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浄土教から見た「自灯明」

maggaの回答

  • magga
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回答No.35

indians さまこんにちは magga です。 気になったので僕の思うところを書いてみたいと思います。 僕の解釈の自灯明法灯明は 法(この世の法則性)=自(この世の法則)で 「生きることの検証・探求者であれ」と 全ての信仰を捨て去る革新的な言葉であると理解しています。 我々は生まれてより、数多なる言葉、概念に出会い、疑い、愛好し、信じ、騙され、信仰し、と、態度を決めていきますが カーラーマ経などで説かれるように ★ どのような言葉でも概念でも、誰が説こうが、どのように説こうが、何にとかれていようが、人気があろうが、よく信じられていようが、論理的だろうが、それだけで信じるなかれ。 よく信じられていても、よく愛好されていても、よく思慮されていても、虚偽であることもあれば、その逆であっても、真実以外のものでないことがある。 その法が「不善で欠点があり実践しても有益でなく苦のためになると知るときそれを捨てなさい」「善で欠点がなく実践すると有益で楽(苦の減)となると知るとき実践しなさい」 ● と「根拠のある信」、納得と実践を重要視され、真理の護持の態度などで、各々が違う言葉概念を愛好している中で理性的に対話により理解を深める方法を示されるとともに、 ブッダが発見された境地を発見する道筋も科学の参考書の如く示して、自分のことも信じるなかれと、徹底的に調べろと。 そのようにして生命一人一人が、真偽混在の言葉概念の海の中、飲み込まれず自立できるように説いてくださった基本姿勢が集約された言葉が 「自灯明、法灯明」 だと僕は考えます。 <<釈尊在世時にも出家しないまま仏教に帰依した者は多数おり、釈尊は彼らをも無視しませんでした。>> もちろんです^^ 在家も出家も実践者なのですから、互いに支えあい最善に成長しあう関係を喜ばれたことと妄想します。出家が在家に法話瞑想指導したり、在家が出家に法話瞑想指導したり、皆探求・実践者として生活していたでしょう。 在家の方が成長しているケースもよくあるケースだと思います。 <<であれば、修行も出家もしない在家でも仏教の恩恵には与れるはず。>> 出家でも、在家でも実践によって善い方向に成長するというのが私が思う初期仏教の御釈迦様の立場です。 我々はどんな行為をしても、その方向に成長してしまうものですからw 八正道はよい実践規範になりますね^^   心の波を受ける(影響を受ける)という意味合いでは若干ながら全生命に恩恵があることとは思いますが・・・ 心の成長、観察眼の鋭さの成長などの恩恵はないと思います。 念仏というサマタ瞑想によって心が落ち着き穏やかになる。 これも実践による、成長と僕は理解しています。 <<上座部のような出家至上主義になってしまったのは、第一回仏典結集が在家信者を交えず大迦葉らの阿羅漢によってのみ行われたため、彼らが優越する内容が正統とされてしまったと考えます。>> 僕はどこが出家至上主義なのかいまだに理解できないのですw 御釈迦様が覚り、そこに至る実践法を説いた→在家も出家も実践→各々が心の成長(智慧と道徳)→覚るだけの状態になった人は覚る。 覚った方は、在家生活は出来ませんし、実質出家状態、サンガがあればそこに赴くでしょう。 << したがって、上座部も釈尊の真意ではありえず・・・>> あと、基本、上座部はパーリ経典無改変努力派という立場であって 今ある経典それが全て事実であるという信仰ではないと思いますよ。 もちろん人間がすることですから、いろんな人がいますがw その信仰をしてしまったら、真意から外れる危険もはらんでるとは思いますが^^ 経典にあるからとて、師が語るからとて信じるなかれですからねw 徹底的に理性的に、納得と実践で観察し法にのっとって成長する。 それが僕の思う御釈迦様の教えの概要です。 何か思索の参考になれば幸いです。 ~生きとしいけるものが幸せでありますように~

indians
質問者

お礼

ありがとうございます。「自灯明、法灯明」についての解説はよく理解できました。上座部の有り様についても説明をしてくださりありがたいです。 敢えて気になった部分を挙げるとするならば、 >覚った方は、在家生活は出来ませんし、実質出家状態 これはそうとも限らないと思います。出家という形で悟りを開きながら俗世に混じり在家のような俗っぽい生活をした一休禅師のような例もありますから。 >念仏というサマタ瞑想によって心が落ち着き穏やかになる 法然上人登場以前の観想念仏ならそうだったかもしれませんが、浄土真宗の念仏は瞑想ではないし、心を落ち着かせるためのものでもありません。弥陀への帰依を表す言葉です。

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