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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:読書とは何か?)

読書とは何か?

potatoroomsの回答

回答No.7

各社の文庫本の最終ページによく書いてある、その文庫の存在意義を見比べてみると面白いかもしれませんね。目録なども。 本を読むこと、手紙を読むこと、他人の書いたこういうサイトを見ること、メールを読むことの違いって、何でしょう? 自分宛かどうかの違い? マスメディアかパーソナルメディアかの違い? 片方向か双方向かの違い? 本も雑誌も、メディアの一種で、コミュニケーションの道具のひとつです。コミュニケーションは、ヒトが社会性動物であることに由来する欲求のひとつで、社会性の欲求を満たすことは、ヒトがヒトとして安心してその集団に属するために必要なことのようです。根っこはこの部分で、これをいろいろな高尚な理由付けに言いかえているだけなのかもしれません。 本の本質は、多分、史記を書いた司馬遷の思いを考えると、見えてくる気がします。伝えたい何かと、直接会っては話せない何かと、形に残すことでの満足できる何か、それらが形になって残ったモノではないでしょうか。 海外ではグーテンベルクプロジェクト、日本には青空文庫というものがあります。不思議ですよね。版権が切れた作品を、自分のためではなく、他人のために残そうとする計画です。 自分が書いたモノではなくても、残そうとする、伝えたい内容を引き継ごうという欲求が、ヒトそのものにあるのではないでしょうか。

booter
質問者

お礼

>各社の文庫本の最終ページによく書いてある、その文庫の存在意義を見比べてみると面白いかもしれませんね。目録なども。 手元にある書籍を簡単に見比べてみました。 これ比較が滅茶苦茶面白いですわ。ありがとうございます。 岩波文庫:「読書子に寄す」 気骨と理念が相まって、げんこつを握り締めた男が書いているのが見えるような。 「民を愚昧ならしめる」から「知識と美とを特権階級の独占より奪い返す」のくだりはすばらしい思想ですが、平等思想がほぼ行き渡り、誰でも安価な書籍を手に入れられる現在の時勢において求められているものとは若干ズレがあるように思われます。生きていれば岩波茂雄と会いたかった・・・。いや、何を話すという事は無いんですが。 中公新書:「中公新書刊行のことば」 素晴らしい文章だったので引用させて頂きます。 「いまや、書物によって視野を拡大し、変りゆく世界に豊かに対応しようとする強い要求を私たちは抑えることができない。この要求にこたえる義務を、今日の書物は背負っている。だが、その義務は、たんに専門的知識の通俗化をはかることによって果たされるものでもなく、通俗的好奇心にうったえて、いたずらに発行部数の巨大さを誇ることによって果たされるものでもない。現代を真摯に生きようとする読者に、真に知るに価いする知識だけを選びだして提供すること、これが中公新書の最大の目標である。」 講談社現代新書:「「講談社現代新書」の刊行にあたって」 これも面白いです。 角川文庫:「角川文庫発刊に際して」 こちらも面白いのですが、WW2の敗戦は文化力の敗退とあるのですが、この辺がまだよく分かっていません。どう捉えれば良いのか整理しきれていません。 講談社学術文庫:「「講談社学術文庫」の刊行にあたって」 祥伝社黄金文庫:「祥伝社黄金文庫 創刊のことば」 PHP新書:「PHP新書刊行にあたって」 は弱い・・・なんだか不完全燃焼のような・・・。 角川oneテーマ21、文春新書、ダイワ文庫、講談社+α新書、新潮文庫、ナツメ社、幻冬社新書にはありませんでした。 >自分が書いたモノではなくても、残そうとする、伝えたい内容を引き継ごうという欲求が、ヒトそのものにあるのではないでしょうか。 私もそうだと思います。 「繁栄」(マット・リドレー)によれば、ネアンデルタール人は考古学的に交易した跡が見られないのに対し、我々ヒト(ホモ・サピエンス)はその発生から現在に至るまで交易を中心に栄えており、ヒトは元々その習性から交易をする種なのだという論を展開しています。 利己のほか、利他を行ったうえで更なる利己を得る事が交易だと私は理解しています。 簡単に言えば、他人に与えれば、自分がトクになるという事を社会レベルで体現できる種が人間であり、その行為が交易だという事です。 そして、それらの交易が自らの正当性を再認識し、その行為をして自己強化を行う認識を愛と呼べるのであれば、人間がモノを残す行為も次の世代への愛として説明ができそうな気がします。 >海外ではグーテンベルクプロジェクト、日本には青空文庫というものがあります。 実は・・・ http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0902/25/news089.html http://books.google.co.jp/ 日本では権利関係で難航しております。 一番最初に紹介した、文庫本の発刊の理念からすればそれこそ推進すべきもののように思われるのですが・・・。

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