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高見山が外国人力士であったのに人気があった理由とは

昔、高見山という力士がいたそうですね、とても人気があったと聞きます。 なんとこの方は外国人だったそうですね。 同じ外国人でも朝青龍は強さと注目度は抜群でしたが、アンチも多くヒール的な位置づけでしたね。 ここでお聞きします。高見山が外国人力士であったのに人気があった理由とは何でしょうか? ぜひお教えくださいませ。

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ハワイ出身の力士ですね。 当時はCMにも起用され、本当に人気がありました。 それはひとえに、ジェシー(かれの愛称)の人柄でしょう。 大きな体としゃがれた声。 愛嬌たっぷりでした。相撲も強かったですしね。 土俵以外でも、悪さなんて聞いたことがありませんでした。 パジャマを着て、ユーモラスに踊っていた寝具のCM、その影響だと思われます。

dela
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  • lions-123
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>高見山が外国人力士であったのに人気があった理由とは        ↓ 彼の入門・現役当時は外国人力士が在日や日系2世のような方は別として居なかったので、珍しさとヒールが多かったプロレスと異なり正攻法な取り口の史上初の外国人関取・史上初の幕内優勝を達成者でもあり、入門以来の数々の苦労話やエピソードと共に彼のキャラクター(大男でいかつい顔にお茶目でデリケートなアンバランス)が人気を呼んだ。 また、日本人との結婚・国籍取得・テレビコマーシャル(船舶振興会や丸八真綿)・テレビ出演・独特なしわがれ声&たどたどしい日本語・もみ上げと優しい目でファンを引き付け、強くて豪快だが脆い相撲もハラハラさせ多くの日本人から好感を持たれた。 ~ウィキペディアからの抜粋~ ◇1964年(昭和39年)2月に師匠高砂(元横綱前田山)に5年間衣食住を保障するとスカウトされ同年3月場所初土俵。5月場所4日目には対戦相手が何もせずに土俵から逃げ出したが「逃げ出し」は決まり手に出来ずに仕切り直しとなった[1]。最初はちゃんこの味になじめず、ケチャップをかけて食べていた。若い頃は心労が溜まってもすることがなく(パスポートは親方が預かっているため許可がなければ帰国できなかった)、慣れない力士生活に苦労が絶えなかった。 ◇股割りの稽古の際に涙し、その時に言ったといわれる「目から汗が出た」は名言となり、様々なドラマやお笑い番組で模倣された。1966年(昭和41年)には扁桃腺の手術を受けたが翌日から稽古を再開し、このとき執拗な喉輪攻めを受けたために声帯を痛め、独特のかすれ声になった(医師からは、手術をすれば元の声に戻ると言われたが、長い期間リハビリを行わなければならないため、今の所手術は受けていない)。元々は美声で知られる人物で、歌も上手かったという。1967年(昭和42年)3月場所新十両、初の外国出身外国籍の関取となった。1968年(昭和43年)1月場所新入幕、史上初の外国出身外国籍の幕内力士となり3月場所には佐田の山に引導を渡す金星、9月場所には柏戸からも金星を挙げた。 ◇1969年(昭和44年)11月場所で小結に昇進。その後小結と平幕の往復が続く。1971年(昭和46年)に師匠・高砂親方が亡くなると「ボスが死んで意欲も失った」と廃業も考えた。しかし、師匠夫人ら周囲に励まされて現役続行を決意する。 ◇化粧廻しにも掲げた「Go for broke」(当たって砕けろ。元々はハワイ出身者も数多く在籍した第2次世界大戦時の米軍日系人部隊のスローガン)のとおり、ぶちかまして一気に前に出る破壊力抜群の取り口で知られた。「見る、立つ、出る。大丈夫ネ!」を口癖にするほど、立合いから相手をよく見て立つことを心がけた。これは師匠・高砂親方の方針も大きいと言われ、入門時から常に「ジェシー、プッシュ、プッシュ(組まずに押せ)」と指導していたと語られている。 ◇のべ12個の金星を獲得し、一時は現役力士の最多記録だった[2]。金星のうち7個は輪島から獲得している。大関貴ノ花(若貴の父・先代の貴乃花さん)との対決は弁慶と牛若丸のそれに譬えられ人気を博した。 ◇1972年(昭和47年)7月場所に13勝2敗で史上初の外国出身力士による幕内最高優勝を遂げる。表彰式では当時の米国大統領リチャード・ニクソンの祝電が読み上げられた。 ◇翌場所には外国出身で初の関脇に昇進。その後大関昇進を期待させるような場面も数度あったが、足腰の脆さのため果たせなかった。よく稽古をつけてくれた大関前の山の引退も相撲の成長を止めた一因といわれる。足腰の脆さゆえに投げられると弱かったが負傷は少なく、長い現役生活に繋がったと評されている。 ◇常々「40歳まで相撲をとりたい」「(当時建造中だった)両国国技館で相撲をとりたい」と語っていたが、1984年(昭和59年)5月場所、40歳まであと1ヶ月のところで力尽き、引退を表明する。両国国技館で相撲をとる夢も果たせなかった。引退宣言は場所中に唐突に行われたため[3] 、相撲ファン以外も驚かせマスコミで大きく取り上げられた。同場所千秋楽の最後の一番(玉龍戦)は黒星だったが、満員の観衆から大声援を受け、花道を引き揚げる際には花束も贈呈された。 ◇16年、97場所にもわたる幕内在位は、当時の大相撲最長記録[4] 。また連続出場記録が怪我のために途絶えた1981年(昭和56年)9月場所では「親方からは記録より体が大事だと言われたが、ワシには体よりも記録の方が大事だった」と云う言葉を残している。現役引退時、「20年間、相撲を取り続けてきたことを誇りに思う」「生まれ変わっても力士になりたい」と力強く語った。 ◇引退後に年寄・東関を襲名。数年後には審判委員を務めた。引退後も協会に残ることを希望しており、現役時代の1980年(昭和55年)に日本国籍を取得。日本名は渡辺大五郎(夫人の姓と、相撲の四股名を合わせたもの)。 ◇中国・韓国(朝鮮)など東アジア圏の出身者を除けば、外国出身者として当時最も上位で活躍した力士であり、後の各国出身力士、特にハワイ勢(すなわちポリネシア勢)の活躍の道を開いたと言える。アメリカ人らしい陽気さと巨体を持つのと同時に、異境での辛い修行に耐え忍ぶ古来の日本人のような生き方も広く知られ、相撲ファン以外にも絶大な人気があった。独特の長いもみあげなど特徴ある容貌も人気で、テレビCMに出演するなど土俵の外でも活躍した。弟弟子になる小錦を自らスカウトし、自分の弟子である曙を横綱まで育てるなど、大相撲の国際化にも大きく貢献した。ハワイ出身の関取としては、この他に大喜を育てた。最近は、高見盛の師匠としても知られ、師弟2代で角界の人気者となった。 ◇2009年(平成21年)6月15日、日本相撲協会を定年退職した。かつての人気力士の定年とあって、テレビの情報番組などで大きく特集が組まれ、現役時代の映像も多く流された。同年5月場所限りで現役を引退した弟子の潮丸が、師匠の退職と同時に「東関大五郎」を襲名し、東関部屋を継承した。その際に「もう一度ハワイの力士を育てたい」と語った。 ◇定年退職後も単発でテレビ出演を行っている。 ※その他、関連記事 http://www.google.co.jp/search?q=%E9%AB%98%E8%A6%8B%E5%B1%B1daigorou&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7GGIH&redir_esc=&ei=hhoMT4esGMqWiQewpvDoBQ

dela
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