• 締切済み

大東亜共栄圏(八紘一宇)は正義の理念

日中戦争から太平洋戦争にかけての背景を勉強しています。下記の文章を作りましたが、間違いなど有りましたら、ご指摘、ご指導いただきたく、宜しくお願いします。 20世紀初頭、欧米列強(英仏蘭露米)の植民地支配は、アジアを含む全世界に及び、その支配体制は覇道的(恐怖体制)で、ひどい人種差別に根ざしていた。例えば、黄色人種は、猿なみの劣等であり、優等な白人種による支配は、必要かつ正当である。 シナを含むアジア全域は、列強の過酷な支配下にあり、日本が交易を求めても入り込む隙間も無い。民衆は虐げられ家畜以下の扱いであった。やがて、孫文の三民主義や大アジア主義を初めとして、民衆の中に、アジアの解放や祖国の独立を願う運動が、主に日本を足がかりにして広がっていった。 世界恐慌に翻弄されていた日本は、列強の植民地体制を打破し、アジアを解放する以外、帝国としての存立が困難であった。この日本の戦略は、列強からの民族解放と祖国独立を熱望するアジアの指導者たちの戦略と、利害が一致した。このような状況を背景に、大東亜共栄圏(八紘一宇)の理念が、日本、シナ及びアジア各地域の正義を目指す指導者たちの間に形成されていった。 日本は、大東亜共栄圏のモデルとして満州帝国を立ち上げたが、列強の干渉や妨害がひどく、シナでの日本の利権侵害や居留民虐殺などのテロも頻発するようになった。列強の傀儡に堕して挑発を繰返す蒋介石やその手先となりテロを行う共産党を懲らしめるため、日中戦争が始まった。 蒋介石や共産党は、民衆のためと言いつつ、民衆を戦争の楯に利用し、彼らを虫ケラのように犠牲にしてきた。日本は、このような列強の手先である蒋介石と共産党を打倒し、満州帝国の安定存立と、過酷な植民地支配からのシナ民衆の解放を、目指した。 しかしながら、大東亜共栄圏(八紘一宇)の理念は正しかったが、この理念を実践する大日本帝国陸軍がお粗末だった。理念的に、日中戦争の目的は、列強の傀儡である蒋介石と共産党を打倒し、満州帝国を安定存立させると共に、シナ民衆を列強の植民地支配から解放することであった。この大義を、帝国陸軍はその組織内部に十分に浸透させることを怠った。 日中戦争・太平洋戦争を主導した統制派軍人エリートには、惻隠の情を持ち弱者を庇う武士道精神が欠如していた。更には、日本人一般に、シナ人・アジア人蔑視の考えがあったこと、これに初年兵を陰湿に殴り苛める内務班的な陰険体質が加わり、占領地の民衆は牛馬のごとく扱われた。「なんだ、これでは列強の支配下より悪いじゃないか」 兵士や民衆の命を紙切れのように見なす精神主義、統制派的エリート主義、現地調達主義など。これらの主義に犯された無能で危険な参謀たちに、兵士の命や占領地民衆の貧しい生活などは、ほとんど無視された。ましてや、国際世論などは、全く配慮できない。宋美齢やコミンテルンによる国際世論の操作・工作に一方的に利用されるだけだった。 このような帝国陸軍の組織体質は、いくら反省しても反省仕切れない。なぜなら、未だ現代日本の公的組織や民間会社組織にすら、これが色濃く残っているからだ。 しかし、いくら戦争に負けたからと言って、「正義の理念」までも否定してはいけない。 大東亜共栄圏(八紘一宇)は正義の理念だった。1930年頃以降、日本が、この理念を高く掲げ、その実現に邁進したことを、今の日本人は、誇りに思うべきである。 余談だが、汪兆銘を、日本の傀儡・売国奴と評価するのは間違いである。無節操に共産党と合作し、民衆を戦争の楯に利用し続け、列強の手先と成り下がった蒋介石とは、汪兆銘は決別せざるを得なかった。そして、列強からの真のシナ独立と民衆解放を目指し、日本と柔軟かつしたたかに交渉を重ね、1940年、南京国民政府を樹立した。彼こそ真の愛国者である。この正しい評価を今の中国共産党は聞く耳を持たないだろう。しかし、日本は、少なくとも台湾に対しては、正しい評価をするよう働きかける義務が有る。

みんなの回答

回答No.8

 コミンテルン国際共産主義の影響を追加した方が良いかと思いました。  フランクリンルーズベルトの母親サラ・デラノは、中国とアヘンを含む貿易を手広く行って財を為していた事もあり、親中派でした。 蒋介石の妻である宋美齢は、フランクリン・ルーズベルト大統領やその妻エレノア(共産主義シンパで日本人に対して人種差別発言をしている)と親密な関係を構築し、アメリカからの有形無形の軍事援助を引き出し、日中戦争中から第二次世界大戦の初頭にかけて日本軍と対峙した「アメリカ合衆国義勇軍(フライング・タイガース)」の設立や中華民国空軍の近代化に大きく貢献しました。  つまり、真珠湾攻撃の前に、米国は間接的に日本と戦争をしていた事になります。  日本はABCD(米国,英国,中国,蘭)包囲網により石油の対日全面禁輸を受けました。これを解消すべくアメリカと交渉を続けましたが、アメリカ国務長官であるコーデル・ハルは、日本が到底受け入れる事の出来ない「ハルノート」を提出し、交渉が決裂しました。 このハルノートを作成したのは、元財務次官のハリー・デクスター・ホワイトで、ソ連のスパイ(コミンテルン国際共産主義)でした。 その時のルーズベルト大統領政権には300人以上のコミンテルンがいた事がヴェノナ文書により明らかになりました。 ※ヴェノナ文書:アメリカは1940年からのコミンテルンとの無線傍受した暗号を37年かけて解読し、1980年に作成しました。  第31代大統領の共和党のフーバーは、ソ連を国家承認せず、「日本はアジアにおける防共の砦」と言っていましたが、1932年ルーズベルトに政権交代するとソ連を国家承認し、反日的姿勢になりました。  労働組合の拡大促進、高所得者層への大幅増税など共産主義的な政策をしました。フーバーは、ルーズベルトを指して、「太平洋戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘しています。  中国では、国民党(蒋介石)と、共産党八路軍(毛沢東)が支那全土で内乱を繰り広げていました。 1937年7月7日に盧溝橋で実弾を持たず夜間演習をしていた日本軍とすぐ近くにいた10万人の蒋介石の国民党軍に相互に発砲を受け、交戦状態になりました。双方腑に落ちない点があり、事件発生5日後には日支両軍は停戦協定を結んでいます。  盧溝橋事件が起きた翌日(7月8日)、支那共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けています。 1949年の中華人民共和国成立日に周恩来首相は、盧溝橋事件は、共産党軍が双方に発砲し、停戦協定を妨害したと演説で説明しています。  一方、日本では、1937年7月4日に近衛文麿は首相に就任した3日後、盧溝橋事件が起こりました。 陸軍は不拡大の方針で7月11日に現地停戦協定を結びましたが、近衛文麿は「北支派兵声明」を出し、政財界やマスコミに挙国一致の協力を訴え、強硬に軍事介入の必要性を訴えました。 結果、事件が「北支事変」、「支那事変」から「日中戦争」になりました。  また、国家総動員法成立、日独伊三国同盟により英米を敵に回し、ソ連とは中立条約を結み、第二次世界大戦の準備を整えました。 参謀本部第一部長だった石原莞爾は、対ソ警戒を理由に中国大陸での軍事行動に絶対反対しましたが、失脚してしまいました。  朝日新聞尾崎秀実がソ連のスパイ容疑で逮捕の四日後、近衛は政権を投げ出しました。  既に日米対立は決定的になっていた状態で東條英樹陸軍大将は首相を引き継ぐ事になりました。 ※近衛文麿は京都帝国大学でマルクス経済学に傾倒した河上肇に学びました。近衛文麿の政策研究団体である昭和研究会のメンバーは尾崎ら共産主義者と企画院グループの「革新官僚」によって構成され、理念はマルクス主義を基にしていた。  結果、日本が大東亜戦争を引き起こしたのではなく、日本と戦争したかった米国ルーズベルト大統領と、コミンテルンにコントロールされた近衛文麿や朝日新聞の尾崎秀実及び「日支全面衝突の危機」と虚構で扇動(現実と乖離した戦争プロパガンダ)した朝日新聞が、日本を陥れたと言えるのではないでしょうか。  岸信介元首相は、「支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀実であった」と言っています。  事実、コミンテルン第7回大会(1935)にスターリンが砕氷船理論の発動を指示したと言われています。 ※砕氷船理論:ドイツはフランスとイギリスを戦わせ、日本は蒋介石の中国と戦わせよ。米国の参戦で日独が敗北し、共産主義陣営にする。  後、陸軍の仮想徹国はソ連で、海軍の仮想徹国はアメリカでした。 もし、ハルノートやABCD包囲網など無視して、真珠湾攻撃をせず、陸軍の支援に徹していれば、大東亜共栄圏が実現していたかもしれません。   詳細は、以下のページを参照して下さい。 [ハルノート 太平洋戦争] http://www.youtube.com/watch?v=YR4zXcwrGlY [ハルノートが作られる経緯その1] http://www.youtube.com/watch?v=fR7PU0fMlBQ [大東亜戦争の真実] http://www.youtube.com/watch?v=UdpaTT5EYI0 [大東亜戦争に込められた想い] http://www.youtube.com/watch?v=nD7dW2udqOA [ユダヤとコミンテルン_日本が戦争に至った背景] http://www.youtube.com/watch?v=9254tkUe8Hw [近衛文麿の戦争責任] http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/38858821.html [日中戦争の真実] http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi05.htm [皇軍に感謝した毛沢東?] http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/moutakutou.html [共産主義者の大東亜戦争責任] http://www.youtube.com/watch?v=GqJSU4v4VHA http://www.youtube.com/watch?v=F8-suGPP4sA http://www.youtube.com/watch?v=uFMtTokCuXs [真実の近現代(日本史編)] http://www.youtube.com/watch?v=hL6eEaqsu3Q http://www.youtube.com/watch?v=-QXFMaziJ5M http://www.youtube.com/watch?v=McUqrY0DGXI http://www.youtube.com/watch?v=IiMdmjQ4CSQ http://www.youtube.com/watch?v=4kkugdYQiMU http://www.youtube.com/watch?v=TUbDt2qiH3E http://www.youtube.com/watch?v=vo_cad8PQa0 [日本人が知ってはならない歴史] http://www.youtube.com/watch?v=GWP4eoseFMU [アジアが愛した日本 アジアを愛した日本 歴史の真実] http://www.youtube.com/watch?v=yFg2jjkxWkQ [アジア諸国は親日だった] http://www.youtube.com/watch?v=yxP3JKupCAY [親日 -世界の偉人・著名人が日本人を絶賛] http://www.youtube.com/watch?v=L6HXwT6fPtk [日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本] http://www.youtube.com/watch?v=RntUs2gjM3g [ちょっと前の日本人~海外の反応~] http://www.youtube.com/watch?v=541FNT_y6ug [新・世界は日本をどう見ているか 自虐史観からの解放] http://www.youtube.com/watch?v=xo5wNzuqtVg [勝者が書いた歴史は真実か?] http://erdrick.web.fc2.com/ アムステルダムの光芒(照らされた日本の誇り)] http://www.youtube.com/watch?v=Dx-BBg0AgP4 [[親日国インド] http://www.youtube.com/watch?v=CunDINRHP_8 [世界最高の親日国家インドネシア] http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20090715/1247665294 [親日国ブ-タン] http://www.youtube.com/watch?v=Jg_yc_OEiqI

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.7

大東亜共栄圏(八紘一宇)の理念は、白人のアジア支配を排除し、単に、日本の支配に置き換えることを、目指したのではないと思います。 ↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%AD%96%E8%A6%81%E7%B6%B1 政府の公式文章として 根本方針として「皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設する」 「日満支を一環とし大東亜を包容する皇国の自給自足経済政策の確立」とうたっているのは、「自ら帝国主義国家として自立発展しようと、明治以降、大きな犠牲を払いつつ、努力に努力を重ねてきたのだと思います。」という内容の発展形であり、つまりは日本を皇国としてその自給自足体制の確立のために満支を経済的に包摂しましょうとしています。 これと欧米の帝国主義の行動とどこが違うのかがまったくもって不明。 単に日本の支配に置き換えることを目指すというのが、妥当な説明となります。 ちなみに私は NO3の回答でも「大東亜共栄圏の理念が不正義」とは断定していない。 八紘一宇は、帝国主義理念の一種であり、帝国主義理念が正義であればその一種である八紘一宇も正義であるすることは論理的には間違っていないと考えております。

minamisinakai
質問者

お礼

列強の白人支配を脱して、日満支を中心とするアジア経済共同体を目指したのですね。従来の帝国主義的発想(植民地支配)を突き抜けた先進的発想だと思います。満支を経済的に包摂しようとしたのではなく、満支と経済的に互恵・連携(共存共栄)しようとしたのですね。 八紘一宇は、弱者の従属を強いる帝国主義のような覇道理念を突き抜けた、互恵・連携すなわち共存共栄の王道理念だと思いす。だから正義なのだと思います。 ご指摘は非常に参考になります。ありがとうございました。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.6

「どこかで何かを間違えてしまった」のではなく、視点の違いでしょう。 あくまで、自分中心の視点しか持たず、自己中心的価値観で行動したため、他から非難が集中してしまいました。 たしかに、自己中心的価値観は、第一次世界大戦までは、国際社会でも当たり前のことでした。 しかし第一次世界大戦後、その価値観は一転してしまうのです。 第一次世界大戦に、ほんの少し係わっただけの日本が、その事にきずかずにいたことが、悲劇となって日本に降りかかったと考えるべきでしょう。

minamisinakai
質問者

お礼

アジア諸民族の共存共栄を目指した、大東亜共栄圏(八紘一宇)という正義の理念を、掲げたにもかかわらず、狂気の価値観を持つナチス・ドイツと軍事同盟を結んだのが、間違いだったと思います。 日本の指導者たちは、ナチス・ドイツの電撃作戦成功に、目がくらんでしまっていたのでしょうか。 「門戸開放・機会均等」のスローガンを打ち出していた米国の方が、理念的には、最も近かったように思います。 ご指摘は参考になります。ありがとうございました。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.5

「盗人にも三分の理」そのままですね。 20世紀初頭、欧米列強の植民地支配は、アジアを含む全世界に及び、その支配体制は啓蒙で、友愛精神に根ざしていた。 中国を含むアジア全域は、列強の穏健な支配下にあり、日本が暴利を求めても入り込む隙間与えませんでした。 やがて、孫文の三民主義や大アジア主義を初めとして、民衆の中に、アジアの解放や祖国の独立を願う運動が、欧米の隙(ヨーロッパにおける対立)をついた主に日本の侵略を機にして広がっていった。 世界恐慌に翻弄されていた日本は、列強の植民地体制を打破し、アジアを搾取する以外、帝国としての存立が困難であった。 日本は、大東亜共栄圏のモデルとして満州帝国を立ち上げたが、日本による搾取がひどく、中国での日本の利権侵害や居留民虐殺などのレジスタンスも頻発するようになった。 民衆の反発によるレジスタンスを繰返す蒋介石や貧困農民を支持基盤とする共産党を鎮圧するため、日中戦争が始まった。 蒋介石や共産党は、民衆のため、民衆支持を基板として、彼らを虫ケラのように犠牲にしてきた日本は、このような民衆の代弁者である蒋介石と共産党を誹謗し、満州帝国の安定存立と、過酷な植民地支配を目指した。 しかしながら、大東亜共栄圏(八紘一宇)の理念は誤りだったが、この理念を盲信する大日本帝国陸軍は、さらにお粗末だった。 理念的に、日中戦争の目的は、民衆の代弁者である蒋介石と共産党を打倒し、満州帝国を専制存立させると共に、中国民衆を日本の奴隷とすることであった。 この大義を、帝国陸軍はその組織内部に十分に浸透させることができた。 日中戦争・太平洋戦争を引き起こした日本には、惻隠の情を持ち弱者を庇う精神が欠如していた。更には、日本人一般に、シナ人・アジア人蔑視の考えが当然であり、これに初年兵を陰湿に殴り苛める内務班的な陰険体質が加わり、占領地の民衆は牛馬のごとく扱われた。 兵士や民衆の命を紙切れのように見なす精神主義、統制派的エリート主義、現地調達主義など。これらの主義に犯された無能で危険な参謀たちに、兵士の命や占領地民衆の貧しい生活などは、ほとんど無視された。ましてや、国際世論などは、全く配慮できない。宋美齢やコミンテルンによる国際世論や中国民衆の反発を増幅させるだけだった。 このような日本の組織体質は、いくら反省しても反省仕切れない。なぜなら、未だ現代日本の公的組織や民間会社組織にすら、これが色濃く残っているからだ。 しかし、いくら戦争に負け反省を強要されたからといってそれを否定しても、「誤った正義の理念」は、否定しなければならない。 大東亜共栄圏(八紘一宇)は誤った理念だった。 1930年頃以降、日本が、この理念を反省し、その否定に邁進したことを、今の日本人は、誇りに思うべきである。 汪兆銘を、日本の傀儡と評価するのは正しい見方である。 無節操に日本の支配下となり、民衆を戦争の楯に利用し続け、日本の手先と成り下がった汪兆銘は、蒋介石により、決別されせざるを得なかった。 そして、日本の専制をやわらげるため、日本の支配下での最低限の自治を確保するため、柔軟かつしたたかに交渉を重ね、1940年、南京国民政府を樹立した。 一部の自治と引き換えに、国と国民を日本に売り渡した彼こそ実質的な売国奴である。この正しい評価を日本のネット右翼は聞く耳を持たないだろう。しかし、日本は、少なくとも世界に対しては、正しい評価をするよう働きかける義務が有る。 論文ができちゃった。

minamisinakai
質問者

お礼

大日本帝国は、盗人ではなかったと思います。列強の植民地化を切り抜け、自ら帝国主義国家として自立発展しようと、明治以降、大きな犠牲を払いつつ、努力に努力を重ねてきたのだと思います。 しかし、どこかで何かを間違えてしまったのですね。何を間違えて、何を間違えなかったか、これらを明白にすることは、大切ですね。 このような歴史の見方をすることも可能なのだという、ご指摘、ありがとうございます。参考になります。

  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.4

面白いね 主語をソ連にして、「八紘一宇」を「マルクス・レーニン主義」に置き換えて、固有名詞を適当に置換すれば、この文章でもう一勝負できるね。 下の回答にあったけど、質問者の文章には「八紘一宇」のイデオロギー的解釈がそもそもない。言葉だけが一人歩きしているから、こういう論法なら何でもできるんですよ。ナチズム擁護だって可能だと言うことに気付かないかな。

minamisinakai
質問者

お礼

ナチズムはやはり邪悪な理念だと思います。日本人は神国日本の神兵だと本気で思っていた人は少ないでしょう。ヒットラー一派は本気で自分たちを最優秀人種と思い込んでいたのでしょうね。だからユダヤ人を地上から抹殺しようと実践できたのですね。 大東亜共栄圏(八紘一宇)の理念とは、まるっきり正反対に位置していたのがナチズムではないでしょうか。 ヒットラーは日本人を何と思っていたのでしょうか。 厳しいご指摘をいただき、ありがとうございました。いろいろとご指摘をいただくと、次々に新しい疑問がわいてきて、興味がつきません。勉強を続けます。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

そもそも「八紘一宇」とは何か?という定義がなく、単純に正義であるとされている。 正義とは○○であり、八紘一宇は●●である、よって八紘一宇は正義である。 という、定義がなければ、間違い(論理的破綻があるのか無いのか)は検討ができない。 仮に、WIKIPEDIAなどの情報から、八紘一宇を単純に定義し、白人支配論理を比較するならば 白人が優秀だからアジアを支配して良い。 日本は皇国だからアジアを支配して良い。 ということになり、 質問者の文章中には上記を明瞭に説明している部分がないので、日本を主導とするアジア体制と欧米を主導とするアジア体制のどちらが正義としての妥当性があるかは判然としない。 日本の対アジア進出の理由が、「日本が交易を求めても入り込む隙間も無い。」「世界恐慌に翻弄されていた日本」と、日本側の理由付けしか無い。 「日本の利権侵害」という時の、利権発生の論拠がない。 すでに発生した利権を侵害することが不正義であるとするならば、すでに発生した欧米の中国における利権を日本が新がすることも不正義となる。

minamisinakai
質問者

お礼

大東亜共栄圏(八紘一宇)の理念は、白人のアジア支配を排除し、単に、日本の支配に置き換えることを、目指したのではないと思います。日本の指導者たちの中には、正にそのことしか眼中に無い人たちもいたことでしょう。しかし、理念的には、全く異なり、アジア諸独立民族の共存共栄を目指したのだと思います。この理念に共鳴した日本人やアジア人は少なくない。戦後の民族主義の奔流を見ても、この理念は歴史的に正義だと思います。 蒋介石と毛沢東は、アジア諸独立民族の共存共栄を目指すことなく、欧米やコミンテルンに従属し、白人支配の継続に全面加担しており、歴史的に不正義だと思います。 鋭いご指摘をいただきありがとうございました。今後ともよろしくご指導願います。

  • blackhill
  • ベストアンサー率35% (585/1658)
回答No.2

 質問内容を拝見すると、独自の史観で歴史を再構成されておられるようなので、ここでは疑問の提起を差し控えます。過去問をみると、学界の事情にも通じておいでなので、しかるべき機会に専門家と討議されることを期待しています。  ただし、質問のタイトルについて、なにか不思議なところがあります。質問者は「大東亜共栄圏(八紘一宇)の理念は正しかった」と断定されますが、その論拠は示されていません。  いうまでもなく、八紘一宇の宇はイエのことですが、その具体的な中身は手短にいえば家父長を頂点とする支配従属の秩序で成り立つ血縁集団であって、構成員の個性や人格を尊重する現代の民主的な家族とは全く異なります。  それだからこそ、皇国思想と大東亜共栄圏の理念が両立するので、現在の家族観で八紘一宇を解釈するのは危険だと思います。

minamisinakai
質問者

お礼

当時の欧米による植民地支配の理念は、優等人種として、劣等人種を支配するのは、未開の人々に近代文明の光を当てるため必要かつ正しいことである。というものだと思います。 日本を初めとする20世紀初頭のアジア民族主義からすると、「とんでもない。我々は自力で近代化できる。欧米植民地支配者はアジアから出て行ってくれ」と叫んでいたのだと思います。 そういうアジアの民族解放の指導者たちが、大東亜共栄圏のような、欧米支配を排除したアジア独立諸民族の共存共栄を理念化するのは、歴史的に正義だと思います。 これが、皇国日本では八紘一宇という言葉になったのだと思います。この言葉には深い意味は無いと思います。単に、「世界の諸民族が家族のように仲良く共存共栄できるように祈り願う」ということだと思います。 貴重なご指摘をいただき、ありがとうございます。もっと勉強したいと意欲がわいてきました。

minamisinakai
質問者

補足

皇国日本の家父長制は、現代の民主的家族制とは異なり、家父長を頂点とする支配従属の秩序で成り立つ血縁集団である。だから皇国思想と大東亜共栄圏の理念が両立する。そのとうりだと思います。 従って、日本にとって、「指導」という名目での帝国主義的搾取が前提であって、その代わり、一人立ちできるまでは民族の解放と独立を日本が守り保障する、という一種独特の安全保障のギブアンドテイクが、アジアの民族解放指導者たちと日本の指導者たちの間で成立していた。 当時のアジアの社会発展状況を考えると、このギブアンドテイクは、合理的であり進歩的でさえあります。 従って、何ら、理念の正義性を損なうものではないと思います。ただ、帝国陸軍は、指導という名の下に、民衆の従属を強いた傾向が有った事は否めなく、自らの大義をぶち壊していた。

noname#159190
noname#159190
回答No.1

そうですな。言ってること自体は破綻していないんじゃないですか? ただ、どの組織や国家、陣営も言ってること自体は間違っちゃいないんですよね。 後学の参考にしたり、今後の教訓とするにはそれぞれ「本音」の方に注目すべきだと思いますけどね。 (我が国は「支那軍膺懲、南京政府の反省を促す」とかいって戦争吹っかけたり、他国に土足で踏み入って戦地にしたり国をでっちあげたりしているんで、かなり露骨に「本音」が出てるんですけどね。) まあ、結果として「八紘一宇」を旗印に自国の国民を軍民合わせて300万も殺してしまったわけですから、今更誇りに思ったり、何かのスローガンにするにはちょっと無理があるでしょうな。 また、仮に理想が実現されたとしても、戦争に負けそうになったら国民を爆弾の部品にしたり、反論を述べたら捕まえて拷問で殺すような国が中心となった「大東亜共栄圏」なんてろくな物にならなかったと思いますよ。

minamisinakai
質問者

お礼

仮に理想が実現されたとしても、大東亜共栄圏は、相当長期間、ろくな物ではなかったと思います。日本は、指導するという名目の下、帝国主義的に最大限の搾取を行ったでしょう。 しかし、アジア各民族の解放・独立が、大東亜共栄圏(八紘一宇)の理念の中に大きく位置づけられていたことは、忘れるべきではないと思います。この点に共鳴した日本軍将兵や日本国民は少なくなかったと思います。 指導者たちの戦争戦略が杜撰で、延々と戦い続け、結果、300万人以上の犠牲者を出して敗戦となったことと、理念そのものの正邪は別問題だと思います。 いろいろのご指摘をいただき、励ましになります。もっと勉強します。ありがとうございました。

関連するQ&A