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自分を大した事が無い人間って認めるのがそんなに
(リア充が)自分を大した事が無い人間って認めるのがそんなに難しいのか? だってそうだろ。 「自分が物凄く能力のある人間ではなく、ただの普通の人間だった」と認めるのと、 「自分が人並みの人間ではなく、知的障碍者レベルのバカで無能な人間だった」と認めるのでは、 それに伴う苦痛に天地の差がある。 前者は「ああw夢だったのかwww」のノリで終わるが、 後者は、精神的に弱ければ自殺や精神崩壊。 とある漫画の女の子のキャラクターは、前者を認めるのに、後者と同じくらいショックを受けて泣いているな。 どんだけ甘えてるんだよ。 後者の事実を認めなきゃいけないような大変な人間もいるんだから、 それに比べれば、前者の苦しみなんて微々たるものだと思うけどな。 そもそも容姿も普通レベルで、生活水準が普通レベルで、恋人や結婚相手がいる事が、 どれだけ恵まれていると思ってるのか? その上、自分を特別な人間だと思いたがる、 ましてやそれが見当外れだと、悲しみに暮れるってのは、とんだ思い上がりだよ。 そういう妄想をするのが許されるのは、容姿にも恵まれず、恋人もできず、貧乏で 努力してもどうにもならないレベルの底辺人間だけなんだよ。 やっぱり恵まれているリア充って、悲しみの感度メーターが敏感なんですか? 太っているデブが、空腹感に敏感なように、 幸せで肥えすぎちゃってるんじゃないですか?
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- bari_saku
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全員が自分を特別だと思っているのなら、全員が自分を無能だと思っているのと大して変わらんですよ。 それに「自分が人並みの人間ではなく、知的障碍者レベルのバカで無能な人間だったと認めている人間」でも、前向きに努力している人間は好感が持てます。 真に憂うべきは、 ・自分が無能だと気づいていない人間 ・無能だと知っていながら卑下するばかりで努力しない人間 という人種です。 結論: 幸せの感度は人それぞれ。 可否の追求は意味がないのでやめておくが吉。
>太っているデブが、空腹感に敏感なように、 >幸せで肥えすぎちゃってるんじゃないですか? この例え、良いですね。 でも、なんか違うような気がする。 悲しみとかの感情や感度レベルなんて、完全に主観的なもので、他人と比べられるもんじゃないと思う。 >「自分が人並みの人間ではなく、知的障碍者レベルのバカで無能な人間だった」 これも、自分で知的障碍者レベルとすら認めることのできない植物人間や、感情はあるけど身体を動かすことすら出来ない人からすれば、その程度の苦しみと思うかもしれない。植物人間自身は、自分では考えられないでしょうけど。 事故で死んだ人からすれば、生きてるだけでいいというかもしれない。この例えも良くないけど。 他人の感情を思い上がりと言うのは、自分も思い上がっている事に気付いていないだけじゃないかな。 そもそも、「自分を大した事が無い人間って認めるのがそんなに難しいのか? 」の根拠が、とある漫画の女の子のキャラクターだけですか? それを「恵まれているリア充」全てに一般論化しちゃいます? すごい論理飛躍じゃない?