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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:遣隋使の国書)
遣隋使の国書の真相は?考えられる2つの可能性
このQ&Aのポイント
- 小野妹子が隋の煬帝からもらった国書を無くしたとされますが、処罰については書かれていません。真相は「無くした事になっている」という可能性が考えられます。
- 遣隋使の国書が存在しない可能性や、内容に問題があったために抹消されている可能性が考えられます。煬帝が日本の国書に激怒し、日本の使者を拒否したという状況とは矛盾しています。
- 煬帝の怒りや日本の使者の拒否などの状況を考慮すると、小野妹子が国書をもらうこと自体があり得なかった可能性もあります。真相については明確にはわかりませんが、様々な場面から2つの可能性が考えられます。
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本当に小野妹子が国書を紛失したなら 何らかの処分が科せられるはずでしょうが 業績をたたえられもっとも冠位の高い「大徳」に なり次の遣隋使にも大使として派遣されています。 また、国書はもらえなかったということもありません。 返礼として官位は高くなかったようですが裴世清という 役人を使わしてます。 その時に朝廷に書をわたしており、これが国書と思われます。 内容は遠くから海を越えて来たことに対する労いとが書かれている友好的な内容です。 激怒した文章ではありません。 また、以前の倭王ではなく倭皇になっていることが注目です。 だから次の遣隋使の国書には「東の天皇より・・・」から始まります。 このことより隋の皇帝が激怒したのは「日出ずる処の・・」ではなく 天子と名のったところだと想像できます。 だから天子と名のったところを諌め、かつ最大限尊重して皇の称号を 使ったのでしょう。 小野妹子に渡されたのは国書でなく外交上の内々の訓告書だったと 思います。 だから紛失したことにしたのでしょう。