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大東亜共栄圏 資源目的?

大日本帝国は、列強による経済封鎖から大東亜共栄圏構想をもって東南アジアに進出し、その後の東南アジア諸国の独立に貢献したそうです。 さて、日帝は、そこから資源をいただいたのでしょうか。諸国が歓喜をもって迎えた、また反感を買った部分もあるでしょう。 1.東南アジア諸国から、勝手に資源をもらったか。 2.東南アジア進出における東南アジア諸国の声 以上2点 お願い致します。

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あれこれおっしゃる前に、東南アジアの国々の教科書を読んでみてください。外交辞令(日本向けのお世辞)とは異なる内容を、人々が学んでいることが分かります。 私の好きなインドネシア―インドネシア歴史教科書「日本軍占領時代」 http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/bahasa_jepang2.html 〔引用開始〕 インドネシアの高等学校で使われている歴史教科書の一部を翻訳し、内容を紹介いたします。〔中略〕 2006年6月、メダンのGramedia(大手書店チェーン)で購入したもの。記述の対象となる時期は、1942年の日本軍による占領時代開始から現在まで。高校3年生向け。〔中略〕 日本による占領期間は短かったとはいえ、長期にわたったオランダ時代に受けたよりも遥かに重い苦しみをインドネシア国民は体験することとなった。〔中略〕 よく見てみれば、日本の方針は反生産的(つまり、目的と結果でお互いに矛盾している)であるように見える。つまり、食料増産のための努力は、次のような原因のため失敗した;〔中略〕 多くの地域で飢饉が発生した。〔中略〕 つまり、日本によって占領された他の地域と同様に、インドネシアはその国民が極めて苦しめられた国であったと言えよう。日本民族による残虐行為は西欧民族が犯した残虐行為を超えていた。〔中略〕 インドネシアでの日本による搾取は天然資源に対してだけではなく、人的資源に対しても行われた。〔中略〕 労務者の動員はしばしば非人間的なものだった。労働環境は劣悪だった。重労働であり、食料は十分に与えられず、衛生状態も不適切だった。そして厳重な監視下の元、休息時間は短く、ミスは重く罰せられた。多くの労務者たちが、ビルマ、マラヤ、サラワク、ベトナム、ソロモン諸島などの海外へ送られていった。その多くが、送られた先で死亡した。 〔中略〕 また別の側面もあった。〔中略〕 肯定的な影響としては次のようなものである;〔中略〕 d. 多くの青年達が軍事知識・技能を習得した。それはやがて独立を守るための土台となった。 〔引用終り〕 学びの場.com(事務機器・学校教材の専門商社大手「内田洋行」の教育総合研究所) 海外の教科書は、日本をどのように教えているか?(堀内一秀) http://www.manabinoba.com/index.cfm/6,6424,13,html 〔引用開始〕 そこで今回はアジアの国を中心に、海外の教科書が日本、特に戦争時代の日本をどのように教えているか調べてみた。 〔中略〕 マレーシア 「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本人の支配はイギリスよりずっとひどかった」。 (中学2年生用『歴史の中のマレー』1988) フィリピン 「フィリピンの歴史における暗い時代は私たちの国を日本国が占領した時です。日本軍は、来たばかりの頃は、自分たちはフィリピン人の友達だといい、フィリピン人と日本人を結びつけるためアメリカを敵としました。彼らは、人々の食料や家財道具をはじめ、乗り物や大きな家々も取り上げました。彼らはまた、とらえた人々を拷問し、殺しました」。 (小学校4年生用『歴史』1977) 台湾 「二十余万人に達する台湾籍の軍人・軍婦が前線に送られ、さらに少なからざる少女が異郷で淪落し慰安婦にさせられた。これらの計り知れない辛酸血涙は、みな日本の植民地統治が残した歴史の傷跡である」。 (中学生用『高級中学歴史下』2000) シンガポール 「日本軍警察であるケンペイタイについては、恐ろしい話がたくさんある。スパイによって日本軍に通報された者はケンペイタイの建物に連れて行かれた。そこで彼らはあまりにもひどい拷問を受けたので、多くの者は自分の受けた苦しみを人に告げることなく死んでいった。最も一般的な拷問のひとつは「水責め」で、とらわれた人は寝かせられ、大量の水が鼻や口に流し込まれた」。 (中学校初級用『現代シンガポール社会経済史』1985) 〔引用終り〕 さて、大日本帝国が唱えた「大東亜共栄圏」は禍々(まがまが)しいプロパガンダだったが、戦後のアジア各国独立の契機にもなった。とは言え、「日本が独立させてやったのだ」などと恩に着せると、ネトウヨに転落する。 なぜなら、「戦後の世界はアメリカ中心に回っている」という現実認識を欠いて、戦前戦中並みの妄想に耽っているからだ。例えばインドネシア独立を概観しよう。 1945年に日本が降伏して第二次世界大戦が終わると、インドネシアは独立を宣言した。しかし、宗主国のオランダが戻ってきて、インドネシアと戦争になった(独立戦争)。泥沼化するとも思われたが、アメリカがオランダに「戦争を続けるなら援助を止めるぞ」と言い渡した。 第二次大戦で疲弊した西ヨーロッパ諸国は、戦後、アメリカから莫大な援助を受けていたのである。オランダはそれを打ち切られたくなかったので、しぶしぶインドネシアと戦うのをやめた。 これこそ、インドネシア独立の決め手となったのであり、それを知らない日本人が多いらしいのは不思議である。戦後の世界はアメリカが中心だったのだから、「インドネシア独立に関しても、日本よりアメリカの影響力が大きかったのでは」と調べてみる気にならないのは、怠慢ではないか。 そして、戦後の世界は第二に共産勢力中心に回っていた。インドネシア独立に関してもそれが見られるのであり、インドネシアの共産主義勢力が独立闘争を支えた。 だいたい、共産主義のように非道(ひど)いものが、なぜ第二世界(いわゆる東側諸国)だけでなく第三世界(発展途上国)でも勢力を張ったか。彼らは、独立闘争などになると侮れない強みを発揮するからである。共産党は「民主集中制」、「政治将校」などの仕組みを備えていた。 インドネシア独立を果たしたスカルノも、共産党の影響力を認め、気配りせざるを得なかった。のちにスカルノは失脚し、代わってスハルトが政権を取ると、インドネシアは反共国家に転じた。 そもそも、日本がインドネシアを侵略する前から、スカルノらはオランダの植民地支配に抵抗し闘争していたのである。その後、日本が引き起こした太平洋戦争が、「インドネシア独立の妨げにはなっても、助けには全くなっていない」と言えば、へりくだり過ぎでもあろう。しかし、「日本のおかげでインドネシアは独立できた」というのはキチガイである。事実はその中間、「一つの契機ではあっただろう」と思われる。 日本が降伏したからこそ、インドネシアは独立できた。大東亜共栄圏も共産主義も、いわば暴風雨であり、独立の地固めには役立った。「雨降って地固まる」である。 1960年、国連総会で「植民地独立付与宣言」が採択された。「外国による人民の征服、支配及び搾取は、基本的人権を否認」するものであり、「国際連合憲章に違反」していると、高らかに宣言された。長年にわたって暴威をふるった植民地主義は、ついに公式に否定されたのである。 追悼の政治――戦没者慰霊をめぐる第二次世界大戦後の日比関係史(中野聡、国際関係史、一橋大教授) http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/mono/2000japh.PDF 〔引用開始〕 駐フィリピン大使を務めた湯川盛夫(在任一九五七年六月~一九六一年一月)は、赴任当時の印象について「あらかじめ覚悟してはいたものの、対日感情の悪いことには驚いた。新聞などにも、日本の悪口の出ない日は、めずらしいくらいだった」と述べている。 〔引用終り〕 一方、東南アジアの国々が日本を賞賛しているというコピペは、おもに名越二荒之助(なごし ふたらのすけ)の著作からの孫引きらしい。しかし、二荒之助といえばデマ拡散家として悪名高い。パラオ国旗とか、東郷ビールとか、アインシュタインの予言とか。 また、マレーシアのマハティール首相(任期1981-2003年)の日本賛美発言は、黄文雄の『罠に嵌った日本史―日本は再び米中二大覇権国家の餌食になるのか!?』からの孫引きらしい。黄は、マハティールが1992年10月14日に香港で「欧州・東アジア経済フォーラム」において発言したと書いている。このフォーラムは、有名な「世界経済フォーラム」の系統である。首相在任中の発言ということになる。 そこで、マレーシア首相府の公式サイトを見ると、下記URLに全文が載っていた。 http://www.pmo.gov.my/ucapan/?m=p&p=mahathir&id=1111 しかし、ネトウヨコピペにあるような、「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」というくだりは見当たらない。黄文雄の捏造だろう。 マハティールは首相退任後、2005年に来日して早稲田大学で講演した。同大学のサイトに収録されている(http://www.waseda.jp/jp/global/guide/h_doctors/mhm.html)。首相在任時よりも、もっと日本にリップサービスしてよい立場になったはずだが、やはりネトウヨコピペのようなくだりは見当たらない。

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質問者からのお礼

>「インドネシア独立に関しても、日本よりアメリカの影響力が大きかったのでは」と調べてみる気にならないのは、怠慢ではないか。 調べる気が無いわけではないのですが、なかなか大変なのです。w ありがとうございます。 しかし、「神風特攻隊はフィリピンで英雄だった」や、「インドネシアの独立宣言文では、西暦ではなく皇紀が使われている、またその他の大日本帝国への賞賛、また、マッカーサーの「日本は自衛戦争した」発言は、どのように考えるのでしょうか。パラオ国旗の話など、大半が捏造でしょうか。 http://www.geocities.jp/ryokuin_seidan/img1/japan1_index.htm また、台湾でも強制的な慰安婦が存在したのは、初耳でした。 しかし台湾は、それをネタにする中韓とは違い東日本大震災でも多大な援助をしていただきました。どのように理解すべきでしょうか。

質問者からの補足

>あれこれおっしゃる前に、東南アジアの国々の教科書を読んでみてください。 それこそが困難ではないでしょうか。 アジアの教科書に書かれた日本の戦争 東南アジア編 (教科書に書かれなかった戦争) 単行本 – 1995/6/1 越田 稜 (著) このようなものもありますが、それとて、正しい記録かどうか分かりません。

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その他の回答 (6)

  • 回答No.8

得々として名越二荒之助をコピペするような人は、程度が知れていると言われても仕方あるまい。ネトウヨさんにはその手の輩が多い。彼らのコピペは、見た目はずらずらと長くて壮観だが、出所不明だったり改竄ものだったりする。 名越(故人)は大学教授だったが、大学を出ていない。いやそんなことはともかく、旧制の専門学校を出て戦争に行き、復員後は高校教師を長く務めた。五十歳を過ぎてから大学の助教授になった。 著書はおよそ学者らしからぬ書き方である。博引旁証はいいが、出典を明示してないのだ。いくら、私たち一般人向けの読み物と言ってもである。分野は異なるが、あの小保方さんの上手(うわて)を行っているかもしれない。 とにかく、その種のコピペを一つ見てみよう。 http://www.geocities.jp/ryokuin_seidan/img1/japan1_index.htm 上記のコピペの引用・参考文献は、『「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編、展転社』だという。ここでは、手っ取り早く冒頭の「ククリックド・プラモード」だけを検証しよう。まず、その表記からして怪しい。一般には「ククリット・プラモート」と表記するようだ。略歴は下記のサイトなどをご覧ください。 福岡アジア文化賞 - 1990年(第1回)創設特別賞受賞 ククリット・プラモート http://fukuoka-prize.org/laureate/prize/spe/pramoj.php 〔引用開始〕 1911年04月20日生(1995年10月9日没) 作家、ジャーナリスト、評論家、政治家、実業家等々と幅広い活躍をしている現代タイの最高の知識人。〔中略〕 ジャーナリストとしての活動は1950年、評論、解説を重点とした「サヤーム・ラット」紙を創刊したことに端を発し、〔中略〕 同氏はオックスフォード大学経済学部卒業後、大蔵省に入り、その後、財界へ転出し、〔中略〕 1947年、政界に入るや、直ちに国務相に就任、翌年、時のピブン内閣商務副首相を務め、1975年には、第13代タイ国首相の座についている。 〔引用終り〕 すなわち、タイの名家の生まれで才気にあふれ、八面六臂の活躍をした文人政治家だった。それがネトウヨコピペでは、「十二月八日、現地の新聞『サイアム・ラット紙』において」となっている。しかし、新聞から引用するなら、なぜ「何年何月何日付」と記さないのか。ネトウヨさんはコピペするとき、「変だ」と気付かないのだろうか。 どうもこれは1955年6月ごろ新聞に発表した詩らしい。「十二月八日」はその詩の題らしい。それらの情報は、ネトウヨたちがコピペを繰り返すうちに欠落したようだ。「らしい」というのは、それが名越由来の情報であって、しかも名越は該当の紙面(発行年月日)や原文(タイ語テキスト)をはっきり示していないからである。 私はこの件を全くの捏造とまでは思ってないが、名越二荒之助にタイ語は訳せたのだろうか。訳したのが誰かを、なぜ記してないのか。そもそも、詩の翻訳は難しい。 あるいは、原文は如何様(いかよう)にも解釈できる詩的表現で、それを強引に意訳したのだろうか。タイ語を知らない私たちでも、論説文だったら自動翻訳にかけてみる手がありそうだが、詩となると無理だ。母国語の詩でさえ、素養がないと鑑賞できないのに。名越の書き方では、文責が誰にあるのか曖昧だ。 だいたい、コピペの「ククリックド・プラモード(タイ、元首相)」という書き方も詐術的である。これは、一国の首相という責任ある立場に就いてからの発言ではない。首相になるより20年も前ではないか。 また、名越以外のソース(source)が見当たらないのも不審な点である。ネットには英訳も存在するが、サイトの内容からして、名越コピペの重訳と思われる。 ククリット・プラモートは、いわばタイのRenaissance man(万能型教養人)で、大立者(おおだてもの)だった。彼の言動は国内外の耳目を集めていたはずだから、問題の詩が名越以外の人の目に留まらなかったのは不自然である。また、このコピペ以外に同様の発言はあるのか? 検索してみると、親日どころか、逆に「日本商品不買運動」(1972年)をほめたたえた論説が出てきた。下記の通りである。 独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所 - アジア動向データベース 1972年 タイ http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1972/204/1972204REF.html 〔引用開始〕 1. 日本商品不買運動に関する論調 〔中略〕 "日本商品不買週間"が,10大学の学生によって11月20日から26日まで1週間,日本商品の不買を国民に訴えて,タイ国で始めて行なわれようとしている。 〔中略〕 ククリット・プラモート (Siam Rath 紙 11月14日)〔中略〕 タイの学生達が,日本商品を買わないよう宣伝運動をしていることは,正しい行動である。〔中略〕 日本商品の不買から始めることは,最も良い一つの方法である。 もし,タイ人が本当に日本商品を買うのをやめれば,生活に不必要なものは,暫時不足するかも知れない。しかし,その不足こそがタイ人に国内でその不足する商品の生産をはげますものなのである。〔中略〕 もし,日本製ラジオがタイ国から無くなれば,タイ人は自分でラジオを作らなければならない。最初は高いかもしれない。品質も日本製程良くない。しかし,ずっと続ければ,コストも低下し品質も良くなるに違いない。 〔引用終り〕 そもそも、ククリット・プラモートが、例のコピペのように1941年12月8日を「仁が為された日」と記憶することはありえるだろうか。その日、日本軍はハワイの真珠湾を攻撃したのみならず、タイも侵略したのだ。タイとの間で事前の話し合いが付いてなかったため、「日タイ戦争」が勃発した(一日で終わったが)。ウィキペディアに「日本軍のタイ進駐」という項目がある。下記のサイトでは現地の写真付きで詳しく解説されている。 タイに魅せられてロングステイ - 太平洋戦争下で勃発した日本とタイの戦争? http://ameblo.jp/hiro-1/entry-11165294031.html ククリット・プラモートにはセーニー・プラモートという兄がいて、大物政治家だった。むしろ、ククリットは兄の「引き」で政界入りしたと思われる。セーニーは1945年から46年にかけて首相を務めた。 のちにタイでは軍事政権が長く続いたが、その狭間の1975年から76年にかけて、セーニーは第2次セーニー内閣を組織し、次いでククリット内閣、さらに第3次セーニー内閣と、短期間で目まぐるしく交代した。このプラモート兄弟は文官で、王族の近縁だった。 セーニーは抗日運動家として有名である。タイは第二次大戦で日本に協力したのだが、当時駐米大使だったセーニーは「自由タイ運動」を開始し、連合国に協力した。 財団法人 自治体国際化協会 - タイの教科書にあらわれた「日本」 http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/104-2.pdf 〔引用開始〕 タイ人の多くは日本がタイを占領し通過地とすることに不満を感じていた。タイ人のグループの中には、連合国に反政府派であることを表明し、連合国側に明白に認識させる者もいた。セーニー・プラモート駐米大使はその一例である。彼はアメリカ政府に対して、タイはやむをえず連合国側に宣戦布告したが、連合国との協力により自由タイ運動の手はずを整えている、と説明した。 〔引用終り〕 一橋大学経済学部 水岡ゼミナール http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/excursion/97THAILAO/97THAILAO.html タイの現代史が解説されている。 下記の二つのサイトは、東南アジア各国の歴史教科書からの抜粋を集めている。 アジアの教科書に書かれた日本の戦争 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/burogu53.html 久保田武 「東南アジア諸国が抱いた日本像―日本占領期を中心に―」(日本教育大学院大学紀要『教育総合研究』第6号、2013年3月) https://kyoiku-u.jp/assets/files/documents/Journal/06-01.pdf

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質問者からのお礼

何度もありがとうございます。 >「日本商品不買運動」(1972年)をほめたたえた論説が出てきた。もし,日本製ラジオがタイ国から無くなれば,タイ人は自分でラジオを作らなければならない。最初は高いかもしれない。 これは、反日発言とは思えませんが、 >しかし、新聞から引用するなら、なぜ「何年何月何日付」と記さないのか。ネトウヨさんはコピペするとき、「変だ」と気付かないのだろうか。 たしかに。(笑) では、日本とパラオとの友情や、ASEANのマークなども、べつに日本に好意抱いているわけでもない、リップサービスとか偶然でしょうか。特亜三国が反日と言われますが、じつはアジアのほとんどが、反日なのでしょうか。 先の大戦を含めたこれまでの日本は、信頼に値する国ではないと思われている、または、実際に信頼されないことをした悪い国家でしょうか。 であれば、それなりの懺悔やら賠償をしなければなりませんね。

質問者からの補足

これはどのように思われますか? ↓ 【重要証言】「日本の兵隊さんは本当に素晴らしかった」【ザ・ファクト】 https://www.youtube.com/watch?v=lU1qpkVe7rA エンゼルと悪魔の違いくらいあります。 【重要証言】「台湾の基礎は日本人が作った」【ザ・ファクト】 https://www.youtube.com/watch?v=4rvuDtLiOyI 台湾で日本が悪いことをしたというのは全然見当たらない。 ご指摘のように、日本はアジアを解放したどころか酷いことをした、また、朝鮮でも、病院や学校を作りインフラ整備したが、一方で多大な搾取したとの指摘もあります。 どうしてこのように違いが出たのでしょうか。 【重要証言】「日本は強くあってください」~台湾から日本へのメッセージ~ https://www.youtube.com/watch?v=P4CS4Samhd0 日本は東洋の守り神 それを忘れちゃならない

  • 回答No.7
  • issaku
  • ベストアンサー率47% (244/509)

>可能でしたら、情報源をお願い致します。 自分は一次資料で見てますが全て示すのは難しいので、よくまとまっているJOGMECの広報氏掲載レポートをお勧めします。 評価は、後半の引用部分について、昔読んだ日中漁業権交渉のサマリと比べてみた印象です。 軍事占領と接収(すなわち略奪)については事実ですので説明の必要も無いと思います。

参考URL:
http://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/3/3524/201003_071e.pdf

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質問者からのお礼

ありがとうございます。 またよろしくお願い致します。

  • 回答No.6
  • issaku
  • ベストアンサー率47% (244/509)

>1.東南アジア諸国から、勝手に資源をもらったか。 石油に関しては、採掘場を丸ごと接収し、また新たに採掘生産して本土に還送しました。 その量は終戦までの合計で約3800万キロリットル、戦前の国内平年消費量の10年分を超えています。 ゴムや錫等の重要軍需物資についてもほぼ同様です。 事実上、日本軍の作戦行動はほとんどこの南方資源によって支えられていたと言ってよいでしょう。 >2.東南アジア進出における東南アジア諸国の声 資源に関して言えば、日本は東南アジアに対して(主に蘭印ですが)当時と今の国際貿易の常識ではあり得ないような無茶苦茶な水準の要求を、それも今の中国よりも高圧的な態度(当時の交渉記録を読むと今の中国と似通った主張が散見されます)で行い、決裂後には軍事力をもって略奪しました。 経済と主権という国家経営のメインストリームで評価する限りは、好意的に受け入れられる要素が全くありません。

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質問者からのお礼

>無茶苦茶な水準の要求を、それも今の中国よりも高圧的な態度(当時の交渉記録を読むと今の中国と似通った主張が散見されます)で行い、決裂後には軍事力をもって略奪 ありがとうございます。 可能でしたら、情報源をお願い致します。

  • 回答No.3

 大東亜共栄圏などというのは、大言壮語の大ぼらで、実際には成功の見込みが無い荒唐無稽な作り話を実現しようとして計画された無謀な戦争だったのが実態です。資源の略奪と民衆の奴隷化でローマ帝国のような大国を作ろうという哀れな妄想だったのです。  資源を略奪しようにも民衆心理が不勉強で、協力する者がおらず、テロやクーデターに苦しめられ、失敗を繰り返していただけだったようです。むやみに民衆を殺害したので大量虐殺の汚名を着る結果になり、自分で墓穴を掘って崩壊したのが大東亜共栄圏だったようです。  地上戦が弱かった旧日本軍は、薄い装甲しか持たない旧式な戦車しかなく、自動小銃やロケット砲のような近代的な装備も無く、一発ずつしか撃てない小銃が主戦力で、敗退に次ぐ敗退を重ね、敗北しています。  戦争で勝てば民衆は従うという戦争音痴だったのが原因で、戦争で勝った後に起こるレジスタンス運動やゲリラに対する知識が無かったようで、ナチスドイツもレジスタンスとテロに相当に苦しめられていたようです。  戦争に負けた後で、本来ならばレジスタンスやゲリラで抵抗しなければならないのに、国民から武器を奪って何も抵抗しなかったのが、大東亜共栄圏構想の無責任ぶりを露呈しています。民族の存続をかけて戦う意志など最初から無かったわけです。  妄想でしかない高い理想を掲げて、理想を実現出来ずに破綻したのが大東亜共栄圏だったわけで、前例の無い事には否定的な官僚主義国家が、全く前例が無い大東亜共栄圏構想を推進したのが、そもそもの間違いだったと言うしかないでしょう。  資源を奪ったかどうかが問題ではなく、大東亜共栄圏構想そのものが常軌を逸した妄想の産物だったと言って良いでしょう。大東亜共栄圏が破綻した結果、欧米列強の圧制に苦しんでいた世界が独立運動に目覚めたのは皮肉な現実です。

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質問者からのお礼

>実際には成功の見込みが無い荒唐無稽な作り話を実現しようとして >資源を略奪しようにも民衆心理が不勉強で 無思慮ですね。 >戦争に負けた後で、本来ならばレジスタンスやゲリラで抵抗しなければならないのに、国民から武器を奪って何も抵抗しなかった 敗戦したらそのまま、という態度ですね。素直といえば素直な。w >前例の無い事には否定的な官僚主義国家が、全く前例が無い大東亜共栄圏構想を推進した 大東亜共栄圏が破綻した結果、欧米列強の圧制に苦しんでいた世界が独立運動に目覚めたのは皮肉 それがすべてかもしれませんね。

  • 回答No.2

 日本が東南アジアに進出した際に東南アジア諸国の独立に貢献したといいますが、結果的にそうなっただけで日本が東南アジア開放を主眼としたわけではありません。事実、日本は東南アジアと結託して西洋諸国と戦ったわけではなく日本領としていますから。  日本はABCD包囲網によって資源を絶たれました。よってその資源確保をするために中国大陸や東南アジアに進出したのです。  1.東南アジア諸国から、勝手に資源をもらったか。    協力、という形でもらったこともあるでしょうが、断られたとしても資源に切羽詰まった日本がひきさがるとは思えません。それに西洋諸国の植民地支配から脱したばかりの東南アジア諸国が日本の命令を断ることは難しいと思います。    2.東南アジア進出における東南アジア諸国の声  現に、東南アジア諸国では多数のゲリラがいた事からあまりいい心境ではなかったのではないでしょうか。  よく日本賛美の逸話を聞きますが、そのほとんどがソースのないネット上の噂話の域の出ないものばかりなのでバカ正直に信じないほうが利口だと思います。

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質問者からのお礼

>結果的にそうなっただけで日本が東南アジア開放を主眼としたわけではありません。 大儀としての、大東亜共栄圏構想ですね。

  • 回答No.1
  • azuki-7
  • ベストアンサー率16% (1976/11762)

当然支配した場所からはもらったでしょう ただインドネシアにあるパレンバン油田とか 日本が支配したあとに掘り出した油田もあります 日本がマレー半島に侵攻した際に マレーシアに居た高官が「日本がマレーに上陸したとき我々は神の軍が来たと思った」と語っています もちろん占領地域で苛烈な政策も行いましたが 独立義勇軍を組織したり 現地の人と交流したりと 割と現地からは肯定的に受け取られていたようです

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質問者からのお礼

ありがとうございます。 だいたい、私の理解と同じです。

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