• ベストアンサー

聴明白と聴懂

passenger0024の回答

回答No.1

意味はほとんど同じですが、普段「听明白」は話し言葉で、「听懂」は書き言葉です。交換することができます。

kinakos
質問者

お礼

ありがとうございました。またよろしくお願いします。

関連するQ&A

  • 中国語単語の意味

    中国語の初心者です。 中国語の「看懂」と「看得懂」はどの参考書を見ても、それぞれ結果補語と様態補語であるとし、その意味はどちらも「見て分かる」と説明されている。どちらでも同じ意味ならば、なぜ“得”の1文字がなければ結果補語で、あれば様態補語と区別するのか?意味のない区別のように思うが…。あるいは、何か秘められた意味なりニュアンスの違いがあるのか。どなたか教えて下さい。(同様な例は「听懂」「听得懂」(ともに「聞いて分かる」の意味という)のようにいくつもあり、「得」の有無による違いが分からない)

  • 中語の結果補語について

    こういう理解でよいのでしょうか? ○ 結果補語と「動作動詞後の了」 ・ 「V結果補語」自体に完了のニュアンスがあるので、「動作動詞後の了(完了)」はとくに強調するのでなければ、なくとも文は終結する。 ・ むしろ、「動作動詞後の了(完了)」を付けると、場合によっては、「してから、」、「したら、」とさらに文が続くニュアンスが出てしまう。 ○ 結果補語と「文末の了」 ・ 「文末の了」も付けなくともよいが、結果補語による完了の時点が、未来ではなく、過去または現在であることを明確化するためにつけてもよい(未来なら了つけない。)。 ※ 結果補語の文の否定 未来、過去、現在のいずれの完了文か(了が使われていようがいまいが)、文末の了、動作動詞後の了のいずれがついている完了文かにかかわらず、結果補語の文の否定には「没」を使う。

  • 、「找」「找到」に対する「look for」 「find」や「学」「学好」に対する「study 」「learn」

    ●「完」「到」「好」等の使い方 【疑問の出発点】 ・結果補語と了は相性がいいとか、結果補語があるのでこの場合了は略せるとか、と言われることがあります。 ・そのため、結果補語が付くと、裸の動詞に了を使うときの通常のルールとは別に、特殊なルールがあるのかな?と勝手に思ってきたところ。 ・「完」「到」「好」等完了状態を表す結果補語と、「住」等その他の結果状態を表す結果補語とで扱いが違うのかな?と勝手に思ってきたところ。 【さて質問】 以下の理解での間違いを御教授下さい。 (1)「裸の動詞」と「動詞+結果補語」のニュアンスの違いは、例えば、「找」「找到」に対する「look for」 「find」や「学」「学好」に対する「study 」「learn」のニュアンスの違いに近いのか。 (2)「find」と「have found」と、「learn」と「have learned」とで意味が違うように、「找到」・「找到了」や「学好」・「学好了」も違うということか。つまり、結果補語が付いているから了が不要ということではなく、結果補語が付いていよういまいと、原則、裸の動詞に了を使う時と同様のルールに従うということか。 (3)但し結果補語は結果状態に至ることを前提とした表現なので、○(从三年前我開始学中語、)我去年学好「了」中語。○我学好「了」中語、我到中国去了。のように、副詞や文脈から動作が完了していることが明確なときには、「了」を省略する「こともできる」ということか。

  • 特に「完」「到」「好」

    ●結果補語と了:結果補語が付く場合は特殊なルールあり? 皆さん、毎回、丁寧な回答を有難うございます。質問しながら考えている状態なので、また、記載制限のために十分意図が伝えられず、不明確な質問となって何時も申し訳なく思っています。 【前提】 ・「我昨天喫了三碗飯」のように動作動詞が目的語や状語や文脈を受け、具体的イメージを持つ時には、「終わったんだ、《・・・という動作》がね。」と強調するに足る内容となるので、「Vle~」で文が終結する。  他方、「喫了飯」だと、「終わったんだ。《飯を食べるの》がね。」と飯を食べるという動作の内容が強調するにはなさ過ぎるので、「で?次に何かあるんでしょ?」となる。そこで、文末の了を付け文を終了させたり、さらに文を続けたりする。 【さて質問】結果補語が付く場合は上記について特殊なルールがあるのか? ・「動作動詞+結果補語」は、動作動詞の表す動作を開始して、さらに結果補語の表す結果状態へ至る動作を開始したことを表現するもの。一般的には、さらに、完了を表す「了」が付かないと、その結果状態へ至ることが完了したという意味にはならない(例えば、「記」しようとして→さらに、「住」になろうとして、→「了」し終わる。)ということか? ・結局、動作動詞に結果補語が付くだけでは、当該動作が具体性を帯びるわけでない。結局、結果補語が付こうが、付かまいが、上記前提の通常のルールに基づき、「了」の使い分けが行われるということか? ・「住」等ふつうの結果状態を表す結果補語では原則的に了を省略できないということか?但し、特に「完」「到」「好」等それ自体が完了状態を表す結果補語では「特別に」了を省略することができるが、 以上の理解での間違いを指摘頂ければ。

  • 得の意味の確認お願いします。

    (1) 现在 情况 怎么样?伤得重 吗? 今の状況はどんな感じ?ひどいけがですか? 伤(動詞)損なう 得:程度補語(怪我の程度) 重(形容詞):程度が甚だしい(形容詞の結果補語) (2) 放得 进去。我 的 红 衬衫 怎么 不见了? 入りますよ。私の赤いシャツどこ? 放(動詞):入れる 得:様態補語(入っていく様子) 进去(動詞+方向補語):入っていく (3) 你 写得 真 不错。 上手に書けてるね 写(動詞):(文字を書く) 得:様態補語(字が上手に書けてる様子) (4) 那 也 不能 开得 这么 快。 こんなにスピードを出したらだめですよ 开(動詞):車を運転する 得:程度補語(車のスピードの速さの程度) (5) 我 每天 抽得 不多 私は毎日(タバコを)たくさん吸わないようにしています 抽(動詞):吸う 得:様態補語(タバコを吸う様子) (6) 玛丽 也 考得 不错 マリーも成績がよかった 考(動詞):試験する、テストする 得:様態補語(成績がいい様子)

  • イタリア語の文法

    動詞のまえに直接補語がくるばあい無条件に(どんな人称代名詞でも)性と数を合わせて動詞を作り、もし間接補語なら動詞は性と数にあわせて変化させなくてもいい、というのは本当ですか?

  • be awake finding 文法としての意味

    宜しくお願い致します。 次の例文におきまして Rats are awake finding their ways through mazes. ここにおいて are awakeが 動詞+補語 findingも 補語としてのing と 解釈すべきでしょうか 動詞+補語+補語 とみなして よろしいでしょうか 宜しくお願い致します。

  • 補語によって動詞の形が変わる?

    補語によって動詞の形が変わる? there is,there areって後に来る補語が単数か複数かで区別しますよね。 here is,here are(ここに~がありますよ)も補語が単数か複数かで分けるのでしょうか。 また普通、動詞の形は主語によって変わりますが(例;I am a doctor→you are a doctor amがareになっていますよね。)上にあげた二つの文は補語によって動詞の形が変わる特別な文、という捕らえ方でいいのでしょうか。 またこのように補語によって動詞がかわる文は上記の二文だけでしょうか。 以上、3つの質問にご回答願います。

  • 「借去」と「借走」の違い

    教えてください。 那本小説被朋友借去了。「借+方向補語の去」 那本小説被朋友借走了。「借+結果補語の走」 このふたつの文は、いずれも「あの小説は、友達に借りて行かれてしまった」という日本語になると思いますが、「借去」と「借走」は意味の違いとか、ニュアンスの違いがありますか? また「動詞+去」と「動詞+走」が同じ意味で使われるときや、同じように使えない例があれば教えてください。どうぞよろしくお願いします。

  • "come+補語"と"go+補語"と"fall+補語"の違いについて

    "come+補語"と"go+補語"と"fal+補語"はどちらも 「~の状態になる」という意味ですが、 "come true"、"go wrong"、"fall sick"のように特定の動詞に特定の補語がきているようですが、何か規則のようなものがあるのでしょうか? お手数ですが、よろしくお願いします。