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「悪」になれ!

最近、テレビや本で、「悪(ワル)」のススメみたいなのが多いと思いませんか? でも、話しを聞いていてもよくわかりません。 いったい何が「悪」なのか?勧めるものなのか? ニヤニヤしている人もいれば、真剣に言っている人もいますが、いまいち、はっきり言ってない気がします。 やっぱり「悪」なので、言えないんですかね? 具体的で身近な例があれば分りやすいのですが。 迷ったんですが、「悪」を働く相手は人間でしょうから、このカテゴリーに質問しました。

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  • ベストアンサー
  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.4

ようするに、「規則を破れ」と言いたいのでは? 具体例は考えて下さい。 社会をはじめ、あらゆるシステムには守られるべき規則が必要です。 守れない者は排除です。基本的に。 自然界のシステムも同じです。 システムに馴染めない者や飽き飽きした者がなんとかしようと、「悪」はイイ!と言い出します。 システムにとっては規則こそ「善」ですから。基本的に。 そうこうして、がんばって出来た新しいシステムが、元のシステムより力をもった場合、こんどはこの新規則が「善」となり、こんどは元の者が排除です。「お逝きなさい」です。基本的に。        つまりは、これがしたいわけですよ。 「悪」だからいえないというのはそうですね。あってると思います。基本的に。 やるよやるよ~と言ってからやるより、言わずにヤルほうが効果的ですから。基本的に。

machuru
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、「善」の取り合いですか。基本的に。 言わずにやるのが効果的。確かに、そうですね、基本的に。 基本的にはいいですね。 では応用編では? と聞きたくなりますが、隠されているのでしょうね。

その他の回答 (3)

回答No.3

machuruさん、こんにちは。 私も、その「悪のススメ」というものを見たことがないのですが、 悪というよりも、いたずらな野心を持て、ということじゃないかな、と想像します。 日本は、センター試験などで学生の考え方も統一され気味です。 みんな同じような考え方で、同じように無難な思考回路の人間が多くなっています。 社会に入っても、出る杭は打たれてしまいます。 たとえ才能があっても、目立つ人は、けむたがられてしまう。 そういった風潮を打破し、もっと自己主張するべきだ! ・・・と唱えているのではないでしょうか。 「悪いことそものもをしなさい」と勧めているのではないと思います。 「悪いことでも、できるくらいの自己主張をしなさい。 組織の一員として紋切り型の発言をしていくのではなく 自分らしい個性を大事にして、何事にも挑戦的であれ」 という意味かなあと思いました。 そういう悪のススメなら、やってみる価値はあると思います。

machuru
質問者

お礼

こんにちは。 ご回答ありがとうございます。 いたずらな野心ですか。挑戦。めちゃくちゃ良いことじゃないですか!! それはどんどんするべきです。 何でわざわざ「悪」なんでしょう? 悪いことと言うのはあくまで建前なんですかね? 悪いことも出来るくらいの「勢い」「気合」ですか? 実体はない、だからはっきりしない。 のかな?

  • tricleore
  • ベストアンサー率21% (5/23)
回答No.2

こんにちは。 僕は、最近のテレビの論調をまったく知らないのですが、ある意味では「悪」に同意しています。 それは、どういう意味でかというと「悪」というのは不調和だとおもうんです。調和に対して、「否」の態度をとることだという意味で賛成なんです。調和は一見安定していて、平和ですばらしいものかもしれませんが、それはいきいきと生きていることとは違うと思うんですね。「不調和」はそういう、調和のリズムに対する反逆で、ここから人間的なコミュニケーションが始まると思っています。既存のシステムに対する「否」の宣言だと思うんです。 もう少し、詳しく言うと。既存のシステム内で思考をする個人にとって、「善」であることはそのシステム内でのみ成り立っているということです。「悪」であるということは、そのシステムに反抗するということで、構造疲労がたまっている現在の日本社会システムにたいし「否」の姿勢をとり、そこから新しい対話がはじまるとよい、ということをみなが期待しているのではないでしょうかね。 それは、日本の全体的な雰囲気だと思います。テレビのコメンテーターは視聴者の心の中の気持ちを代弁しているだけだと思いますよ。 長くなってすいませんでした。

machuru
質問者

お礼

ながーくてかまいませんよ、質問がちょっと変ですから。 お返事ありがとうございます。 構造疲労に新鮮なリズム。確かにみんな求めていそうですね。 そう言われると「悪」に同意してもいいかな、と思っちゃいますね。 でもやっぱり、具体的でないですよね? なんかはっきりしないと思いませんか?

  • teahyun9
  • ベストアンサー率33% (165/497)
回答No.1

(1)不景気による、気持ちの後退。 良いことを言っていても、物事は良い方向へ行かない(不景気がよくならない)という世の中への不満。 (2)世の中の増加する事件や不祥事に対する警鐘 昔は、お役所日の丸的なところ(公的機関や大企業、等)も、不祥事が相次いでいる。 良いといわれていたことがくつがえされている昨今、正義など、あほらしいと思ってしまう。 (3)人間の生き方に対する、多様化の発想。と、その発想を利益に置き返るメディア等。 正義も中庸も悪もOK、と考えは人それぞれであり、「悪」が共感を受けるようになった。 「悪」を取り扱った番組は、視聴率が高くなるので、番組が増える。その為、もともと「悪」に共感しなかった視聴者までが洗脳を受けやすくなる。

machuru
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 そうですね、多様化のうちの一つと考えれば分りやすいですね。 視聴率が稼げるのは「新しいから」ですかね?

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    我ながら、いい人でいるのにつかれているなー、と思っていた時に、図書館の返却ワゴンで見かけた本です。 悪・ワルといったタイトルだったと思います。 ぱらぱらと見たなかでは、人の力を自分の力と思わせる、とか、ありきたりの事だったと思います。 その時はどうでもいいや、と思って借りるのをやめたのですが、今少し気になっています。 本自体は、白く、普通のハードカバーの大きさでした。 知っている方がいらっしゃったら、よろしくお願いします。