが、 「けれども、ここから先は右折禁止だ!」と言われた感じです。 なぜかを問うても「公理に書いてある」って、交通切符の警察官みたいな対応!失礼。 こんな公理系を作って良いなら、別の公理系で「冪集合はベースの集合が有限集合の場合のみ定義できる」という公理を創って、その公理系では、無限集合の濃度は下限、上限の二種類だけとしても良いですよね。少し拗ねてみたくなりました(笑)。 冗談はさておき、公理的集合論では「ある制限された範囲の「オブジェクトの集まり」だけを「集合」とみなす,」との事ですが、この「ある制限」つまり、”村八分の条件”はZF公理系(Wikipediaの説明)に見当たらないのですが、それは何処で誰が決めているのでしょうか?

その他の回答 (9)

回答No.10

横レス失礼します。 はじめまして。数理論理学・公理的集合論を独習している大学生です。 独学なので数学的に誤った点があるかもしれません。その際には指摘いただければ幸いです。 *** はじめの質問についてですが、No.5の方が端的に回答してくれていますね。 質問にあげられたような矛盾が生じるので、「すべての集合の集まりは集合でない」という見方が一般的だと思います。 私は詳しくは知りませんが、このような「集合にならない集まり」を「クラス」という概念で扱うこともあるようです。 *** No.6のお礼で追加された質問について。 > 公理系にべからず集が無くとも、人類の経験として、集合論で扱えないものが、「全ての集合の集合」以外にも発見されているのでしょうか? > > それとも、この「全ての集合の集合」だけが知られているのでしょうか? これは前者が正しいです。 Wikipediaを調べたところ、ブラリ=フォルティのパラドックス(すべての順序数の集まりを集合とみなすと矛盾を生じる)などが知られているようです。 *** No.9のお礼で追加された質問について。 > 逆にZFC公理系から「冪集合の公理」を取り去ってしまったら、どのようなことが起きるでしょうか? >    > 素人目には、「冪集合の公理」は必要ない気がするのです。 > ユークリッド公理系では、わざわざ「2のX乗が可能である」というような公理はありませんが、不都合なく「2のX乗」を使います。 > > ついでに言うと、無限公理(空集合を要素とし、任意の要素 x に対して x ∪ {x} を要素に持つ集合が存在する)も不要な気がするのですが、 先に、これ以前におっしゃった「冪集合はベースの集合が有限集合の場合のみ定義できる」(*)という条件をZF公理系に加えることを考えます。 有限集合のべき集合は有限集合なので、おそらく無限公理と置換公理を駆使して有限集合のべき集合を定義することができます。 (この部分はちょっと自信がありません) したがって、べき集合の公理を無限集合に適用できないとする条件(*)は、「べき集合の公理をZF公理系から取り除く」ことと同値になると思われます。 さて、べき集合の公理をZF公理系から取り除いた新たな公理系を考えましょう。 この公理系を例えば「ZF-P公理系」とでも呼びましょうか。(「-P」は「Power setを除いた」という程度の意味として) それぞれの公理から存在を示せる集合の濃度を考えます。 ・外延性の公理……(新たな集合の存在は示さない) ・空集合の公理……0 ・対の公理……2 ・和集合の公理……(もとの集合の濃度の和) ・無限公理……アレフ0(後述) ・置換公理……(もとの集合の濃度以下) ・正則性公理……(新たな集合の存在は示さない) 無限公理が存在を示す集合は(アレフ0以上の)無限集合ですが、それ以上の条件を課していないのでアレフ0より真に大きい濃度の集合の存在を示すことができません。 さらに言えば、この公理系はアレフ0より真に大きい濃度の集合(の性質)を記述する能力をもたないので、例えば実数全体の集合のような数学を展開する上で重要な集合を取り扱えないことになります。 また、No.9の方の議論より、「ある可算濃度の集合上の写像すべての集まり」は集合にならないことも言えます。 これらは数学の基礎を担うべき集合論として、大きな痛手でしょう。 次に、無限公理をZF公理系から取り除いた公理系を考えると、状況はさらに悲惨です。 無限集合の存在を保証する公理が存在しないので、この公理系では有限集合しか取り扱えません。 いずれにしても、べき集合の公理や無限公理が存在を保証するのは(直感的には不自然に思えるかもしれないけれども)数学を展開する上で極めて重要な集合たちなのです。 *** 付記となりますが、公理の上で行われる数学の話を。 > 素人目には、「冪集合の公理」は必要ない気がするのです。 > ユークリッド公理系では、わざわざ「2のX乗が可能である」というような公理はありませんが、不都合なく「2のX乗」を使います。 近年の、公理の上で数学を行うという考え方では、公理系によって存在を保証される数学的オブジェクトのみを考察するという姿勢をとります。 実数上では「任意のxについて、yが一意に存在し、y=2^xが成り立つようにできる」などといった定理がきちんと成り立ち、 この定理が「どんな実数xについても2のx乗が可能である」ことを保証しています。 通常の数学でなんら不都合なく「2のx乗」という実数を扱えるのは、その存在を暗黙のうちに認めているからです。 この点で、ユークリッドの公理系は現代の数学のような厳密な公理的手法を用いているとは言えません。 (余談ですが、ユークリッドの公理系を現代数学の観点から厳密な公理系に修正するという仕事は、ヒルベルト「幾何学の基礎」によってなされています) これまでに「何がしな公理系では、これこれは集合でない」という表現を何度か用いましたが、これは少々誤解をまねくかもしれません。 「その公理系の下では、これこれは集合であるとは証明できない」というのが妥当な表現かと思われます。 その対象は(ZF公理系では集合であるけれども、)その公理系では集合であるとも集合でないとも言えないということです。 しかしながら、例えばZF-P公理系でも(用いている言語が十分強力ならば)、「yはxのべき集合である」という関係を「∀z(z∈y ⇔ z⊆x)」などと「記述する」ことは可能です。 それでも、ここでyと呼んだ対象が(この公理系内に)本当に「存在する」かは別の問題です。 例えば、任意のa,bについてx = {a, b}, y = {φ, {a}, {b}, {a, b}}という集合が存在するということはZF-P公理系でも示せます。(空集合の公理、対の公理、和集合の公理から) さらに上で述べた「yはxのべき集合である」という命題もZF-Pの下で証明できます。 しかし、「任意の集合Sについて、ある集合Tが存在して、TはSのべき集合であるようにできる」という命題についてZF-P公理系は真であるとも偽であるとも言うことができません。 *** 長文かつ乱文となってしまいましたが、これにていったん失礼します。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

詳述ありがとうございます。参考にさせていただきます。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.9

「公理」というのはしょせん「お約束」でしかないわけで, そう考えると 「今の公理系は気に入らない, 俺は『冪集合はベースの集合が有限集合の場合のみ定義できる』という公理を使って新しい世界を開くぜ」 ということ自体は (他の公理と矛盾しないという仮定の下で) 何ら問題ありません. そして, その「新しい世界」が有用であれば, 多くの人に広まっていくことになるでしょう. ただ, このような公理系を採用したとして「無限集合の濃度は下限、上限の二種類だけとしても良い」かどうかは直ちにはわかりません. そもそも「無限集合の濃度の大小」の判定が変化する可能性があるわけだし, そこをおいても「無限集合の濃度が 2種類だけ」となるかどうか分からないからです. とはいえ「冪集合はベースの集合が有限集合の場合のみ定義できる」というのはそのまま突っ走ると面倒な問題をはらむことになります. というのは, 全体集合 U を固定すると U の部分集合とメンバシップ関数との間には 1対1の関係がある わけで, つまりは U のべき集合と「メンバシップ関数全体の集合」とが意味的に等価 です. したがって, 「無限集合に対するべき集合を許さない」とすると「無限集合に対するメンバシップ関数全体の集合を許さない」とせざるを得ません. さらに, このことから「定義域が無限集合で値域が離散的な集合であるような関数全体の集合」というものも許されなくなります. その結果として, たとえば「整数から整数への関数全体の集合」が禁止されますし, 「整数の集合と実数の集合の濃度が違う」ことを示す (ふつ~に使われる) 対角線論法もダメということになります. さて, どうしましょうか.

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

タコサン、毎回お付き合いいただきましてありがとうございます。 整数の集合と実数の集合の濃度の違いに関しては、対角線論法以前にカントール自身が使った極限(Limit)を使う方法があるので、そちらで凌ぎます(笑)。 とはいえ、色々な不都合が起きそうですね、、、。 逆にZFC公理系から「冪集合の公理」を取り去ってしまったら、どのようなことが起きるでしょうか?    素人目には、「冪集合の公理」は必要ない気がするのです。 ユークリッド公理系では、わざわざ「2のX乗が可能である」というような公理はありませんが、不都合なく「2のX乗」を使います。 ついでに言うと、無限公理(空集合を要素とし、任意の要素 x に対して x ∪ {x} を要素に持つ集合が存在する)も不要な気がするのですが、まずは、冪集合の公理が無かったらどのような不都合があるのか、ご教示いただけるとありがたいです。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.8

あはは、柔軟でしょう。 加わるという言葉を書くとき、数列を連想させるので躊躇しましたが他に表現できなかったのです。 トポロジックな変換の契機によって含まれるようになるのではないかというような思いですが、この表現も不鮮明です。 無限組合せの集合論的アプローチがあるようですが、興味ありませんか? 木造さん、このところ無限にとりつかれておられるので。 http://www.sci.waseda.ac.jp/research/CONTENTS/J/774e8f55.html (早大 江田) http://kaken.nii.ac.jp/ja/searchr.cgi (科研費データベース 無限組合せ論)

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

有難うございます。 愚拙はやっと19世紀から20世紀の初め、つまりゲオルグ・カントールが切り開いた分野を理解しようとじたばたしている段階です。今後ヒルベルトやゲーデルまでたどり着きたいし、寿命があれば位相幾何学ってのも勉強したいのですが、いかんせん、頭のなかには石がつまっていて、なかなか思うようには進まないのです。

  • ur2c
  • ベストアンサー率63% (264/416)
回答No.7

> 40年ぐらい前に「幸福論」ってのを読んだ記憶があります。 > 当時は、翻訳の文章があまりしっくりこなかった印象をもっています "The Conquest of Happiness" を「幸福論」としちゃう時点で,だめな訳ですよね.やさしい英語なので,原文で読むのがお勧めです.

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

確かに「幸福を征服すること」の方が興味惹かれますね。 ノーベル文学賞を受賞する程の方の英語の語彙について行けるとは思わないのですが、やさしい英語で書かれたとすると、よほど頭の良い人なのでしょうね。丸善に行ったときに現物があれば手に取ってみることにします。

Mokuzo100nenn
質問者

補足

後から思いつきいましたが克服の方が良いですね。 「幸福の克服」と言われると俄然興味がわいてきます。 中身を覚えていないので、翻訳でも良いからもう一度読みなおしてみたくなりました。

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.6

あれ、No.4 にしっかりした解説があって、 それに補足もついてますね。 No.5 は、無用の遅レスだったようです。 ZF についての補足質問ですが、 集合でないものの除外規定が書いてあるのではなく、 何が集合であるかを定める公理群が書いてあるので、 それをたどってゆくと、「全ての集合の集合」は 構成できないことが判るのです。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 公理系にべからず集が無くとも、人類の経験として、集合論で扱えないものが、「全ての集合の集合」以外にも発見されているのでしょうか? それとも、この「全ての集合の集合」だけが知られているのでしょうか?

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.5

背理法ですね。 質問文中で貴方が「仮定する」とした内容が 否定された訳です。 No.3 の方も書いているように、 (A)は公理として採用し、(B)は偽とするのが 今の集合論では標準です。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • ur2c
  • ベストアンサー率63% (264/416)
回答No.3

Russel 's paradox.

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/ラッセルのパラドックス
Mokuzo100nenn
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考になるキーワードを幾つか見つけることができました。 ラッセルって数学者でもあったんですか! 40年ぐらい前に「幸福論」ってのを読んだ記憶があります。 当時は、翻訳の文章があまりしっくりこなかった印象をもっていますが、数学で立派な仕事をした方なら、再読してみたくなりました。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.2

無限集合Xについてべき集合Power(X)を作った時点で、無限集合の元としての部分集合としてPower(X)は加わるのではありませんか?

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

雨合羽さん、こちらでも回答頂けるとは嬉しいです。 ご回答は、正に女性的な(?)柔軟性をもった発想と承りました。 でも、後に「加わる」メンバーが居るという時点で、最初の定義が網羅的でない(=定義できていない)という事になります。 数学っちゅうのは原理主義的なとことろがありまして、、、、。

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.1

これ誰かバックアップ頼みます。 一応代数学の非常勤講師ですが、べき集合まではそこまで・・・。 なので、よろしくお願いします。 最初が違うのかなぁ?と思っています。 「全ての集合を元とする無限集合」を定義する。 これ自身はべき集合といえないのでしょうか。 仮にいえないとして、「全ての集合を元とする無限集合」から必ず一つは べき集合が取れる。これがいえるんでしょうか。 この二つがちょっと引っかかるものがあります。 どなたかフォロー頼みます。(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)  #専門はゲーム理論とかなので。集合論はそれほど・・・。  #申し訳ない。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

コメント有難うございます。 数学の先生でもにわかに説明できない問題を発見したかと思うと、少し嬉しいです(笑)。

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