• ベストアンサー

元寇の軍船のキール

元寇の軍船が海底から見つかったようですが、キールがあるとあります。 私はこれらの船はジャンクで蒙古襲来絵詞でもやはりジャンク船であるように見えますが? 当時の大陸の軍船はキールがあったのですか?

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.1

> 当時の大陸の軍船はキールがあったのですか? キールのある平底船です。 ジャンク船には、キールに相当するものがあります。といっても西洋船とは随分違うので、キールと呼ばない方が多いですが、今回の発見の記事ではキールと呼んでいるようですね。 http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20111020-OYT1T00964.htm?from=navr イメージとしては、適当な長さの二本の割りばしの上にマッチ箱を多数載せ、縦横を5:2位にしたもの、と思えば大体合っています。この二本の割りばしがキール(に相当するもの)です。

shizumo
質問者

お礼

なるほど。キールと言うから背骨のような1本と思っていました。脊椎動物と節足動物の梯子状神経みたいなものか。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • ある本の価額ですが、

    ある本の価額ですが、 大正五年印刷した本です。 名前は 蒙古襲来絵詞です。 どうもありがとうございます

  • 元寇(蒙古襲来)

    下記のことを教えて下さい。あるいは、あなたのお考えを教えて下さい。 (1)2回の襲来を「文永の役」、「弘安の役」と呼ばれていますが、何故「戦い」ではなく「役」なのでしょうか?「防衛の役目」というような意味合いがあったのでしょうか? (2)「文永の役」、「弘安の役」という表現はいつから使われ出したのですか?当時から、このような表現だったのですか? (3)当時の武士は、元寇をどのように認識していたのでしょうか?勝利の恩賞として、「土地」が得られるとは思ってなかったでしょうが?

  • 甲虫(こうちゅう)の語源

    蒙古襲来絵詞で集団の鎧武者がこちらに背中を向けて元兵を追いかけてる図を眺めていると、 その甲冑姿が甲虫そっくりだったので、「甲」虫とは上手く言ったものだと思っていたのですが、 甲虫という言葉は昔からあったのでしょうか、それともbeetleの訳語なんでしょうか?

  • 元寇

    こんにちは。 日本の歴史において、他国の軍隊から2度日本列島に上陸されています。 1度目は鎌倉時代の元寇、2度目は第二次世界大戦でのアメリカ侵攻。 本日教えていただきたいのは、元寇における元軍(元・高麗連合軍)と日本軍の武器・武装のことです。 ウィキ等で調べましたが、あまり記述がありませんでした。 多少、当時の絵巻が載っていたりします。 この当時、北九州で行われた白兵戦での双方の武器はどんなものだったんでしょう。 日本軍は大体戦国時代を想像すればよいでしょうが、特に元軍の武器はなんだったんでしょうか。 ただ、資料によると、~1279年まで南宋にて銃の生産が行われていたようで、元軍は銃を携帯していたのでしょうか。(持っていたら日本軍は堪らなかったでしょうね) 大モンゴル帝国ですから日本軍より近代的な武器を持っていたと思うのですが。 あと、水軍です。 日本の松浦水軍がかなり元軍の船にダメージを与えたようです。 この当時の水軍の武器・武装はなんだたのでしょう。 まだ大砲なんて無いでしょうから、石の投的機みたいなものとか、近ずいて火炎瓶みたいなものを投げるとか。弓、矢の先に火をつけて放つとか。 この時の戦術は別にしまして、双方の地上軍、水軍の武器を教えてください。 元軍の中には支配下の南宋の兵がかなり多くいて鋤、鍬を持っていたとも書いてありましたが。 神風の話は結構です。 よろしくお願いします。

  • 国家非常事態宣言

    日本では過去に「国家非常事態宣言」が発令された事はありますか? 唯一他国に侵略される寸前だった元寇(蒙古襲来)のとき? あるいは昭和64年1月7日?

  • 蒙古襲来

    大河ドラマはみてないのですが、 「元寇」は最初優位に戦いを進めていた蒙古郡が、「神風」にあって海に沈んだと言われています。 ところで、疑問なのですが、本来の蒙古軍団なら、戦闘の後、船に戻らず、テントを張っていると思うのですが・・・。

  • 日本史で最も偉大な出来事は?

    歴史に詳しい方にお聞きしたいのですが、日本史で最も偉大な出来事は何だと思いますか? つまり、日本人として最も誇りに思える歴史上の出来事は何だと思いますか? 僕は小中学生位の頃までは元寇をはね返したことが一番凄いと思っていました。 でもその後勉強するにつれて、実は結構日本が幸運に恵まれていた事や、蒙古軍が実は必ずしも当時世界最強だったわけではない事などが分かって、ちょっとがっかりしました。 皆さんはどの出来事が最も偉大だったと思いますか?

  • 船に詳しい方に訊きます

    下の図は長崎県松浦市鷹島海底遺跡から発見された船の部分図です。 上から見たものです。 船は1281年(弘安4年)の元寇の江南軍の船です。中国南部で建造されました。 Aが通常の形で、Bが発見されたものです。 (1) 2と5はマストを立てるための穴です。 1,3,4,6はマストを補助する柱を立てるための穴です。 Bの方は4,6が中心線を通っていません。これはなぜでしょうか? (2) また、船体は隔壁によって隔てられ一部に浸水しても持ちこたえられるようになっていますが、 その隔壁にはlimber holeが開けられていて水を抜くことができるようになっています。 このlimber holeも発見されたものはなぜか斜めになっています。 この理由もわかりません。 船の構造や航行にお詳しい方に事情を推察していただけるとうれしいです。 よろしくお願いします。

  • 戦国時代には移動手段は陸路と海路しかありませんでした

    戦国時代には移動手段は陸路と海路しかありませんでした。 荷物が多い場合は、当然、船を選ぶと思いますが、当時、地方の大名(今川義元や武田信玄)が1万を超える兵で上洛する時などは海ではなく、陸を移動しています。 これは大人数の兵を収容できる軍船を持っていなかったからなのでしょうか? また、戦になったときに海で戦うよりも陸の方が有利であると考えたからなのでしょうか? はたまた何か別な理由(金銭的?)があったのでしょうか?

  • 江戸幕府の国防について

    当時、国防と言えば、海上防衛が主体で、海軍ということになります。 私は、これまで江戸幕府は鎖国をおこなっていたから、海軍を持つ必要はなかったと考えていました。 しかし、よく考えてみると、「鎖国」は国防に何のプラスにもなりません。 それどころか、近隣諸国や海賊などとの現実的な交渉の機会を失い、結果として、「元寇の襲来」のような事態を招きかねません。 幸運にして、江戸時代、元寇襲来のような暴力的な侵攻はありませんでした。 しかし、「これは鎖国政策」というより、歴史の幸運だったと思います。 今日、鎖国論は見直しされつつありますが、 その鎖国論をもとにしても、江戸時代、現代の「海上自衛隊」に相当する組織が必要なかったとは言い切れません。 それで質問です。 質問1. 江戸時代、徳川幕府が海軍を創設するまでの間、今日の「海上自衛隊」に相当する組織はありましたか。 質問2. そのような組織があったとすれば、どのような組織でしたか。 質問3. そのような組織がなかったとすれば、現実に、国防はどうなっていたのでしょうか。外国の侵入がなかったのは、単なる歴史の幸運だったのでしょうか。 質問4. その他、なんでも関連の情報について教えてください。